2011年12月23日(金) [ ビジネス・おかね ]
たまに議論になったりしますが、皆さんは
「サンタクロースを信じる子供と、信じない子供」
どちらが良いと思いますか?
小さな頃には、ロマンスや夢物語を信じる心が必要ですか?
それとも、空想は空想であると冷静に判断できる心が大切ですか?
難しい質問ですよねぇ?
ただ1つ言えることは、大人になってサンタクロースは存在しないと知ってしまっても、私達はクリスマスに自然とロマンスを求めるということです。
私達にとってロマンティックな一時というのは、無味乾燥な日常を彩る大切なスパイスなのかもしれません。
さて、そんなサンタクロースですが、実は1951年の12月23日、フランスのディジョン大聖堂で火あぶりの刑に処せられています。
教会前の広場で、250名の子供達の手によって、サンタクロースの人形が燃やされたそうです。
これは冗談でもなく、カトリック教会による大真面目な決定。
キリストの降臨祭に異端者がのさばるんじゃねーよ、というのがその罪の理由です。
私達がイメージするサンタクロースって、恰幅の良いヒゲを生やしたおじさんで、赤地に白い縁取りの服と帽子の出で立ちです。
クリスマスの夜、子供達にプレゼントを配りにやってきます。
しかし、もともとは違うんですねぇ・・・
有名な話ですが、サンタさんのあの衣装って、実はコカコーラのイメージカラーです。
1931年にコカコーラが冬のキャンペーンのために、自社のイメージカラーである「赤地に白」をサンタに着させたのが始まりです。
おまけに、その時のサンタさんの人物像は、コカコーラで当時働いていた一営業マンがモデルとなっているとのことです。
そう、今のサンタさんは、コカコーラの営業マンだったんです。
おまけにサンタさんは、キリストの誕生祭に何の関連もなく、子供達にプレゼントを配ります。
考えてみれば、奇妙な話ですが、しかし、その物語が前提となって、子供や恋人にプレゼントを贈る習慣が出来たわけです。
まるで、サンタの物語は、クリスマスにプレゼントを買う様に仕向けられた物語のよう・・・
そう、私達は、根拠のない消費をあの物語によって煽られているわけです。
で、それが、アメリカの消費文化として慣例化・一般化し、さらには世界中に広まっていったわけです。
お菓子メーカーによってバレンタインデーがチョコレートをプレゼントする日になったのと同じ原理です。
で、言ってみれば、サンタクロースって、アメリカ商業主義の権化なわけですよ。
聖ニコラウス(サンタの原型)が商業利用され、キリストの誕生祭にしたり顔して営業活動をされるわけですから。
カトリック教会からすれば、黙って見過ごすことは、出来なかったのでしょう。
さて、ここまでお話して、もう一度質問します。
「アメリカ商業主義の権化であり世界のセールスマンであるサンタクロースを、実在すると信じる子供と、信じない子供」
アナタはどちらが、幸せだと思いますか?
ちょっぴり複雑な気持ちになってきましたねぇ・・・
あのね、私からすればサンタさんがいるかどうかって話、信じてもいいかなーって思うんですよ。
だって、ロマンスを感じられることって、ほぼその裏側にはビジネスが横たわっているじゃないですか。
つか、世の中のモノゴトの中で、ビジネスが絡んでないものって、ほとんどないわけで。
つまり、私達の生活は、経済活動と共にあるんですよ。
だから、サンタさんの大きなお腹の中に商業主義が渦巻いているからといって、それを否定することは、簡単には出来ません。
だってそれは、私達の生活そのものを否定することに繋がるからです。
ただ私達は、本質的には同じことなのに、アレはOKだけどコレはダメ!みたいにチグハグな判断をしてしまいがちです。
サンタさんの様に、自分が子供の頃から慣れ親しんだものにはYESを出すけど、大人になってから出来たもの、知ったものにはNOを突きつけたりします。
でも私からすれば、サンタさんを信じるか信じないかより、そっちの方がむしろ問題だと思うんですよねぇ。
例えば今年、テレビではあまり触れられませんでしたが、インターネット界隈を中心として、1つの問題が大きな話題となりました。それは、
「大手マスメディアによる韓国文化ブームの捏造疑惑」(※知らない人は、ウィキペディアの「2011年のフジテレビ騒動」の頁でも参考に)
しかしこの話、ビジネスという視点でお話をすれば、別にデモが起きたり不買運動が起きたりと、目くじらを立てる様な内容ではありません。
(これ、公共の電波を利用するテレビのあり方うんぬんを話し出すと「メディア論」になってしまうので、それは今回は脇に置いておきます)
だって、韓流ブームを世界各国で起こし、韓国に観光に来てもらい、自国のドラマや音楽を輸出するのは、韓国の10年来の国家戦略なんですから。
韓国側がお金を出し、各国の広告代理店に活躍してもらって自国のコンテンツを宣伝してもらったり、積極的にイベントを行なうわけです。
韓国政府が補助金を出すことで、安いドラマを海外に輸出します。
日本の広告代理店は、単にそんなオファーを受けて仕事をしているだけです。
安くて視聴率のとれるドラマを、テレビ局は買って放送しているだけです。
つまり、経済的観点で言えば、韓国サイドによる韓流ブームの積極的な創出は、経済原理に基づいた、通常の経済活動の一環でしかありません。
これといって珍しい話じゃないんですよ。
ただし、付け加えるならば、韓流ブームによってイメージアップした韓国のブランド力は、他の韓国製品の販売の後押しをします。
日本製品がアジア各国で韓国製品に取って代わられているのは、そういった背景も一因となっているわけです。
つまり韓国は、日本をはじめとするアジア各国との商業戦線で勝利を収めているわけですよ。
ですから、私達はメディアの韓流偏重ぶりを非難するよりもむしろ、
「おいおい、日本っ!何やってんだよ!こっちも負けてられねーだろ。早く何か手を打って、アジアでの商業戦線、巻き返しを図ろうぜ!」
って自国の無策ぶりに危機感を覚え、次のアクションに繋げることの方が必要なんです。
(繰り返し言いますが、これは経済活動という一点に絞った意見であり、メディア論や文化論における批判的知見は横に置いています)
いいですかい?
韓国への報道の偏重に腹を立て、韓流ブームに怒りをぶつけるなら、クリスマスやサンタクロースにも怒りをぶつけるのが当然です。
それらは本質的に、同じ商業活動が行なわれたことによる結果です。
バレンタインデーにだって、腹を立てたって良いわけです。
じゃあ、怒ったり非難したりしますか?
いや、しない。
するどころか、クリスマスにプレゼントをあげたり貰ったりするのは、楽しいはずです。
バレンタインデーに「本当は好きでした」とか言われてチョコレートを貰ったら、胸のどこかがくすぐったくなるくらい嬉しいはずです。
だったらそれと同じ様に、KARAの腰を振るダンスが可愛いとか、2PMがカッコイイとか、韓流ドラマに嵌って明日の続きが気になるだとか・・・
それも同じ様に受け止めて良いと思うんですよねぇ。
一消費者として、それが自分の生活を彩っていくのであればね。
前にも言ったと思いますが、バズ・マーケティングの類には、ビジネス・パーソンとしては冷静に判断しつつ、一消費者としてはそれを楽しむ余裕が欲しいものです。
本質的には同じ商業活動なのに、アレはOKだけどコレはNGっていう方が不自然で、むしろそっちの方が“別な何か”に振り回されている感があります。
クリスマスが終わっても大晦日に向けての年末商戦は終わりません。
年末年始は、お餅やお節を食べながら、テレビ番組でKARAやAKBを見て、和やかな一時を過ごすかもしれません。
スキーやスノーボードで、雪山を駆け抜けてるかもしれません。
成人式には綺麗な着物をまとい、2月になれば節分の豆を買って、チョコレートのプレゼント。
3月にはお雛様に甘酒、そして送別会で飲んで食べ、4月になれば新入社員の歓迎会やらお花見で・・・
ず~っとずっと私達は、そんな消費活動を繰り返しています。
そして、そんな消費に支えられて、私達は日々の糧を得ています。
でね、そうやって日々の暮らしを彩っていけば良いじゃないですか。
もちろん、一消費者としてね、
私達が暮らしを豊かにしていくには、もちろん数々の修羅場を潜り抜けていくビジネス・パーソンとしての一面が必要です。
しかし、それと同じくらいに、生活を彩る穏やかな消費者の顔も必要なんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
ポイントは、「一消費者として」生活を「穏やかに」「彩る」ということです。
消費者として振り回されるのは、火あぶりにあうのと一緒ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2011年12月9日(金) [ ビジネス・おかね ]
intro:
今年を振り返ってみると、「今の日本は芦田愛菜ちゃんとジャニーズの嵐とAKB48で出来ている」と言ってもいいくらい、メディアはそんな3色で埋められていた年の様な気がします。
モノが売れない時代に、モノを売ってくれる救世主が、彼ら彼女達なわけです。
しかし、中でもちょっと異常というかモンスター級なのが、AKB48。
今年出したシングルCDは全てミリオン。
今年のCM女王ランキング(ニホンモニター 2011タレントCM起用社数ランキング)ではAKB48のメンバーが10位以内に8人ランクイン。
販売部数に敏感な雑誌も、こぞってAKBグループのメンバーをグラビアや表紙に起用し、コンビニの雑誌コーナーはほぼ1年中AKBの顔で埋められてしまうほど。
他にも、AKBを起用したグッズや景品が次から次へと各企業から発売されたり、AKBをコンテンツにしたサービスなんかも続々と。
要は、彼女達を起用すれば“売れる”ということです。
AKB48は単なるアイドルグループというよりも、完全にキラーコンテンツと化した感があります。
その一端として昨日、Googleは新サービスのGoogle+とAKB48の連携を発表。
これ、報道では「AKB48新戦略プロジェクト発表」として芸能枠の扱いですが、実際はGoogleの広報活動であり、GoogleがGoogle+日本・アジア戦略におけるキラーコンテンツとしてAKBを位置づけていることが窺えます。
まあ、そんなこんなで今のAKB48は、ファンのみならずマーケッターまでもがその一挙手一投足を見逃せない存在となっている状況です。
んで、今日はそんなこんなでヒット商品から窺える1つの傾向でもお話しようかと。
main:
マラソン中継って、テレビで度々やってますよねぇ。
ってことは、マラソンの中継番組って割と視聴率が採れているわけで。
でも、ちょっと斜に構えて考えてみると、「マラソンって見ててどこが面白いの?」って疑問がわいてきます。
だって、単に2時間走り続けているだけですよ。
レース展開だって、それほど派手には行なわれません。
にもかかわらず、あんな単調でしかないものを、私達は思わず見続けてしまいます。
なぜ?
それに対して、科学的根拠は薄いけれども明確な答えが1つあります。
それは、
「見ている側は相手のエネルギーを感じることができ、そこに惹きつけられるから」
というものです。
単に走っているだけのその姿の奥にある情熱や懸命さ、力強さを私達は感じ取り惹きつけられ、また感動を覚えるのです。
そうでなけりゃ、2時間もの間ずっと走っているだけの姿を見続けてられないでしょ、いやマジで。
そしてそれは、iPhoneなど多くのヒット商品にも言えることです。
製作者側の徹底したこだわりや情熱から生まれた細かな工夫や機能・デザインに、消費者はたとえ具体的には気づかなくとも、なぜか心は魅了されてしまうのと同じです。
商品やサービスなど対象に込められた“情熱”や“一生懸命さ”が、実は相手を魅了していく大きな要因となるのです。
そして、このヒット要因を更に強化するものが、もう1つ。
それは、それらヒット商品の裏側には、「ストーリー」が伴っているということです。
製作者側が製品に込めた思いや製作秘話などが物語となって、消費者に伝わっていく必要があります。
マラソン中継だって、単に走っている姿を見るよりも、アナウンサーや解説者などから、参加選手の裏話が語られた方が、より見るものを惹きつけます。
この選手は実はヒザの故障を抱えながら走っているだとか、
スランプの続いているあの選手のこの大会にかける想いだとか、
ライバル同士であるA選手とB選手の秘められた友情だとか、
そんなストーリーが見ている者をより魅了していくわけです。
そしてコアなファン達は、いかにマラソンという競技と選手達が魅力的であるかを、こういったストーリーを交えながら周囲に話ていくわけです。
これがいわゆる口コミと言われる現象です。
ファンの想いが他者にバイラル(感染)していき、更なるヒットの波を作り上げていきます。
で、このヒット要因である「一生懸命さ」と「ストーリー性」をもろに体現しているのが「甲子園」です。
高校球児の一生懸命さと、甲子園に至るまでの彼らが織りなすストーリーが、私達を魅了し続けます。
そして私達は、そんな甲子園ストーリーが大好きです。
特に私達が好きなのは、弱小野球部が様々な試練を経ながらも甲子園を目指して成長し、その夢を実現していくという成り上がり系ストーリー。
大ヒットしたドラマや漫画も、そんな甲子園を目指す青春ストーリーで一杯です。
古くは漫画「ドカベン」や「ナイン」「キャプテン」、最近で言えば一昨年に大ヒットした「ルーキーズ」なんかがモロにそうです。
あっ、そう言えば昨年これまた大ヒットした「もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』)」も、そんな成り上がり系甲子園ストーリでした。
・・・と、ここまで読んで気がついた方・・・いますね、多分。
そう、そんな「もしドラ」の作者は、AKB48総合プロデューサー秋元康氏の弟子でありAKB48を立ち上げる際のスタッフの一員。
そして、AKB48自体のコンセプトが「会いにいけるアイドル」であると同時に「成り上がり系甲子園ストーリーをリアルで体現する」というものであるということです。
「夢は全力で両手を伸ばした指先の1ミリ先にある」
そんなことを言う秋元康氏が創り出そうとしたのは、成り上がり系甲子園ストーリーを地で行くアイドルグループです。
普通アイドルといえば、CDデビューが前提で、そこにイベントやメディア出演がお膳立てされているのが常道です。
ところが今からちょうど6年前、素人同然の少女の集まりであるAKB48に与えられたのは、秋葉原にある小さな劇場だけ。
名監督や鬼コーチのもとで厳しいレッスンを受けながら、しかしアイドルとして描いていた夢とは真逆のガラガラの客席の前で、毎日歌って踊り続ける日々。
舞台裏では「もう出たくない」とメンバー達は泣いていたとか。
しかし、それでも1人でも多くの人に集まってもらおうと、自分達でチラシ配りをしながら、一生懸命さだけを頼りにステージに立ち続け、ようやく彼女達は小さな劇場を満席にすることが出来る様になりました。
まずは、小さな夢を掴んだんですね。
で、その夢の先に待っていたのはCDデビュー。
しかし、それはメジャーデビューではなく、インディーズレーベル、つまり自主制作CDからのスタートです。
そんな試練を経て、ようやく彼女達はメジャーデビューを果たすわけです。
が、メジャーデビューしても、メディアは常に彼女達を地下アイドル扱い。
鳴かず飛ばずのCD売上に加え、運営上の問題から終いにはレコード会社から契約を打ち切られる始末。
一端、甲子園への夢は絶たれたわけです。
しかし、それから数ヵ月後、今のキングレコードからの再デビューに漕ぎ着け、そこからは様々な困難を迎えつつ・・・
とまあ、話し出したらキリがありませんし、他にも通常のアイドルグループでは考えられないほどの苛烈な競争下に彼女達は置かれ続けています。
まさに、成り上がり系甲子園ストーリーを地で行く物語をAKB48は辿ってきているわけです。
そしてそれは、モンスター級のアイドルグループとなった今でも変わりません。
今年の夏、AKB48は西武ドームにて3日連続公演を実施し、のべ9万人を動員しました。
しかし、その初日の公演終了後、プロデューサーの秋元氏に公演内容をダメ出しされます。
さて、こんな時、皆さんならどうするでしょうか?
ありがちな企業の一風景を想像するならば、初日のイベントがイマイチだった場合、「明日こそは頑張ろう!」と言って、その日の労をねぎらいながら明るく乾杯をしつつ反省会をすることでしょう。
しかし、AKB48にそんな和やかさはありません。
メンバー達は、翌日の公演をより良いものにするために、陽が暮れた中、外の駐車場でひたすら自主トレを続けていました。
名実共にトップアイドルである彼女達が、です。
彼女達は未だ、甲子園の優勝旗を目指しながら、走り続けているのです。
・・・とまあ、テレビの前でただニコニコしているだけの様に見える彼女達のその笑顔は、一生懸命さと情熱、そして誰もが語りたくなるような熱いストーリーに裏打ちされているわけです。
しかも、そんなストーリーはAKB48というグループ全体の話で終わりません。
そこにいるメンバー1人ひとりにも様々なストーリーが生まれていくわけです。
語り出しても語り尽くせないストーリー・・・
ファン達はAKBを巡る壮大な物語に巻き込まれていくわけです。
こう見ていくと、AKBがキラーコンテンツ化していったのには、それ相当の理由があったんだなぁ・・・なんてことが分った気になります。
さて、それでは自らを振り返ってみましょう。
アナタが扱う商品やサービス、またはアナタ自身の仕事には、誰にも負けないくらいの一生懸命さや情熱が込められていますか?
そして、そこには誰もが振り向いてしまうほどの熱いストーリーが流れていますか?
理論を振り回してみても、効率性ばかりを気にしてみても、決して掴めないものが確かにあります。
そしてそれは、秋元氏が言うように、全力で伸ばした両手の指先の、あと1ミリ向こう側にあるのかもしれません。
ps:
とかく「秋元康はAKBで丸儲け」的なイメージがありますが、調べていくと、それは表面的な部分でしかないことに気づきます。
AKB48とは劇場公演を基軸としたアイドルですから、そこで歌われる曲を秋元氏は全て書き続けています。
その曲数は、500曲ほどに及びますが、CD化されているものは極わずかです。
つまり、作詞家として金になる(多額の印税が見込める)CD収録曲の裏側には、金にならないと分り切っているのに書き続けた数々の曲があるのです。
また、テレビなどのメディアに頼らない小劇場型の多人数アイドルを育成するというのは、早期の収益が見込めないどころか、基本的に採算が合わないというリスクが多大です。
更にはAKBメンバーを苛烈な競争下に常に置かせる方針をとり続けるのは、内部崩壊しかねないというリスクとも常に隣り合わせになります。
要するに、決して金儲け主義では、AKB48というキラーコンテンツは生まれないんですよ。
ビジネスとしてAKB48というコンテンツに興味のある方は、この年末年始を利用して、調べてみたり研究してみるのも面白いかもしれません。
ps:
そうそう、つい最近「AKB48ビジネスを大成功させた“7つの法則”」という本を読みました。
この本を読んでいくと、この作者も私同様、AKBをマーケティングの対象として調べていく過程で嵌ってしまったことが手に取るように分ります。
必要以上にAKB48に対する想いが溢れていて、予測や観測結果というより願望や要望みたいな記述が散見しているところに、思わず微笑んでしまいました。
post by ノリユキ at 15:24 | コメント・トラックバック(0)
2011年12月2日(金) [ ビジネス・おかね ]
intro:
気がつけば早いもので、もう12月。
年末の雰囲気を醸し出してくる恒例行事の1つとして、今年も流行語大賞が発表されています。
ネット流行語大賞では、CMでお馴染みになった「ポポポポ~ン」が金賞を獲得。
昨日発表のあったユーキャンの新語・流行語大賞では「なでしこJAPAN」が大賞を獲ったそうですね。
ただまあ、こういった流行語にノミネートされた中には、一般的には今ひとつピンとこないものもあるわけで。
例えば、「エダる」だとか「ブヒる」だとか。
「エダる」は、今年の大震災当時の官房長官だった枝野氏からきてる言葉で、「寝てない」とか「上司に恵まれない」といった意味なんだとか。
また「ブヒる」は、いわゆる「萌え」と同じ意味の言葉なんだそうで。
へー、そうなんだ。
main:
で、こういった流行語がマーケティングに利用されていることが多々あります。
いわゆる「バズ・マーケティング」(※1)と呼ばれるものの一種で、基本的に流行語(バズワード)を基軸にマーケティングが展開していきます。
この手法は、意図的に人々の話題となるような概念や商品(または商品群)を用意し、そこに一言で言い表せる名前を付けます。
で、それがバズワードとなり、それに関連する商品が売れていくというものです。
典型的な例で言えば、「Web2.0」とか「ユビキタス」とか。
なんだか最先端の専門用語っぽく振舞ってるけど実はよく定義がわかんねー的な言葉ね。
また、実体はハッキリしてるけど、やっぱ世間でわいわいと騒がれてる言葉もバズワードとして捉えたりします。
「~なう」とか「つぶやき」とかがバズってTwitter人気に拍車がかかったり、今じゃ「スマホ」もその典型ですかね。
う~ん・・・個人的には、「K-POP」なんてものバズ・マーケティングが上手くいった例だと思ってます。
メディアが「K-POP!K-POP!」って騒ぎ出した時って、現実の日本社会でそこまで騒ぐほどK-POPが盛り上がっていたかには疑問が残ります。
例えば、日本デビュー当時の少女時代やKARAが、騒がれるほどCDを売り上げていたかと言えば、それ程でもありません。
少女時代の「GENIE」とKARAの「ミスター」のセールス枚数は最終的に10万枚を超えたものの、初動売上枚数は少女時代で4万5000枚弱、KARAに至っては3万枚に至らずです。
同程度のCDセールスを持つ日本のアーティストを比べてみても、やっぱメディア(特にフジテレビ)におけるK-POPの扱いは破格です。
しかし、K-POPがバズってしまえば、押しも押されぬ人気グループに成長するわけで、今や彼女達はCDが売れない時代に初動売上で10万枚を超えることのできる売れっ子です。
実態は薄くても意図的に仕掛けを作り、メディアなんかで盛り上がってバズってしまえば、それが売上に繋がっていくわけで、やがて虚像に実態が追いついていく・・・
まあ、それがバズ・マーケティングの一形態といえるでしょう。
で、ここではそんな行為が倫理的にどうなんだ?って話は、横に置いておきます。
一応ビジネス系のブログの体をなしてるつもりのこの「裸足のリーダー」において、今日ここで言いたいことはただ、
「流されんなよ」
って、そう言いたいだけです。
バズだと気づかずに無闇に嵌って飛びつくことは、一消費者としては一興でも、ビジネス・パーソンとしてはお粗末過ぎます。
「これからの時代は○○だ!」なんて掛け声に感化され、無闇に多くの時間とお金を費やしても、その費用対効果が出てくるころには過去の産物にしかなってないケースは腐るほどあるんですから。
もちろん、このバズ・マーケティングに対して、倫理的にイチイチ腹を立てる必要もありません。
だって、非難するその対象は、見方を変えれば、実は自分にとっても宝船の可能性だってあるわけですから。
感情に流されて乗る乗らないを決めるのは、ビジネス・パーソンとして失格なのかもしれません。
賢いビジネス・パーソンというものは、これがバズなのかどうかを考えながら、表面では他者よりも一足先にこのバズに乗りつつ、内面では冷静に距離を置いて見つめていくものです。
テレビに出てくる人気タレントさん達を見ればわかるでしょう。
彼らは、韓国好きを自称して素早く勉強し、その知識を披露することで、自分の仕事を増やしています。
しかし、本音の部分で彼らの全てがもともと韓国大好きっ子だったかどうかは、知る由もありません。
ただ言えることは、タレント本人がフィリピン大好きっ子で、その文化やタガログ語をいくら一生懸命勉強したとしても、今のタイミングでは決してテレビの仕事は増えないということだけです。
「機を見て敏に計らえ」
流されずに賢く振舞うことは、決して軽薄であることと同義ではありません。
※1 バズ・マーケティングの定義は結構曖昧なので、ここでいうバズ・マーケティングはあくまで“私なりの解釈”となります。詳しい解説は、「コロガル♪ビジネス用語辞典」の「バズ・マーケティング」のページを参照してください。
ps:
「バズ・マーケティング」という言葉自体がバズワードでしたという罠。ちゃんちゃん。
post by ノリユキ at 11:50 | コメント・トラックバック(0)
2011年10月14日(金) [ ビジネス・おかね ]
intro:
天才スティーブ・ジョブズ氏の訃報を受けて、ここ数日思い起こしているのは、彼のモノ作りというか製品開発に対する姿勢です。
まあ、このことに関しては、既にネットでもいくつか記事になっていますし、例えば永江一石氏の「ジョブズもいってた、日本メーカーがAppleに負けっ放しの理由 | More Access,More Fun!」では、私の思っていることを上手くまとめて説明されています。
なので、今さら私があえて書く必要もありません・・・なんて思っていたのですが、やっぱ自分の言葉で書き留めておきたい気もするわけで。
ということで、今日はそんなお話を。
main:
「いつの頃から僕達は、他人の目ばかりを気にして生きていく様になったんだろう?」
どこかの歌にありそうなセリフです。
しかし、それは何も歌詞の世界だけでなく、今の日本のビジネスのあり方でもあったりします。
いつの頃から日本の製品開発は、消費者の意見ばかりを聞く様になったのでしょうか?
市場調査を行ない、消費者の意見を聞き、それらの声を反映させるようにして、製品を開発しているのが、今の多くの日本企業のあり方です。
一見このことは、悪いことの様には受け取られません。
だって、消費者の意見を反映させ、消費者の望む商品を与えようとしているんですから。
でもね・・・
では、スティーブ・ジョブズ氏は製品開発に対して、どんな思いがあったんでしょうか?
実は彼は、
「我々はマックを誰かのために製造したのではない。自分たち自身のために作った」(参考:スティーブ・ジョブズ名言集 – ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)
と語っています。
先述とは、真逆ですね。
一見、「顧客は無視ですか、そうですか」という感じがします。
しかし、同時に彼は、
「消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない」
とも言っています。
企業は、マーケット・リサーチで消費者が欲しいと答えたものを与えるだけではダメであると。
それ以上のものを与える必要性があると。
つまり、ジョブズ氏がやってきた製品開発とは、
自分達の作りたいもの = 消費者が聞かれて欲しいと言った以上のもの
を作るということであり、永江一石氏の言葉を借りて言うならば、「顧客にスゲエ、と言わせれば良い」という発想なわけです。
さて、ここで考えてみてください。
先述の様に、市場調査の結果から消費者の望みに沿った商品を与えようとするする場合のことを。
この様な発想をする時って、必ずまず最初に「何が売れるか?」が来ます。
そして、何が売れるかを知るために消費者の意見に耳を傾け、それに沿った製品を作ろうとするわけです。
つまり、実は顧客のことなんて後回し。
売るためだけに消費者の意見を聞き、消費者が欲しがってそうなものを、ただ与えようとしているだけなんです。
しかし、ジョブズ氏の製品開発に対する姿勢はどうでしょう?
自分達の作りたいものを作っていると言いつつ、その到達点は消費者の意見以上のものを作ろうとしています。
本当の意味で、顧客により良い製品を提供しようとする姿勢は、どちらの側にあるんでしょうか?
言わずもがな、ジョブズ氏の製品開発に対する姿勢こそが、本当の意味での顧客主義です。
しかし、ジョブズ氏の製品開発に対する認識を知るには、もう1つ気づいておかなければいけない事実があります。
それは、
「消費者は、自分が何を欲しいのかを知らない」
ということです。
実はこれ、ジョブズ氏だけでなく、割と方々で言われているマーケティング的な発想です。(誰が最初に言い出したかは思い出せませんが)
製品を開発したり商品を売る際に、私達が肝に銘じておかなければいけない重要なポイントなんです。
消費者に対して「何が欲しい?どんなものが欲しい?」と問いかけても、彼らの頭の中で顕在化しているのは、とりあえず思い浮かぶ必要なものだとか、そんな気がする程度のものです。
ほとんどの場合、消費者が本当に欲しいと思うものは、実際に商品に出会ってみてからでなければ分らないものなんです。
だから、消費者に予め意見を聞いたところで、実はそれ程多くの収穫は得られません。
ホンダの創業者、本田宗一郎氏も、
「マーケット・リサーチをして作った製品は、結局つまらないものしか出来上がらない」
といった類の言葉を残しています。(確か、私の記憶によれば)
日本が経済発展を遂げていた時代の多くのメーカーは、市場調査などはしていませんでした。
まるでジョブズ氏の様に、製品開発に取り組んでいたわけです。
さて、一体この国は、いつの頃から市場調査に沿った製品作りで満足する様になったんでしょうか?
私達に今必要なのは、ジョブズ氏が見ていたもの、そして日本のビジネス史を彩った数々の名経営者達が見ていたはずのものをシッカリと受け継いでいくことなのかもしれません。
ps:
スティーブ・ジョブズ氏のご冥福をお祈りいたします。
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2011年9月16日(金) [ にんげん・こころ | ビジネス・おかね ]
そう言えばしばらく前に、「楽して儲かる」的なキャッチフレーズが氾濫していた時期がありました。
が、「楽して儲けたい」という人間心理は、一時的なものではありません。
古くから現在に至るまで、そんな甘い誘惑は、暗闇から延々と私達に手招きし続けているのです。
しかし残念なこと、そんなうまい話はありません。
だって、金儲けは楽じゃないんですから。
総量は決まっているのに、皆がより多くのお金を得ようとします。
だから言ってしまえば、金儲けとはお金の奪い合いです。
競争なんです。
競争であれば、それを得るためには、それなりの能力と努力と工夫が必要になってきます。
で、一体その金儲けのどこが楽だというんでしょう?
金儲けって、楽などころか大変なんです。
ただ、もう1つ。
実は、楽して金儲けが出来ない理由が、もう1つあります。
それは、人の心の内側に隠れていて、なかなか自覚できない代物です。
「お金持ちになりたい」とは、誰もが思うことです。
見栄や体裁を考えなければ、「大金が欲しい」と思わない人はいません。
・・・と、誰もが思っていることでしょう。
しかし、それは凄く表面的な認識です。
実は、ほとんどの人が大金が欲しいなんて思っていないんですよ。
いや、ホントです。
では試しに、メチャクチャ贅沢ってわけではないけれど、そこそこの生活をイメージしてみてください。
例えば、まあ月に2回くらいは外食が出来て、普段の生活でも食べたいものは結構食べれたり。
たっぷりある休日は旅行に行ったり、映画を観たり、昼でゴロ~ンと寝転んでみたり。
もちろん、欲しい家電や車なんかも普通に手に入って。
これから一生、衣食住には困らず、医療費も養育費も気にならない生活です。
で、そんな生活が、働かずともお金がなくとも手に入るとしたら?
大層な贅沢を望まなければ働く必要もありませんから、煩わしい人間関係からも開放されます。
嫌な仕事はしなくても良いですし、趣味や娯楽に費やす時間もたっぷり。
どうです?
金銭的に不安のない生活を、お金を稼ぐことなく出来るとしたら?
それで結構十分だって人が、ほとんどじゃないんですかね?
要するに、金儲けがしたいんじゃないんですよ。
不安を取りのぞき、ある程度の欲が満たせる様な生活がしたいだけ。
つまり、楽になりたいだけなんです。
我慢したり苦労したりすることなく、不安のない生活。
私達のほとんどが求めているのは、金儲けじゃなくて、楽な生活なんです。
ただ私達は、楽な生活を保障してくれそうな代名詞を「お金」に当てはめているだけなんです。
ですから、楽して儲けたいと思っている人に、金儲けすることは絶対に出来ません。
だって、先にも言った通り、お金儲けは楽じゃないんですから。
楽をしたいだけの人に、お金儲けをする努力ができるはずがありません。
望んでもいない現実を、どうやって手に入れるというんでしょうか?
あるとすれば、それは単なる偶然です。
偶然以外の何ものでもありません。
いいですかい?
望んでもいないものを手に入れようとする本末転倒ぶりは、火傷の原因を作り出します。
楽がしたいだけなのに金儲けをしようとするから、うまい話に乗って、逆にお金を手放す側に回ってしまうんです。
本当にお金儲けがしたいなら、とっくの昔からアナタはそのための努力をしているはずです。
寝食を惜しんで、働いてお金を稼いでいるはずなんです。
しかも、喜んでね。
うまい話に乗ってしまう前に、人は自分の本当の気持ちに気づくべきです。
post by ノリユキ at 11:20 | コメント・トラックバック(0)
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