2011年12月15日(木) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
そう言えば以前、私と木村拓哉のどちらが男前なのかを、検証してみたことがあります。
皆さん、覚えているでしょうか?
結果として、私とキムタクの間には、たいした差がないことが判明しました。
ただ、グローバリゼーションが叫ばれている古今、今度はジョニー・デップと私との男前度を比較検討する必要性を感じています。
そこで昨晩、思い切って検証してみることにしました。
すると、どうでしょう・・・?
驚いたことに、私とジョニー・デップとの間にも、たいした違いがないことが判明したのです。
ただ彼の方が私より、ルックスが良くてセンスがありそうで、有名でお金持ちなだけです。
そう、彼が私より上にいくのは、たった4つしかないんです。
たったの4つですよ!
もちろん、異論はあると思います。
確かにジョニー・デップは、私よりもフサフサかもしれません。
しかし、私の方がジョニー・デップよりツルツルで、しかもテカテカです。
確かにジョニー・デップは私より英語がペラペラでしょう。
しかし、私は彼より日本語が堪能です。
おまけに私は、新潟弁にも精通しています。
おおっ!
そう考えると、私の方がジョニー・デップより、なんだかイケてるんじゃねーかって気がしてきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
多くの人に見られる傾向として、
計画を立てるのが大好きっ!
でも、実行するのが苦手。(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪
というものがあります。
まあ、当然といえば当然です。
だって、未来のことを想像するのは楽しくて楽ですが、現実を相手にするのは大変ですから。
ただ、立てた計画は実行したいですし、出来ない自分にため息をつきたくないのも、本当のところです。
だったら、改善しましょう。
そう、今までやってきたそのやり方を、です。
ダメなやり方を何度繰り返しても、ダメなものはダメですから。
計画倒れに終わる人の1つの原因に、
考えることが複雑で、やることに完璧を求めがち
というものがあります。
計画を練り過ぎなんですよ。
質と量の配分やら、時間割なんかも細かく決めたりなんかして。
でも、出来ないものをどんなに精密に仕上げようとしても、出来るはずがありません。
ですから、計画なんてアバウトで十分です。
「この時間になったら、大体この程度やる」
これで十分です。
精密な計画など、やれるようになってから立てれば良いじゃないですか。
やれないことを綿密に計画を立てようとするのは、
「明日、アメリカに観光旅行に行こう!」
と言って、パスポートもビザもないのに計画を立てているのと一緒です。
そこに行きたいなら、「やり続ける実績」というパスポートを手にしてからにすれば良いんです。
もちろん、アバウトな計画を立てたら、実行もアバウトにする必要があります。
とかく計画をきちんと立てたがる人ほど、実行も完璧にしたがります。
でも、それじゃあ重い・・・
重いんですね。
完璧を目指せば、完璧に仕上げるテンションを保たなくちゃいけません。
でも、それは無理です。
だって、人間だもの。
毎回、富士山の頂上に登りきるかの様に振舞ってたら、数日でやる気が失せてしまいます。
ですから、実行も積極的にアバウトにしていく必要があります。
例えば、立てた計画をきちんと実行したかどうかを評価する場合、
「計画通りにできたか?それとも計画通りにできなかったか?」
で判断してしまいがちです。
しかし、実際に必要なのは、
「計画通りじゃないけどやったか?それとも全くやらなかったか?」
という判断です。
そう言えばこれ、ずぅ~っと前にも言いましたね。これだ、これ。
→「マルサンカクの計画表」
ポイントは、“やった”ことの内訳を意識することです。
計画通りに完璧にやったことも、ほんのちょっとだけやったことも、アバウトに考えれば、“やった”ことには変わりありません。
ですから、
計画通りに出来たら、マル。
計画通りじゃないけど、ほんの少しでもやったらサンカク。
計画通りに完璧に出来なかったからといって、×をつける必要はありません。
しかも、もっと優越感に浸りたいなら、
計画通りに出来たら、三重マル。
計画の60%をこなしたら、二重マル。
計画のほんの1%でも実行できたら、一重マル。
それで良いんですよ。
やったことには変わりないんですから。
例えば、毎日ストレッチをやる!って決めたとしますよ。
すると、ストレッチのメニューを計画の段階で決めますよねぇ?
で、最初は気合を入れて、メニュー通りにストレッチをやったりします。
で、3日位すると面倒臭くなってくるわけで。
そんな時は、とりあえず右足のアキレス腱だけでも伸ばしておけばOKです。
そして、
「今日はストレッチやりました。評価はマルマルモリモリです」
ってしておけば良いんですよ。
え?
右足のアキレス腱だけで合格点?
何か変だよ、絶対。
じゃあ、ついでに左足も伸ばしておけば良いじゃないですか。
あっという間に実行量が2倍に増えました。
凄いじゃんっ!
要するに、アバウトで良いんですよ。
アバウトに計画して、アバウトに実行する。
そうやって、身軽に構えて身軽に動けば良いんです。
だいたい、今までが重過ぎたんですよ。
綿密に正確にやるのは、ある程度できる様になってからで、十分です。
計画倒れに終わる人って、なにかと「小さい積み重ね」を強調したがりますが、実際は大きく積み重ねていこうとします。
だから出来ない。
だから続かない。
「小さな1歩」とか言いつつ「大きな1歩」を踏み出そうなんて、まるで私がジョニー・デップより男前だと勘違いしているのと、変わりませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2011年11月4日(金) [ あたま・ノウハウ ]
私達にとって、未来を予測することは、とっても難しいことです。
ましてや100%未来を言い当てるなんて、不可能以外の何者でもありません。
もちろん、経験則やモノゴトの道理に沿って考えれば、ある程度の予測が立てられるものもあるでしょう。
例えば、
「お昼の時間帯になったら、この飲食店は込むだろう」
「今の段階でここまでしか仕上がってないのであれば、期日までに完成するのは難しいだろう」
「この広告じゃ訴求力が足りないから、反応率は0.2%未満にしかならない」
みたいなのはね。
数個の原因だけが大きく影響する事柄であれば、未来を言い当てる確率は高くなります。
しかし、例えば半年後の株価や未来のヒット商品を言い当てるのは難しい。
だって、それらは無数の要因が複雑に絡み合って変化した結果によるものですから。
未来に影響する無数の要因を全て抽出し、全ての起こりうるパターンを計算に入れて総合的に判断することは、不可能です。
言ってしまえば、未来に確実なものは何もありません。
不確定要素の塊みたいなものなんです。
そんな未来を、私達は100%予測することは出来ません。
未来をどんなに予測してみたところで、不確実な部分を拭い去ることは出来ないのです。
で、この未来に対して不確実な部分、不確実性のことを経済分野では
「リスク」
と呼んでいます。
一般的に「リスク」と言えば、「危険」とだけ解釈している人が結構多いと思うんですが、それは正確な理解ではないんですねぇ。
ビジネスや資金運用など経済分野において「リスク」と言えば、その多くは「不確実性」を意味します。
ですから、「リスク」という言葉に出会った場合、それは「危険性」という意味なのか「不確実性」という意味なのかを、把握する必要があります。
だって、予想外なラッキーな出来事だって、不確実性の中から生まれるわけですから。
ラッキーなことって、全然危険なんかじゃありません。
で、多くの人が勘違いをしています。
ビジネスをはじめ、およそ「勝負」という言葉が似合う世界で
「リスクを積極的に取りにいく(リスク・テイク)」
と言った場合は、それはあえて危険を冒すといったギャンブラー的な意味合いではありません。
モノゴトは不確実性の上に成立していることを認識し、その中でどう対処すべきかを考えながら、成果を掴み取ろうとする行為、
それを「リスクを積極的に取りにいく」と言うのです。
ビジネスに限らず、私達の人生は不確実性の中にあります。
どんなに避けたところで、不確実性の中から逃れることは出来ません。
いいですかい?
私達は今、「リスク」という名前の海に放り出され、漂っています。
そして、そんな不確実性の海の中では、「これを選んだら間違いない」という様な保証はありません。
正解など、どこにもないんです。
しかし、だからといって、その海の中をただ漂っているだけで良いんでしょうか?
その海の中で、呆然と潮に流されていようが島に向かって泳ぎ出そうが、溺れたりサメの餌になってしまう確率は変わりません。
だとしたら?
何もしないなんて、もったいない。
薄っすらと見える島影に向かって泳ぎ出すのも手です。
逆にその場所に留まった方が安全だと思うなら、潮に流されない様に振舞うのも手です。
不確実性の海の中では、自分にとって最善な方法を自分で選択し、積極的にそれに向かって行動を取っていくことが大切なんです。
で、それが「リスクを積極的に取りにいく」ということなんです。
アナタは今、「リスク」という海の中で、一体何をしていますか?
泳ぎ出しもせずに、溺れることばかり気にしていたって、事態は何も変わりませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
本文ではややこしくなるのでスルーしましたが、
「何もしない」
ということだって、それが自分の判断であれば、それでOKです。
だって、何もしないことが適切だと積極的に判断し、積極的に実践しているわけですから。
それだって、リスク・テイクなわけです。
ですから、自己啓発にありがちな、
「リスクを恐れるな。何もしないことが最大の失敗だ」
というのは、一見当たり前の様に思えますが、実は過ちです。
格好良さ気に聞こえますが、それはリスク・テイカーでも何でもありません。
「リスクを知って、自分がどう振舞うかを選択し行動する」
それが、リスク・テイカーのあるべき姿です。
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2010年9月9日(木) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
生きていれば、人生の岐路に立たされることは度々あります。
学校卒業後の進路をどうすべきかだとか・・・
今の会社に留まるべきか転職するべきかだとか・・・
今日のお昼はうどんにすべきか蕎麦にすべきかの判断だって、痛いくらいに私達の心を迷わせます。
そう、今日のお昼はタラコソースのパスタで決まりです。
ただ残念なのは、多くの人々はそれらの選択に迷った挙句、判断を誤ってしまうということです。
今日の様に軽く体調が重い日は、本来は消化の良いうどんにすべきなのです。
さて、私は一体何を語ろうとしていたのでしょうか。
軽いめまいがしてきました。
自分を見失わないうちに、さっさと本題へと突入することにしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
どちらの道を進むべきか迷った時、私はいつも「困難な道のり」を選択するようにしています。
迷った時に困難な道へ進むと、結果として「吉」と出ることが多いという、これは私の経験則からの判断です。
ただ、単なる個人的な経験則では、あまり説得力がないかもしれません。
なので、ちょっとだけ論理的ぶって、その理由をお話します。
AとB、どちらかを選択しなければならない場合を考えてみましょう。
選択に迷ってしまうのは、Aを実行して得ることのできる価値(利益)とBを実行して得ることのできる価値が同じだと思われる場合になります。
Aの実行結果の価値(利益) = A1
Bの実行結果の価値(利益) = B1
とした場合、
「A1 = B1」もしくは「A1 ≒ B1」(AもBも利益の大きさがほぼ同じ)
ならば、人はAかBかの選択に迷うわけです。
そして、当たり前のことですが、
「A1 > B1」(Aの利益がBよりも大きい)
ならば、人はAを迷わず選択します。
しかし、人はモノゴトを選択する場合、利益のみを基準にするわけじゃありません。
実行するに当たっての難易度も、考慮に入ってくるはずです。
それをやるには精神的に負担が大きいとか、肉体的にキツイとか・・・
恥ずかしいからやりたくないとか、不慣れなことはしたくないとか・・・
これ以上のストレスは抜け毛を増やすからイヤだとか・・・
実行するに当たっての難易度も当然、選択基準に入るわけです。
そして、この難易度を
Aの難易度 = A2
Bの難易度 = B2
とした場合、
「A1 = B1」であり「A2 > B2」(AとBの利益は同じだが、Aの方が困難)
であれば、人はBを選択するはずです。
手にする利益が同じなら、楽な方が良いのは当たり前のことですからね。
じゃあ、これはどうでしょう?
「A1 > B1」であり「A2 > B2」
実行して得られる価値はAの方が大きいが、Aを実行する方が困難というケースです。
こういった時にも、人は選択に悩むわけです。
ここまでお話すれば、私が冒頭でお話した「迷った時は、困難な方を選ぶ」という意味が、もうお分かりだと思います。
明らかに価値の高いものでも、そこに困難が伴うと思うと人は迷ってしまいます。
心の奥底にある楽したいと思う気持ちが、本来の価値を見えなくしてしまってるんですね。
人が選択に迷う時、実は本音の部分では自分の求める価値がハッキリしていることが多いんですが、その裏側で
「恥ずかしいのはイヤ」だとか
「キツイのはちょっと・・・」だとか、
やりたくないという気持ちが判断を迷わせていたりします。
しかし、どんなに「A2 > B2」(Aの方が困難)であっても、とどのつまりは「A1 > B1」(利益はAの方が大きい)であるわけです。
結果として、本来の利益を追求するのであれば、困難な方を選択した方が、より大きな利益を手にすることができるわけです。
さて、アナタは判断に迷った時、選べない理由を取り出してみては自分自身を誤魔化していませんか?
そんな時は、難易度そのものが本当にアナタにとって重要な価値なのか、もう一度見直してみてください。
「選択に迷った場合は、困難な道を選ぶ」
それを判断の指標とすると、より自分のやりたいこと、やるべきことが見えてくるはずです。
甘えるつもりならチャレンジなんてするんじゃねーよ、ってことですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
ちなみに、私の可愛い髪の毛たちは、なんら迷わず私の元から去っていく選択を、今も繰り返しています。
おーい、無理すんなよー!
いつでも戻ってきていいからなー!
決して報われることのない私の叫び声が、妙に虚しく響く今日この頃ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2010年8月20日(金) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
「いつか髪の毛フサフサになって、颯爽と前髪をかき上げてやるんだ!」
私には、そんな壮大な夢があります。
かれこれ10年以上は経つでしょうか。
しかし、一向にその気配は訪れません。
というより、抜ける一方。
でも、私は決して諦めませんよ。
だって、「諦めなければ、夢はいつか叶う」って言うじゃないですか。
諦めなければ、きっと私はフサフサ君になれるんです!
そんな悲しい目で私を見たって、私は決して諦めませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
ここ数年、当たり前の様に見かける言葉に
「諦めなければ、いつか夢は叶う」
といった感じのものがあります。
確かに途中でリタイアしてしまえば、ゴールにたどり着くことはありません。
であれば、途中で諦めてしまうという行為は、自分で自分の可能性を放棄してしまうことなのかもしれません。
でもじゃあ、諦めなければ本当に夢は叶うんでしょうか?
世界チャンピオンを目指してボクシングを始めた人達は、諦めなければ1人残らず世界チャンピオンになれたとでも言うんでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
諦めなかったからといって、夢を掴めるわけじゃないのが現実です。
人は、ポジティブな結果だけに目をやって、ネガティブな結果には目を伏せようとする傾向があります。
シュリーマン(トロイの遺跡を発見した人)の様に諦めなかったおかげで成功した人の例ばかりを見て、それだけが真実だと思いたがります。
しかし、留学支援会社ゲートウェイ21の破綻の様に、適切な場面で諦めなかったせいで被害を増大させた例だって、腐るほどあるんですよ。(参考:「踏み出せば戻れない」)
そして残念なことに、人間というものは「プロスペクト理論」と呼ばれる呪縛から、簡単には逃れられません。
チャンスを掴んで手にしたモノよりも、諦められなかったことで失うモノのの方が大きくなってしまうんです。
ゴールを諦めず無理したおかげで、もう2度と試合に臨むことが出来ない身体になってしまうことだってあります。
しかし、途中で諦めたことによって、次の試合に挑むチャンスを手にすることは出来るのです。
ですから、人生は諦めが肝心。
昔から、そう言われているんですよ。
諦めるというのは、物凄く大事なことなんです。
「諦める」ということは、「明らかに見極める」ということ。
そんな風に言われます。
進むべきか退くべきかを、自分の状況から判断して見極めることが、諦めることです。
達成することで得ることの出来る量は?
自分が抱えることのできるリスクの量は?
そして、その覚悟は?
やりたいことをやっている充実感は?
自分にとっての優先順位は?
それらを見極めずに止めてしまったら、それは自らチャンスを捨てたことになるかもしれません。
しかし見極めずに止めもしないのは、ただ往生際が悪いだけかもしれません。
諦めることと諦めないことの見極めが大切なんです。
いいですかい?
勘違いしてはいけません。
諦めることが悪いのではありません。
諦めないことが悪いのでもありません。
また、見極めたつもりでいて、結果としてその判断が誤っていたことが悪いわけでもありません。
そうではなく、自分自身と向き合おうともしないくせに、ポジティブに振舞ったりネガティブになったりして、諦めたり諦めなかったりすること・・・
それこそが、アナタを目的地から遠ざけてしまっている大きな原因なんです。
諦めるということは、アナタ自身が本気になるということです。
ps:
自己啓発業者さんの売り文句ではなく、ホントの意味での諦めないという生き方に触れてみたい方は、前回書いた記事にある「アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~」というドキュメンタリー映画をご覧ください。
バンドをやっていたことのある私は恥ずかしながら、この映画のラストで思いっきり泣いちゃいましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2010年3月30日(火) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
随分とご無沙汰していましたが、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか?
私の方は、「もうメルマガ出すの辞めよう」なんて思いながらもメルマガを発行してみるという自己矛盾に酔いしれている真っ最中です。
(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪
ところで、「批判」と「非難」は別物ですが、両者は混同されがちです。
そのため、「批判」のことを悪いイメージを持たれない様に、「クリティカル」と表現することが多々あるようです。
私の場合も、自分の広がり続けるオデコのことを「ハゲ」というと悪いイメージになりがちです。
そのため、その輝きを称して「クリスタル」と表現することが多々あります。
もちろんこの表現は、使う度にクリティカルなご意見が殺到しますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
以前から気になっていたんですが、
「他人の批判や非難をしてはいけない。そんなことをしている人は・・・」
といった感じの“批判”や“非難”を、良く見かけます。
他者を批判しちゃダメだと言いつつ、自らは他者を批判をしてるという自己矛盾。
まあ、言わんとすることは分からなくもありませんし、言いたくなる気持ちもわかります。
私だって他人から何か言われたら、
「人のことをとやかく言うヤツは、人間の存在価値すら疑うね。そんなヤツは消えてなくなってしまった方が、世の中のためなんじゃね?」
くらいのことを1日に30回、今後30年間に渡って言い続けるかもしれません。
ま、要するに人って弱いってことなんですかね。
自分にとって心地良いことは受け入れたがりますが、気分の良くないことは遠ざけようとする性質がある様です。
でも、それって気をつけないと。
目先の心地良さが自分を貶めることになり、逆に目先の不快感が後々の自分を助けることって、結構あるもんですから。
高い地位や大きな実績を持つと、その人の周りには賛同者や誉めてくれる人ばかりが集まるようになります。
先にも言った様に人は、自分に批判的な人は遠ざけ、賛同する人を周りに集めたがります。
実力者は、意図したつもりがなくとも、その様な人事配置をしてしまいがちです。
そうでなくとも、自分の存在が大きくなればなるほど、勝手に取り巻きが集まってきます。
取り巻きとまではいかなくとも、周りの人たちが実力者に対して嫌われないように振舞うのは当たり前のことです。
この様に、力を持てば持つほどその人の周りには、批判的な人がいなくなり、賛同する人ばかりになっていくわけです。
そして、その人は腐っていく・・・
自分の判断が、常に正しい人などいません。
だから、自分の至らなさや過ちを指摘する人がいなければ、誤った道に踏み込んでも、それに気づかぬままになりがちです。
それどころか、過ちを犯して批判が起きたとしても、周囲はその人の行為を肯定したりかばったりしますから、逆に
「やっぱり俺は、間違っていない」
という具合に、的外れな信念を強化してしまう結果となります。
批判から目を逸らしたり反発したい自分の心理も強化され、ますます自分の過ちを認められなくなってしまいます。
そして気がつけば、裸の王様。
遠くで笑われるならまだしも、後ろから蹴落とされたりするはめになります。
だから、批判のない環境というのは、とっても危険なんです。
批判することもされることも、私たちにとって嫌なことです。
でも、それって実は大切なことです。
嫌だけれども、大切なことなんです。
モノゴトを批判的に見ることで、次の行動は改善され、より良い結果を生み出すわけですから。
ただ、ここで注意しなくちゃいけないことがあります。
それは、批判だけで終わってちゃダメだってこと。
完璧なモノゴトなんて、この世の中にありはしないんですから、実行すれば必ずそこには矛盾や綻(ほころ)びが生じます。
ジレンマに見舞われたり、欠点を抱え込むことにもなります。
ですから、そこを突いて批判をするだけなら、誰だって出来ますし、これほど簡単なことはありません。
でも、それだけで終わってしまったら、自分自身はなーんにも変わらない。
批判の矛先を他人に向けるだけなら、それは単なる憂さ晴らしか人気取りでしかありません。
だから、忘れちゃいけないのは、「批判とは自分自身のためにある」ということです。
自分が今よりもう1歩前に進むために、批判的精神は必要だということです。
自分がしたことであれ、他人がしたことであれ、その批判の先は、他人ではなく自分に向けていくことが大切です。
他人の振り見て我が振り直すとは、このことを言うんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
ただ、同じ批判でも、方法論としてやって良いことと悪いことがあります。
話すと長くなるので割愛しますが。
ちなみに今、「話すと長くなるので割愛します」と言いましたが、
「本当は『話すのが面倒なので省いちゃいます』なんだろ?」
と思った方、いますか?
正解ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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