ホント粋だよね、お釈迦さまったらさ

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人は、宗教性を帯びた存在です。
人は太古から、自分達の力ではどうにもならない“力”を恐れ、また崇めてきました。

特定の宗教を信じていなくとも、霊魂や神の存在を信じたりします。
また、それらを否定する人でも、縁起の悪いと言われているもの(例えば、数字の4や9)は自然と避けてみたりします。

私は、宗教や神秘的なものを信じたりする人の心を否定しません。
超越的な力の存在を信じるのは、人として当然の性(サガ)だと思っています。

ただ、信じることと、信じるが故に何もかもそれを肯定してしまうこととは、明らかに違います。

戦争とは常に、宗教戦争の側面を持っています。
宗教が前面に出なくとも、その背後には自分達の宗教的教義を根拠にして、正義の名のもとで戦争は始められています。

信じるということは、自分を優しく包み込んでくれる暖かい毛布にもなり得ますが、それと同時に相手を刺し殺す冷たい凶器にもなるわけです。

信じることと、それを何もかもそれを肯定してしまうこととは、違います。

オウム真理教に入信することで、救われた者たちは沢山います。
それは、紛れもない事実であり、彼らにとっての真実です。

しかし、だからといってオウム真理教を私達が認めて良いのでしょうか?
もちろん、認めてはいけません。

それと同じことです。
信じることと、何もかもそれを肯定してしまうこととは、違います。

 

私の家の宗教は、浄土真宗大谷派です。
しかしそれとは関係なく、私は日本の仏教をはじめ、日本に古くからある宗教が比較的好きです。

浄土真宗しかり、禅宗しかり、八百万の神しかり、アニミズムしかり。
日本の気候が何らかの影響を及ぼしているんだと思いますが、日本に古くからある宗教は、総じて人に優しい。
そんな感じがしています。

それぞれの信仰者の方々には失礼かもしれませんが、私にとって宗教とは、自分と他人にどれだけ優しいかが大切で、好き嫌いの判断もそれによって分かれています。

さて、そんな私自身のモノの考え方に大きく影響しているのは、恐らく原始仏教です。
原始仏教とは、様々な宗派会派に分かれる前の、お釈迦さまが直接に説いたお話のことです。

で、多くの人が誤解しているようですが、別にお釈迦さまは、霊魂やあの世、そして今流行の輪廻転生を肯定しているわけじゃありません。
輪廻って、インドの古代思想であって、バラモン教などの教えです。

で、そんなお釈迦さまは、「死後の世界はあるか?人の魂は死後どうなるか?」と執拗に尋ねる弟子に対して、こう言ったそうです。

毒矢に射られた青年が、医者を呼ぼうとした連れの人に向かって、

「この矢がどこから飛んできて、どんな素性のどんな名前の人間が放ったのか教えてくれ。この矢の材質や毒の原材料は何かも、教えてくれ。それが分かるまでこの矢を抜かないでくれ」

って、ふつう言うか?
言わねーだろ。

まずは、手当てが先だろ。
生きることが先だろ。

お前の質問は、それと同じだよ。
それって変じゃね?おかしくね?

今やらなくちゃいけないことをやらないで、過去や未来のことばっかり気を囚われて生きるのって、なんか意味でもあるんですかね?

ねーだろ、そんなの。

そんなクダラナイこと考えてる暇があるんあったら、今を生きなさい。

と、お釈迦さまは、そう言っています。

今から2000年以上も前に生まれたお釈迦さま。
あの時代にそう言ってのけたお釈迦さまって、ホント粋な人です。


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post by ノリユキ at 13:36 | コメント・トラックバック(3)


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