重力が重たいんですけど
intro:
周知の通り私は、一流のワルで名の通った男です。
ですから、多くの陰謀を影で糸を引いているのは、私です。
例えば最近、近所でゴミの不法投棄がありました。
コーヒーの空き缶が道端に1つ、放り投げられていたんです。
もちろん、それをやったのは私です。
どうです?凄いワルでしょ?
で、「あーあ、こんなとこに空き缶捨てちゃって」と呟きながら、それを拾ってゴミ箱に捨てたのも、もちろん私です。
表の顔と裏の顔を使い分ける男。
そして、たかが空き缶1つに二重の罠を仕込む男。
多くの陰謀は、この一流のワルの手中にあるわけです。
ただ、空き缶を捨てたのも拾ったのも、誰も見てないところで独りでやりました。
それが、一番の肝なんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
そう言えば少し前に、こんな質問をされました。
「不労所得って、どう思う?」
非常に具体性の欠いた、曖昧な質問です。
ですから私は、こう答えます。
「特に何も」
目には目を、歯には歯を、です。
見事なくらい具体性の欠いた曖昧な受け答えに、我ながら感心します。
別に、汗を流して稼ごうが、昼寝している間に収入を得ようが、所得は所得です。
社会のルールに乗っ取っているのであれば、どの様な形であろうとも収入に善悪はありません。
だから、働こうが働くまいが、お金が入ってくるに越したことはありません。
で、仮に労働せずに生活できるだけのお金が入ってくるとすれば、それはとても良いことです。
だってその分、時間が空くということなんですから。
そして、その空いた時間を大いに利用します。
その空いた時間を活用して、働けば良いんです。
空いた時間は、労働に当てます。
あっ・・・たった今この瞬間、私は歴史に残る名言を残した気がする。
多くの人が勘違いしていること。
それは、空いた時間が自由な時間だと思っていることです。
でも、何も拘束力の無いことが、自由ではありません。
何の束縛もない。って、無重力空間に浮いているのと一緒です。
思ったように動けません。
つまり、拘束力がないのは、自由とは関係ありません。
空いた時間って、単に“暇な時間”です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
多くの人が勘違いしていること。
それは、労働が束縛だと思っていることです。
労働とは日々の営みです。
社会との関わりの中で、生きていくことそのものです。
だから、嫌なことも悔しいことも沢山あります。
でも、それが「働かない理由」になんて、なりません。
人は社会から離れて生きていくことは出来ません。
だから、嫌であろうが悔しかろうが、社会と積極的に関わっていくことでしか、生きる価値は見出せません。
そして、どう考えても労働以上に、社会と積極に関わっていけることって、ありません。
所得が増えるということは、より多くの購買の選択肢が増えることです。
つまり、狭い意味での自由を獲得することに他なりません。
だから、生活していけるだけの不労所得を手にした人は、思いっきり働けば良いんです。
皿洗いでも、ビラ配りでも、何だってすれば良いじゃないですか。
だって、働かなくても生活できるだけのお金があるんですよ。
いつクビになっても安心なくらい、思う存分働いても、何も問題ありません。
とっても自由です。
でも、労働せずに収入を得たところで、何も自由は得られません。
空いた時間に好きなことや趣味をやったところで、選択肢は増えませんし、それはどこまで行っても、単なる“暇つぶし”です。
働かずに所得を得て、好きなことをして生きていく?
たった今、その言葉を180°隙間なく検証してみました。
で、結論ですが、要は「働きたくない」って駄々をこねてるだけのことのようです。
好きなことをして生きていきたいんじゃなくて、ただ社会と関わって働きたくないだけなんです。
単にキレイゴトを並べて、自分自身に言い訳をしているに過ぎません。
つまり、負け犬の言葉です。
社会の中の負け組だけに与えられた、そんな特権的な妄想です。
アナタがどんなに虐げられていても。
アナタがどんなに低所得であっても。
アナタが働くことから逃げない意思がある限り、それは“負けてはいない”ということです。
アナタが積極的に社会と関わっている限り、それは“生きている”ということです。
つまり、労働って最強。
そんな感じです。
ps:
あ、「笑っていいとも!」見るの、忘れてた・・・
post by ノリユキ at 12:48 | コメント・トラックバック(0)