読書について

intro:

穏やかな午後の昼下がり、まるでパリのダゲール通りにあるような、そんな洒落たカフェの椅子に私は少し浅めに座って足を組みます。
そして、左手に持ったコーヒー・カップから漂う香りを楽しみながら、赤茶けたハードカバーの表紙を広げて読書に勤しむ私。

一流のワルで名の通った私は、そんな光景がお似合いです。
きっとね。いや、多分ね。いや、そうだったら良いな。そうであってくれ。

ところで、ダゲール通りって見たこともありません。
でも本当にパリにあります。
だって、本に書いてあったんだもん。

ちなみに、ディド・アレシアに関しては、ちょっと詳しい。
雄大な20世紀初頭の建物が並ぶ地域で、都会の雑踏を忘れて鳥のさえずりを楽しむ広大な公園もあります。
一流のワルお薦めの散歩街です。

もちろん、本にそう書いてあっただけで、行ったことも見たこともありませんが。

一流のワルって、何でも知ってるんですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

人によって、たくさん本を読む人とそうでない人がいます。
中には大量に情報を収集する目的で、速読とかやってご満悦の人もいます。

でも正直なところ、本をたくさん読んだかどうかは、あんまり頭の回転に関係なさそう。

だって、速読とか多読を売りにしてても、頭の悪そうなことしか書けないし話せない人って、結構いますし。
きっと頭を使わないヤツは、本を読んでも読まなくても一緒なんです。

あ、ホントのこと言っちゃった。(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪

微妙な言い回しですが、“知る”ことと“わかる”ことは違います。
わかった気になって、知ってるだけじゃ意味はない。

そして、“知る”ことと“出来る”ことも違います。
知ってるだけで出来るなら、誰だって苦労はしない。

でもそんな勘違いって、結構多読の弊害もあるんじゃないかと。
そんな気がします。

だってさ。
本を読むって、その作者にものを考えてもらうことと同じなんですから。
読めば読むほど、自分でものを考える力を失っていきます。

あ、この言葉、私が人類史上初めて言ったわけじゃありません。
きっと最初に言ったのは、ショウペンハウエルです。

 

昨年末に行なったアンケートで最も多かったのが、「一流のワルご推薦の書籍」でした。
と言うわけで、どの本を紹介しようかと考えてみました。

私って、やっぱりいいヤツです。って言うより、いいヤツぶってます。
で、そんな一流のいいヤツが紹介するのがコレ。

読書について 他二篇 (ショウペンハウエル,斎藤 忍随/岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

作者はペシミズム(悲観主義)で名の知られた哲学者です。
ズバリそのタイトルの通り、読書と思索そして書くことについて、熱く語っています。

第1篇「思索」、第2篇「著作と文体」、第3篇「読書について」で構成されるこの本は、「あとがき」を入れてもたったの150ページくらい。

アフォリズムで綴られていて、気軽にどこからでも読み始められます。
訳文もシッカリしてますから、理解しやすい。

図書館で探せば高確率で置いてあります。名著だから。
で、何度でも読み返したくて買いたくなっても、文庫だから安い。

525円で買えるその本の中で、彼は言います。

読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。

「読書で生涯をすごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。(中略)これと対照的なのが生涯を思索に費やした人で、いわば自分でその土地に旅した人の立場にある。(以下略)

歴史を超えて人々の胸を打つ、そんな多くの示唆に富んだ名著です。

さらに、この本における著者の主義主張は、明確です。
そして明確であるがゆえに、その語り口は痛烈です。

ですから、「あとがき」にて翻訳者斎藤忍随氏が言うように、「読者は不快を感ずるかもしれない」というのは本当です。

だから、良いんです。
だから、お薦めします。

主義主張が明確であるがゆえに、アナタの心には多くの「疑問」が沸き起こってくるはずです。

「それって、違うんじゃねえの?」
「俺だったら、こう考えるけど」
「その発言は、言い過ぎなんじゃ?」

って具合に。
きっとアナタの頭と心をフル回転させてくれるはずです。

「読書について 他二篇」ショウペンハウエル著(岩波文庫)

多くの示唆を与えてくれると共に、自分で考えることもさせてくれる。
一度は手にとって読みたい、そんな名著です。

ps:

さて、決して洒落たこともない自分の部屋で、ゴロ寝をしながら、最近話題のニュースでも楽しみますかね。もちろん、ジャージ姿で。
一流のワルには、それがお似合い。


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「火車」 現代社会が抱える問題点に鋭く切り込むミステリー

最も売れてるミステリー作家、宮部みゆきの代表作「火車」。
「今さら・・・」とか言うな。

火車 (宮部みゆき/新潮文庫)

火車 (新潮文庫)

「〇〇の方法をとれば金が儲かる」
「〇〇がカッコイイ」
「洋服はアレだ、車はコレだ」

コレって全部、情報です。
で、そんな情報にみんな振り回される。
で、情報を追っかけて浮かれている心の隙間に、闇が忍び寄ります。

「情報破産」

この小説では、そんな言葉で表現してます。

 

「あたし、ただ、幸せになりたかっただけなんだけど」

そうやって破滅していく女性2人・・・そんな現代社会の悲しさを、みごとに描き切ってます。
でもこの小説、それでもミステリー。推理小説なんです。
そこがまた凄いところ。

ヘタなビジネス本なんかを読むくらいなら、コッチの方がはるかにタメになります。


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一元的な海に身を委ねて ~生きて死ぬ智慧~

今、売れている本に「生きて死ぬ智慧」(小学館)という絵本があります。
科学者である柳沢圭子さん著作の、般若心経の現代訳です。

生きて死ぬ智慧(澤 桂子, 堀 文子/小学館)

生きて死ぬ智慧

優秀な科学者でありながら、人生のおよそ半分にあたる36年間を原因不明の病と共に生きている彼女
NHKの番組で紹介され話題になっているので、知っている人も多いかと。

ただ、「空」(クウ)とかって概念が難しいんで、この本読んでもイマイチ理解できないって人も結構いるみたい。

ということで、私なりにちょっと解説でも入れてみようかと。
もちろん、“私なり”の解釈ですぜ。

色と空と

「色即是空」って言葉があります。
「シキソクゼクウ」って読みます。

「色」って、“目に見えるもの”のことです。
決して、色気とかスケベ心なんかの意味じゃ、ありません。

で、「空」とは、”実体がない”ということです。
「空」という漢字のイメージからすると、「無」とか「存在しない」という意味だと思われがちですが、そうではありません。
固有の本質がそこにない、ということです。

と言うことで直訳すると、「目に見えるものには、実体がない」って事になります。

でも、やっぱりそれだけじゃ、意味がわからない・・・ってはずです。
ということで、もうちょっと説明を加えます。

 

万物に、不変のものってありません。常に形を変えていく。

人は赤ちゃんとして生まれ、大人になり老人となっていきます。
種は芽を出し、根を張り、茎を伸ばし葉を茂らせ花を咲かし、そして枯れてしぼんで、実を蓄え種を作ります。

世の中の全ての物事は、止まることなく常にカタチを変えていくわけです。
何一つ、変わらないものはない。

しかも、モノは常にカタチを変えていきますが、単独で形が変わるわけではありません。

植物が種から花を咲かすには、水や土、太陽の光などが必要です。
人はその成長の過程で、食物や水、教育などが必要です。

1つとして、単独で存在するモノはない。
1つとして、単独で変わっていくものもない。

そういうことです。
様々なモノゴトの関係の中で、植物も人も、そして全てのモノは存在します。
世の中の全てのモノゴトは、複雑に絡み合い繋がり合って存在しているわけです。

 

ちょっとイメージしてください。

目に見える全てのモノは、形を変えていく。
そして全てのモノは、つながり関係しあっている。

ということは、つまり全てのものは根本的にみな1つのものだ、と発想することが出来ます。
カタチのない何か1つのモノ・・・
で、これを「空」と言います。

つまり、「色即是空」とは、「目に見えるものは、根本的に形なく1つのものだ」ということです。

で、もうひとつ。
「色即是空」の後に、「空即是色」という言葉が続きます。

つまり、「空」から「色」は生まれ、「色」は「空」に戻る、ってことです。

形のない1つの漠然とした状況から、個体(目に見えるもの)が生じます。
で、その個体は形を変えていき、再び「空」へと滅するわけです。

仏教って、全てのモノゴトは根本的に1つのものなんだ・・・っていう一元的な世界観を持っているんです。

 

「色」、つまり目に見えるこの世は、「苦」です。
人生とは、「苦」そのものです。

で、元々は実体のない「空」であったはずのものから、「苦」が生まれるのには、原因があります。
そして「苦」の原因は、「執着」から生まれる。
そう仏教では説いています。

生に対する執着、幸福に対する執着、異性に対する執着、若さに対する執着などなど・・・
欲に対する執着が苦を生み出します。

 

でもね。
全ては元々、1つなんです。

個別に見えるこの世のモノゴトは、本来1つの「空」だったわけです。
みんな一緒なんです。

だからね。
アレが欲しいとか羨ましいとか、苦しいだとか辛いだとか・・・そんなモノゴトに執着する必要なんて、どこにもないんですよ。

そう仏教では、教えてくれてます。

 

不治の病や原因不明の病気、手術を伴う病気や怪我など・・・
自分の力だけじゃどうにもならないことって、あります。

越えられない壁。

でね。そんな時には、その一元的な海に思いっきり身を委ねてみる。
自分の心も身体も、そしてその周り取り囲む木や空や土や人や動物などなど、全てのモノが根本的に1つなんだって、そう感じてみるわけです。

あとがきより

この「生きて死ぬ智慧」という本の訳者である柳沢圭子さんは、科学者です。
そんな「空」の概念を、彼女は原子の視点から見ています。

この本のあとがきから少しだけ引用します。

私たちは原子からできています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。・・・(中略)・・・私のいるところは少し原子の密度が高いかもしれません。あなたのいるところも高いでしょう。・・・・

この本が売れている理由は、そんな科学者の視点と、病気と共に生きている彼女の優しさと力強さがあるからなのかもしれません。


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「オヤジの知恵」あの時代を生き抜いてきた人の言葉は凄いな

今、私はこの本を読み返しているところなんですが、改めて

「呆れるくらいに凄い。」

って思ってます。
戦後、泥にまみれながら徒手空拳でのし上がってきた人たち(主に田中角栄)の言葉を、作者がまとめています。
良くある「名言集」なんかよりも、凄みがありますぜ。

オヤジの知恵 (早坂茂三/集英社文庫)

オヤジの知恵 (集英社文庫)

事を成す人というのは、「功」と「罪」を両方背負っているものです。
そしてどちらをクローズアップするかでその人に対する感情的な評価は決まります。

で、この作者、早坂茂三氏も嫌いな人、多いかも。
ご存知、田中角栄元首相の側近。

別に泣ける本でも何でもないんですが、読んでいるとなぜか目頭が熱くなるような感じです。

人によっては、下品さを感じる人もいるのかもしれません。
スマートじゃないですから、ここに出てくる人たちは。

でも、やっぱり泥にまみれながら生き抜き、そしてのし上がってきた人の言葉は違いますね。
田中角栄はその「罪」がクローズアップされていた時期がありますが、今はどちらかと言えば再評価されています。
なぜ、再評価されるのか?

現在渦中の真っ只中にいる堤義明氏の父であり、西武グループの創設者である堤康次郎氏が

「いや、あの人だけには敵わない。」

と言わしめた田中角栄という人の一端が、コレを読めば知れるような気がしてきます。

一生のうちに一度は読んでおきたい、そんな本です。


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「世界がもし100人の村だったら」ひとつの視点として大切な考え方

ひとつのEメールが世界中を駆け巡り、そして本になりました。
大きな文字とイラストが、まるで絵本のよう。
小さな子供と一緒に読むのも良いかもね。

でもね、この視点を持つことは大切なんです。

世界がもし100人の村だったら(池田 香代子, C.ダグラス・ラミス/マガジンハウス)

世界がもし100人の村だったら

私が学生時代の頃の話です。
ゼミの先生にこう言われました。

「物事を自分の身近な状態に置き換えるのは、ひとつの視点の持ち方として大切なんだ。」

物事を考えていくと、いつの間にか理想論に終始していることって結構あるんです。
賛同している意見が、実は自分がされたら否定したくなるようなことだったりとかね。

そんな時、一見大きな枠組みを自分が実感できるようなところまで噛み砕いていく。
そうすると、今まで隠れていて気がつかなかったことが見えてきたりするんです。

もちろん、それで全てがわかるわけではありません。
あくまで、“ひとつの視点として”です。

でも、それって大切なことなんです。

この本では、世界を100人の村に例えて話をしています。
「こういう風に物事を置き換えると、こんなことが見えてきたりするんだ・・・」
なんて感じてくれたらいいな。


post by ノリユキ at 10:35 | コメント・トラックバック(0)