ドラえもんのいない世界
intro:
気のせいなのかは知りませんが、最近何だかフルネームじゃなくてファーストネームだけの芸名を持つタレントさんやスポーツ選手が多い様な。
梨花だとか、aikoだとか、小雪だとか、イチローだとか、ウガンダだとか・・・
数え上げたらキリがありません。
一流のワルとして世間から恐れられている私からすれば、そんな世の中のトレンドにはもうウンザリです。
男なら正々堂々とフルネームで戦え。
そして今は男女平等なんだから、女もフルネームで戦うんだ。
そんな感じです。
でも、そんな言葉とは裏腹に、「カッコ良いからマネしちゃおっかな」なんて考えてるワルな自分がいます。内緒だよ。
ただ「のりゆき」の4文字だと何だか間延びしてしまうので、KONTAとか瑛太とかをマネて3文字発音にしてみようかと考えてます。
「のり太」
・・・なんか嫌だ。
うわぁ~ん!ドラえも~ん!たすけてよぉ~!
main:
「教育」って、何でしょう?
人の感性だとか価値観だとか、モノゴトの考え方だとか道徳だとかマナーだとか。
そういったものって、教育によって培われます。
ま、要するに教育が人を創るってことなんでしょうかね。
教育の仕方が違えば、違った感性、違った価値観、違ったモノの考え方、違ったマナーや習慣が生まれます。
当然のことです。
ですから、「教育」を考える時、そこには理念が必要です。
「どんな人間に育てたいのか?」
その理想像があって、初めて具体的な教育方針が定まります。
目指すべき人間像がなければ、教育は教育の意味を持ちません。
この国の教育に、アマゾンのジャングルの中で生き抜く技術を身につける必要はありません。
共産主義国家の中で、より良い地位を確保する知恵を養う必要もありません。
この国には、この国の。
この日本社会の中を自分の足できちんと歩いていける、そんな知恵と技を身につける教育が必要なんです。
そしてこの日本社会は、至るところ資本主義・自由主義・商業主義で埋め尽くされています。
そしてそこには「競争の原理」ってものが働いてます。
定められたルールの中で互いに競い合う。
そういった原理が、経済社会を発展させています。
ですからこの国の教育に必要不可欠なのは、「競争」です。
私達が社会に出るまでの間に身につけなければならないのは、競争社会の中で生きていくための、知恵と技術と、そしてモラルです。
競争とは、当然のごとく定められたルールの中で競い合うことです。
ルールを逸脱した争いは、競争ではありません。
不正です。
そして、ルールを無視した争いが繰り返されていけば、それは社会の崩壊を招きます。
誰もがわかる、当然の話です。
でもじゃあ、なんなんでしょうかね、コレは。
教育の現場が、既にルール違反を犯しています。
定められたルールの中で競争することを教えなければならない学校が、勝つためにルール違反を率先しています。
挙句の果てには先日、テレビで流れていた学生のインタビューで
「学校も先生も、私達のためにやってくれた。そのおかげで私は大学に受かったんだし。感謝したい。」
などと平然と言っている人がいました。
自分が勝てれば不正行為は素晴らしい行為になるということなんでしょうか。
ルールを無視する学校は、ルール違反を喜ぶ学生を育てていると、そう解釈しても良さ気な一例です。
繰り返し言いますが、この社会は競争の原理に支えられています。
そしてルールを無視した争いは、その競争の原理を崩壊させます。
つまり、この日本社会の崩壊。
全ての、とは言いませんが今の日本の学校の一部は、この社会を崩壊させる人間を創り上げるつもりなんでしょうかね。
確かに、限りなく黒に近いグレー・ゾーンが社会にはあります。
けれどもグレーな部分って、白と黒があって始めて存在します。
ですから、白と黒っていうベースの部分は、社会に出るまでの教育でシッカリと身に着けなければいけません。
社会に出てから、「やって良いこと、やってはいけないこと」を身につけているようじゃ、既に手遅れなんです。
白と黒。
それをシッカリと身につけた上でなくちゃ、グレー・ゾーンで戦うことは出来ません。
社会に出てからも自分の足で歩いてける。
そんな力、知恵や技術を身につけるのが、学校教育なんじゃないでしょうかね?
そう思うんですけど。
子供達が成長し社会に出た時。
現実の厳しさに直面していくことになります。
経済競争の激しさに直面していく事になります。
でも「競争」の中で生きていく術を身につけていない子供達が社会に放り出されたら、一体どうなってしまうんでしょうか?
そんな時、
「たすけてぇ~!」
と叫んでみたところで、現実の世界にドラえもんは存在しません。
困難を切り抜ける素敵なアイテムを差し出してくれる人など、どこにもいないんです。
アナタが困ったとき、不正なアイテムをそっと差し出してくれる人って、きっとネコの面の皮を被った狼のはずです。
アナタが喰われて、それでお終いです。
ps:
ま、だからと言って、履修を受けていない学生達に何も責任はありません。
学生は学校が提示する科目を指定された数だけ受けてただけですから。
資本主義社会において「機会の平等」がなければ、社会は豊かになれません。
なんで、出来るだけ不公平が解消されることが望まれます。
post by ノリユキ at 14:16 | コメント・トラックバック(0)
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