2010年8月20日(金) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
「いつか髪の毛フサフサになって、颯爽と前髪をかき上げてやるんだ!」
私には、そんな壮大な夢があります。
かれこれ10年以上は経つでしょうか。
しかし、一向にその気配は訪れません。
というより、抜ける一方。
でも、私は決して諦めませんよ。
だって、「諦めなければ、夢はいつか叶う」って言うじゃないですか。
諦めなければ、きっと私はフサフサ君になれるんです!
そんな悲しい目で私を見たって、私は決して諦めませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
ここ数年、当たり前の様に見かける言葉に
「諦めなければ、いつか夢は叶う」
といった感じのものがあります。
確かに途中でリタイアしてしまえば、ゴールにたどり着くことはありません。
であれば、途中で諦めてしまうという行為は、自分で自分の可能性を放棄してしまうことなのかもしれません。
でもじゃあ、諦めなければ本当に夢は叶うんでしょうか?
世界チャンピオンを目指してボクシングを始めた人達は、諦めなければ1人残らず世界チャンピオンになれたとでも言うんでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
諦めなかったからといって、夢を掴めるわけじゃないのが現実です。
人は、ポジティブな結果だけに目をやって、ネガティブな結果には目を伏せようとする傾向があります。
シュリーマン(トロイの遺跡を発見した人)の様に諦めなかったおかげで成功した人の例ばかりを見て、それだけが真実だと思いたがります。
しかし、留学支援会社ゲートウェイ21の破綻の様に、適切な場面で諦めなかったせいで被害を増大させた例だって、腐るほどあるんですよ。(参考:「踏み出せば戻れない」)
そして残念なことに、人間というものは「プロスペクト理論」と呼ばれる呪縛から、簡単には逃れられません。
チャンスを掴んで手にしたモノよりも、諦められなかったことで失うモノのの方が大きくなってしまうんです。
ゴールを諦めず無理したおかげで、もう2度と試合に臨むことが出来ない身体になってしまうことだってあります。
しかし、途中で諦めたことによって、次の試合に挑むチャンスを手にすることは出来るのです。
ですから、人生は諦めが肝心。
昔から、そう言われているんですよ。
諦めるというのは、物凄く大事なことなんです。
「諦める」ということは、「明らかに見極める」ということ。
そんな風に言われます。
進むべきか退くべきかを、自分の状況から判断して見極めることが、諦めることです。
達成することで得ることの出来る量は?
自分が抱えることのできるリスクの量は?
そして、その覚悟は?
やりたいことをやっている充実感は?
自分にとっての優先順位は?
それらを見極めずに止めてしまったら、それは自らチャンスを捨てたことになるかもしれません。
しかし見極めずに止めもしないのは、ただ往生際が悪いだけかもしれません。
諦めることと諦めないことの見極めが大切なんです。
いいですかい?
勘違いしてはいけません。
諦めることが悪いのではありません。
諦めないことが悪いのでもありません。
また、見極めたつもりでいて、結果としてその判断が誤っていたことが悪いわけでもありません。
そうではなく、自分自身と向き合おうともしないくせに、ポジティブに振舞ったりネガティブになったりして、諦めたり諦めなかったりすること・・・
それこそが、アナタを目的地から遠ざけてしまっている大きな原因なんです。
諦めるということは、アナタ自身が本気になるということです。
ps:
自己啓発業者さんの売り文句ではなく、ホントの意味での諦めないという生き方に触れてみたい方は、前回書いた記事にある「アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~」というドキュメンタリー映画をご覧ください。
バンドをやっていたことのある私は恥ずかしながら、この映画のラストで思いっきり泣いちゃいましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 10:25 | コメント・トラックバック(0)
2010年7月30日(金) [ にんげん・こころ ]
intro:
ここ2回ほど、「強くなること」についてお話してきました。
しかし、だからと言って、「強くならなくちゃいけない」ということはありません。
強くなることが全てではありませんから。
弱くたっていいじゃありませんか。
私の毛根なんて、弱い弱い。
弱過ぎも良いところです。
そして、そんな弱すぎる毛根から逃れられない私の心は、疲れきっています。
誰か、慰めて!
ま、ホントに慰められたら、ちょっと照れちゃうんですけどね。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
今いる場所に問題がある、不満がある。
そんな時、人がとる選択肢はいくつかあります。
例えば、今いる場所を改善する。
もしくは、今以上の場所(目的地)を目指す。
この2つは、現状に満足せずにより高みを目指すという選択です。
しかし、それは戦いです。
現状と戦わなければいけません。
その選択をした以上、人は強くならなければいけません。
でも、選択肢は他にもあるはずです。
そう、それは戦わないという選択肢。
現状を受け入れるということです。
現状に問題はある、不満はある。
しかし、それらを受け入れて、今いる場所に現状のまま留まる。
そんな選択です。
ただ、現状を受け入れるということは、不満と欲望を制御するということに他なりません。
そしてそれは、多くを求めず望まない、という選択です。
今の痛みを受け入れ、現状に転がる小さな幸せを拾い集めることで満足しなくてはいけません。
そしてこれが、結構難しい。
私達は、この資本主義社会にどっぷりと首まで浸かってしまっています。
常にどこかで他者と比較し比較され、より新しいもの、より良きものを、自然と求め続けます。
他者より劣れば、必ずどこかで自分を嘲笑う声が聞こえてきます。
常にどこかで消費を煽られ、「より安く」とは思っても、買わない使わないという感覚は乏しくなっています。
そして、消費をしなければ経済は萎んでいくという悲喜劇の舞台から降りることは出来ません。
ですから、欲望をコントロールし、多くを求めないという選択をすることは、非常に難しいんです。
専門的な話は端折りますが、資本主義社会というのは、望む望まないにかかわらず、上を目指すことで成立するシステムです。
なので事あるごとに、進化や進歩、チャレンジや変化を求められます。
しかし、このシステムも万能ではありませんし、そもそも資本主義社会以前の人間の暮らしは、そんな変化を求めない生活と共にありました。
なので、上を目指していくのが当然視されるこの社会の中では、必ずどこかで何かが疲弊していきます。
もちろん、どんなに傷ついても疲れていても、上を目指したい、目標を達成したいという人だっているわけです。
そして、それはそれで素晴らしいことです。
でも人間、そんな人ばっかりじゃない。
ですから、変わらなくても良いし現状を受け入れる選択肢だってあることを、私達は自覚する必要があります。
そして、
「変わらなくても良いんだよ」
そんな言葉を、大切な自分自身と隣人たちに向けて言ってあげられる優しさも、乾いた心には必要です。
ps:
ただ、この現代社会で「求めずに受け入れる」ということは、上を目指すために必要な「強さ」とはまた別の強さが必要なのかもしれません。
私達は、未だ欲望のパラドックスから逃れられないということなのでしょうか?
ま、私の場合は「ハゲは嫌だ。でも、フサフサだとネタがなくなる」というパラドックスに陥りっ放しですけどね。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 18:32 | コメント・トラックバック(0)
2010年7月16日(金) [ にんげん・こころ ]
intro:
「昨日出来なかったことが、今日には出来るように」
そうやって今の自分を乗り越えていこうとする行為が、「強くなる」ということ・・・
そんなお話を前回しました。
しかし、
「昨日生えていなかった髪の毛が、今日には生えてきますように」
そう強く望んでいる私ですが、一向に髪の毛が増える気配がありません。
やっぱ、祈ってるだけじゃダメなんですかね。
育毛剤を塗るとかマッサージをするとかしないとダメなんですかね。
えー、でも面倒臭いもん。
やりたくねー。
今、気がつきましたが、私って強くなるための努力を全くしていません。
だから毛根は、こんなに弱り果ててるのか。
で、そんな私が身の程知らずに、今日も強さと弱さについて、お話しちゃいますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
ビジネスであれスポーツであれ受験であれ、競争の中で勝ち残るためには、強くなる必要があります。
勝つために、自分自身の能力を高めていくことは、最優先課題です。
まあ、当たり前の話です。
でも、大人になってしまうと多くの人は、そんな当たり前のことが出来なくなってしまうみたいです。
弱いまま、他人に勝つことを望むんですよ。
強くなろうともせずに、他人に勝とうとします。
大人になると知恵がつきますから、走り出す前に、まずは転ばずに近道をするための準備を始めます。
もちろん、準備をすることは大切です。
が、多くの人は楽なことや手をつけやすいことを先にやってしまい、面倒なこと大変なことを後回しにしてしまいます。
知識や対策、ツールやその効果的な使い方ばかりに目がいく様になるんです。
○○ノウハウだの、△△の使い方だの、市場の動向や対策だの、成功法則だの・・・
そして、実際の行動、つまり自分が強くなるためにする日々の作業は後回しになります。
つまり、「準備→実行」という流れのつもりが、「手をつけやすいこと→大変なこと」という流れに摩り替わっていくわけです。
あ、気がつきましたか?
この優先順位のつけ方って、時間管理術とかでも良く言われる話です。
仕事が上手くいかない人の典型は、常にこのパターンでモノゴトを進めようとします。
でも、強くなろうとすることが後回しなら、まだ良い方です。
現実は「準備に熱心」どころか、それが「弱いままに成功を手に入れるノウハウやツール探し」に摩り替わってしまいます。
そして、
今の自分に出来ることを探して、それで他者よりも上回ろうとする。
今の自分が持ち合わせているものだけで、他人よりも豊かになろうとする。
そんな風に、今の自分を越えようとせずに上を望むことになります。
最近の起業なんて特にその傾向が強く、「コレなら自分にも出来そう」という基準で起業しようとするケースが後を絶ちません。
そのジャンルにおいて優位性を持ち合わせちゃいないのに、「自分にも出来そうだから」という理由で、勝負の世界で勝ち残ろうとするんです。
優位性を獲得するために寝食惜しんで働くとか、何年かかっても良いからその域に達するまで修行するとか、そんな気概などは全くなしです。
しかし、世の中がそんなに甘いものじゃないことは、小学生だって知っているはずです。
なのになぜ、多くの大人たちが、その滑稽さに気づかないんでしょう?
強くなろうともしないくせに、他人に勝とうとし、他人よりも豊かになることを望む。
それって要するに、戦う前から負けてるんですよ。
自分自身に負けてます。
自分自身に負けてる人間が、一体誰に勝つつもりでいるんでしょうか?
もちろん、弱くたって勝つことはありますよ。
しかし、弱い人間の勝ち方なんて、いつだって一緒です。
想像してみてください。
強くなろうとしないボクサー、苦しい練習なんてしないボクサーが、対戦相手に勝とうと思ったら、どんな手段を用いるかを。
具体的に答えるまでもないでしょう。
弱い人間の勝ち方とは、いつだって「セコイ」か「卑怯」かのどっちかです。
そしてこれが、負け犬の法則です。
負け犬とは、
強くなろうともしないで、何かを手に入れることを望む人のこと
強くなろうともしないで、他者には勝とうとする人のこと
を言います。
戦う前から自分に負けてるから、負け犬なんですよ。
そして負け犬の勝ち方は、常に卑怯かセコイんです。
これが全ての負け犬に共通する法則です。
いいですかい?
今よりも上を目指した時点で、出来ることよりも出来ないことの方が多くなります。
何度となく、苦い思いをかみ締めることがあるでしょう。
惨めな思いをすることだってあるでしょう。
でも、それは当たり前のことなんですよ。
今よりも上を目指してるんですから。
強くなろうとしてるんですから。
モノゴトが上手くいかないのは、上を目指せば当然のことなんです。
出来なくて当たり前。
ですから、百万人がアナタのことを嘲笑おうが、クヨクヨする必要など、どこにもありません。
ps:
問題なのは、出来ないことや上手く行かないことを、恥ずかしいだとか、苦しいだとか、惨めだとか思って避けて通ろうとすることです。
嫌なら、上なんて目指さなけりゃ良いのにね。
上を目指さないことだって、大切な選択肢のはずです。
ちなみに私のオデコの生え際は、目指してもいないのに、頭部のテッペン目指して猛進中の様ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 14:58 | コメント・トラックバック(0)
2010年7月8日(木) [ にんげん・こころ ]
intro:
今更ながら、自分の愚かさに気がつくときがあります。
他人のためを思ってだとか、周りに気を使ってだとか、そんなつもりになっている自分。
でも気がつけば、自分のことばかり。
結局は、自分のことしか考えちゃいません。
弱さだな、こりゃ・・・って思います。
人としての弱さ、です。
皆さんが私のことをどう思っているかは知りませんが、私は人間として、それほど強い男ではありません。
自分の弱さが、嫌というほど目に付くこともあります。
しかし、強くありたい。
常にそう思い、日々を暮らしています。
ただ唯一の救いは、自分のことを弱い人間だと認められないほど、私は弱くないということ・・・
えー、お話の途中ではありますが、私の好感度もそろそろアップしたと思いますので、この辺でさっさと本題に進ませてもらいますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
今日は「強さ」についてお話しますが、もちろん早々に、
「ワールドカップに便乗したネタじゃね?」
と気がついた方は、生温かい気持ちで見守ってくだされば、と思います。
モノゴトの勝負の結果は、勝ち負けで判定されます。
しかし、それはその時々における一時的な結果でしかありません。
100戦やって100勝する人や組織というのは、そうそういません。
昨日の勝者が、今日の敗者。
今日の敗者が、明日の勝者。
そんなことは、日常茶飯事で繰り返されます。
もちろん、強くても負けることはあるし、弱くても勝つことはあるわけです。
今回のワールドカップでも、強豪と言われるイタリアやフランスは、早々と予選で敗退してしまいました。
ところが、強いヤツが負けたからといって、強いヤツは「弱者」と呼ばれることはありません。
イタリアもフランスも弱いチームだなんて、誰も思っちゃいないでしょ。
強者は、立て続けに負けたとしても、強者のままです。
つまり、勝つことがイコール強者ではないということです。
では、「強さ」って、どんな意味を持つんでしょう?
勝った負けたは、一時的で相対的な判断です。
自分が勝てば相手は負け、相手が勝てば自分は負け。
その時その時に生まれる相手との比較の上で成立する一時的な判断です。
しかし、強いか弱いかは、総合的な判断です。
強豪国に勝った、しかし次は格下に負け、違う強豪国にも負けた・・・
そんな勝負の繰り返しだけでなく、技術面、体力面、精神面、作戦面、チーム力、サポート体制、環境など、様々なモノゴトを総合的に見ていきます。
つまり、その人やその組織が、全体の中でどの程度のレベルにあるのかで、強弱が判断されるわけです。
もちろん、周りとの比較だけで強弱が評価されるわけじゃありません。
今回のワールドカップで言えば、日本代表は出場国全体のレベルで見れば弱者チームなのかもしれません。
しかし、あの試合を見て、日本代表が弱いだなんて誰も思わないはずです。
確かに日本は強かった。
ということは、私達は、他者との比較ではなく、何か絶対的な部分によっても、強さ弱さを感じとるわけです。
つまり強さとは、連続的、総合的、全体的、そして絶対的なものということになります。
そして、勝負に挑もうとする人達は皆、その強さを手に入れようとします。
強くなろうとするわけです。
「将来、ボクはプロのサッカー選手になるんだっ!」
そう思った少年は、一所懸命サッカーが上手くなろうとします。
強いサッカー選手になろうとします。
「強くなりたい」
では、彼は一体何をするんでしょうか?
もちろん、練習をします。
サッカーの練習です。
技術的なこと、体力的なこと、そして精神的なこと。
心技体において、強くなろうと、この少年はトレーニングに励みます。
昨日の自分よりも今日の自分が、少しでも成長できる様に、
今日の自分より明日の自分が、1歩でも前に進んでいるために、
来る日も来る日も、基本に忠実にサッカーボールを蹴り続けます。
つまり、強くなるためにこの少年は、自分自身と向き合うわけです。
いつだって、戦う相手は自分自身です。
いつだって、乗り越えなきゃならない相手は自分自身です。
そうやって、この少年は強いサッカープレイヤーを目指していきます。
強くなるということは、自分自身と向き合うことです。
それに対し、勝負で勝とうとする場合は、ライバルの強みと弱みを研究して対策を練るなど、相手と向き合う要素が強くなります。
つまり、極論をすれば、
勝つことを望む場合は、相手と向き合い、
強くなることを望む場合は、自分自身と向き合う。
そういうことになります。
強くなろうとする人は、もちろん勝つことも望みますが、まずは自分自身ときちんと向き合い、今の自分よりも少しでも前に進もうとします。
昨日出来なかったことが、今日には出来るように。
今日出来なかったことが、明日には出来るように。
自分自身と向き合い、自分自身を乗り越えていく。
そう努めることが、
「強くなろう」
「強くあろう」
とすることなんです。
はい、おっしゃるとおり私は今、随分と当たり前の話をしています。
ところが残念なことに、大人になってしまうと、そんな当たり前のことをウッカリと忘れてしまいがちです。
大人になると、弱いくせに勝つことばかりを望むようになるんですよ。
そんなお話は、次回にでもまた。
ps:
ワールドカップの決勝はオランダ対スペインに決まった様です。
どちらが勝ってもどちらも強い。
良い試合を期待したいものです。
ちなみに今回お話したのは、戦うことにおいての強さです。
戦わずに受け入れるという強さも、時として必要です。
ですから私は、自分のハゲ頭を受け入れている時点で、史上最強です。
言ってる先から、涙が出てきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 10:10 | コメント・トラックバック(0)
2010年3月30日(火) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
随分とご無沙汰していましたが、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか?
私の方は、「もうメルマガ出すの辞めよう」なんて思いながらもメルマガを発行してみるという自己矛盾に酔いしれている真っ最中です。
(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪
ところで、「批判」と「非難」は別物ですが、両者は混同されがちです。
そのため、「批判」のことを悪いイメージを持たれない様に、「クリティカル」と表現することが多々あるようです。
私の場合も、自分の広がり続けるオデコのことを「ハゲ」というと悪いイメージになりがちです。
そのため、その輝きを称して「クリスタル」と表現することが多々あります。
もちろんこの表現は、使う度にクリティカルなご意見が殺到しますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
以前から気になっていたんですが、
「他人の批判や非難をしてはいけない。そんなことをしている人は・・・」
といった感じの“批判”や“非難”を、良く見かけます。
他者を批判しちゃダメだと言いつつ、自らは他者を批判をしてるという自己矛盾。
まあ、言わんとすることは分からなくもありませんし、言いたくなる気持ちもわかります。
私だって他人から何か言われたら、
「人のことをとやかく言うヤツは、人間の存在価値すら疑うね。そんなヤツは消えてなくなってしまった方が、世の中のためなんじゃね?」
くらいのことを1日に30回、今後30年間に渡って言い続けるかもしれません。
ま、要するに人って弱いってことなんですかね。
自分にとって心地良いことは受け入れたがりますが、気分の良くないことは遠ざけようとする性質がある様です。
でも、それって気をつけないと。
目先の心地良さが自分を貶めることになり、逆に目先の不快感が後々の自分を助けることって、結構あるもんですから。
高い地位や大きな実績を持つと、その人の周りには賛同者や誉めてくれる人ばかりが集まるようになります。
先にも言った様に人は、自分に批判的な人は遠ざけ、賛同する人を周りに集めたがります。
実力者は、意図したつもりがなくとも、その様な人事配置をしてしまいがちです。
そうでなくとも、自分の存在が大きくなればなるほど、勝手に取り巻きが集まってきます。
取り巻きとまではいかなくとも、周りの人たちが実力者に対して嫌われないように振舞うのは当たり前のことです。
この様に、力を持てば持つほどその人の周りには、批判的な人がいなくなり、賛同する人ばかりになっていくわけです。
そして、その人は腐っていく・・・
自分の判断が、常に正しい人などいません。
だから、自分の至らなさや過ちを指摘する人がいなければ、誤った道に踏み込んでも、それに気づかぬままになりがちです。
それどころか、過ちを犯して批判が起きたとしても、周囲はその人の行為を肯定したりかばったりしますから、逆に
「やっぱり俺は、間違っていない」
という具合に、的外れな信念を強化してしまう結果となります。
批判から目を逸らしたり反発したい自分の心理も強化され、ますます自分の過ちを認められなくなってしまいます。
そして気がつけば、裸の王様。
遠くで笑われるならまだしも、後ろから蹴落とされたりするはめになります。
だから、批判のない環境というのは、とっても危険なんです。
批判することもされることも、私たちにとって嫌なことです。
でも、それって実は大切なことです。
嫌だけれども、大切なことなんです。
モノゴトを批判的に見ることで、次の行動は改善され、より良い結果を生み出すわけですから。
ただ、ここで注意しなくちゃいけないことがあります。
それは、批判だけで終わってちゃダメだってこと。
完璧なモノゴトなんて、この世の中にありはしないんですから、実行すれば必ずそこには矛盾や綻(ほころ)びが生じます。
ジレンマに見舞われたり、欠点を抱え込むことにもなります。
ですから、そこを突いて批判をするだけなら、誰だって出来ますし、これほど簡単なことはありません。
でも、それだけで終わってしまったら、自分自身はなーんにも変わらない。
批判の矛先を他人に向けるだけなら、それは単なる憂さ晴らしか人気取りでしかありません。
だから、忘れちゃいけないのは、「批判とは自分自身のためにある」ということです。
自分が今よりもう1歩前に進むために、批判的精神は必要だということです。
自分がしたことであれ、他人がしたことであれ、その批判の先は、他人ではなく自分に向けていくことが大切です。
他人の振り見て我が振り直すとは、このことを言うんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
ただ、同じ批判でも、方法論としてやって良いことと悪いことがあります。
話すと長くなるので割愛しますが。
ちなみに今、「話すと長くなるので割愛します」と言いましたが、
「本当は『話すのが面倒なので省いちゃいます』なんだろ?」
と思った方、いますか?
正解ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 9:46 | コメント・トラックバック(3)
次のページへ »