2008年3月27日(木) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
4月から始まるフジテレビの月9はキムタクが主演を飾るそうで、話題になってるみたいです。
不思議に思うのですが、そんなにキムタクって男前なんでしょうか?
たった今、私の鋭い頭脳を用いてキムタクと私の違いを分析してみました。
が、残念なことに、たいした違いなど見当たりません。
単にキムタクの方が私よりちょっとだけ、顔が良くて、スタイルが良くて、センスが良くて、髪の毛がフサフサなだけです。
彼が私より勝っているのは、たったの4つしかありません。
ん?
ということは、それ以外は同等か、ひょっとしたら私の方が勝ってるかもしれません。
おぉ!!
なんだか、生きる勇気がわいてきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
別に望むのであれば、金も地位も名誉も、どんどん求めちゃえば良いと思います。
ずっと前にもお話しましたが、「金儲けは汚い」とか言う人間の方が、よっぽど汚い生き方をしています。
→ お金の話
だから遠慮はいらない。
思いっきり欲するんだ。
大金が欲しければ、一心不乱にその目標へと突き進むべきです。
でもね、それに振り回されちゃいけない。
ここ数回、私はそんなお話をしています。
世の中には、くだらない「成功」が溢れています。
そして、そんな「成功」という文字に目がくらみ、躍らされている人達も溢れかえっています。
欲望を制御できない姿は滑稽です。
望んだものは、いつまで経っても手に入りません。
成功するどころか、「自己投資」という名の単なる消費を繰り返す、ネギを背負ったカモへと成り下がります。
さて、そんな話をしていると、まるで私が「成功」という文字の付くものを売ったり買ったりしちゃいけない、なんて誤解されてしまうかもしれません。
もちろん、そんなことはありません。
望んだものを手に入れるためには、使えるものは使わなくちゃいけません。
ですから、「成功」なんて言葉があるなしに関係なく、必要なものは買うべきですし、有効に利用すべきです。
つまり私が言っているのは、「モノや時間は有効に使え」ということなわけです。
小学校で習っても良いくらいの、単純なお話です。
欲に目がくらんだ人って、売り文句に踊らされるわけですから、必要のないものまで買ってしまいます。
必要のないものを買い、お金と時間をムダにしていきます。
欲に目がくらんだ人って、そのことにいつまで経っても気がつきません。
必要のないものを必要であると勘違いして、お金と時間をムダにし続けます。
多くの人が、勘違いをしています。
成功するために自分にとって必要な情報やツールなど、実はそれほど多くはありません。
ビジネスに関する本だって、読むことに意義ある本は一握りです。
しかし踊らされている人には、その区別がつきません。
勝手に行間を読み込もうとしてみたり、文章の裏に潜む作者の意図を都合よく読み取ろうとしたりします。
そうやって、自分で自分に言い訳を作ります。
そんなに行間を読みたけりゃ、ビジネス本なんて読まずに小説でも読んでりゃいいんです。
そっちの方が、確実にタメになるはずですから。
いいですかい?
本当の意味で自分を成功させる要因なんて、自分の周りにはありません。
だって既にお話した通り、成功とは他人にマネされない独自性の部分にあるわけですから。
要するに、成功要因なんて、自分の内側からしか生まれないんです。
もちろん、走り出すためには準備が必要です。
最悪な事態を想定して、念入りに準備することは大切なはずです。
でも、そればっかりに一生懸命になっていれば、あれもこれも必要であるかのように思えてきます。
そうやって単なる石ころが、大切なパンに見えてきます。
石ころをたくさんリュックに押し込んで、重たい荷物でますます身動きが取れなくなってしまいます。
でもね。
さっきも言ったとおり、成功するために必要な情報やツールなんて、それほど多くはありません。
ましてや成功そのものを約束するモノなど、確実に存在しません。
ですから、走り出すことが肝心です。
走り出してしまえば、石ころなんて拾ってるヒマなどありません。
もう一度言います。
成功するための決定的な要因は、自分の内側にしか存在しません。
「実践」というの名の試行錯誤の中でしか、人は成功を手にすることが出来ないんです。
それが世の常と、心得なさい。
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2008年2月27日(水) [ にんげん・こころ ]
main:
人は、宗教性を帯びた存在です。
人は太古から、自分達の力ではどうにもならない“力”を恐れ、また崇めてきました。
特定の宗教を信じていなくとも、霊魂や神の存在を信じたりします。
また、それらを否定する人でも、縁起の悪いと言われているもの(例えば、数字の4や9)は自然と避けてみたりします。
私は、宗教や神秘的なものを信じたりする人の心を否定しません。
超越的な力の存在を信じるのは、人として当然の性(サガ)だと思っています。
ただ、信じることと、信じるが故に何もかもそれを肯定してしまうこととは、明らかに違います。
戦争とは常に、宗教戦争の側面を持っています。
宗教が前面に出なくとも、その背後には自分達の宗教的教義を根拠にして、正義の名のもとで戦争は始められています。
信じるということは、自分を優しく包み込んでくれる暖かい毛布にもなり得ますが、それと同時に相手を刺し殺す冷たい凶器にもなるわけです。
信じることと、それを何もかもそれを肯定してしまうこととは、違います。
オウム真理教に入信することで、救われた者たちは沢山います。
それは、紛れもない事実であり、彼らにとっての真実です。
しかし、だからといってオウム真理教を私達が認めて良いのでしょうか?
もちろん、認めてはいけません。
それと同じことです。
信じることと、何もかもそれを肯定してしまうこととは、違います。
私の家の宗教は、浄土真宗大谷派です。
しかしそれとは関係なく、私は日本の仏教をはじめ、日本に古くからある宗教が比較的好きです。
浄土真宗しかり、禅宗しかり、八百万の神しかり、アニミズムしかり。
日本の気候が何らかの影響を及ぼしているんだと思いますが、日本に古くからある宗教は、総じて人に優しい。
そんな感じがしています。
それぞれの信仰者の方々には失礼かもしれませんが、私にとって宗教とは、自分と他人にどれだけ優しいかが大切で、好き嫌いの判断もそれによって分かれています。
さて、そんな私自身のモノの考え方に大きく影響しているのは、恐らく原始仏教です。
原始仏教とは、様々な宗派会派に分かれる前の、お釈迦さまが直接に説いたお話のことです。
で、多くの人が誤解しているようですが、別にお釈迦さまは、霊魂やあの世、そして今流行の輪廻転生を肯定しているわけじゃありません。
輪廻って、インドの古代思想であって、バラモン教などの教えです。
で、そんなお釈迦さまは、「死後の世界はあるか?人の魂は死後どうなるか?」と執拗に尋ねる弟子に対して、こう言ったそうです。
毒矢に射られた青年が、医者を呼ぼうとした連れの人に向かって、
「この矢がどこから飛んできて、どんな素性のどんな名前の人間が放ったのか教えてくれ。この矢の材質や毒の原材料は何かも、教えてくれ。それが分かるまでこの矢を抜かないでくれ」
って、ふつう言うか?
言わねーだろ。
まずは、手当てが先だろ。
生きることが先だろ。
お前の質問は、それと同じだよ。
それって変じゃね?おかしくね?
今やらなくちゃいけないことをやらないで、過去や未来のことばっかり気を囚われて生きるのって、なんか意味でもあるんですかね?
ねーだろ、そんなの。
そんなクダラナイこと考えてる暇があるんあったら、今を生きなさい。
と、お釈迦さまは、そう言っています。
今から2000年以上も前に生まれたお釈迦さま。
あの時代にそう言ってのけたお釈迦さまって、ホント粋な人です。
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2008年1月2日(水) [ にんげん・こころ ]
intro:
東京の、しかも駅から間もない場所とは思えない風景に囲まれた山の麓。
少し肌寒さを感じながらも、辺りを見渡せば草木にはいまだ緑が色濃く残っています。

アナザー神社。
ヒッソリとたたずむ鳥居をくぐり、急な階段を息を切らせながら何度も踏み越えた先に、その神社はあります。

高ぇよ、この階段・・・
もちろんアナザー神社って、私にしか通用しない通称です。
正式名は穴澤天神社とか言うらしいです、たしか。

新年明けましておめでとうございます、小林ノリユキです。
一流のワルで名の通った私は昨日、近所のアナザー神社へと初詣に行ってきました。
神社に行く度に思うのですが、そこは日常とは一線を置いた異空間の中にあります。
それは、時間の流れが、ゆったりと流れていくというか。
霊験あらたか、とはこの事を言うのかもしれません。
でも、どんなに時の流れがゆっくりと感じられても、私の抜け毛のスピードだけは誰にも止められないぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
おっ!新年一発目の今日も、どうやらカッコ良く決まったみたいですぜ。
main:
人生には“節目”というものがあります。
いや、個人の人生だけではありません。
私達の暮らすこの社会そのものに、節目というものが数多く存在します。
でも、ちょっと待ってください。
節目って、ホントにあるんですかね?
日本には四季がありますが、春夏秋冬を明確に区別する境目って、一体どこにあるんでしょ?
子供と大人の線引きって、一体どこにあるんでしょう?
明確にそれらを区別する境目って、ありません。
だってモノゴトは、連続した時間の中で徐々に移り変わっていくんですから。
はじめから夏と秋は別々に存在しているのではありません。
深緑の木々の夏は、徐々にその色を赤らめながら秋へと向かいます。
モノゴトは、常にきちんと区切られて存在するわけではありません。
私達が暮らすこの空間は、曖昧さの中にあるわけです。
あまりにも不確定で曖昧な存在・・・
ところが私達は、明確に何かを区別しながら、生活をしています。
夏と秋、子供と大人、昼と夜、白と黒・・・
そしてそこには、先人達の知恵があります。
学術的な小難しい話は割愛しますが、人は古来から曖昧な時間や空間に、自分達の手で境目を創り出してきました。
あるモノとあるモノとの間に、日常から切り離された異質な空間を創り出し、それを境目とするわけです。
それは“祭”の形をとって騒いだでみることだったり、“式”の形をとって厳かに儀式を行なうことだったり。
ある特定の場所にそこにしか存在しない空間を創り出し、その中に身を置きます。
元旦、元服(成人式)、結婚式・・・
これが“節目”です。
人は、連続しながらも移り変わる曖昧な日常に、節目となる異質な空間をわざわざ用意し、それを乗り越えることで成長していくわけです。
大晦日から元旦へ、子供から大人へ、独身者同士から夫婦へ。
明らかに日常とは切り離された異質な空間。
日本では、各地に点在する神社がその1つです。
セミの五月蝿く鳴く夏の日差しの中にあっても、なぜか境内は涼しく静かにたたずんでいます。
何かを始めよう!
心を改めて、イチから始めよう!
そう思いながらも、なかなか始められない人って結構います。
そんな人は、節目を創ることが必要です。
現在と未来を分け隔てる節目を創ります。
私達の祖先は、ずっとそうやって暮らしを続けてきました。
連続した日常に、区切りをつけるわけです。
ケリをつける、ってこの事なのかもしれません。
ポイントは、日常から切り離された時間と空間を創ることです。
わざとハードな条件を作ってみて、1日中それに没頭してみるのも節目になります。
時間とお金があるのであれば、旅に出るのも良いでしょう。
境内に身を置いて、霊験あらたかな気分を味わうのも手です。
もちろん神社でなくとも、お寺や教会でも構いません。
大切なのは、古来から伝わる先人の知恵を借りることです。
そしてそんなものは、私達の身近に常に存在しています。
その辺で売っている成功者の安っぽいセリフを、アナタが必要とする理由なんて、実はそれほど多くはありません。
ps:
現代社会では、その節目自体が日常化しつつあります。
昔ほど正月は厳かに暮らすことはありませんし、成人式だって太古では困難な試練と形式と共にありました。
昔は、大人になるのって、大変だったんです。
ああ・・・新年早々、なんか良いお話をしてしまいました。
私って、なんだか今年も素敵みたい。
でも、私には頭皮とオデコの節目がない、ってのが玉に瑕みたいですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・
ということで、今年もヨロシクお願いします。
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2007年10月12日(金) [ にんげん・こころ ]
intro:
どんなことにも我を突き通す私は、セルフ・イメージを小栗旬にしてからというもの、例えどんなことがあろうとも小栗旬です。
笑顔だって小栗旬そっくりですし、怒った顔も小栗旬です。
優しく語りかけるそのトーンなんて、まさに小栗旬そのものなんです。
もちろん今でも毎朝、鏡に映る自分の姿を見ながら、「俺は小栗旬だ、小栗旬だ」と言い聞かせて私は生きてます。
おかげ様で最近の私は、鏡の前に立つのが怖くなってきました。
でも、現実になんて負けない。
これからも私は、現実に目をそらしながら生きてきますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
先日の8日、タレントの神田うのさんとパチンコ店などを経営する会社の社長さんの結婚披露宴がありました。
なんでも、6億円の披露宴だとか。
スゴイですねぇ。
豪華と言うか、勿体無いというか。
私に6億円を預けてくれれば、何倍にも増やしてみせるのに。
って、そう思います。
もちろん何倍にも増えるのは元金ではなく、私のフトコロだけですけど。
あ、話がそれました。
さて、そんなタレント神田うのさん。
テレビを観ている人の中では、彼女のことが嫌いって人、結構多い気がします。
ま、嫌いとまで言わなくとも、鼻につくとか好きじゃない程度の評価を下す人って多いんじゃないかと。
確かに人から嫌われる確率が高そうなキャラクターであることは、間違いありません。
だって、ワガママで生意気で、おまけに金遣い荒くて・・・って、そんなイメージですもん。
さて、そんな神田うのさんの披露宴での豪華引き出物。
その中には、「空気洗浄器」なるものがありました。
価格は3万6千円。
でも、別に私は「空気を洗浄する前にお前のその性根を洗浄しろよ」などと言う気は更々ありません。
そうではなく、「その空気洗浄器はきっと売れるんだろうな」ということが言いたいんです。
売れるはずです。
買わなくととも、きっと空気洗浄器が欲しくなる人が続出するはずです。
で、今さっき調べてみたら、やっぱり売れてきてるみたいです。
まあ、その気持ちわからなくもありません。
だって、みんなが大っ嫌いな神田うのさんが引き出物に使った品ですもん。
売れるはずです。欲しがるはずです。
彼女のキャラクターは、ワガママで生意気で金遣いが荒い。
でもそれは言い換えると、「金額に関係なく品質には妥協しない」ということの裏返しでもあります。
ですから、神田うのさんが自分の披露宴の引き出物に出すくらいの品物は、確実に信頼性があるわけです。
「彼女が選んだ商品は、品質・デザイン共に最高の品であるに違いない」って、自然と思ってしまうんです。
だから売れます。
虫の好かない人の言葉や行動であっても、逆にそんな彼女のスタイルが、多くの信頼を生み出しています。
我を押し通す。
それは、他人ではなく自分指向のブレのない発言と行動のことです。
もちろん、結果として他者から嫌われることになるかもしれません。
しかし、八方美人は誰からも信用されません。
人から信用を得るためには、我を押し通すその姿も必要です。
ps:
ちなみにこの空気洗浄器、偶発的に売れ出してるわけでもなく、ビジネスとしてちゃんと先を読んで売ってるみたいです。
→ 日刊サイゾー「神田うの“話題の引き出物”でもちゃっかりビジネス!?」
こういった具合に世の中は回ってるんですよ、という良いお手本です。
私のハゲ頭も、偶発的な発毛に頼るのには限界がありそうですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2007年9月10日(月) [ 書籍 | にんげん・こころ ]
intro:
セルフ・イメージを小栗旬にすると公言してから、1ヶ月以上が経ちました。
ご無沙汰してます。
既にお伝えしていますが、私は7月の終わり頃、救急車に運ばれて入院。
その後は自宅療養の日々を送っていました。
せっかくの夏が台無しだったじゃないか。
どうしてくれるんだ。
と言いたいところですが、今まさに私は運命を感じています。
TBSでは8月のあいだ「花より男子」及び「花より男子2」をずっと再放送していました。
おかげ様で、小栗旬演じる花沢類を毎日テレビで観ながら、セルフ・イメージを鍛える日々を送ることが。
今ではもう、どっから見ても私は小栗旬です。
鏡に映る自分の姿は、明らかに王子様キャラです。
花沢類に見えて仕方がありません。
「救急車に運ばれて入院したのは、頭にどこか異常でも?」
そんな野暮な質問は、言いっこなしですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
一見チャレンジ精神旺盛を装っていても、実は性根の部分で安定志向が見え隠れしていることって、結構あります。
例えば、「失敗を恐れるな。何もしないことの方が、大失敗なんだ。」といった類の言葉。
前々から言っていますが、この手の言葉は「最終的には成功する」という前提がなければ、成立しません。
やってみた結果、失敗で終わるのであれば、何もしないことの方が大成功です。
怪我をしているのにサッカーをやってしまい、マスコミに叩かれ解離性障害になってしまうくらいなら、ホント何もしない方が大成功です。
あ、今の例えは何か違うみたい。
話をもとに戻しますが、ですから今時この手の言葉に感化される人の多くって、「最後には成功する」という保証が無ければ、結局行動できません。
要するに、この手の言葉って打算的なわけです。
「成功」を望むと言いつつ、実は未来に担保を求めています。
ちなみに、芸術家の岡本太郎氏も、同じ様なことを言っています。
彼はその著書『自分の中に毒を持て』(青春出版社)にて、“失敗は成功のもと”という言葉を採り上げ、それが利己的な計算の上にあると述べた上で、
「むしろ、“成功は失敗のもと”と逆にいいたい」(同著P.116より)
と言っています。
さて、もう1ヶ月以上前になってしまいましたが、「見つからない自分」で私は、
「人生とは、積み重ねていくもの」
そうお話しました。
でも、何かが足りない。
私の頭の中にあるイメージは、その言葉だけで全体を捉えきれていません。
ところが、そんな足りないと思っている部分をズバリと言葉で表現した人がいます。
先の岡本太郎氏です。
彼は『自分の中に毒を持て』の冒頭で、しかも「積み重ねていくもの」とは全く逆のアプローチで、こう言い放ちます。
「ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う」
積み重ねれば積み重ねるほど、その高台から下りれなくなってしまいます。
気が付けば守りに入っているだけで、結局は蓄積物に埋もれて身動きがとれなくなっていることって、結構多いはずです。
でもそれって、「今を生きている」って言えるんでしょうかね?
積み重ねたものが崩れていくのを恐れているだけで、気が付けば積み重ねることすら止めてしまっています。
人が保守的であることを、私は決して否定はしません。
でも私達を取り巻く環境は、一昔前の様に常に一定方向へ進んでいるわけではありません。
右へ行ったり、左へ行ったり。
速くなったり、遅くなったり。
不規則に方向や形を変えながら、この社会は転がり続けているわけです。
ですから今の時代、保守だけでは生き残れません。
そして、無闇やたらに変革を望んでも生き残ることは出来ません。
岡本氏の言葉を再び借りるとすれば、それは
「人生、即、絶望的な闘い」
なのかもしれません。
未来も過去も、私達に担保は与えてはくれないんです。
私達は、転がり続けるこの社会の中で、絶望的な闘いに臨んでいます。
結果ばかりを気にしていたら、今を無駄に過ごしてしまいます。
過去に囚われてしまえば、積載物に足を捕られてしまいます。
ですから、今この瞬間をどう生きるかに目を向けた方が、よっぽど自由に生きれます。
勝つか負けるかではなく、
勝ったか負けたかでもなく、
闘っている姿そのものに、アナタの人生は眩しく彩られているはずです。
ps:
ps:
随分、ご無沙汰してました。
私が身体の不具合でヘタってる間、政治や経済をはじめ、世の中では色んなことが起こってたみたいですねぇ。
その間、色々と考えることもありまして、身体の調子を見ながら、出来そうなことを色々と試してみるつもりです。
もちろん、ボチボチとこのブログも再開するつもりです。
定期的に発行できるかはわかりませんが、まあ懲りずにこれからも付き合ってやってくださいな。
頼みますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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