自由という名の厳しさ

intro:

「自由じゃなけりゃ、意味がねぇんだよ」と吐き捨てたのも、
「自由って一体何だい?」と歌ったのも、

そう言えば、尾崎豊でした。
今週末の25日は、彼の命日です

当日は彼の未公開映像が公開されるそうです。
でも、それって毎年の様に命日がくる度にやって気がするんですが。

もちろん、ファンの方々には嬉しい限りなんでしょうけど、何となく勿体つけて小出しにされてるかの様にも思えてしまいます。

まあ、私の抜け毛も小出しと言えば小出しですが、それは毎日のことなので、1年でみれば相当量の髪の毛が抜けています。

「チリも抜ければハゲ頭」

どうやら私はたった今、歴史に残る名ゼリフを世界中の人々の心に刻み付けてしまった様です。

「早過ぎた伝説」とは、やっぱり私のことだったみたいですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

もう既に大人になってしまった私達は、「自由」というものが単に「何者にも縛られない」という意味ではないことを知っています。

じゃあ、自由って何でしょう?
この答えを探すには、2つの視点で考える必要があります。

まず考えられるのが、「選択肢がある」ということです。

選択の余地がない、取るべき選択肢が1つしかないというのは、不自由なことです。
しかし、いくつかの選択肢の中から選ぶことができる環境にあるというのは、自由なことです。

仕事に行く時も、遊びに行く時も、デートに行く時も、いつも同じ服しか着れないのは、イヤなものです。
その日の気分や体調、シチュエーションなんかに合わせて、服や食事を選ぶことが出来るのは、自由なことです。

ですから、選択肢の中から選ぶことが出来る環境にあることは、確かに「自由である」と言えるはずです。

でも、ちょと待ってください。

自由って、ホントはとっても主観的。
自由なのか不自由なのかを感じるかどうかって、本人次第です。

見た目に無頓着の人なら、毎日同じネクタイやスカートでも、全然気にならないかもしれません。
また制服の様に、周りの人も毎日自分と同じ格好であれば、不自由さを感じないかもしれません。

自分が自由であるかどうかなんて、与えられた環境にもよりますし、また自分の主観によるところも大きいわけです。

 

じゃあ、ちょっと視点をかえてみましょうか。

その人自身は不自由さを感じていなくても、他人から見たら「この人って、不自由だな」なんて思ってしまうことって、あります。

それって、どこから生じるんでしょう?

まず最初に思いつくのは、その人がその対象に興味があるかないかです。
ファッションに興味がなければ、毎日同じ服でも不自由を感じないかもしれません。

でも、本人は興味があるし不自由さを感じていないけど、他人から見たら違和感を感じることって、あるはずです。

例えば私が自分で選んだピンク1色のシャツを着て意気揚々としているとしましょうか。
でも、それを見てアナタは、

「お前は何を着ても似合わねーよ」とか
「老け顔のハゲなんだから、もっと落ち着いた色にすれば良いのに」とか

そんな風に思ったりするかもしれません。

本人は自由な選択だと思っていますし、確かにどの服を選ぶのは自由ですが、でも他人から見たら、

「どうして、そっちを選ぶんだ?」
「なぜ、コッチを選ばないんだ!?」

と思ってしまうことがあるわけです。

もちろん、本人だって不自由さを感じているけど、「どうして良いかわからないんだよっ!」って場合もあるはずです。

つまり、不自由な人って、きちんとしたチョイスができなかったり、そもそも他の選択肢があることすら気がつかない人のことです。

そしてこれは、「能力の差」です。

  • 選択肢の中から選び取る能力がない
  • 別の選択肢を見つける能力がない

という悲劇が、その人自身を不自由にさせていることになります。

 

さて、ここで厳しい現実に直面します。

つまり、自由でありたいと思うならば、そのための能力が必要であるということです。
選択肢を見つけ選び取る能力がなければ、自由は制限されてしまいます。

だから、自由であることって厳しいことなんです。

例えば、今の仕事に不自由さを感じ、転職を望む人がいるとしましょう。

しかし、自分の仕事に対して自由に振舞えるかどうかは、先の2つの視点から、以下の条件のどちらかが必要になります。

  1. 自由に振舞える環境が与えられている
  2. 自他共に能力があると認められているため、自由に振舞える

なので、自分に能力がないのに不満の理由を職場環境に挙げる人は、いつまでも1.を求めて彷徨い続けることになります。

しかし、2.の条件を満たせる人は、どこにいても自由です。

もちろん、次の職場へ行って頑張れば、能力を磨くことはできるはずです。
でも、だったら今の職場ではなぜ能力を磨かなかったんでしょう?

1.なのか2.なのかの極論は避けたいところですが、長くなりそうなので割り切って言いますが、多くの場合、

仕事や生活に対して不自由さを感じるのは、その人自身に能力が不足しているから

と考えた方が、現実的な問題解決には繋がりやすいんです。

 

今のところがダメだから、別のところへ行ってみる。

確かにその選択は、自由です。
しかし本当に自由な人は、その選択がどういう意味を持つのか知っています。

それが自分にとってのステップアップや転機になるのか。
それとも単に、その場所から逃げ出すための言い訳を探しているのか?

もちろん、逃げることも言い訳をすることも、全然OKです。
しかし、逃げることと自由になることは違うという認識は必要です。

今いる場所から違う場所へ行くことは、今以上に厳しい環境が待ち構えているかもしれません。
そういった現実を知り、覚悟する気持ちが必要です。

いいですかい?
もう一度言います。

自由でいるためには、そこで生き抜く能力が必要です。
そして、自由でいたいのであれば、自分自身に厳しさを突きつけていく必要があります。

ps:

ちなみにですが、この2つの視点の自由。
前者を「消極的自由」、後者を「積極的自由」と呼んだりします。

そして、「アレもコレも嫌だ。だから、アッチにする」というのを「ワガママ」と言います。

私個人としては、別にワガママを貫き通す生き方だってありじゃないかと思っています。
まあ、周囲の人間からすれば、とっても迷惑な生き方ですが。

ちなみにですが、私の髪の毛たちも、とってもワガママです。
勝手にどこかへ行ってしまって二度と戻ってきやがりません。
いつも私を困らせてばっかりなんです。

それを考えると、やっぱりワガママってのは、絶対はんた~いっ!
そんな気がしてきましたぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 13:23 | コメント・トラックバック(0)

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