名前のない花なんて、どこにもないから

自分の人生を、そしてビジネス・シーンを自由に駆け回っていくための、「こころ」と「あたま」と「おかね」の使い方。そんなお話でもして、カッコつけてみようかと。

独り居酒屋

もうずっとハゲてるくせに、独り若者代表の気分でいた私も、気が付けばもう46歳。
若干健康のことも気にし出した私は今、BRUNO MARSの「UNORTHODOX JYKEBOX」を酒の肴に、KIRINの淡麗プラチナダブル(プリン体0、糖質0ってやつね)を飲みながら、このブログを書いてます。

久しぶりの更新。
う~ん・・・特に理由はなくて、何となく気分ね、気分。
そんな気分で、ブログを書き出してます。

今日は久しぶりに、一日のんびり出来るいわゆる「休日」ってやつでして、午前中は家でゴロゴロしてたんですが、思うところあってお昼頃に新宿へ。
で、「今の自分は、何を捨てて、何に集中すべきか?」なんて若干経営戦略っぽいことの答えを、行き付けの喫茶店、そうカフェではなく、いつ行ってもゴチャゴチャ感のないレトロな喫茶店にて見出した次第です。

で、夕方頃には自宅に戻り、イマドキのテーパード入ったリブ付きの黒のスウェットパンツに NUNBER (N)INE のTシャツを着たまま、やっぱゴロゴロしてました。

が、いや年頃なんですかね。
40半ばを過ぎてしまうと、なんか無性に魚が食べたくなるんですよ。

で、妻も仕事で今日は遅いしってことで、junhashimoto のスウェットパーカーを羽織った私は、DIESELのトートバッグに雑誌とトラベラーズノートをしのばせ、CONVERSEの白いJACK PURCELLを履いて独りお出かけ。
いわゆるマイル・ウェアってやつを気取って、近所の居酒屋へと刺身目当てに向かいました。

んで、モヒートをチビチビやりながら、〆鯖といなだの刺身を独り楽しんでたわけですよ。

ただまぁ、スマホを持ってくるの忘れてるし、持ってきた雑誌にも一通り目を通してしまった私は、トラベラーズノートに書きなぐった自分の軌跡を何の気なしに眺めてたんですね。

で、そんな中に、ふと目に留まったメモがあったんですよ。
で、これを何となくシェアしたい気分に駆られ、今ブログを書き出したんですね。

でも、やっぱ止めました。
そう、これも気分ね、今の気分。

で、このメモは、この後メルマガで配信することにしました。
そう、だから気分なんだって、何となくのそんな気分。

ということで、メルマガの読者さんはお楽しみに。
明日の午前中に配信予定です。
もちろん、予定は未定です。

それじゃ、また。


post by ノリユキ at 20:17 | コメント・トラックバック(0)

サバイバルゲームとか言ってますが

この世は、サバイバルゲームです。

え?そんなこと、改めて言われなくてもわかってる?

ま、そうでしょうね。
私たちが住むこの社会がサバイバルゲームだなんてことは、周知の事実かもしれません。

が、私はたま~ぁに疑問に思うんです。
みんな、本当にサバイバルゲームだって思ってるのかな?って。

もし、この世がサバイバルゲームであるならば、私達にとってこのゲームの最大かつ最終の目的は、

「生き残ること」

です。
の、はずです。

が、気が付くとこの目的が、別の何かに摩り替わっていたりするんです。

成功したい。
金持ちになりたい。
1位になりたい etc…

いやね、別にそれらを目指すことは、悪いことではありません。
むしろ、そう思いながら、頑張ったりチャレンジしたりすることは、大切なことです。

ただ、忘れちゃいけないのは、それらはあくまでも長い人生の中での、各局面での話でしかないということです。
部分目標とか、個別目標、中間目標とか、そんな感じ。

私たちが忘れていけないのは、このゲームに参加する最終目標が「生き残ること」です。

だから、全ての局面で戦う必要もありませんし、勝つ必要もないんですよ。
むしろ、積極的に逃げることの方が大切な局面もあるはずです。

連戦連勝を続けても、最後の最後で負けたら、意味ありませんから。

だから、私たちがこのサバイバルゲームで、最も大切にしなければいけないことは、

「負けないこと」

なんです。

 

もちろん、負けない様に戦うのは、論外です。
戦うのは、勝ちにいくためです。

勝てない、勝ちにいかないのであれば、その状況を受け入れるか逃げるかのどちらかを選択すべきです。
負けないために、ね。

ただ、勝ちにいっても勝てないこともあるわけです。
つか、戦って1度たりとも敗れたことのない人生の方が稀なわけで。

だから、最終的に「負けない」ってことは、

「戦って負けた後に、もう一度立ち上がる」

ということなんです。
2度と立ち上がれない様な負け方は、サバイバルゲームの終了を意味します。
生き残れなかった、ということなんです。

ですから、私達は生き残るために、1度の負けのダメージを最小限に抑えることを考えなくちゃいけません。
負け方の最適解を模索するんです。

そして、負けた後の立ち上がり方を考えます。

とりあえず片膝だけでも立ってみせるべきなのか?
体力がある程度回復するまで積極的にそこで横たわっていた方が良いのか?
誰かの手を借りて、立ち上がってみるのか?

次の戦いに向けて生き残るべく、立ち上がる方法を模索するんです。

 

いいですかい?

私達が住むこの社会は、サバイバルゲームです。
私達がこのゲームに参加する最大かつ最終の目標は、「生き残り」です。

勝ったか負けたかではなく、最後に立っていた者だけが、このゲームの勝者なんです。

つまり、勝つことよりも、立ち上がることの方が、人生のメイン・イベントなんですよ。
何度となく負けようが、立ち上がったものが勝者なんですから。

ですから、私達にとって最も大切なことは、「立ち上がる」ことです。

負けたからといって、いつまでもクヨクヨしている必要は、どこにもありません。
立ち上がると心に決めた瞬間、既に勝利はアナタの目の前にあります。


post by ノリユキ at 11:25 | コメント・トラックバック(0)

私達は、実はサイヤ人かもしれない(後編)

さて前回は、

  • 宝くじは、競馬やパチンコなんかと比べると、とってもギャンブル性が高く、ぼったくり。
  • 宝くじの高額当選者の多くは破産。
  • 宝くじの高額当選者のうち、安泰にしている人の多くは、当たったお金を使わず、今まで通りの暮らしをしている。
  • でも、ちょっと待てよ・・・
  • 大金手に入れて安泰に暮らす方法が、「お金を使わず今まで通りに暮らす」ということなら、宝くじなんて当たっても当たらなくても一緒じゃん。
  • だったら、宝くじは買うだけ無駄じゃね?つか、買った分だけ損する的な感じ?

というお話をしました。(詳しくは、「私達は、実はサイヤ人かもしれない(前編)」をご覧遊ばせ)

が、前回の最後でも言ったとおり、私は別に、宝くじのシステムや宝くじを買う行為を非難する気はさらさらありません。
だってその意図は、もっと別のところにあるわけで。

私が言いたいのは、宝くじに問題があるんじゃなくて、お金というもの、もっと言えば欲望というものをコントロールできない私達の心の方に問題がある、ってことなんです。

お金は、決して私達を自由にしてはくれません。
むしろ、お金は私達の未熟なその心を奴隷にしてしまいます。

 

この裸足のリーダーでは、何度となく言っていますが、選択肢が増えることがイコール自由というわけではありません。
その選択肢を見つける能力、選択肢の中から最適なものを選び出す能力、選択したものを使いこなす能力があって、はじめて人は自由になれます。

まぁ、確かにお金を手に入れれば、選択肢は増えるでしょう。
今まで買えなかったものが買える様になるでしょうし、手に入らなかったものを自分のものにできる様になるかもしれません。

が、それは表面上のことで、実際はとっても厄介です。
お金が選択肢を増やしてくれても、私達の心が、その選択肢を狭めてしまいます。

例えば、女性の方。
仮にアナタが今、化粧品代に月1万円しか使えないとしましょう。

しかし、アナタはもっとお金があれば、もっとアナタのお肌に適した化粧品があることを知っています。

で、そんなある日アナタは、高収入の生活を手に入れます。
それは、事業の成功かもしれません。宝くじで1億円が当たったのかもしれません。

豊かになったアナタは、1本10万円する様な化粧品を使い出しても、痛くも痒くもなくなりました。

ただまぁ、高収入になったからとはいえ、さすがにそんな高額な化粧品を常に使おうとは思えません。
なので、「自分へのご褒美」的な感じで、まずはお試しで、気になっていた今よりも少し高額な化粧品を1本買ってみたりするんですねぇ。恐る恐ると・・・

で、使ってみると、やっぱりアナタのお肌に合ってたりします。
化粧ののりが、今までとは違います。
毎朝化粧をする度に、気分はルンルン♪です。

でね、アナタはもう、昔の化粧品には戻れなくなるんですよ。

そして、毎朝味わっていたルンルン気分は、いつの間にか「当たり前」へと変質します。

で、さらに高級な化粧品を、やっぱりまずはお試しで1本買ってみることになるんですねぇ。
だって、その程度以上の化粧品を月に何本も買うだけの有り余るお金を、アナタは持っているんですから。

そして、より高級な化粧品は、アナタの肌をみずみずしく保たせ、美しくしてくれます。
気になりだしてきたシワやシミだって、今やどこ吹く風です。

周囲からも、「どうしたのぉ?最近、綺麗になったじゃん」とか言われ出したりします。

アナタは、女性として喜びと自信を得るわけです。

そうやって、アナタの心は少しずつ変貌していくんですねぇ。
美に対する欲望のスイッチが入ってしまったアナタの心は、知らぬ間にその欲望を加速させていきます。

気が付けば、何度も失敗していた食事制限と運動によるダイエットは、エステに通うことで成功。
さらに美しくなったアナタは、そんなアナタに見合う洋服やヘアスタイル、そしてアクセサリーを身にまとい出すことになります。

そして、その美に対する維持、いや、もっともっと上へ上へ・・・

そう、お金を手に入れたアナタは、化粧品を選ぶという選択肢が増えたわけじゃありません。
低額商品から高額商品へと選択肢がシフトしただけです。
というよりも、実は選択肢は前よりも狭まっていたりするのかも。

でも、中にはこんなことを言う女性もいるかもしれません。

「私は、そういったことには惑わされない。安い化粧品で十分満足できるのが私。それが私なの」

確かに、そうでしょう。
その通りです。

でも、そういう人は、もともと安い化粧品だけでOKな人です。
つまり、多額のお金は必要ない人。

であれば、使う必要のない大金なんて、それこそ手元にあっても無意味です。いや、邪魔なだけかもしれません。
宝くじを買う意味はありませんし、多額の収入を目指す理由も存在しません。

なのにねぇ・・・

そうは言いつつ、大金を手にすることを願う人は後を絶ちません。
そう、これが私たちが見えているのに見ようとしていない現実です。

 

ひょっとすると私達は、サイヤ人なのかもしれません。

月を見て、自己制御のきかなくなった大猿に変身してしまうサイヤ人と一緒です。
大金という月を見て、私達は自分でコントロール不能な大猿に変貌してしまうんです。

それが、私達の本性なのかもしれません。

にもかかわらず、私たちは悲しいことに、月に頼り、大猿となることで強くなろうとします。

 

ひょっとすると私達は、サイヤ人なのかもしれません。

であれば、だからこそ私達は、悟空やべジータの様に気づかなければならないことがあるはずです。

私たちが目指すべきは、大猿になることではありません。
スーパーサイヤ人になることなんです。

私達に必要なのは、月ではありません。
修行です。

そうやって1つ1つ積み重ねていくことで、私達ははじめて経済的な自由を手にすることが出来ます。


post by ノリユキ at 10:50 | コメント・トラックバック(0)

私達は、実はサイヤ人かもしれない(前編)

「ギャンブルは良くないこと」

そういった倫理観は、恐らく世界中に根付いていると思います。

なぜなら、人というものは、欲望を上手くコントロールできないからです。
ギャンブルで破滅してしまうというのは、決して珍しい話ではありません。
また、そこまで行かなくとも、散財や無駄遣いという結果を招くことは、言うまでもありません。

競馬・競艇・パチンコ etc…

ですから、そんなギャンブルに勤しむ人たちは、マジメに生きている人たちからは、白い目で見られたりします。

ところが、どうでしょう?

そんな、「ギャンブルなんて・・・」などと嫌悪感を示す人達ですら、

サマージャンボ・年末ジャンボ etc…

宝くじとなると喜んで買っているのが、この国の不思議なところです。
あれも、立派なギャンブルなのにねぇ。

競馬・パチンコは「悪」らしいのですが、そのギャンブルが宝くじであれば、「サラリーマンの夢」に摩り替わります。

まぁ、笑い話の様に聞こえますが、その現実をロジックで考えると、それはそれは恐ろしい勘違いです。

 

還元率って、知ってますか?
ギャンブルに参加するお客さんが支払ったお金が、「当たり」や「当選」となってお客さんに戻ってくる比率のことです。

競馬は、還元率が70~80%。
パチンコはお店によって違いますが、都内でいえば、およそ80~90%くらいに落ち着くと思います。

パチンコなんて、感覚としてはもっとボッタクリなイメージがありますが、実際は負けた人のお金の多くは、勝った人の勝ち金へと回っているだけなんですねぇ。

しかし、宝くじに至っては、その還元率はわずか45%。
半分以上が胴元の取り分という、ぼったくりのシステムが、宝くじなんです。

もっと言えば、パチンコは1回の当たりの確率が(台の種類にもよりますが)およそ400分の1だったりします。
が、宝くじの1等賞の確率は1,000万分の1という、雷に当たって死亡するレベルの気の遠くなる様な確率です。

300円を当てるのですら、10分の1の確率です。
宝くじ10枚買って300円戻ってくる確率ですから、2700円出して9枚買って300円の当選くじ1枚が当たれば、もはやアナタは勝ち組なんです。

先生っ!これは、事件ですっ!!

競馬やパチンコといった比較的ゆるいギャンブルを「芳しくないこと」と捉えるのに、恐ろしくギャンブル性が高くぼったくりな宝くじが「夢」に摩り替わってしまうのは、もはや事件としか言い様がありません。

マジメな国民性だと思われていた日本人のその博打性は、実はドラゴンボールに出てくるサイヤ人なみの戦闘性を兼ね備えていると言えるのかもしれません。

 

ところで、宝くじの高額当選者のその後って、知ってますか?

私は知りません。

が、前にもちょっと書いたと思いますが、アメリカでは高額当選者の大半は、破産してしまうそうです。
そう、大金を手に入れた後に、破滅してしまうというのが、大方のパターンらしいです。

で、それはアメリカに限った話ではなく、日本でも似たようなパターンらしいという報道も、チラホラあるようです。
ま、そんな話も巷でチラホラ聞きますしね。

大金を手に入れると、その多くの人生は変わってしまうんですよ。
悪い意味で、ね。

ただ、中には破産をせずにきちんと暮らしている人も確かにいます。
で、そんな人たちをインタビューした報道とかもありますけど、多くの場合、宝くじで当たったお金を有効利用したというよりも、

「家族にも当たったことは内緒にして、お金は貯金したまま使っていない」
「中古の車なんかを買ったくらいで、あとは当たったお金は使わずに、今まで通りの暮らしをしている」

というケースが多い様です。
要するに、棚ぼたの大金は使わないというのが、人生を狂わさない1つの大きな戦略となるわけです。

で、そこまで言って、お気づきの方もいらっしゃるでしょう。
私は、こう思うわけです。

「大金当たっても、使ったら破産するなら、当たらない方がいーじゃん」
「大金当たっても、お金使わずに今まで通りの暮らしを続けるんだったら、それは宝くじに当たっても当たらなくても一緒ってことじゃん。それなら、宝くじ買う必要ねーじゃん」

つまり、当たっても当たらなくても、結局は買った分だけ損するというのが、宝くじの現実なんです。

あー、怖っ!

 

とまぁ、ここまで長々と書きましたが、今回の話の主旨は別に宝くじのギャンブル性の高さや宝くじを買うことの愚かさを責めるためのものではありません。
もうちょっと別なところに、このエッセイの意図はあります。

ただまぁ、それをお話しするには、ちょっと長くなり過ぎました。
続きは、次回へと持ち越しましょう。

それじゃ、また。


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陽極まれば陰生ず

明けましておめでとうございます。

えっと、昨年末ぶりでしょうか?
皆さんは、どの様な新年をお迎えにななりましたか?

私といえば、おかげさまで新年早々、インフルエンザにかかってしまいました。
しかもそのインフルエンザを妻にもうつしてしまった様で、只今、夫婦仲良く自宅で引き篭もりの日々を送らせてもらっています。

振り返ってみると、年末年始といえば毎回、風邪をひいたり怪我をしたりするなど、良からぬイベントが私の恒例行事となっています。

特に私の場合、おみくじで大吉を引くと怪我をするジンクスもありますしねぇ。
だから、おみくじ引くのにちょっぴりビビッてる私がいます。

まぁ、うちの母親なんかもよく言うんですが、

「大吉は、あんまり良くない」
「大吉は、凶に通ず」

っていうことなんでしょうかね。

しかしまぁ、そんなことを言うと、

「なんで、大吉が良くねーの?大吉って一番大きなラッキーってことだから、最強じゃん」

という文句の1つや2つ、出てきそうです。

ま、そりゃそーでしょう。
普通に日本語読める人なら、そう思うのも当然です。

しかし、そうは問屋が卸さないのが、東洋文化の面白いところです。
陰陽道では、

「陽極まれば陰生ず」

と考えられています。

言わずもがな、太陽の光は、私達に恵を与えてくれます。
たまに都会の喧騒を離れ、天気の良い日に自然に囲まれると、心身ともに清清しい気分にさせてくれますしね。

つまり、適切な明るい空間は、私達に適切な温度と視認性を与えてくれ、生命の活動を活発にさせてくれるわけです。

しかし、その陽の光が強すぎたらどうでしょう?

眩し過ぎる光は、私達の視界を遮ります。
強過ぎる日光は、私達の喉を枯らし、体力を奪っていきます。

そう、ギラギラと照りつける陽の光は、私達の生命力を枯らしていくんですね。
陽も強過ぎれば、暗いのと一緒なんです。

これが、「陽極まれば陰生ず」ということになるわけです。

ほら、気が付きません?
陰陽道では、奇数は「陽」と考えられています。
ですから、明るくなる季節において、月と日に奇数が重なる日・・・つまり、

3月3日、5月5日、7月7日

は、全部お祝いの日になってるじゃないですか。
陽が強過ぎる日は、厄を払おうってことなんですよ。

 

まぁ、こういった話を信じる信じないは、個人の自由です。
が、こう言った話は、私達に多くの示唆を与えてくれます。

「過ぎたるは、及ばざるが如し」

何事も、「程よい」ことが大切で、やり過ぎれば、それは足りないのと一緒で、失敗やミス、事件、事故を引き起こすきっかけにもなりかねません。

そして、ラッキーなことが続けば人は、調子に乗りやすいものです。
それによって、ミスが起きたり、足元を掬われたりすることは、珍しくありません。

「勝って兜の緒を締めよ」

とも言いますしね。

「陽極まれば陰生ず」

己を戒める意味においても、この言葉を心の片隅に置き、より良い新年のスタートをきってみてはいかがでしょうか?


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