報酬50%カットしても3600万円残る時の溝

ネタとしてはやや古い気もしますが、少し前にこんなニュースがありました。

東日本大震災:福島第1原発事故 東電役員報酬、半減後も「3600万円」--経産相(毎日jpより)

原発事故を起こした東京電力は役員報酬を半額にするというリストラ策を出しましたが、一部の役員は50%カットしてもまだ3600万円残るという話です。

このニュースが流れた直後、ネットでは、

「ふざけるなっ!あれだけの事故と被害を起こして、まだ3600万円も貰う気か! 自覚がなさ過ぎるだろ!」

といった内容の意見で溢れました。

周知の通り、福島の原発事故の被害は甚大です。
被災者達は職や住む場所を失い、未だに先の見えない避難生活をおくるハメになっています。

にもかかわらず、その事故を起こした東電の経営者には、3600万円もの大金が報酬として支払われる・・・

こんな話は、被災者でなくとも一般庶民の感覚として、到底受け入れられるものではありません。
リストラ策どころか、多くの日本人の感情を逆なでする様な話です。

 

・・・と、ここまで読んで、気がつかなくちゃいけません。

「一般庶民の感覚として」
「感情を逆なでする」

分りやすい様に、あえて使ってみました。
そう、東電の役員報酬3600万円に対するこれらの意見は、ロジックではなく感情論だということです。

もちろん、この感情論が悪いというつもりは全くありません。
が、こういった場合に生まれてしまう私達の認識の歪みには気づいておいて損はないんじゃないかと。

 

この手の話を聞いたとき、私達はまず

「3600万円もの大金を手にする(被害を起こした張本人なのに)」

ということに意識が置かれます。

確かに3600万円は大金です。
平成21年度のサラリーマンの平均年収が406万円(国税庁調べ)ですから、それと比べたらもう・・・って感じです。

しかし良く考えてみてください。
東電の役員はその報酬が50%カットなのですから、本来の報酬予定額は事故が起こらなければ、7200万円だったわけです。
つまりそれは、

「3600万円もの大金が残る」

と同時に、

「3600万円もの大金を失う」

ということです。

ところが私達はどうしたことか、“大金が残る”ことばかりに意識が向かい、“大金を失う”ことには意識が全く向かいません。

3600万円もの大金がカットされちゃうんですよ?
3600万円あったら、一体何が買えると思うんですか?

きっと今夜のおかずは豚肉から和牛に格上げするはずですし、缶ビールも2本まで飲んでいいよって、奥さんは言ってくれるかもしれません。
食後のデザートにガリガリ君を食べたって、誰にも文句を言われる筋合いはないのです。

さて、私は一体何を言っているんでしょうか?
兎にも角にも、3600万円というのはアレもコレも買えちゃうくらいの大金なわけです。

で、それほどの大金が突然カットされるハメになるとしたら、アナタならどう思いますか?
平然としてられるわけがありません。

にもかかわらず、事が他人事であると、“大金を失う”方より“大金が残る”方に意識が向かいます。

しかし、こんなことを言うと

「それでもまだ3600万円もの大金が残るじゃないか!」

と反論する人が出てきます。

ほら、また“残る”方に意識が逆戻りです。
どうしても大金が“残る”方に考えが固執してしまうんです。

妬み、僻みもあるかもしれません。
そうではなく、被災者の気持ちを察した上での感情なのかもしれません。

だって、被災者は住む場所と職を失ったにもかかわらず、事故を起こした側の経営者には大金が入るというのは、一種の矛盾ですから。

いずれにせよ、私達は感情を持つ生き物です。
なので、感情を廃してモノゴトをフラットに見るというのは非常に困難です。

で、これが東電側と一般市民との間に認識のギャップを生み出す一端を担っています。

 

翻って、東電サイドでモノゴトを考えて見ましょうか。

事故後の対応のまずさを彼らがどれだけ認識できているかはわかりませんが、事故発生の原因から考えれば、

「俺達のせいではない」

との気持ちはあるはずです。

福島原発は、国の原発推進のもとに進められ、原発の設計においても管理においても、きちんと国の基準を満たしていた様です。
つまり、事故の原因は操作ミスや怠慢による人災ではなく、津波による「天災」なわけです。

「事故の原因は自分達にあるわけじゃないのに・・・」

という気持ちが心の片隅にあったとしてもおかしくはありません。

ましてや「天災」ということで被害を受けたのは東電も同じです。
多額の費用をかけた施設が崩壊してしまったのですから、東電地震の被害も甚大なわけです。

であれば、

「原発事故が起きたのは自分達のせいではないし、こっちだって被害者だ」 

という意識があっても、無理はありません。
私達だって同じ立場に立たされたら、この様に思ってしまう可能性は十分にあり得ます。

にもかかわらず、リストラ策として年俸の半額、3600万円もの大金が削られてしまう・・・

人は、年収が360万円であればそれなりに暮らしますし、7200万円でもそれなりの暮らしをします。
年収が20倍なら、20倍なりのエンゲル係数・資金運用・人付き合い・借金などがあるんです。

ですから、残り額が3600万円もあるじゃないかと思っても、年収7200万円の当人にとってその半分の3600万円がカットされるのは結構痛いものです。

しかも、東電クラスの企業であれば、役員報酬額が7200万円というのは、決して高くない、というか低い部類かも。

ですから、当の本人達からすれば、結構な痛手を負っている気持ちがあっても全然おかしくないはずですよ。

 

こう考えてみると、東電側とその外側にいる一般市民との間に存在する認識には大きな溝があることが見えてくると思います。

私達は、このニュースを聞いた時、被災者側の気持ちに立って、東電を加害者としてみます。

しかし東電側は、「被災者に対しては加害者」であると同時に天災に対する被害者です。
加害者意識があるにしても、その意識で頭の中が100%満たされるわけではありません。

内側と外側では、見えない大きな溝が存在しています。

 

これだけの被害をもたらした事態であっても、その内側と外側の認識には大きな溝が生まれます。

ということは、利害関係によって日常的にそこら中に生まれる溝に、私達は気づくはずもありません。

「なんでアイツは、これだけ人が傷つく様なことをしておいて、この程度で済まそうとするのか!?」

と思っていても、相手は十分に償っているつもりかもしれません。

「こんなに反省し、これだけ償っているのに、アイツはどうして分ってくれないんだ!?」

と思っていても、相手からすればアナタの態度は全く反省している様に映ってはいないのかもしれません。

「相手の気持ちになって考えよう」

小さな頃に、親や学校の先生から教えられているはずの、このコミュニケーションの基本の大切さが、今更ながら感じられます。
アナタは、きちんと出来ているでしょうか?

いくつになっても、なかなか出来ないもんですぜ。┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


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post by ノリユキ at 11:00 | コメント・トラックバック(0)


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