2007年9月10日(月) [ 書籍 | にんげん・こころ ]
intro:
セルフ・イメージを小栗旬にすると公言してから、1ヶ月以上が経ちました。
ご無沙汰してます。
既にお伝えしていますが、私は7月の終わり頃、救急車に運ばれて入院。
その後は自宅療養の日々を送っていました。
せっかくの夏が台無しだったじゃないか。
どうしてくれるんだ。
と言いたいところですが、今まさに私は運命を感じています。
TBSでは8月のあいだ「花より男子」及び「花より男子2」をずっと再放送していました。
おかげ様で、小栗旬演じる花沢類を毎日テレビで観ながら、セルフ・イメージを鍛える日々を送ることが。
今ではもう、どっから見ても私は小栗旬です。
鏡に映る自分の姿は、明らかに王子様キャラです。
花沢類に見えて仕方がありません。
「救急車に運ばれて入院したのは、頭にどこか異常でも?」
そんな野暮な質問は、言いっこなしですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
一見チャレンジ精神旺盛を装っていても、実は性根の部分で安定志向が見え隠れしていることって、結構あります。
例えば、「失敗を恐れるな。何もしないことの方が、大失敗なんだ。」といった類の言葉。
前々から言っていますが、この手の言葉は「最終的には成功する」という前提がなければ、成立しません。
やってみた結果、失敗で終わるのであれば、何もしないことの方が大成功です。
怪我をしているのにサッカーをやってしまい、マスコミに叩かれ解離性障害になってしまうくらいなら、ホント何もしない方が大成功です。
あ、今の例えは何か違うみたい。
話をもとに戻しますが、ですから今時この手の言葉に感化される人の多くって、「最後には成功する」という保証が無ければ、結局行動できません。
要するに、この手の言葉って打算的なわけです。
「成功」を望むと言いつつ、実は未来に担保を求めています。
ちなみに、芸術家の岡本太郎氏も、同じ様なことを言っています。
彼はその著書『自分の中に毒を持て』(青春出版社)にて、“失敗は成功のもと”という言葉を採り上げ、それが利己的な計算の上にあると述べた上で、
「むしろ、“成功は失敗のもと”と逆にいいたい」(同著P.116より)
と言っています。
さて、もう1ヶ月以上前になってしまいましたが、「見つからない自分」で私は、
「人生とは、積み重ねていくもの」
そうお話しました。
でも、何かが足りない。
私の頭の中にあるイメージは、その言葉だけで全体を捉えきれていません。
ところが、そんな足りないと思っている部分をズバリと言葉で表現した人がいます。
先の岡本太郎氏です。
彼は『自分の中に毒を持て』の冒頭で、しかも「積み重ねていくもの」とは全く逆のアプローチで、こう言い放ちます。
「ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う」
積み重ねれば積み重ねるほど、その高台から下りれなくなってしまいます。
気が付けば守りに入っているだけで、結局は蓄積物に埋もれて身動きがとれなくなっていることって、結構多いはずです。
でもそれって、「今を生きている」って言えるんでしょうかね?
積み重ねたものが崩れていくのを恐れているだけで、気が付けば積み重ねることすら止めてしまっています。
人が保守的であることを、私は決して否定はしません。
でも私達を取り巻く環境は、一昔前の様に常に一定方向へ進んでいるわけではありません。
右へ行ったり、左へ行ったり。
速くなったり、遅くなったり。
不規則に方向や形を変えながら、この社会は転がり続けているわけです。
ですから今の時代、保守だけでは生き残れません。
そして、無闇やたらに変革を望んでも生き残ることは出来ません。
岡本氏の言葉を再び借りるとすれば、それは
「人生、即、絶望的な闘い」
なのかもしれません。
未来も過去も、私達に担保は与えてはくれないんです。
私達は、転がり続けるこの社会の中で、絶望的な闘いに臨んでいます。
結果ばかりを気にしていたら、今を無駄に過ごしてしまいます。
過去に囚われてしまえば、積載物に足を捕られてしまいます。
ですから、今この瞬間をどう生きるかに目を向けた方が、よっぽど自由に生きれます。
勝つか負けるかではなく、
勝ったか負けたかでもなく、
闘っている姿そのものに、アナタの人生は眩しく彩られているはずです。
ps:
ps:
随分、ご無沙汰してました。
私が身体の不具合でヘタってる間、政治や経済をはじめ、世の中では色んなことが起こってたみたいですねぇ。
その間、色々と考えることもありまして、身体の調子を見ながら、出来そうなことを色々と試してみるつもりです。
もちろん、ボチボチとこのブログも再開するつもりです。
定期的に発行できるかはわかりませんが、まあ懲りずにこれからも付き合ってやってくださいな。
頼みますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2007年7月25日(水) [ にんげん・こころ ]
intro:
先日、私は“本当の自分”に宛てた手紙を書きました。
「温水洋一さま・・・いや、速水もこみちさまへ」
冒頭から、思わずホンネを書きそうになって挫けた自分がいます。
もちろん、温水洋一似を認めたくない私は、そんな書きかけの手紙を破り捨てました。
でも、そろそろ私も、自分の真実の姿を認めなくちゃいけない様です。
本当は速水もこみちになんて、これっぽっちも似ていないという事を。
きっと、そんな時期に来ているのかもしれません。
いつまでも、自分自身を誤魔化して生きるわけにもいきません。
だから、昨日までの自分は捨てよう!って、そう決めました。
イチから顔を洗って出直しです。
今日からは新たに、「小栗旬」として再出発ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
“本当の自分”も“本当にやりたいこと”も、遠い向こう側にあるわけじゃありません。
だって、自分自身はどう考えても今この瞬間この場所にしかいませんから。
自分探しというのは、理想とする“信じたい自分”が“現実の自分”と噛み合わないために起こる逃走劇です。
言ってしまえば、自尊心の裏返しです。
そうでなければ、今まで自分を支えてきたものを喪失した場合に起こる代替物探しです。
例えば、スポーツ選手として人生を費やしてきた人が、引退を迎えた後に感じる空虚感を何かで埋め合わせなければならない様に。
いずれにせよ、本当の自分を探しているわけではありません。
ですから、本当の自分をどんなに探してみたところで、見つかるはずがありません。
見つかったような気になってどこかで現実と折り合いをつけるか、運良く代替物を見つけるか。
そうでなければ一生探し続けるはめになります。
そしてその間ずっと、今ここに存在する自分自身はお座成りにしたままなんです。
今この瞬間を必死に生きてる人間は、自分探しなんてしないんですよ。
探してるヒマがあったら、今を生き抜かなくちゃいけませんから。
ゴミ山でゴミを拾う少女は、自分を探すヒマがあったら高く売れそうなゴミを一生懸命探し、その日の糧にありつきます。
そして、本来的にそれが人間の生きる姿です。
先にも言ったとおり、本当の自分を探したがるのは、ある部分では自尊心の裏返しです。
だから、邪魔なんです。
必要以上の自尊心は。
生きていく以上、自尊心は大切ですが、生存そのものが楽になった時代の私達は、必要以上のプライドやら虚栄心を身にまといやすくなっています。
そしていつの間にか、そんなものが逆に、現実の自分自身の手かせ足かせになっていきます。
だから、早く気がついた方が良いんです。
余計な自尊心なんて捨ててしまうべきだってことに。
本来なら背負わなくて良いモノゴトを背負わずに生きてしまえば、結構楽に生きれます。
そして、何も無いところから積み重ねていけば良いんです。
1つ1つ、積み重ねていけば。
積み重ねの日常は、地道で平凡な作業の繰り返しなのかもしれません。
そして、そんな日常は苦悩と共にあります。
でも、悲しみも苦しみも日常からしか生まれないのと同様に、喜びも楽しさもごく当たり前の日常からしか生まれません。
失意や絶望からは、ささやかな可能性が生まれます。
そしてそんな可能性を、1つ1つ「実行」という名前の小さな手の平ですくい取り、「経験」という名の地層を積み重ねていくんです。
人生とは、積み重ねていくもの。
私はそうであると信じています。
(続くぜ)
ps:
今、この話を書いていて、パンドラの箱を思い出しました。
ただねぇ・・・
ここまで言い切ってから言うのもなんですが、「人生とは積み重ねていくもの」という言葉では、きっと何かが足りない。
私の頭の中にあるイメージは、その言葉だけで全体を捉えきれていません。
ということで、続きは次回におあずけするとします。
次回の小栗旬もヨロシク。
ps:
ちなみに、皆まで言わずともわかると思いますが、ここでお話しするエッセイはとっても断片的です。
実際の「自分探し」って、もっと複雑な様相をがあるんでしょうけど、そこには触れません。
これでも一応ビジネス系のエッセイなんで、主旨からハズレそうだし。
post by ノリユキ at 12:19 | コメント・トラックバック(0)
2007年7月6日(金) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
私の友人たちは、私の可愛い髪の毛たちを
「自立心の低い髪の毛」
と言って嘲笑います。
自立できずに直ぐに抜けてしまうということを、わざわざ比喩を用いて表現するその姿勢が、実に私の友人らしくてムカつきます。
でも、彼らは大きな過ちを犯しています。
私の可愛い髪の毛たちは、自立心が旺盛なんです。
旺盛すぎて、直ぐに私の元から旅立ってしまいます。
「可愛い子には、旅をさせろ」とは、よく言ったものですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
同じ職場、同じ職務で働いていても、人によって仕事の量は違います。
たくさん仕事を抱えている人もいれば、ヒマを持て余している様な人もいるわけです。
で、そんな仕事量の違いは、働く人それぞれの“自立性”の違いによって左右されるケースが、割と多いみたいです。
自立心の高低で、仕事の量は決まります。
もちろん私がそんな話をすると、みんな気が付いたように「うんうん」と頷きます。
「自立できない人って、仕事だってほとんど人任せだろうしね」
「自立できてる人って、責任感があるから仕事を抱え込んでしまうんだろうね」
なんて具合に。
ほとんどの人は、自立できない人の仕事量が少ないって思っています。
でもね、違います。
自立できていない人ほど、仕事をたくさん抱え込んでしまうんです。
私達を取り囲む社会は、結構複雑に出来てます。
独りじゃ抱えきれないくらいの問題が、ゴロゴロと転がっています。
おまけに人って、デコボコです。
長所もあれば、短所もあるわけです。
ですから人は、自分1人で何もかも背負うことなんて出来ません。
なのに、自分ひとりの力で何もかもやろうとする人がいる。
そんな人は、色んなものを抱えきれずに潰されてしまいます。
自分1人の力で立つことなんて、出来ないんです。
自分の力で立ち上がるためには、余計な荷物は他人に持ってもらわなくちゃいけません。
児童健全育成推進財団の常務理事である鈴木一光氏は、こんなことを言っています。
福祉の世界で自立というのは、自分が苦しいときや出来ないことは人に任せられることを言うんです。
「テレビ寺子屋」第1538回<自立する心を育てる>より
世の中の価値観で間違っているのは、自分1人の力で何もかも出来ることが自立だと思っていることです。
もちろん、単純明快で平穏な世の中なら、それも通用したことでしょう。
でも、複雑な社会では、そんな価値観は時代遅れです。
何度でも言います。
人間って、決してスマートな生き物じゃなく、デコボコしてます。
長所もあるけど、それ以上に弱点だらけです。
だから、自分1人の力で立って生きていこうとするのであれば、自分に持てない荷物は他人に預けるしかありません。
自分の出来ないことは、他人にやってもらう。
そして、他人に出来ないことで自分に出来ることは、率先して自分が引き受ける。
それが、自立できる人です。
他人に何かを任せられない人は、自立心が旺盛なわけでも責任感が強いわけでもありません。
プライドが高いか他人を信用できない、もしくは必要以上に他人に遠慮し過ぎて生きている、そんな自立心の低い人なんです。
ですから、仕事だって同じです。
たくさんの仕事を抱え込んでしまう人って、自立できない人です。
自分が不得意な仕事は、それを得意とする人にお願いする。
自分が大変な時は、他人の手を借りる。ネコの手だって借りる。
そして、自分に出来て他人に出来ない仕事は、その空いた手をそっと差し伸べてあげる。
それが自立できる人であり、仕事をする時の基本です。
ps:
自立心旺盛な私の髪の毛たちは、手を取り合って一斉に旅に出かけてしまいました。
「髪の毛くん、毛髪ちゃん、お父さんは指折り数えてアナタ達が帰って来るのを待ってますからね」
なんだか寂しくて、泣けてきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2007年5月11日(金) [ にんげん・こころ ]
intro:
一流のワルで名の通った私は常日頃、イメージトレーニングを欠かすことはありません。
毎朝、鏡の前で自分自身に向かって元気良く挨拶します。
「おはようございます。速水もこみてぃーです!」
こうやって毎朝セルフ・イメージを潜在意識に刷り込んでいる私は、確実に今日も速水もこみちに激似のはずです。
どうだ凄いだろ、羨ましいだろ。
でも正直なところ、何度見ても鏡の中に映っている私は、「速い水」と言うよりも「温い水」・・・
温水洋一の方がお似合いみたいです。
一流のワルにとって世間の風は、いつだって冷たいようですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
「逆セクハラ」
そんな言葉が、珍しくもなんともない時代になりました。
今年4月1日より施行された改正男女雇用機会均等法では、逆セクハラの禁止が盛り込まれています。
以前はセクハラと言えば、男性から女性への性的虐待・嫌がらせだとの認識しかありませんでした。
が、現実にはその反対も横行しているという実態があります。
「逆セクハラなんて、自分にはあり得ねー」なんて思っている女性の方も多いようですが、それは認識不足です。
胸元が大きく開いた服を着ていると、セクハラに該当する可能性があります。
「週末は彼女とデート?」など恋愛事情を尋ねることもセクハラになる可能性があるんです。
もちろん、男性固有の身体的特徴を話題にしても、セクハラです。
ですから、もう私は誰からも「ハゲ」と呼ばれなくなります。
素敵な世の中になってきました。でも、ちょっと寂しいかも。
あ、話がそれました。
「ついにコレですか・・・」というニュースが先日ありました。
「夫が“逆DV”妻を絞殺…携帯のエロ画像盗み見されウッ憤爆発」(SANSPO.COMより)
ついに「逆ドメスティック・バイオレンス」という言葉までが踊り出す時代になったようです。
う~ん・・・正直言いますが、多くの女性にとって生き難い時代が訪れているようです。
「男女平等」という名のもとにね。
一見「男女平等」というと、女性にメリットばかりがあるように思われます。
でも、女性は社会人として、新たに責任を負わねばならない側面も増えてくるんです。
ある意味、男女平等が進んでいくと、男よりも女の方が大変になっていくのかもしれません。
例えば、女性が大声をあげたり、皿や雑誌などを投げつける行為。
今までならそれは単に「ヒステリック」という言葉で片付けられていました。
でも、男女平等のもとでは、明らかにそれは暴力です。
女性であっても、社会的制裁を受けなければならないケースが出てきます。
例えば、男性社会において男は皆、「働く」だけでは許されません。
男は働いて「家族を養う」ことが当然の義務として常識化します。
ですから男女平等社会になると、女性は「働きたい」だけは済まされません。
働いてその収入で「家族を養う」ことが当然視されます。
その気のない女性は、「ダメなヤツ」と呼ばれます。今までの男と同様に。
これからの女性は「玉の輿」に乗っても、喜んでいられません。
夫ではなく妻が義理の父の会社を継いで働かねばならない、そんな可能性も出てきます。
となると今後、経営者の息子は仕事の出来る女性を捕まえて結婚すれば、働かなくてもOKです。
奥さんに会社を継いでもらって、自分はセレブな専業主夫です。
「逆玉の輿」に乗った男性も義父の会社を継ぐ必要はなく、次期社長の奥さんを家庭で支える専業主夫になることが可能です。
セレブな旦那様同士で昼は優雅にホテルの高級ランチを食べながら談笑。午後はお買い物に英会話、そして趣味のサークル活動などなど。
そんな優雅な生活だって出来るんです。
ヨン様ならぬ「リア・ディゾン様」を追っかけながら西へ東へと奔走できますし、キャラクター・グッズだって買いまくりです。妻の働いたお金でね。
「男のクセに」なんて言わせません。つか、それは男性蔑視の言葉であり、セクハラです。
男だって、家のことをきちんとやっていれば、文句を言われる筋合いはなくなるんです。
おぉ!
何てパラダイスなんだっ!
働きたがらない男達が増え、家事の上手な男性が増えているこの今、男達にとって男女平等の社会は夢の楽園です。
・・・とまあ、今挙げたのは極端な話です。
が、それにしても男女平等社会の過渡期である現在、今まで以上に生き辛くなっている女性が増えているのではないでしょうか。
親や彼氏、夫の前では女らしさを求められ、社会の中では男と同等に働くことが要求される、とかね。
水平型の人間関係を構築したがる性質を持つ女性にとって、組織というピラミッド構造の中での人間関係は、男性以上にストレスを抱える人も多いかも。
さて、男女平等社会になったときの例を色々と挙げてみましたが、これらの話に対してアナタはどう感じたでしょうか?
同感したり、ムカついたり、違和感を感じたり、喜んでみたり・・・
きっと人それぞれ、感じ方が違うと思います。
これは、単純に「男と女」では区切れない、複雑な構造です。
先に挙げた様な社会に今後なることを、歓迎する女性もいれば不快な思いをする女性もいます。
喜ぶ男性もいれば、嫌がる男性もいるはずです。
同じ社会で暮らしていても、それぞれの立場や考え方、倫理観やポリシーによって、それぞれ感じ方が違ってくるわけです。
1つの事象が不快にも爽快にも感じられます。
要するに、世間に冷たい風もぬるま湯もありません。
自分がどのポジションにいるかどうかで、世間に冷たい風を感じたり、逆にぬるま湯にどっぷりと浸かってられたりするんです。
自分が今いるこの社会の中で、この業界の中で、この組織の中で、この家庭の中で、この仲間達の中で、どう振る舞いどう行動するか?
その立ち位置によって、自分自身の幸せ感や充実感は変わっていくはずです。
だからアナタにとって大切なのは、自分を取り囲む環境に振り回されるんじゃなくて、自分の立ち位置を見つけることです。
そのために必要なこと。
それは、この社会の仕組みとこの社会が今置かれている状況をよく理解すること。
同じく、アナタが所属する組織や業界の仕組みや状況をきちんと把握することです。
その仕組みや状況によって、自分の立ち位置を考えていきます。
立ち位置を間違えれば、アナタは必要以上に苦しむ事になります。
頬を撫でる温かい風も、冷たく感じる事になってしまいます。
逆にその仕組みや状況に合わせて的確なポジションにいれば、きっとアナタの今いる場所は底なし沼から景色の良い露天風呂へと早がわりです。
もちろん私は、体制に全て従って生きろと言っているわけではありません。
自分の貫くスタンスはきちんと突き通す。
そうでない部分には、余計な気も力も使わない。
そうやって生きた方が、随分と楽しく暮らせそうです。
冷たい風もぬるま湯も。
どんな風にあたるのか、どんな水に浸かるのか、自分の意思で決める。
そういった選択が、必要な時代です。
ps:
温水洋一と呼ばれようが、私は速水もこみちを貫き通します。
でも、もう飽きちゃったかも。
それが俺の生き方なんですぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2007年3月28日(水) [ ビジネス・おかね | にんげん・こころ ]
intro:
一流のワルで名の通った私は、何と言ってもその生き様がカッコいい。
熱いハートなら誰にも負けません。
いわゆる「燃える男」とは、何を隠そう私のことです。
「髪の毛も燃えちゃったから、それだけしかないんですね」
ハゲで悪かったな。
でも、その言葉に私のハートは、風前の灯火です。
「つか、そもそも灯火ほどの髪の毛も残ってないじゃん」
わかった。わかったら、もうそれ以上言うな。頼む。
今まさに私のハートは、真っ白な灰になっちまったようですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・(矢吹ジョー風)
main:
最近ようやくトーンが落ちてきた気はしますが、それでもいまだに
「楽してお金を稼ぐ方法」だとか
「億万長者の成功法則」だとか
「1億円を稼ぐノウハウ」だとか
その手のキャッチコピーが、ゴロゴロと転がっています。
で、そんな情報を垂れ流す人たちとそれに群がる人たち。
「売れれば、何だっていい」
「儲かるなら、何でもする」
まあ確かに、それもありです。
売る側って、需要があるから売るわけですし。
需要がなければ、叫びません。
でも、所構わずそこら中で派手に騒がれても、通りすがりの私の方が見ていて恥ずかしくなってしまいます。
中にはちっとも儲かってないのに、「月1000万円を稼ぐ私の成功ノウハウ」みたいなやつを売ってる人もいるみたいですし。
思うんですが、もう少しスマートに振舞えないものなんでしょうか?
売る側も買う側も。
もちろん、そんなことを私が言うと「内心は嫉妬してるんだろ」だとか「ホントは自分だって儲けたいと思ってるくせに」なんて思う人もきっといるはずです。
でも嫉妬だとか憧れの裏返しとか、そんなこととは全く毛色が違うところで、私はお話しています。
ごく一般的な感覚の人からみれば、目ン玉を¥マークにして生きてる姿って単純に、そして素直に
「カッコ悪いだろ」
そう思えるだけの話です。
理屈以前に、センスの問題です。
ただひたすらカッコ悪いんです、そんな人って。
私のハゲ頭よりカッコ悪い。
「そんな人とは、友達になれない?」
ええ、なれませんねぇ。
「またまたぁ。でも、そんな人から『1億あげるから友達になって』って言われたら友達になるくせに」
そうですよ。当たり前じゃないですか。
1億円と引き換えなら、友達になってあげます。
1000万円でもOKです。
で、やっぱりウマがあわないと思ったら、友達を解消すればいいだけです。
「1億円じゃ安すぎるよ」
ってね。
さらにお金を積んでもらうか、それが出来なきゃ絶好です。
当たり前じゃないですか。
メリットがないのであれば、そんな恥ずかしい人とは、いつまでも付き合っていられません。
人は、パンツをはいて生活をする生き物です。
なのに、「楽して毎月ウン万円儲かる!」みたいな言葉に、目の色変えて飛びついて周りが全く見えなくなってみたりと、
まるで昼間っから下半身丸出しで街中を歩いてるような、そんな態度で生きてる人がそこら中にいるわけです。
お下品でございますわ、おほほほほ。
「恥ずかしくはないんですか?」と素直に思ってしまう私は、きっとごく普通のセンスはずです。
別にお金のためにあくせく働くのは、悪いことではありません。
つか、大切なことです。
お金のために何かを犠牲にする。
それだって、ありでしょう。
でも人間なら、人前でパンツをはくのは最低限のマナーです。
ましてや最近は、ペットですらパンツやズボンをはくご時世です。
大人なんだからパンツを下ろすタイミングくらい、自分で時と場合を見計らってやるべきなんです。
「人間なら、さり気なくやりなさい」
私はただ、そう言ってるだけです。
下心を丸出しで生きていたって、誰ひとり幸せになんかなりません。
それが現実です。
人並以上にお金を稼げるようになっても、それが永遠に続くとは限りません。
上り坂があれば、いつかは下り坂がやってくる。
そっちの方が、自然の摂理です。
でもね。
人は一端上げてしまった生活レベルからは、なかなか降りれないんです。
そして、そのギャップが落とし穴になります。
それが不幸の始まりなんです。
私は、数多くのそんな人たちを見てきました。
そして、そんな人の中には、何を隠そうこの私自身がいたこともあるんです。
もう割りと前の話ですけど。
だから、決して他人事のつもりでお話してるわけじゃ、ありません。
「どう稼ぐか?」
それって、大切です。
でも、それ以上に
「今あるお金を、どう使うか?」
そっちの方が大切です。
来る日も来る日も、汗水垂らしてようやく手に入れた雀の涙ほどのお金。
それでも日々仕事があって働いていける日常に、感謝して笑顔で暮らす。
そんな人に勝る金持ちなど、この世に一度たりともあった例(ためし)はありません。
ps:
あ、今なんか俺、カッコいいこと言っちゃいましたあ?
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 13:28 | コメント・トラックバック(0)
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