見つからない自分
intro:
先日、私は“本当の自分”に宛てた手紙を書きました。
「温水洋一さま・・・いや、速水もこみちさまへ」
冒頭から、思わずホンネを書きそうになって挫けた自分がいます。
もちろん、温水洋一似を認めたくない私は、そんな書きかけの手紙を破り捨てました。
でも、そろそろ私も、自分の真実の姿を認めなくちゃいけない様です。
本当は速水もこみちになんて、これっぽっちも似ていないという事を。
きっと、そんな時期に来ているのかもしれません。
いつまでも、自分自身を誤魔化して生きるわけにもいきません。
だから、昨日までの自分は捨てよう!って、そう決めました。
イチから顔を洗って出直しです。
今日からは新たに、「小栗旬」として再出発ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
“本当の自分”も“本当にやりたいこと”も、遠い向こう側にあるわけじゃありません。
だって、自分自身はどう考えても今この瞬間この場所にしかいませんから。
自分探しというのは、理想とする“信じたい自分”が“現実の自分”と噛み合わないために起こる逃走劇です。
言ってしまえば、自尊心の裏返しです。
そうでなければ、今まで自分を支えてきたものを喪失した場合に起こる代替物探しです。
例えば、スポーツ選手として人生を費やしてきた人が、引退を迎えた後に感じる空虚感を何かで埋め合わせなければならない様に。
いずれにせよ、本当の自分を探しているわけではありません。
ですから、本当の自分をどんなに探してみたところで、見つかるはずがありません。
見つかったような気になってどこかで現実と折り合いをつけるか、運良く代替物を見つけるか。
そうでなければ一生探し続けるはめになります。
そしてその間ずっと、今ここに存在する自分自身はお座成りにしたままなんです。
今この瞬間を必死に生きてる人間は、自分探しなんてしないんですよ。
探してるヒマがあったら、今を生き抜かなくちゃいけませんから。
ゴミ山でゴミを拾う少女は、自分を探すヒマがあったら高く売れそうなゴミを一生懸命探し、その日の糧にありつきます。
そして、本来的にそれが人間の生きる姿です。
先にも言ったとおり、本当の自分を探したがるのは、ある部分では自尊心の裏返しです。
だから、邪魔なんです。
必要以上の自尊心は。
生きていく以上、自尊心は大切ですが、生存そのものが楽になった時代の私達は、必要以上のプライドやら虚栄心を身にまといやすくなっています。
そしていつの間にか、そんなものが逆に、現実の自分自身の手かせ足かせになっていきます。
だから、早く気がついた方が良いんです。
余計な自尊心なんて捨ててしまうべきだってことに。
本来なら背負わなくて良いモノゴトを背負わずに生きてしまえば、結構楽に生きれます。
そして、何も無いところから積み重ねていけば良いんです。
1つ1つ、積み重ねていけば。
積み重ねの日常は、地道で平凡な作業の繰り返しなのかもしれません。
そして、そんな日常は苦悩と共にあります。
でも、悲しみも苦しみも日常からしか生まれないのと同様に、喜びも楽しさもごく当たり前の日常からしか生まれません。
失意や絶望からは、ささやかな可能性が生まれます。
そしてそんな可能性を、1つ1つ「実行」という名前の小さな手の平ですくい取り、「経験」という名の地層を積み重ねていくんです。
人生とは、積み重ねていくもの。
私はそうであると信じています。
(続くぜ)
ps:
今、この話を書いていて、パンドラの箱を思い出しました。
ただねぇ・・・
ここまで言い切ってから言うのもなんですが、「人生とは積み重ねていくもの」という言葉では、きっと何かが足りない。
私の頭の中にあるイメージは、その言葉だけで全体を捉えきれていません。
ということで、続きは次回におあずけするとします。
次回の小栗旬もヨロシク。
ps:
ちなみに、皆まで言わずともわかると思いますが、ここでお話しするエッセイはとっても断片的です。
実際の「自分探し」って、もっと複雑な様相をがあるんでしょうけど、そこには触れません。
これでも一応ビジネス系のエッセイなんで、主旨からハズレそうだし。
post by ノリユキ at 12:19 | コメント・トラックバック(0)


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