2011年9月9日(金) [ ビジネス・おかね ]
2ヶ月ほど前、AKB商法についてお話しました。
これね→「AKB商法という古典と例外」
が、その時よりも更に人気に拍車がかかったかの勢いのAKB48。
今度は新曲発売当日でミリオン達成というオリコン史上最高の売上だとか。
スッゴイですねぇ~。(所ジョージ風)
さて、そんなAKB48ですが、彼女達のファンはきっと握手券付きのCDを何枚も買って握手会に参加したり、劇場やコンサートに何度も足を運んだり・・・
と、そうやって推しメンとの触れ合いを楽しんでいるんだと思います。
ところで、キャバクラ好きの男性は、キャバクラに何度も足を運び、お目当ての娘を指名したりなんかして・・・
と、そうやってキャバ嬢との触れ合いを楽しんでいるんだと思います。
AKB48とキャバクラ、その収益構造に大きな違いはありません。
AKB選抜総選挙で推しメンを1位にしたい、そうでなくとも順位を上げたいと願い、多くのお金をつぎ込むファンの人たち。
お目当てのキャバ嬢やホストを今月の売上ナンバー1にしたい、そうでなくともノルマは達成させてあげたいと願い、多くのお金をつぎ込む人たち。
AKB48とキャバクラ、その顧客心理に大きな違いはありません。
業界・業種・業態は全く別物でも、AKB48とキャバクラでは、収益をあげる仕組みはかなり似通っています。
さて、ここで注意してもらいたいことがあります。
別に私は、ここでAKB48を非難しようとしているわけではありません。
つか、するわけないじゃないですか。
そんなことをして、もし仮に大島優子に嫌われでもしたら、私は今年いっぱい立ち直る自信がありません。
ですから、私は決してAKB48を非難するわけでも悪口を言うつもりでもないんです。
ホントです。信じてください。お願いですから。
さて、私は一体、誰に向かって何を言い訳しているんでしょうか・・・?
ところで、「ウィキペディア」というインターネットで閲覧できる百科事典があります。
皆さんもご存知の通り、誰もが無料で閲覧できます。
しかもウィキペディアはそのポリシーとして、一切の広告を載せることはありません。
では、ウィキペディアはどうやって収益を得、運営を続けているのでしょうか?
一言で言ってしまえば、それは「寄付」です。
ウィキペディアは、寄付によって成り立っています。
つまり、閲覧するだけなら無料だけど、そんなウィキペディアに価値を見出し応援したい人は、自分の意志で応援したいだけの金額を払う仕組み。
GIGAZINEの山崎恵人氏は、ウィキペディアの様にファンがパトロンとなってお金を払う収益モデルのことを「パトロンモデル」と呼んでいます。
で、ここまで言って気がついた方、はい手を挙げて!
そうです。
このウィキペディアとAKB48とキャバクラ、実は収益構造が非常に似通っています。
(もちろん、AKB48の収益はCMや番組の出演料など多種多様ですが、ここではCDやライブといった直接ファンが支払う部分、つまりAKB商法に絞ってお話しています。わざわざ注釈つけなくとも機転のきく人はわかってると思いますが、念のため)
同一商品であっても、人が受け取る価値は人それぞれ。
だから各人が払いたいだけの金額を払うことで満足するという収益モデル。
確かにウィキペディアは非営利団体として存在しており、それに対してAKB48やキャバクラは営利団体によって運営されています。
しかもウィキペディアは対象が「知」ですが、AKB48やキャバクラは対象が「女性」です。
ですから、AKB商法やキャバクラの商売の仕方なんかを、思わず毛嫌いしてしまいたくなる心理はわかります。
また、それらとウィキペディアを一緒として扱う気にならないのもわかります。
しかし、そんな既成概念を取っ払ってロジックで収益構造とお金を払う側の心理を見ていくと、ウィキペディアもAKB48も結構似てたりするわけです。
そして、AKB商法を毛嫌いする根拠も途端に薄くなります。
現在、この国には経済的な閉塞感が漂っていると誰もが感じています。
そして、ブレイクスルーだのイノベーションだの、価値観のコペルニクス的転回だのが求められています。
しかし実は、古くて新しい収益モデルの誕生というか一般化が、今まさに目の前で起っているのかもしれません。
それに気がつかないのは、単に既成概念に囚われているだけなのかもしれません。
ニーチェ曰く「神(今までの価値観)は死んだ」
今、私達に必要なのは、気がつかないうちに古い価値観によって縛られたモノゴトの見方を一旦開放すること。
それによって、新しい未来を切り開くことが出来るかもしれません。
ps:
2年ほど前、秋元康氏はこのAKB48を世界進出させようとしていました。
AKB48そのものではなく、AKB48の仕組みをフォーマットとして世界販売するというものです。
(参考: 追跡 A to Z 「アキバアイドルを輸出せよ」)
現在その計画が着々と進んでいるのかどうかは知りませんが、当時の状況から考えると、その道のりは難しいものじゃないかと推測します。
やっぱ、全く新しいタイプのコンテンツは、バイヤーにとって理解されづらいんじゃないかと。
しかし今、日本国内で様々な企画や仕掛けをぶち上げながら、AKB48は客観的な数値データにおいても様々な記録を塗り替えています。
憶測ですが、秋元氏はこの圧倒的な実績を引っさげて、これからこのフォーマットで本格的な世界進出に臨もうとしているんじゃないでしょうか?
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2011年7月8日(金) [ ビジネス・おかね ]
音楽CDが売れないと言われる時代に今、飛ぶ鳥を落とす勢いなのが、秋元康氏プロデュースのAKB48です。
新曲「Everyday、カチューシャ」は、発売からわずか4週で150万枚を越えたんだとか。
ただその一方で、AKB48のCDには、
握手券やシングル選抜総選挙の投票権などの特典がついていたり、
複数の種類の生写真をランダムに入っていたり、
「通常盤」や「劇場盤」など複数の仕様に分かれていたり、
といった具合に、同一のCDを複数買いたくなる様に誘導がなされています。
これが俗に「AKB商法」と呼ばれるものです。
音楽CDを買うのは、そこに収録されている曲を聴きたいから買う。
多くの人が、そう思っています。
が、それは表面的なものであって、本質ではありません。
音楽CDというのは、曲を「聴きたい」から買うのではなく、そのCDが「欲しい」から買うのです。
このことは、音楽CDのコピー防止を施すCD(CCCD)の導入が失敗したことからも明らかです。
数年前、レコード業界は音楽CDの売上低迷は違法コピーによるものだとして、CCCCDの導入が行なわれました。
しかし、売上は改善されず、CCCDは間もなく終焉を迎えました。
音楽のコピーがCD売上の低下の根本的原因ではなかったんですねぇ。
要するに、曲をコピーして聴く人は、コピーできなくなったからといって、その曲の入ったCDを買うわけではないということです。
CDを買う気にまで至らないから、曲をコピーして聴くんですね。
音楽CDを買うには、曲を聴きたい以上の衝動が心理的には必要になってくるわけです。
それが人間の購買心理の本当のところです。
ですから、CDに限らず商品を販売する側としては、その商品を買ってもらうために、昔から工夫を凝らしてきました。
例えば、
魅力的な広告宣伝によって、消費者により以上の興味を持ってもらったり。
商品に特典を付けることで、購入意欲を高めたり。
同じ商品を複数の仕様にして販売することで、複数買ってもらおうとしたり。
消費者の「欲しい」という感情を引き出すことで、商品を購入してもらうことを目指しています。
この様に見ていくと、先のAKB商法の仕組み自体は、別にAKB48に限った話ではないことがわかります。
様々な場面で昔から行なわれている古典的な販売手法です。
ただ特徴的なのは、AKB48ではその発足当時から、この販売手法を徹底して行なっているということです。
ところで、この手法にはウィークポイントがあります。
それは、長期的な利益の確保が難しいということです。
この手法は、消費者心理を煽ることで、短期的に利益を最大化しようとするものです。
なので、これを繰り返し行なっていくと、次第に消費者は「慣れ」「飽き」「倦怠感」「嫌悪感」を抱くようになります。
心理的刺激を繰り返していくと、人はそれに慣れてしまいます。
ですから、消費者心理を思い切り煽ることは、始めのうちは効果が高くとも、そのうち反応が低下していきます。
だんだんと売れなくなっていくんですねぇ。
また、煽られていると、次第にそれに飽きてきたり倦怠感を感じてきます。
例えば、シリーズもののオマケが付いたお菓子が発売されると、最初は「全種類集めるぞ!」と張り切って、同じお菓子を何度も買い集めたりします。
しかし、そんな販売を何度も繰り返されると、人は次第に飽きたり疲れたりして、購入そのものを止めてしまいます。
さらに、消費者は煽られ続けていくと、次第に嫌悪感を抱く様にもなります。
嫌悪感を抱かれたら最後、買ってもらえるどころか反発が起こり、販売そのものがやり辛くなってしまうのです。
ですから、通常この手法は、継続的に徹底して行なわれることはなく、要所要所において、ポイント的に使われるのが普通です。
ところが、どうでしょう?
AKB商法においては、今のところこの理屈が通用していません。。
AKB48が発足したのは2005年の暮れ頃のこと。
最初の公演は、一般客が数名しかいなかったとか。
で、そんなAKB48のCDの売上状況を見ていくと、
2006年10月のファースト・シングルが4.8万枚。
その後、3万枚を超えることなく2年が経ち、
2008年10月に10枚目のシングルで9万枚突破。
2009年3月の11枚目シングルが12万枚突破。
2010年3月の15枚目シングルで40万枚突破。
2010年10月の18枚目シングルが100万枚突破。
2011年5月の21枚目シングルが150万枚突破。
(※参考:「シングルCD売り上げ枚数大辞典」)
と、時間をかけながら、CDの売上を伸ばしていっています。
今の人気は、5年の月日をかけて辿り着いたということになるわけです。
これは一体、どういうことでしょうか?
AKB商法的な販売手法は、継続して徹底的に行なった場合、長期的に通用しないはずですが・・・
私は、この手の販売手法をとりつつも、長期的に売上を確保できている例が他にもないか探してみたんですが、どうも見当りません。
AKB48くらいなんですねぇ。
マーケティングの観点で捉えた場合、AKB商法はあまりに古典的であるにもかかわらず、例外的過ぎるのです。
では、この販売手法における結果を覆している理由は何でしょうか?
この場合、AKB48という商品設計そのものに注目していく必要があります。
すると、AKB48という商品価値は、長期的視野にもとづいて企画・設計されていたと気づきます。
コンセプトが「会いにいけるアイドル」であること
露出の軸が大手メディアではなく、AKB劇場でのライブにあること
クラスで一番可愛いとは言えない女の子達を集めて、上を目指させること
その企画自体に、時間とコストがかかることは明白です。
となれば、その間におけるコストを補っていたのは、AKB商法なる販売手法によって得た利益であるとも考えられるわけです。
商品価値を高めるコストを強力な販売手法で補い、顧客の支払ったそのお金で商品価値を高める。
販売手法 → 商品価値 → 販売手法 → 商品価値 → ・・・
ビジネス的に言えば、それは
「商品価値を高めるために、顧客に先行投資をさせるビジネスモデル」
AKB48のメンバーの立場から言えば、
「ファンの応援があるから、もっと頑張れる」
ということになります。
まあ、何れにせよ、この両輪が上手く連動している状況が、今のAKB商法の実際なんじゃないでしょうか。
ここに、AKB商法という古典的販売手法が例外性を発揮している仕組みがあるのかもしれません。
ps:
ただまあ、強力な販売手法に負けないくらいに商品価値を高めていくことって、並大抵じゃありません。
普通なら、ムリでしょうね。
商品が「モノ」ではなく「ヒト」にあるからこそ、可能なのかもしれません。
ところで今回は、倫理的な問題点はさて置いて、マーケティング的な視野にたってお話しました。
しかしこの手の商法は、度を過ぎれば社会的な問題に結びつきかねませんので、この視点からも、きちんとした見解が議論される必要はありますね。
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2011年4月29日(金) [ にんげん・こころ | ビジネス・おかね ]
intro:
数年前に「楽して儲かる方法」とかを謳った商売が流行りましたが、それと共にインターネット上では
「経済的自由」
という言葉が流布していました。
働かずに暮らせるだけの不労所得を得ることで、会社とか人間関係に縛られずに暮らそうという意味で使われていた様です。
で、当時の私はその言葉を目にする度に、辟易していたことを覚えています。
「自由」という言葉が、誰もが持つ心の弱さの中で別の何かに摩り替わってしまっていることに。
でもね、仮に大金を手にしても、その手のキャッチに飛びつく人は、自由なんて得られないんですよ。
むしろそれは、経済的奴隷への第一歩なのかもしれません。
main:
例えば、「仕事上、新たな手帳を使う必要性が出てきたAさんとBさん」を想定してみましょう。
で、手帳を買うことの出来る余裕資金は、Aさんが500円、Bさんが5万円です。
そう、Aさんはとっても貧乏サラリーマン、でもBさんは実家から会社に通うけど家には生活費を入れなくても良い気軽なサラリーマンなんです。
さて、それではAさんとBさんでは、どちらが経済的に自由なのでしょうか?
恐らくAさんの資金では、「手帳」と呼べる様な代物を購入することは難しくなりますから、今使っている手帳を使いまわすか安物のノートで代用するハメになるでしょう。
仮に500円未満の手帳を見つけても、そこには「色んな手帳を選ぶ」という選択の余地はありません。
う~ん、不自由ですねぇ・・・
それに比べて5万円もの資金があるBさんには、多くの選択肢が存在します。
今回の仕事の内容にあった仕様の手帳を選びつつ、また好みのデザインを探すことが出来ます。
1500円程度の手帳で済ますこともできますし、フランクリンの手帳でも買って計画的に目標達成を目指すことだって可能です。
仕事内容にあわせて色を考えたり、手帳カバーの革の手触り感なんかも気にして手帳を選ぶことだって出来るんです。
Aさんから比べたら、Bさんは圧倒的に多くの選択肢を持っています。
つまり、その分だけ自由だということになるでしょう。
でも、それは限定的な意味での自由、消極的な意味での自由でしかありません。
選択肢を多く持つということは、確かに自由ですが、それは限定的な意味においてです。
だって、選択肢が沢山あっても、Bさんが自由に振舞えるとは限らないからです。
沢山の選択肢の中では、色んなものに目移りして選択に迷ってしまうかもしれません。
より良いものを選択しようとして、逆にもっともらしい宣伝に踊らされ、不必要な機能や仕様まで持った手帳を購入するかもしれません。
資金に余裕がある分、他人の目を気にして、自分の見栄を満たすことを兼ね備えた手帳を無意識に選ぼうとしているかもしれません。
で、そんな状態のどこが自由なんでしょうか?
何か別なものに縛られてしまっている状態のどこに、自由があるというのでしょうか?
結果的にBさん自身は手帳を購入してご満悦でも、他人から見れば、
「別にあんな手帳いらなくね?」
と一笑に付されるかもしれません。
Bさんが自由であるためには、まず“何か”に縛られずに自由に発想することで、沢山の選択肢を見つける必要があります。
資金に余裕があると価格や機能の高いものの方へだけ選択肢が広がっていきがちです。
でも、実際はAさんの様に、今使ってる手帳で済ましたり、100円ノートで代用しても十分だったりするかもしれません。
「え?こんな発想もあるんだ!」なんて具合に、他の人にはなかなか見つけられない選択肢を見つけ出すことだって、素敵なことです。
見栄や怠惰心、常識などに縛られず、あらゆる可能性から選択肢を見つけ出す能力。
それが、自由を手にするために必要なことの1つです。
また、自由であるためには、見つけた選択肢の中からより最適なものを選び取る能力が必要になります。
多数の選択肢を持っていても、どーでも良い様なモノゴトしか選択できなければ、意味なんてありませんから。
見栄や怠惰心、常識などに縛られず、自分にとって最適な選択肢を選び取る能力。
それが、自由を手にするために必要なことの1つです。
そして、さらに付け加えるならば、選択したモノゴトをどれだけ活用できるか?ということも重要です。
せっかく最適なものを選んでも、使いこなせなければ意味がありません。
使いこなせてこそ、初めてBさんは自由に振舞えていることになるわけです。
要するに、自由であるためには、複数の選択肢を持てる環境にあっても、
- 選択肢を見つけ出す能力
- 最適なものを選び出す能力
- 選択したものを使いこなす能力
がなければ、決して自由であるとは言えないのです。
これらの能力を持つことを、消極的自由に対して「積極的自由」と呼びます。
さて、ここで今一度、振り返ってみましょう。
先に、「限定的」「消極的」だと説明した自由とは、“より多くの選択肢を持つことが可能な状態”のことです。
手帳を買うことに対して、Aさんには極わずかな選択肢しか残されていませんでしたが、Bさんは多くの選択肢を持つことが可能です。
しかしそれは、可能性の問題であり、自分自身が自由だというよりは、そういった環境にあるかどうかだけの問題です。
仮に大金を手にする力が自分にあったとしても、それを使う段階においてはただ“より多くの選択肢をもつことが可能な状態”でしかありません。
そんな中、先の能力、つまり積極的自由を持ち合わせていなければ、私達は与えられた環境に振り回されてしまうだけです。
欲や見栄に惑わされ、無知や無謀さに足を引きずられます。
つまり、安易に不労所得や大金を手に入れることで「経済的自由」を得ようとしても、実は自由どころかそれらのお金に振り回される奴隷となってしまう・・・
そう、これが経済的奴隷になってしまう理由です。
より多くの選択肢を持つことが可能な状態が自由だと思うのは、お門違いです。
そんな可能性を持っただけでは、人は逆に不自由になっていきます。
逆にAさんの様に多くの選択肢を持てない環境にいた方が、別な選択肢を探したり、効果的な選択肢を選び取ろうとして、自由に振舞えたりすることだってあるんです。
アメリカでは、宝くじの高額当選者の9割が破産するそうです。(きちんとしたデータを見て言っているわけではないので断言は出来ませんが)
スターと呼ばれる人達が売れなくなっても普通の暮らしが出来ずに破産してしまうケースは後を絶ちません。
大金が欲しいのは普通、誰でも同じことです。
むしろ、金銭欲を持つことは大切なことですし、それによってこの国の経済は回っています。
しかし、お金が欲しいのと経済的自由が欲しいのとでは、大きく違います。
単に「楽ができて、何となく欲しいものを手にできて、何の不安もなく・・・」といった自分の怠惰な心を、「自由」とかいう一見綺麗な言葉に摩り替えてしまうのは、自由になるのではなく奴隷になること。
そう心得ておくだけでも、ちょとは自由に生きられるかもしれません。
ps:
さて、今回の記事より、今日この後発行されるメルマガの構成が大幅に変わります。
メルマガと併読されている方は、感想を教えてくれるとありがたいです。コチラのページを用意しましたので、ご協力ください。
なお今後、ブログで未公開のお話が、メルマガでは展開されることになります。気になる方は、ぜひコチラのページよりメルマガにご登録ください。
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2009年6月24日(水) [ ビジネス・おかね ]
intro:
別に私は、気にしてなんかいません。
気にしてなんかいませんが、世間では私のことを「ハゲ」だと思って密かに嘲笑っている人が、少なくないはずです。
世の中って、なんて冷たいんだ。
ちっくしょう・・・
いや、別に気にしてませんが。
ただ私は、先入観を取り払ったうえで、よく目を凝らしてハゲ頭を見て欲しいだけなんです。
ほら、よく見てみて!
この光沢を帯びた質感を!
まるでダイヤモンドの様です。
しかも・・・しかもですよ!
ほら、触ってみて!
この滑らかな触り心地!
凄いでしょっ!
アナタも今すぐ、ダイヤモンドの様な輝きと絹の様に滑らかな感触を手に入れたくなったでしょっ!
「でも、高いんじゃ・・・?」
いいえ、ご安心ください。
今なら、なんと無料です!
しかも、この憧れのヘアスタイルは、誰でも簡単に手に入れることが出来るんです!
自宅の鏡の前で、指先を使って軽くむしってみるだけで、ほら!
思い通りのハゲ頭にスタイリングできてしまいます!
どうか、この機会をお見逃しなく!
main:
誰に向かって、何を言うか?
これが大切だと言う話は、今までに何度かしています。
で、誰かに向かって何かを語ると、そこにはストーリーが生まれます。
ある意味ビジネスとは、この“物語”という糸を紡ぎ続けることなのかもしれません。
私は今、とても格好良いこと言ってる様です。
でも、ここで注意しなくちゃいけないことがあります。
それは、その物語を自分の感情にまかせて創り上げてしまうという過ちです。
ビジネスという物語は、他者に読み聞かせるために存在します。
自分が語って満足するために、物語が存在するわけではありません。
ですから物語とは、ビジネスのコンセプトによって創り上げられるべきものです。
そこに、個人的な感情を差し挟んでしまえば、物語は駄作となるばかりか、存在する意味すら失ってしまいます。
例えば、TBSドラマの「水戸黄門」。
あれって、いつも代官や越後屋なんかが悪者で、水戸の御老公一行は常に正義の味方です。
じゃあ、あのドラマを書いてる人って、個人的に代官とか越後屋と名の付くお店が嫌いなんでしょうか?
彼らを憎み、彼らを世間の晒し者にするために、あの様な物語を書いたんでしょうか?
そうかもしれません。
でも、本筋から言えば、違うはずです。
物語には設定があって、それによって登場人物に役割が与えられています。
自分の感情が満たされることが目的で、物語が生まれるわけではありません。
逆に、
「俺、黄門様は好きじゃないけど、うっかり八兵衛は好きだから、悪代官に黄門様は殺されちゃうことにして、次回からは八兵衛を主役にしちゃおう」
とか始めちゃったら、もうそれは「水戸黄門」ではありません。
物語は、個人的な感情ではなく、コンセプトによって創られていかなくちゃいかないわけです。
ところが、多くの人にはこれが出来ない。
自分の個人的な感情を優先させ、自分のやっている商売のコンセプトを台無しにしてしまいがちになります。
好き嫌いで物語を創り上げようとしてしまうんです。
気がつけば、うっかり八兵衛が主役になって、印籠を振りかざしています。
う~ん・・・これ、実に最悪なことです。
だって良く考えてみてください。
自分の個人的な感情で、コンセプトから外れた物語を語り出す・・・
それってつまり、自分がやってるビジネスのコンセプト自体が気に入らないということです。
じゃあ、自分が気に入らないものを売ろうとして、一体誰が買ってくれるっていうんですかね?
むしろ、買ってしまった人は悲劇です。
いいですかい?
確かに、自分の気持ちとか感情は大切にすべきです。
ですが、感情論に振り回されて表面ばかりを取りつくって見ても、別に幸せになんかなれません。
コンセプトからはずれて、好きなことを好きな様にやりたいのであれば、それをわざわざビジネスとしてやる必要はありません。
趣味やボランティアでやれば良いだけです。
ビジネスという物語を紡ぎだすのは、感情論ではなく、コンセプトです。
自分の寄って立つところは、目的と方針だと心得ましょう。
ps:
私が言っているのは、感情を大切にするなということではなく、感情論に振り回されるな、ということです。
例えば、私がハゲでクヨクヨするのは、全く問題ではありませんし、人としてある意味正常です。
しかし、私がハゲであることで生じる感情を起因として、
いかにハゲが素晴らしいか
いかにフサフサはダメであるか
を延々と語り、それを指針に行動しても、何も始まらないばかりか、単にバカげているだけです。
今日は、そういう話をしてみました。
でも、どうです?
アナタも、ダイヤモンドの様な輝きを手に入れてみたくありませんか?
今なら、無料!
しかも、自宅の鏡の前で、指先を使って軽くむしってみるだけで・・・
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2009年6月4日(木) [ ビジネス・おかね ]
intro:
ご存知の方も多いと思いますが、私の生き方というか私自身のコンセプトは、
愛と平和と夢、そしてキラメキ!
です。
あ。今、鼻で笑った人、いますね?
「当たってるのは、オデコのキラメキだけじゃねーかよ」
とか言ってる人、いますね?
だったら、これからの私のコンセプトは、「キラメキ!」だけということで。
ほら。
これなら、文句ないでしょ。
ただ、「妥協した時点で、自分にコンセプトなんてねーだろ」って真実に気がついた人は、内緒にしておいて下さい。
一生のお願いですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
先週に参加者を募集した「ぴよプロジェクト」ですが、早くも滑り出し順調に進んでいます。
で、やっぱり思うのは、「コンセプトが曖昧」ということです。
もちろん、これって「ぴよプロジェクト」参加者に限ったことじゃありません。
先月末にお会いした飲食店経営者の方も、やはり現実に直面する中で、コンセプトがブレまくっている真っ最中でした。
今までたくさんの経営者にお会いしてきましたし、企画立案の現場にも同席していますが、ほとんどの人がコンセプトを持っていません。
もっと正確に言えば、コンセプトはあるんですが、それがコンセプトの体を成していないことに気がついていないんですね。
ですから、色々と考えを進めて実行してみても、結果として何をやりたいのか、何が出来るのかが伝わらない。
伝わらないものは、買わないし、利用しない。
そういうことになります。
誰に向かって、何を言うか?
これってとっても大切です。
雑踏の中で、落し物を見つけたとしましょう。
それが100万円であれば
「大金が落ちてますよ!」
と叫べば、多くの人が振り向きます。
「裸の女性が踊ってますよ!」
と言っても、振り向くでしょう。
でも、
「ボールペンが落ちてますよ!」
と言ったところで、誰も振り向いてはくれません。
振り向いてもらうためには、きちんと落とした人に向かって、わかる言葉、わかる態度で伝えなくちゃいけないんです。
で、やっぱり思うんです。
これも才能かな、って。
ターゲットをきちんと定めようとか、
コンセプトを確立しようとか、
そんなことを言うのは容易い。
それが大切なことだと知っている人も、ゴマンといる。
でも、出来る人は、そうそういない。
局所的には優秀な人はいますが、全体性から見て上手く統一できる人って、ホント少ないんですよ。
オーディオとデスクとソファーのセレクトは優秀でも、部屋全体で見たらチグハグじゃねーか、みたいな。
想像するよりも、ずっと難しい世界です。
だから、これがスッと出来る人って、やっぱり才能じゃないかと。
ビジネスにおいても、自分の生き方においても、センスの良さって、この辺からきてるんじゃないかと。
ただ、自分にはその才能やセンスがないと落ち込む必要はありません。
あると思って実はない人よりも、ずっと有利なはずです。
だってさ。
これって先天的というより、後天的な能力ですから。
今までは、それを養うチャンスがなかっただけ。
つまり、その気になりゃ誰だって出来るってこと。
大切なのは、ただ1つ。
誰に向かって、何を言うか?
そのためにはまず、自分自身を見つめ直す必要があります。
ps:
そういった意味で、今回の「ぴよプロジェクト」参加に手をあげた人は、ラッキーかもしれません。
センスを磨くチャンスを手に入れたわけですから。
はい。
もちろん私は今、猛烈に自分の企画を自画自賛しています。
でも、ビジネスにおいても人生においても、コンセプト作りができて、そのコンセプト通りに行動できてる人って、カッコ良く見えるはずです。
どんなにハゲていても、カッコ良く見えるはずです。
今、さり気なく私のイメージアップを図ってみました。
さり気なさはねーよ、とか言っちゃいけませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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