諦めるということ

intro:

 
「いつか髪の毛フサフサになって、颯爽と前髪をかき上げてやるんだ!」

私には、そんな壮大な夢があります。
かれこれ10年以上は経つでしょうか。

しかし、一向にその気配は訪れません。
というより、抜ける一方。

でも、私は決して諦めませんよ。
だって、「諦めなければ、夢はいつか叶う」って言うじゃないですか。

諦めなければ、きっと私はフサフサ君になれるんです!

そんな悲しい目で私を見たって、私は決して諦めませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

ここ数年、当たり前の様に見かける言葉に

「諦めなければ、いつか夢は叶う」

といった感じのものがあります。

確かに途中でリタイアしてしまえば、ゴールにたどり着くことはありません。
であれば、途中で諦めてしまうという行為は、自分で自分の可能性を放棄してしまうことなのかもしれません。

でもじゃあ、諦めなければ本当に夢は叶うんでしょうか?

世界チャンピオンを目指してボクシングを始めた人達は、諦めなければ1人残らず世界チャンピオンになれたとでも言うんでしょうか?

もちろんそんなことはありません。
諦めなかったからといって、夢を掴めるわけじゃないのが現実です。

 

人は、ポジティブな結果だけに目をやって、ネガティブな結果には目を伏せようとする傾向があります。

シュリーマン(トロイの遺跡を発見した人)の様に諦めなかったおかげで成功した人の例ばかりを見て、それだけが真実だと思いたがります。

しかし、留学支援会社ゲートウェイ21の破綻の様に、適切な場面で諦めなかったせいで被害を増大させた例だって、腐るほどあるんですよ。(参考:「踏み出せば戻れない」)

そして残念なことに、人間というものは「プロスペクト理論」と呼ばれる呪縛から、簡単には逃れられません。
チャンスを掴んで手にしたモノよりも、諦められなかったことで失うモノのの方が大きくなってしまうんです。

 

ゴールを諦めず無理したおかげで、もう2度と試合に臨むことが出来ない身体になってしまうことだってあります。
しかし、途中で諦めたことによって、次の試合に挑むチャンスを手にすることは出来るのです。

ですから、人生は諦めが肝心。

昔から、そう言われているんですよ。
諦めるというのは、物凄く大事なことなんです。

 

「諦める」ということは、「明らかに見極める」ということ。

そんな風に言われます。
進むべきか退くべきかを、自分の状況から判断して見極めることが、諦めることです。

達成することで得ることの出来る量は?
自分が抱えることのできるリスクの量は?
そして、その覚悟は?
やりたいことをやっている充実感は?
自分にとっての優先順位は?

それらを見極めずに止めてしまったら、それは自らチャンスを捨てたことになるかもしれません。
しかし見極めずに止めもしないのは、ただ往生際が悪いだけかもしれません。

諦めることと諦めないことの見極めが大切なんです。

 

いいですかい?
勘違いしてはいけません。

諦めることが悪いのではありません。
諦めないことが悪いのでもありません。

また、見極めたつもりでいて、結果としてその判断が誤っていたことが悪いわけでもありません。

そうではなく、自分自身と向き合おうともしないくせに、ポジティブに振舞ったりネガティブになったりして、諦めたり諦めなかったりすること・・・

それこそが、アナタを目的地から遠ざけてしまっている大きな原因なんです。

諦めるということは、アナタ自身が本気になるということです。

ps:

自己啓発業者さんの売り文句ではなく、ホントの意味での諦めないという生き方に触れてみたい方は、前回書いた記事にある「アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~」というドキュメンタリー映画をご覧ください。

バンドをやっていたことのある私は恥ずかしながら、この映画のラストで思いっきり泣いちゃいましたぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 10:25 | コメント・トラックバック(0)

批判的精神

intro:

随分とご無沙汰していましたが、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか?

私の方は、「もうメルマガ出すの辞めよう」なんて思いながらもメルマガを発行してみるという自己矛盾に酔いしれている真っ最中です。

(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪

ところで、「批判」と「非難」は別物ですが、両者は混同されがちです。
そのため、「批判」のことを悪いイメージを持たれない様に、「クリティカル」と表現することが多々あるようです。

私の場合も、自分の広がり続けるオデコのことを「ハゲ」というと悪いイメージになりがちです。
そのため、その輝きを称して「クリスタル」と表現することが多々あります。

もちろんこの表現は、使う度にクリティカルなご意見が殺到しますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

以前から気になっていたんですが、

「他人の批判や非難をしてはいけない。そんなことをしている人は・・・」

といった感じの“批判”や“非難”を、良く見かけます。
他者を批判しちゃダメだと言いつつ、自らは他者を批判をしてるという自己矛盾。

まあ、言わんとすることは分からなくもありませんし、言いたくなる気持ちもわかります。
私だって他人から何か言われたら、

「人のことをとやかく言うヤツは、人間の存在価値すら疑うね。そんなヤツは消えてなくなってしまった方が、世の中のためなんじゃね?」

くらいのことを1日に30回、今後30年間に渡って言い続けるかもしれません。

ま、要するに人って弱いってことなんですかね。
自分にとって心地良いことは受け入れたがりますが、気分の良くないことは遠ざけようとする性質がある様です。

でも、それって気をつけないと。
目先の心地良さが自分を貶めることになり、逆に目先の不快感が後々の自分を助けることって、結構あるもんですから。

 

高い地位や大きな実績を持つと、その人の周りには賛同者や誉めてくれる人ばかりが集まるようになります。

先にも言った様に人は、自分に批判的な人は遠ざけ、賛同する人を周りに集めたがります。
実力者は、意図したつもりがなくとも、その様な人事配置をしてしまいがちです。

そうでなくとも、自分の存在が大きくなればなるほど、勝手に取り巻きが集まってきます。
取り巻きとまではいかなくとも、周りの人たちが実力者に対して嫌われないように振舞うのは当たり前のことです。

この様に、力を持てば持つほどその人の周りには、批判的な人がいなくなり、賛同する人ばかりになっていくわけです。

そして、その人は腐っていく・・・

自分の判断が、常に正しい人などいません。
だから、自分の至らなさや過ちを指摘する人がいなければ、誤った道に踏み込んでも、それに気づかぬままになりがちです。

それどころか、過ちを犯して批判が起きたとしても、周囲はその人の行為を肯定したりかばったりしますから、逆に

「やっぱり俺は、間違っていない」

という具合に、的外れな信念を強化してしまう結果となります。
批判から目を逸らしたり反発したい自分の心理も強化され、ますます自分の過ちを認められなくなってしまいます。

そして気がつけば、裸の王様。
遠くで笑われるならまだしも、後ろから蹴落とされたりするはめになります。

だから、批判のない環境というのは、とっても危険なんです。

 

批判することもされることも、私たちにとって嫌なことです。

でも、それって実は大切なことです。
嫌だけれども、大切なことなんです。

モノゴトを批判的に見ることで、次の行動は改善され、より良い結果を生み出すわけですから。

ただ、ここで注意しなくちゃいけないことがあります。

それは、批判だけで終わってちゃダメだってこと。

完璧なモノゴトなんて、この世の中にありはしないんですから、実行すれば必ずそこには矛盾や綻(ほころ)びが生じます。
ジレンマに見舞われたり、欠点を抱え込むことにもなります。

ですから、そこを突いて批判をするだけなら、誰だって出来ますし、これほど簡単なことはありません。

でも、それだけで終わってしまったら、自分自身はなーんにも変わらない。
批判の矛先を他人に向けるだけなら、それは単なる憂さ晴らしか人気取りでしかありません。

だから、忘れちゃいけないのは、「批判とは自分自身のためにある」ということです。
自分が今よりもう1歩前に進むために、批判的精神は必要だということです。

自分がしたことであれ、他人がしたことであれ、その批判の先は、他人ではなく自分に向けていくことが大切です。
他人の振り見て我が振り直すとは、このことを言うんですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

ps:

ただ、同じ批判でも、方法論としてやって良いことと悪いことがあります。
話すと長くなるので割愛しますが。

ちなみに今、「話すと長くなるので割愛します」と言いましたが、

「本当は『話すのが面倒なので省いちゃいます』なんだろ?」

と思った方、いますか?

正解ですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 9:46 | コメント・トラックバック(3)

失敗する法則

intro:

私は今人気のTwitterで、高田純次botをフォロー(メルマガで言う読者登録みたいなもん)しているので

「千歳空港に行ったら、夕張メロンとか前張りメロンとか色々あるよね」

といった様な、ありがたいお言葉を1日に2、3回頂きます。
もちろん私は、そんな高田先生のお言葉を目にする度に、手を合わせる毎日を送っているわけです。

ところが先日、新たに押尾学botをフォローしたところ、

「何だかんだ言って、俺は10代のカリスマ。俄然、強め」

などと、1日に数え切れないくらいの押尾語録が届きます。

それはある意味、自画自賛を身上とする私が、はじめて「負け」を感じた瞬間でもあります。

スゲェよ、押尾先生・・・

だからと言って、マネするつもりは更々ありませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

巷には「成功法則」なるものが溢れていますが、「失敗法則」の類は余り目にしません。

「これをするから失敗する!」

といった法則を知ることで、無駄な失敗を避けることが出来るのにね。

ということで勇猛果敢な私は、失敗する法則がないだろうかと、ちょっと調査してみました。

子供の頃に持っていた夢を叶えることが出来なかった2千人のデータを集め、彼らに共通点があるかどうか探してみたんです。

そうしたら、なんと!
発見したんですよ、失敗する法則を!

しかも、彼ら2千人全てに共通する事柄です。
この失敗する法則を知り、その法則に従わないことで、アナタは人生において二度と失敗することはありません。
なんて、素敵なんでしょう。

では、その100%失敗する法則とは一体・・・?

実はですね、

子供の頃に抱いた夢を叶えられなかった失敗者はなんと全員・・・

 

小学校の卒業文集に、その叶わなかった夢を書いていたんです!

つまり、夢は書くと実現しない!(キッパリ)

 

ん?
あれ?

 

反応、悪いですね。

ひょっとして今、鼻で笑いました?
悪い冗談だと、思っちゃいました?

まあ、悪い冗談ですよ、確かに。

でも、チョット待ってください。
鼻で笑って過ごす前に、よ~く考えてください。

世の中に溢れる成功法則と、今私が言った失敗法則の、一体どこがどう違うって言うんですかね?

成功者を集めて、その共通項を探る。
そして、成功者に共通するものが成功法則。

それって、私が今やってみせた失敗する法則と、同じやり方、考え方で導き出してるじゃないですか。

一体どこが違うんでしょ?

結局、データを集めて判断した人がそう思いたい結果を言って、それを聞いた人が信じたいように信じてるだけでしょ?

違いますか?

 

実はこれ、初歩的な統計分析上の判断ミスなんですよ。

何かに法則性があると判断するには、そうでないパターンも調べなくちゃいけません。

つまり、「紙に書いたら成功する」ということを立証するには、紙に書いても成功できない人がいないことを立証しなくちゃいけません。
また、紙に書かないで成功した人がいないことも、調べなくちゃいけないんです。

当たり前のことですよね?

でも、当たり前じゃないことが、まかり通ってます。
多くの人が、疑問に思わない。

なぜでしょ?

それは、人は正しいことを信じるわけじゃないからです。

人はね、正しいとか間違ってるとかに関係なく、

信じたいものを信じるんです。

そして、信じたくないものは信じない。
信じたくないものには、目を伏せるんです。

だから、先の説明で「失敗法則」を私が説明した瞬間に、多くの人は「間違いだ」って思うのにに、成功法則に関しては安易に信じてしまいます。

今ね、私の言ってること信じたくない人は、一生懸命に私が今言ったことの粗探しをはじめています。

信じたいものは鵜呑みにするか、信じる理由を探す。
でも、信じたくないものは否定できる理由を探すために、重箱の隅をつつき始めたくなるわけです。

そして、それが人間の正体です。
信じることって、結構あやふやなんですよ。

で、こういうのを情報リテラシーって言います。
人間は、情報を読み解く力がないと、知らないところで判断を誤り、他者に意思をコントロールされやすくになってしまいます。
そして、余計なものに時間やお金を使ってしまうんですよ。

今、私は偉そうに言ってますけど、言ってる私だって割と簡単に引っかかってしまいます。
それくらい情報の罠は、そこら中にポコポコと開いています。

人の認知は、あやふやなんですね。

さて、アナタは、本当に信じて良いものを信じてますか?

ps:

冒頭でも触れましたが、私はここ1ヶ月ほど、試験的にTwitterを使っています。

マーケティングやブランディングとして、このTwitterが使えるかどうかは、今のところ首を捻る段階です。
でもまあ、遊びとしては割りと面白いんじゃないかと。

興味のある方は、登録して使ってみてください。

ちなみに私のアカウントは@noriyuki21です。

post by ノリユキ at 12:25 | コメント・トラックバック(0)

仮称S氏のいる場所

intro:

つい先ほど皆既日食がありましたが、とりあえず私は、テレビ中継を見ながら、その瞬間、

「奄美大島、ただいま皆既日食」

とだけFriendFeedに書き込んで、Twitterに飛ばしてみました。

今まさに私はたったそれだけで、今日一日をやり切った気分に浸っています。

ちなみにですが、私の頭皮が抜け毛に侵食されている様を、怪奇日食と呼ぶのは止めていただきたい。

髪の毛が増えてきたら、快気日食って呼んでも良いですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

例えば、「これ、売れるんじゃないか?」という商品を見つけたとします。
そして、その商品を仕入れて商売を始めるとします。

では、具体的にはどの様なことをしていくんでしょうか?

ちょっと話が複雑にならないように、ネットで販売することに絞って考えてみましょう。

 

まずは、メーカーや卸問屋に連絡を取り、仕入れの算段を整えます。

次にドメインを取得し、有料レンタルサーバーに申し込み、クレジットカードが使えるようにするためサービス会社に申し込みます。

そして、商品を売るためのWebサイトを作るわけです。

トップページや商品販売ページだけでなく、ショップの案内ページや特定商取引法に基づく表記なども作ります。

また、商品が1つだけだと寂しいし、客単価も上げたいので、取扱い商品数を増やすことも検討するかもしれません。

・・・とまあ、こんな感じでしょうか。

仕入れ状況にもよりますが、大体ここまでの作業で、早い人で1ヶ月くらいですね。

そして、いよいよネットショップの開業です。

次に検索エンジンに登録したり、相互リンクのお願いメールをいくつかのサイトの管理者に送ったり・・・
なんだかんだやって体裁が整うのは、オープンをしてから更に1ヶ月くらいになります。

トータルで、約2ヶ月。

以上が、一般的にネットショップを始める人の、ありがちなパターンになります。

そして、売れない・・・

そこで、メルマガの発行やブログ、ショッピングモールへの出店や広告を打つことを検討します。

そうやって、上手くいけば、ようやくポロポロと売れ出します。
売れなければ、その時点でこのネットショップは放置状態となります。

大体が、こんなもんです。

 

さて、ここでS氏の登場です。
S氏がネットでモノを売る場合、上記の様な経緯をたどりません。

彼いわく、「これだ」と思うモノを見つけたら、

「もう、その日には売りはじめてますね」

だそうです。

もちろん仕入れ状況にもよりますが、通常は算段がついた時点で、既にWebサイトが立ち上がっています。
無料レンタルサーバーに、商品の販売ページと特定商取引法に基づく表記のページの2ページをアップするだけです。

そして、その日のうちにリスティング広告を打ちます。
 
「早ければ、次の日には売上が立ってますね」

S氏は、普通の人がまだ準備をしている間に、既に商品を売ってしまっているわけです。

そして広告の効果を検証し、料金設定と広告内容、そしてWebサイトの内容を変更しながら、更なる売上アップを狙います。

で、収益が成立すると判断した時点で、独自ドメインに切り替えて、販売状況を整えていきます。

 

人生における評価は、勝ち負けだけで判断はできません。
しかし、ビジネスにおいて勝とうと思うなら、「普通」ではダメです。

勝つ人というのは、ほんの一握りです。
普通の人が普通に考え普通に行動するようにしていたら、ビジネスではなかなか勝てません。

上記のお話でも分かるとおり、普通の人がショップをオープンさせた頃には、既にS氏は売上を上げていますし、売れない商品なら撤退しています。

普通の人と、S氏の間には、圧倒的な差が存在しているわけです。

では、その“差”とは何でしょうか?

知識ですか?
ハウ・トゥーですか?

違いますね。

モノゴトの考え方と、行動力。
それだけです。

普通の人は、モノゴトを上手く成功させるために、まずは体裁を整える準備を始め、準備ができた後に、現実がはじまります。

そして現実に直面すると、どうしたら良いかと考え、次の策を練り、その策を実現させるために、次の準備に取り掛かります。

そうやって、結果を掴むまでに、長い時間を費やします。

しかし、S氏は違います。
彼にとって重要なのは、プロセスです。

まずはやる。
そしてそのプロセスの中から生まれた結果を検証し、さらにプロセスに手を加える。

常に、S氏は「現実」というプロセスの中にいるわけです。

結果的に、圧倒的なスピードで仕事が前に進んでいきます。

そしてこれが、ビジネスを上手くこなせない人との違いです。

自分の業界、職場などを振り返ってみてください。
仕事の出来る人は、常に仕事が早いはずです。

モノゴトの考え方と、行動力。
常にプロセスの中に自分を置くことで、「結果」という名の果実を手にしていきます。

アナタは今、どこで何をしているんでしょうか?

S氏の様に、プロセスの中にいますか?

ps:

つい先日、勝間和代さんのTwitterの習得スピードの速さが、ネットで話題になっていました。

私も覗かせてもらいましたが、正直感心しましたねぇ。速い、速い。
マインドと行動力が人並みじゃありません。

仕事のできる人は仕事が速いということを、実際に見ることの出来る好例でした。

ま、抜け毛だけはスローペースでいたいもんですけどね。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 12:49 | コメント・トラックバック(0)

ニンジンの腐り方

intro:

今日は、この「裸足のリーダー」がはじまってから5回目のエイプリル・フールです。
しかし私は、今までエイプリル・フールだからと言って、このブログで読者を騙そうと思ったことはありません。

なんて言うんですかねぇ・・・

誠実さ?
そう、これは私の読者さんに対する誠実さの表れなんです、きっと。

もちろん、世間の一部には私のことを

「エイプリル・フールだけじゃなくて、お前はいっつもウソばっかじゃん。小栗旬に激似だとか言ってるし。ハゲのくせに」

などと言う、心無い連中がいるのも知っています。

しかし、私の広い心は、そんな腐ったニンジンの様な人間に対してだって、慈愛で満ち溢れているんです。

凄いなー、俺って。
広いのはオデコだけじゃないんだなー、俺って。

さて、今まさに私は、ウソもいい加減にしとかないと、本当に読者さんに嫌われちゃうかもしれない恐怖でいっぱいです。
急いで本文へと逃げることにしますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

長期的視野に基づく利益(ダイヤモンド)=ハイリスク・ハイリターン
短期的視野に基づく利益(ニンジン)=ローリスク・ローリターン

そんなお話を、前回前々回に渡ってしてきました。

そして、ニンジンの方が、ダイヤモンドに比べて実行性が強いので、行動に結び付きやすいし目的達成度も高い、というお話もしました。

しかし、ニンジンにはニンジンなりのリスクがあります。
さて、それは何でしょう?

 

ニンジンを求める行動はローリターンですから、

  • 数をこなすこと
  • 1単位あたりの利益を最大化すること

で、トータルの利益を最大化していく必要があります。

しかし、実はここに問題点が潜んでいます。

まず、数をこなすということは、1つ利益を獲得したら次に別の利益を狙うことの繰り返し、もしくは同時進行になります。

Aを獲得したら、次はB、その次はCへ。
Aの時はAの様に振る舞い、Bの時はBにあわせて振舞います。

でも、そこに一貫性は存在しません。
つまりトータルで見た場合、ニンジンを求める人の行動は整合性を保ちづらいんです。

こういった行為は、社会的な信頼を得づらいどころか、失いやすくなります。

例えばショップの店員さんから

「今年はグレーのポロシャツが流行りますよ」

と言われて買ったのに、2週間後に再びそのお店に行ったら、

「今年はモスグリーンの襟なしじゃないと、ウケが悪いですからねぇ」

と言って、違うシャツを薦めてきたとしたら・・・・

腹立ちますよね。
例え話が極端ですが、そんな感じです。

もちろん、矛盾していたり整合性がなくても、そういった行動を繰り返すのは、自分の利益を優先するためです。
そのことが、他者を省みない自分本位な活動へと繋がっていきます。

しかもニンジンは、それに拍車をかけてしまう魔力を、更に秘めています。

1単位あたりの利益を最大化するために、人はガンガンと行動します。
もちろん、ニンジンを求める行為は、ローリスクなので失敗を恐れずに思い切って行動することが可能です。

でもそれは、やり過ぎたり、はみ出してみても、自分に降りかかってくるリスクが少ないということの裏返しです。

ですから、モノゴトを短絡的に捉えて、他者の迷惑も顧みずに利己的にガンガン行動してしまいがちになります。
人って、自分に災難が降りかかってこなければ他人のことなど後回し、欲望丸出しで生きてくものです。

ですから、こういった行動をする人が増えてくると、社会的に不利益なことが蔓延してきます。

品質の低い情報や商品が、誇大広告でラッピングされて溢れかえったりとか。
しかもやってることは、自分の都合しだいで矛盾だらけだとか。

行き着く先は詐欺ですが、そこまで行かなくとも、「邪魔」「嘘つき」「うさん臭い」「ウザい」なんて言葉がお似合いの行動になっていきます。

もちろん、やってる方は一生懸命ですから、そのことに気がつかないかもしれません。
気がついても、気がつかないふりをしているかもしれません。

人それぞれ、色んな事情を抱えてますからねぇ。
夢だとか、家族のためだとか、貧乏からの脱出だとか、自由だとか・・・

しかし、どんなに綺麗な言葉で着飾っても、そういった行為は他者の不利益を招く結果に結びついていくことが多くなります。

そして長期的に見たら、その不利益は自分自身に降りかかってきます。
目先の利益の獲得が、長期的には大きなリスクを育む可能性を持っているわけです。

 

もちろんこれは、マーケティングだけに限った話じゃありません。
組織マネジメントにしても、個人的な生活行動にしても、同じです。

もうちょっと突っ込んだ話をしましょうか。

実はローリスクなものが、必ずローリターンであるとは限らないんですよ。

システムの歪み、とでも言うんでしょうかね。
ローリスクでも、貪るように利益の最大化を目指せば、大きなリターンを得ることが出来ます。

でも、結果としてはロクなことにならないんですね。

例えば、今は成果主義、実力主義が盛んです。
実力の評価を短期に設定すればするほど、また報酬を大きくすればするほど、その効果は上がります。

でも、逆に企業はその分のリスクを背負うことになるんです。

考えてもみてください。
たった半年の実績だけで大きな報酬や昇進が得られるのであれば、顧客の迷惑など顧みずに、とにかく目先の業績だけを上げてしまえばOKです。
従業員達は、顧客から貪るようにして利益を上げてきます。

もちろん、そんなことをすれば顧客はいずれ去ってしまい、長期的に見れば、会社は大きな利益と財産を失うことになるわけです。

でも、そんなことは従業員達からすれば、どうだって良いんです。
だって、既に大きな報酬や昇進は手に入れてしまってるんですから。

クビになっても、嫌われても、既に十分なお金は手元に残っています。
どんなに市場を荒らしてしまっても、昇進してしまえば、成績の上がらない部下に向かって、自分の武勇伝を披露しながらケツを叩けば良いだけです。

つまり、ローリスク・ハイリターンの仕組みに組み込まれたら、勝ち逃げした方が、圧倒的に利口なんですよ。
誠実さを示した方が、バカを見ます。

 

ここまで説明すれば、大体の概略はつかめたと思います。

ニンジンを求める行為って、言ってしまえば軽薄短小なんですよ。
人から後ろ指をさされる要因を、根本的に秘めています。

そして、それはリスクです。
自分だけでなく、社会そのものがリスクを抱え込んでしまいます。

ですから、目先の利益に振り回されて、結果的に大きなリスクにさらされてしまうことは、避けなくちゃいけません。

ダイヤモンドにもニンジンにも、長所と短所があることをシッカリと把握し、自分の成果へと結び付けていくことが、必要です。

安易に発想する前に、ご利用の際は注意書きを良く読んでからにしましょうね、ってことです。

ps:

転がる水平線:ifでAIGを囲って過度な実力主義の弊害を考える」でも書きましたが、何かと話題のアメリカの金融業界なんて、まさにその典型です。

例えばアナタがファンドにお金を預けて運用するとしましょう。
運用に失敗すれば、元本保証はないので、アナタの資金は目減りします。
アナタのお金を運用するファンドも、そこで働くトレーダーも、自腹を切ってアナタの損失を補填してくれません。

つまり、リスクはアナタ自身が負うことになるわけです。
なのにトレーダーは、トレードで儲かっちゃうと多額の報酬がもらえる。
これって、大きな矛盾です。

自分自身が大きなリスクを背負うことなく、上手くいけば莫大な報酬がもらえるのであれば、目先儲かることだけすれば良いわけです。
次々と複雑な金融デリバティブ商品を開発し、大きなリターンを餌に顧客に大きなリスクを背負わせます。

でも自分達は、リスクが小さくてリターンが大きいんだよねぇ・・・

だから、金融危機が訪れて、顧客は預けた資金を大幅に減らし、会社が潰れてしまっても、全然OK!
そこで働いていたトレーダーは、それまで稼いだお金で悠々自適に暮らすことが出来るんです。

メチャクチャでしょ。
だから、ああいったバブルが起こり、そして崩壊します。

もちろん私は、そういった行為の良し悪しを、なにもかも個人に求めるつもりはありません。
どちらかと言えば、私はシステム論者なので。

そういった仕組みの中に入ってしまえば、人はそういった方向に進んでしまう、って考えるのが私です。

でも、だからこそ、社会の中でそういったシステムが野放しになっていてはいけないとも、思ってしまうわけなんですね。

ですから、私の抜け毛がハイリスク・ノーリターンであるという矛盾した非常事態も、私個人に責任があるのではありません。

世の中が悪いんだ。

そういうことに、しておきますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

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