2007年3月28日(水) [ ビジネス・おかね | にんげん・こころ ]
intro:
一流のワルで名の通った私は、何と言ってもその生き様がカッコいい。
熱いハートなら誰にも負けません。
いわゆる「燃える男」とは、何を隠そう私のことです。
「髪の毛も燃えちゃったから、それだけしかないんですね」
ハゲで悪かったな。
でも、その言葉に私のハートは、風前の灯火です。
「つか、そもそも灯火ほどの髪の毛も残ってないじゃん」
わかった。わかったら、もうそれ以上言うな。頼む。
今まさに私のハートは、真っ白な灰になっちまったようですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・(矢吹ジョー風)
main:
最近ようやくトーンが落ちてきた気はしますが、それでもいまだに
「楽してお金を稼ぐ方法」だとか
「億万長者の成功法則」だとか
「1億円を稼ぐノウハウ」だとか
その手のキャッチコピーが、ゴロゴロと転がっています。
で、そんな情報を垂れ流す人たちとそれに群がる人たち。
「売れれば、何だっていい」
「儲かるなら、何でもする」
まあ確かに、それもありです。
売る側って、需要があるから売るわけですし。
需要がなければ、叫びません。
でも、所構わずそこら中で派手に騒がれても、通りすがりの私の方が見ていて恥ずかしくなってしまいます。
中にはちっとも儲かってないのに、「月1000万円を稼ぐ私の成功ノウハウ」みたいなやつを売ってる人もいるみたいですし。
思うんですが、もう少しスマートに振舞えないものなんでしょうか?
売る側も買う側も。
もちろん、そんなことを私が言うと「内心は嫉妬してるんだろ」だとか「ホントは自分だって儲けたいと思ってるくせに」なんて思う人もきっといるはずです。
でも嫉妬だとか憧れの裏返しとか、そんなこととは全く毛色が違うところで、私はお話しています。
ごく一般的な感覚の人からみれば、目ン玉を¥マークにして生きてる姿って単純に、そして素直に
「カッコ悪いだろ」
そう思えるだけの話です。
理屈以前に、センスの問題です。
ただひたすらカッコ悪いんです、そんな人って。
私のハゲ頭よりカッコ悪い。
「そんな人とは、友達になれない?」
ええ、なれませんねぇ。
「またまたぁ。でも、そんな人から『1億あげるから友達になって』って言われたら友達になるくせに」
そうですよ。当たり前じゃないですか。
1億円と引き換えなら、友達になってあげます。
1000万円でもOKです。
で、やっぱりウマがあわないと思ったら、友達を解消すればいいだけです。
「1億円じゃ安すぎるよ」
ってね。
さらにお金を積んでもらうか、それが出来なきゃ絶好です。
当たり前じゃないですか。
メリットがないのであれば、そんな恥ずかしい人とは、いつまでも付き合っていられません。
人は、パンツをはいて生活をする生き物です。
なのに、「楽して毎月ウン万円儲かる!」みたいな言葉に、目の色変えて飛びついて周りが全く見えなくなってみたりと、
まるで昼間っから下半身丸出しで街中を歩いてるような、そんな態度で生きてる人がそこら中にいるわけです。
お下品でございますわ、おほほほほ。
「恥ずかしくはないんですか?」と素直に思ってしまう私は、きっとごく普通のセンスはずです。
別にお金のためにあくせく働くのは、悪いことではありません。
つか、大切なことです。
お金のために何かを犠牲にする。
それだって、ありでしょう。
でも人間なら、人前でパンツをはくのは最低限のマナーです。
ましてや最近は、ペットですらパンツやズボンをはくご時世です。
大人なんだからパンツを下ろすタイミングくらい、自分で時と場合を見計らってやるべきなんです。
「人間なら、さり気なくやりなさい」
私はただ、そう言ってるだけです。
下心を丸出しで生きていたって、誰ひとり幸せになんかなりません。
それが現実です。
人並以上にお金を稼げるようになっても、それが永遠に続くとは限りません。
上り坂があれば、いつかは下り坂がやってくる。
そっちの方が、自然の摂理です。
でもね。
人は一端上げてしまった生活レベルからは、なかなか降りれないんです。
そして、そのギャップが落とし穴になります。
それが不幸の始まりなんです。
私は、数多くのそんな人たちを見てきました。
そして、そんな人の中には、何を隠そうこの私自身がいたこともあるんです。
もう割りと前の話ですけど。
だから、決して他人事のつもりでお話してるわけじゃ、ありません。
「どう稼ぐか?」
それって、大切です。
でも、それ以上に
「今あるお金を、どう使うか?」
そっちの方が大切です。
来る日も来る日も、汗水垂らしてようやく手に入れた雀の涙ほどのお金。
それでも日々仕事があって働いていける日常に、感謝して笑顔で暮らす。
そんな人に勝る金持ちなど、この世に一度たりともあった例(ためし)はありません。
ps:
あ、今なんか俺、カッコいいこと言っちゃいましたあ?
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2007年1月24日(水) [ にんげん・こころ ]
intro:
一流のワルで名の通った私はよく、「明けない夜はない」を「ハゲない夜はない」と聞き違いしてしまいます。
ですから、私を慰めようとそんな言葉を発した相手は、私の膨れ面の意味がわかりません。
私って、つくずく罪な男です。
ただ私の場合、頭が毛深くないのと同様に、罪深くも生きていけないタイプです。
そんな自分の態度にちょっぴり罪悪感を感じます。
ですからそんな時の私は、そんなハゲあがったオデコをそっと照明に照らしながら、
「あーホントだぁ。眩しい太陽が昇ってスッカリ夜が明けちゃったぁ」
なんて具合に、その場の雰囲気を誤魔化します。
世にも悲しい物語ですぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
「The night is long that never finds the day.」
俗に
「明けない夜はない」
と訳されるこの言葉は、シェークスピアの「マクベス」に出てくる台詞です。
「今が苦しくても、必ず幸せな時はやってくるから」
という意味で日常的に使われているので、多くの人がご存知かと。
多くの人たちが、この言葉に励まされていると思います。
ただねぇ・・・
如何せん、そのシチュエーションが暗い。
いや、別に言葉が悪いとか言ってるわけじゃ、ありません。
希望ある良い言葉だと、純粋に私は思ってるんですから。
ただ、この言葉を噛み締める当事者って、要するに“今が夜”なわけです。
辛い時期、切ない時期に、この言葉を噛み締めるわけです。
ですから中には、暗い夜よりもずっと暗い心で夜明けを待ってる人がいます。
不安で眠れない夜を過ごしたり、眠い目を擦りながら朝が来るのを待ち続けたり。
夜が明けるのをジッと堪えながら、今か今かと待ち続けます。
なんか、暗いんです。
暗いのは夜じゃなくて、その人そのものです。
でも、夜明けを待とうが待つまいが、夜はやがて明けます。
だったら、ノンビリと構えてりゃ良いのに。
どうせ夜は明けるんだから、ノンビリと寝て待ってれば良いのに。
って、そう思うわけです。
朝を待ち続ける夜って、長いもんですぜ。
「明けない夜はない」
確かに、その言葉はドラマティックです。
でも、その言葉の持つドラマ性に惑わされて、自分が悲劇のヒーローやヒロインを演じちゃダメです。
そんな時は、素朴に生きてきた人たちの言葉を思い出してください。
「果報は寝て待て」
幸せは何れやって来るんだから、焦らずにノンビリとその時期を待て。って、そんな意味の諺です。
決して飾らず、日常を淡々と過ごしてきた人たちが、昔から語り継いできた言葉です。
いいですかい?
一時的な高揚感だけしか得られない、値段が高いだけのセミナーやら集まりが、いまだに巷ではゴロゴロと転がっています。
でも、肩肘張らずに楽しく生きてきてく、そんな人の知恵はずっと昔からアナタの側に転がっているはずです。
ps:
ちなみに The night is long that never finds the day. の訳ですが
「明けない夜はない」と訳すのは誤訳で
「長い夜は明けない」と訳す方が正しい
とかなんとか、色んな意見があるみたいです。(気になる方は、「誤訳の思想」辺りでもご参照くださいな)
ps:
さらに余談ですが、「果報は寝て待て」という諺に対応する諺が外国にもあります。
The net of the sleeper catches fish.(寝ている人の網に魚がかかる)
ま、私の場合、ハゲない夜はありませんし、産毛は寝て待っても生えてきませんけどね。
網にかかるどころか、端にもかかりませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
さて、そんな私はこれから名古屋へと向かいます。
3日ほどの滞在です。
post by ノリユキ at 12:46 | コメント・トラックバック(0)
2007年1月1日(月) [ にんげん・こころ ]
intro:
あけおめっ!
あ・・・いや、ちょっと言ってみたかっただけです。
明けましておめでとうございます、小林のりゆきです。
さて、一流のワルで名の通った私ですが、新年早々良いこと尽くめです。
まずは今年の西暦が、2007年だということ。
何となくラッキーセブンが付いてるせいか、カッコ良さげです。
ですから、カッコ良さつながりで、今年は私にピッタリの年です。
さらに今年は猪の年。
私は獅子座なので、「いのしし」とは「しし」つながりで、とっても縁起が良いわけです。
強引ですが、まいっか。
で、以上を踏まえて総合的に判断すると、今年もやっぱり私は飛躍の年になるみたいです。
今、決まりました。
もちろん、去年飛躍したのはオデコの面積拡大だけ、って話は内緒ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
闘う思想家、須藤元気の衝撃的な引退宣言に、未だ動揺を隠しきれない私は、年明けを目の前に想ったことがあります。
「百戦錬磨」
スポーツに限らず、競争の原理で成り立つ私達の社会では、何かと他者に勝ることが要求されます。
嫌だと言っても、そういう世の中です。
ですから、勝つ人は世の中から評価されます。
でも、だからと言って常に勝ち続けなければ評価されないというワケでもありません。
「百戦錬磨」
百回戦って百回勝つことではありません。
百回戦って磨きぬかれたということです。
もちろん人は、勝つことを目標に戦います。
でも、百回戦って百回勝てるわけじゃありません。
きっと勝つことだけが戦う理由なら、それは続きません。
勝った負けた以前に、それを「やりたい」から、人は戦い続けるんです。
大きな目標や、綿密な計画も大切かもしれません。
でも、本当に大切なのは行動です。
50回負けて50回勝っても。
99回負けて1回しか勝てなくとも。
そこにいるアナタは、間違いなく磨きのかかったアナタです。
少なくとも私は、そんなアナタの背中に拍手を贈ります。
ps:
ちなみに私は、百回戦わなくともオデコは勝手に磨きがかかってツンツルテンです。
では、今年もヨロシクお願いします。
post by ノリユキ at 16:13 | コメント・トラックバック(0)
2006年12月22日(金) [ にんげん・こころ ]
さて、今年も早いもので、もう12月22日です。
残すところ、わずか9日あまり。
アナタはこの残りの時間を、どの様に過ごす予定でしょうか?
って、そんなことを言った途端、
「小林さん、『もう22日』じゃありませんよ。『まだ22日』です。“まだ”9日“も”あるじゃないですか」
と言葉を返す人がいるそうです。
サッパリ意味がわかりません。
そんな人は、一体何が言いたいのでしょうか?
恐らくポジティブ・シンキングのつもりで言っているんでしょうけど、私からすれば、その言葉の裏側に潜む傲慢さがたまらなく嫌いです。
ポジティブ・シンキングを説明する際によく、「コップの中に入った水」の話が出てきます。
コップの中に水が半分入っているのを見て、
それを「半分しかない」と捉えるのはネガティブな考え方。
それを「まだ半分もある」と捉えるのがポジティブな考え方。
そんな例え話です。
で、もちろん私には、サッパリその意味がわかりません。
コップの中の水が半分なら、それは「半分」でしかありません。
それ以上でも、それ以下でもありません。
そこにはポジティブもネガティブも存在しません。
コップの中の水が「半分しかない」のか「まだ半分もある」のか。
それを決定するのは、プラス思考でもマイナス思考でもありません。
私達を取り囲む“状況”です。
状況によって、コップの中の水を「半分しかない」のか「まだ半分もある」のか判断するものなんです。
例えば、私は錠剤薬を水がなくとも飲み込めます。
そんな私が薬を飲むとき、コップ半分の水は「半分もある」です。
でも、たくさんの水と共に流し込まないと薬を飲めない人からすれば、コップ半分の水は「半分しかない」わけです。
もちろんコップの大きさをどう想定したかによって、その判断は変わるはずです。
まあ、仮にそのコップを200ccの入れ物だとして、中の水は100ccくらいだとして話を続けましょう。
例えば、小さなスポイトで1滴垂らすための水が必要な時。
その時コップ半分の水を見て、「まだ半分もある」と考えるのは当たり前の話です。
ポジティブでもネガティブでもありません。
では、目の前が火事で大きな炎が上がっている場合は?
消火のための水は、コップ半分の水では足りません。
だから、「半分しかない」と判断するのは、当たり前のことです。
そんな時にコップ半分の水を見て「まだ半分もある」と判断するのは、ポジティブどころか異常です。
こう見ていけば明らかな通り、私達は周りの状況に応じて、その水が「半分しかない」のか「半分もある」のか判断しています。
アナタの性格や考え方だけがそれを決定しているわけじゃありません。
モノゴトは単独で存在しているわけではありません。
真っ暗闇の中の豆電球は明るいですが、照りつける太陽の下でのそれは決して明るいとは言えない。
モノゴトには、常に相対的な関係が伴っているんです。
それが正常。
にもかかわらず、モノゴトを単独に切り出して、発した言葉尻を採り上げてポジティブだのネガティブだのと判断する。
それって、揚げ足取りと一緒です。
で、それこそがネガティブな行為そのものです。
「小林さん、『もう22日』じゃありませんよ。『まだ22日』です。“まだ”9日“も”あるじゃないですか」
私は、相手の言わんとする気持ちも顧みずに、自分勝手な判断で得意満面に説教をする人の傲慢さが、大っ嫌いなんです。
「私ったら、マイナス思考で・・・」
そう悩む人は、別に性格や思考回路がネガティブなわけじゃありません。
単に、状況判断が苦手なだけです。
自分を取り囲む状況を偏ってしか見ていない。
単にそれだけなんです。
モノゴトを考える時は、モノそのものだけじゃなく、それを取り囲む状況を見渡してみる。
それが必要です。
下げっぱなしだった顔をそっと上げてみる。
そして、もう少しだけ周りを見渡してみる。
それだけで、今まで見えてたコップの中身が違って見えてくるはずです。
ps:
先日の20日に行なわれた亀田興毅選手のボクシング世界防衛戦。
まあ、勝てば「ヤラセ」、負ければ「ザマァみろ」、判定なら「ツマラナイ」と言われることになるこの試合、選手本人は辛かったんじゃないかと。
別に亀田本人が悪いわけじゃないのにね。
亀田選手を責める前に、それを取り囲む状況を判断する必要があります。
マスコミとかコミッショナーとか、マッチメイクの仕方とかのね。
お、なんか今日も上手くまとまった。
そんな気がする。
post by ノリユキ at 13:55 | コメント・トラックバック(1)
2006年12月11日(月) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
そう言えば、私がまだ坂口憲二に激似だった頃の話です。
テレビで私にソックリな坂口憲二が、「僕の尊敬する人は、高田純次さんです」と言ってました。
だったら私も。
一流のワルで名の通った私は決して他人には流されませんが、強烈なセルフ・イメージが坂口憲二である以上、仕方ありません。
私と彼は既に一体同然です。
ですから、来年に使う手帳は「適当手帳」で決まりさ。
使わなくても良いよ。買ってさえくれれば。(高田純次談)
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
「実験」と「結果」。
この2つの言葉を提示されると、人は思わずその内容を鵜呑みにしてしまいがちです。
だってこの言葉、何か「科学」の匂いがするっぽいですから。
でも、実験が行なわれ結果が導きされたとしても、それが正解であるとは限りません。
単なる1つの見解でしかないんです。
ですからモノゴトを判断する場合は、提示された見解に流されることなく、自分なりに事実関係を捉えなおさなければダメです。
わかりやすく説明するために、今までお話したスタンフォードの監獄実験を題材にしてお話しましょうかね。
参考:スタンフォードの地下室から(その1)
参考:スタンフォードの地下室から(その2)
前回にもお話しましたが、この実験の受刑者役は実際の受刑者とは違った心理状況で、実験に参加ています。
つまりこの実験、「心理実験」にもかかわらず、被験者の心理を甘く見ていた感が残るわけです。
おまけに看守役には実際の看守より大きな権限を与えられていました。
ですんで、この実験の役割分担は「看守と受刑者」ではなく、単に「権力者と被権力者」との役割分担でしかなかったはずです。(強いて言えば、「捕虜」と「看守」の役割分担に近い)
この点に、この実験のバイアス(偏り)が見て取れます。
で、この実験には、まだまだバイアスがかかっています。
例えば、この実験の対象は“人間”ではありませんでした。
この実験で対象になったのは人間全般ではなく、“男”です。
この実験の被験者には、女性が含まれていません。
ですから、女性がこの様な環境化に置かれた場合、どの様に行動が変化していくかは全くわからないんです。
女性だけがこの状況下に置かれたらどの様になっていたのか?
男性と女性が混合する場合は、どうなる?
男性と女性との比率が変わった場合は?
などのデータは全くありません。
つまりこの実験って「男=人間」というバイアスが既に存在してるわけです。
ま、前回深読みした通りにこの実験が軍事的な目的であったのなら、男性ばっかりの被験者でも、ある程度問題は無かったのかもしれませんけど。
そのため、例えば企業経営に向けて組織論を考える場合、この実験は1つのヒントにはなっても、それ以上のものは手に入りません。
男女が共に、そして平等に働く環境になりつつある今日、この実験から得るものって、少な過ぎなんです。
もう1つ、バイアスのかかっている例を挙げましょうかね。
被験者を無作為に選んだと言いますが、何気にこの心理実験ではその被験者が「大学生」に偏っています。
でも、社会人と大学生を同様に扱って良いかは、疑問の残るところです。
利害関係の薄い日常生活を送っている学生と、利害関係の中にどっぷり浸かっている社会人とでは、権力に対する反応は違う可能性が高い。
同様に、年齢によっても反応は変わる可能性も考えなければいけません。
20歳と46歳では、その経験値が違うのは当然ですから。
また、格差の激しいアメリカ社会では、高学歴者とそうでない者とで、心理的反応に違いがあるかもしれません。
職業や地位によっても、違いがあるかも。
本当に刑務所内を再現したいのであれば、受刑者や看守の年齢比率や学歴比率などを考慮した被験者を用意しなくちゃいけません。
でも、実際はそういったことが全く考慮されていない・・・
さて、実はこういったことって、心理実験においては珍しくありません。
この実験に限らず、今まで行なわれた数多くの心理実験には、大きな偏りがあったりします。
心理学って、今までの歴史を辿ると、実験内容やそこから導き出される結論に偏りが多いんです。
科学者から「心理学はエセ科学」であると言われるのは、この様な要因も多く含まれるからです。
一見、科学を身にまとったフリをして、実は全く科学的じゃないことって世の中には多いもんです。
特にビジネスの世界では、それがまかり通ってる節があります。
具体的な事柄は、時折この「裸足のリーダー」でも触れるようにしますが、アナタ自身が、そんな状況に気をつけなきゃいけません。
実験や統計の結果発表を鵜呑みにするんじゃなく、自分の頭で考える。
それがビジネスに携わる者としての、必須条件です。
ps:
お気に召す手帳が見当たらないと毎年ボヤいている私ですが、今年は一目惚れした手帳が2つあります。
で、2つとも昨日買ってきました。
明日辺り、レビューでもしようかなっと。
ま、そのうちの1つが「適当手帳」なんだけどね。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 14:11 | コメント・トラックバック(0)
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