情報収集とコミュニケーションの怪しい関係

周知の通り、現代社会は情報で溢れています。
おまけに流される情報は、質が高いとは限らない。

ですから、情報の受け手は、その取捨選択に大変です。

人は、「どうやって信頼性の高い情報を得るか?」に頭を悩ませます。
そして、情報を得る手段も複雑ではなく、簡略化したいと願います。

 

たくさん集めた情報の内容を一つひとつ検討し判断するなんて、物凄い手間です。
集めれば集めるほど、収拾がつかなくなります。

ですから現在は、集める情報の数も制限しなければ難しい。

今までは50個集め、そこから判断していたかもしれません。
でも、これからは50個を10個に減らして、その中で判断しなければいけない時代です。

しかし、そうなると事は厄介です。
比較検討する前に、情報を集めた段階で、既にその10個の情報は質が高くなきゃいけない。
そういうことになりますから。

情報は、“集め方”が大切になってきます。

 

で、情報を集めるときのポイントって、その“出どころ”の質です。
その情報を“どこから取ってくるか”が大切になってきます。

例えば、週刊誌の記事と新聞の記事。
どちらに、信憑性がありますか?

もちろん新聞ですね。

じゃあ、新聞は常に正しいことが書かれていますか?

残念ながら、それはNOです。

なぜって、その記事を書いた記者や編集部の判断が正確だとは限らないからです。
書き手の主義主張が違えば、同じ事件も全く違った判断になるはずです。

ですから、情報を集めるときのポイントって、結局のところ“人”です。
「誰からの情報か?」
そこに集約されます。

 

で、その“人”を考えるときに、たくさんの人が勘違いしていることがあります。

多くの人が、その“人”を見ずに、“肩書き”を見るんです。
その人に付属した職業や実績。
それを判断材料にしてしまいます。

でも、“肩書き”って、どう転んだってその“人”そのものではありません。
単なる属性です。

ですから、肩書きに振り回されると、判断も見誤ります。

〇〇博士だとか
〇〇で有名人だとか
年商ウン億円を稼ぐだとか

全部ぜんぶ、それは“肩書き”です。

でも、「〇〇博士推薦!」という触れ込みのインチキ商品なんて、数え切れません。
有名人が、企業や団体の広告塔に利用されているなんて、世の常です。

年商ウン億円稼ぐ人は商売人ですから、自分の利益にならない情報は流しません。
彼らの情報が「アナタにも自分にも利益になる」情報とは限りません。

「アナタに損をさせて、自分の利益にする」ために、一見アナタの利益になるかの様に振舞っている情報かもしれません。

肩書きが持っている“権威”に振り回されて判断すると、過ちを犯す場合があるわけです。

そして情報を発信する側は、確実にその“権威”を振りかざしています。

 

そもそも情報の収集のヘタな人って、コミュニケーションもヘタです。
だって、人そのものを見ずに、その人の権威や肩書きばかりを見ています。

アナタは、アナタ自身を見てくれずに、アナタの肩書きばかりを見ている人と仲良くなれますか?
アナタの権威に寄ってきた人たちを、信頼することが出来ますか?

それと同じことです。

情報を集めるときも、コミュニケーションを交わすときも、見つめなければならないのは、その人そのものです。

情報だけを見つめようとする行為は、間違っていはいません。
しかし、それには高度な分析力と労力が必要になってきます。

溢れる情報を上手く収集していくためには、それを発信する人そのものを見つめる必要があります。

今までも、そしていつまでも・・・

繋がっていくべきは「情報と情報」ではなく、「人と人」。\r\nそんな感じです。

ps:

でも、私の頭髪と頭皮は、いつまでも繋がっていてはくれないみたいですぜ。

post by ノリユキ at 13:35 | コメント・トラックバック(0)



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