2007年12月26日(水) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
カタチのあるなしにかかわらず、今は身の回りにモノが溢れている時代です。
ですから今時の整理上手さんって、モノを捨てるのが上手い人のことです。
もちろん、一流のワルで名の通った私も、捨ててばかりの人生です。
今まで、数々の女たちを捨ててきました。
ん?ひょっとして、疑ってます?
でも残念ながら、それは事実です。
モテ・キャラの私は、今までに数々の女性を捨ててきたんです。
「見捨てられたのは小林さんの方じゃ・・・」
「捨てたのは、自分の髪の毛だけですよね?」
そんなコメントは必要ありませんので、送ってこないで下さい。
人は事実を突きつけられると、傷つく生き物なんです。
年末くらいは、妄想の中に浸らしてください。お願いします。
でも、そんな私が平気で捨てられるのは自分のプライドだけ、って話は知ってても誰にも言っちゃいけませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
身の回りがモノで溢れかえってゴチャゴチャになっているのに、なかなか捨てられない。
捨てようと思いつつも、なかなか捨てられない。
世の中、そんな捨てられない人達ばっかりです。
もちろん、私もそんな中の1人です。
でも、近頃の私は一味も二味も違います。
ガンガンと捨てちゃいます。
実は先月、引越をしたんですが、以前より間取りの狭い空間の中で、以前よりも広々と暮らしています。
だって、ガンガンと捨てちゃったんだもん。
ということで、今日は捨てられない人のための捨てるテクニックでもお話しようかと。
例えば、「本を捨てよう(もしくは売ろう)!」と決心したとしましょう。
アナタは本棚に向かい、たくさん溜まった本を1冊ずつ手に取り、どれを手放すか吟味に入ります。
そして結局、捨てられねぇ。
100冊あったとしても、捨てられるのはせいぜい5冊がいいとこです。
「いずれ読み返すかもしれない」
「何かあったときに、資料として必要になるかもしれない」
「記念にとっておきたい」
いずれにせよ出てくるのは、“捨てられない理由”ばっかりです。
捨てる理由は何ひとつ見つからず、捨てられない理由ばっかりが、次から次へと後を絶ちません。
なぜ?
それは、愛着があるからです。
「捨てる」ということは、モノそのものだけじゃなく、モノに対する愛着も一緒に捨てるということです。
ですから、上手く捨てるためには、その愛着を断ち切らなければいけません。
じゃあ、どうやって?
まずは、ジャンルごとにグループにしてまとめます。
例えば、数ある本の中から「Web2.0」というテーマで括って、本を取り出します。
まあ、仮にそれが10冊程あったとでもしましょうか。
次にその10冊を個別にではなく、「Web2.0」というテーマに沿って検討していきます。
個別に検討するのではなく、“全体的”に見て必要かどうかを考えていくわけです。
本Aでは〇〇の説明が詳しいけど、もう内容は理解してる・・・
それだったら、本Bの方の簡単な説明だけど全体的にバランス良く情報が載ってるし・・・
なんて具合に。
すると、どうでしょう。
それぞれのテーマごとで見ると、10冊中3冊くらいしか保管しておく意義がないことに気が付きます。
なんで、7冊は捨てちまえっ!ってことになるわけです。
ちょっと実際にやってみてください。
本じゃなくても、ペンケースに溜まりに溜まった筆記用具たちでもいいですし、何でもOKです。
ポイントは、個別に捨てるかどうかを検討しないことです。
1つ1つ取り出して、いるいらないを検討するんじゃありません。
1つのジャンルにまとめて“全体”を見ながら、必要・不必要なものをピックアップしていくんです。
人は、1つ1つを見つめることで、愛着に縛られ、手放せなくなります。
でも、1つのジャンルで括って全体から眺めてみると、何が必要で何が不必要かを、アッサリと判断できるようになります。
実はこれって、企業がやる「リストラ」と同じ要領です。
どんなに経営難の会社でも、1人ひとりの顔を思い浮かべたら、簡単には従業員を切り捨てられません。
でも、会社組織全体から眺めていくと、個人の顔が見えなくなります。
「この部署には定員10名が最適、こっちの部署はあっちの部署と合併すれば必要ないな・・・」
ってな具合に、愛着から離れて、切り捨てることが出来るようになるんです。
ちょっと話がシビアになってしまいました。
でも、自分が快適かつ合理的に動くためには、そんな非情さが必要な時代です。
そして、身を切る想いで切り捨ててみたら、意外と心の中はサッパリと清々しい気分になっている自分がいることに気が付きます。
これまたシビアな話ですが、現実です。
温かさと冷たさの両方を兼ね備えているのが、人間の性(サガ)。
キレイゴトだけで、人間は決して語れません。
ps:
結局、引越しの際にかかった粗大ゴミの料金は3万円以上・・・
私の住む地域では、粗大ゴミのほとんどが1コ500円で回収してもらえるので、捨てたのは50点以上です。
それ以外にも、普通ゴミやら不燃ゴミやら、大量に出ました。
今は、捨てるのにもお金がかかる時代です。
ですから、きちんと捨てられる人は余計なモノまで買うことはしません。
捨て上手は買い物上手。
来年に向けて年末の大掃除は、捨てる事に挑戦してみるのも良さそうですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 13:38 | コメント・トラックバック(0)
2007年10月26日(金) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
私の知ってる小栗旬は、もちろん「花より男子」の花沢類を演じる小栗旬です。
ですから私は、その王子様キャラを今まで必死にイメージ・トレーニングしてきました。
ところがどうでしょう。
今度公開される「クローズZERO」において小栗旬は、こともあろうことか滝谷源治の役でヤンキーを演じています。
どうしてくれるんだ。
今までの努力が無駄になってしまったじゃないか。
一流のワルで名の通った私は、憤りを隠せません。
ん?あれ?
今気が付きましたが、そういえば私は一流のワルでした。
ですから、何もイメージ・トレーニングなどしなくとも、素のままで振舞っていれば、彼の演じる源治と全く同じイメージなはずなんです。
ということは、何の努力をしなくても、もともと私と小栗旬はソックリだったってこと?
あー、そんな気は前からしてたんですが、やっぱりそうでしたか。
生まれた時から私と小栗旬は瓜二つだったんですねぇ。
今、東京は雨模様ですが、今日の私は何だか1日を清々しく過ごしていけそうですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
私達の周りは情報で溢れかえっています。
そんな中、私達は情報収集に熱心です。
私達は本を読み、テレビやラジオで情報を知ります。
新聞や雑誌を読み、ネットで検索して情報を知ります。
格差、食品表示偽装、テロ、拉致、アルツハイマー、メタボリック、温暖化、サブプライムローン・・・
そして気が付けば、
「知ってる、知ってる」
世の中に出回っている情報の多くは、アナタにとって知っていることばっかりです。
でも、ホントに知ってるんですかね?
確かに私達の周りには、「知っているか?」と尋ねられれば、「知っている」と言えるものばかりです。
でも実は、具体的に細かく質問されたら、何も答えられないものばかっかりだったりします。
知っている気になっているだけで、何も知らないことばかりなんです。
「エクスフォーメーション」
「イン」とは反対の「エクス」。
「インフォメーション(情報)」の逆である「エクスフォーメーション」。
武蔵野美術大学の原研哉教授は、そんな言葉を使って情報の「未知化」を唱えています。
【原研哉のキャンパスブログ】
「知ってる」と思っている事柄を「いかに知らなかったか」と捉えなおす。
それが情報の未知化です。
モノゴトを「知らない」という態度で見つめなおすことで、「知ろう」とする回路が頭の中で動き出します。
洞察力が増し、新たな視点でモノゴトを捉えなおそうとするわけです。
情報を未知化すると、「思考」というプロセスが稼動し出します。
「1ヶ月、本を30冊読みました」
だから、何を知ってると言うんでしょう?
何かを知った気になってるだけです。
知るだけで、何も考えない。
考えようとしない。
だから、実は知らないことばっかりです。
知ることばかりに懸命になって、思考することが希薄になっています。
ある意味、「知ってる」と思ってしまうことは、「思考停止」が始まるサインなのかもしれません。
情報が氾濫するこの社会において、情報を知らないということは、リスクを背負うことと同じです。
でもそれ以上に、知った気になっていることが危機的状況なんです。
情報を受け取る場合には、リスクを伴う。
そんな事実を私達は知るべきです。
ps:
この「エクスフォーメーション」という言葉、結構気に入ってます。
なんでこの裸足のリーダーでも、あと1回くらいは使うかもしれません。
知らないけど。
さて、今さっきこの記事を書きながらテレビで、亀田興毅の謝罪会見を見ました。
彼の姿を見て何だか泣けてきたのは、きっと今日の雨空のせい。
一流のワルで名の通った私は、そう思いたい年頃のようですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 13:45 | コメント・トラックバック(0)
2007年7月13日(金) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
現在の私と言えば、もっぱら「幸運を呼ぶ石ころ」を探すことに夢中です。
見つけたら、売るんだ。
幸運の石を手に入れたら、まずは札束であふれたお風呂に入ります。
もちろん、美女達に囲まれながら。
そして、ナントカ博士に推薦のお言葉を書いてもらい、購入者の喜びの声をたくさん載せた広告を、ばら撒くんです。
さて、そんな私はそんな夢を現実のものとするために、これから早速お出かけです。
図書館に行って、幸運の石がどこに行けば見つかるかを本で調べます。
どこにあるか分かったら、次にそこまで行くための経路や運賃を調べて、どこのホテルに宿泊するかをガイドブックで調べて・・・
今さらながら、自分自身の行動力に身震いがしてきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
もう1ヶ月以上も前の話です。
大学を卒業したばかりの新人営業マンから、相談されました。
ちなみに、営業マンと言っても女性です。
「私に足りない所って、どこでしょうか?」
彼女は、先輩たちの様に上手く営業できないことに悩んでいる様子です。
上手く話そうとしても、話せない・・・
営業先に質問されたことを、適切に答えられない・・・
喋っていて、今自分が何を喋っているのか、分からなくなってしまう・・・
そんな自分自身に躓いて、どうしたら良いのかサッパリ分からなくなっています。
自分に足りない部分は、どこにあるのか?
その足りない部分を、どうやって埋めていけば良いのか?
悩める乙女は、自分のウィークポイントを私に炙り出してもらいたいと、そう思って質問しています。
「私の足りない部分って、どこでしょうか?遠慮なく言ってもらえると嬉しいんですが・・・」
そう尋ねる彼女に向かって、もちろん遠慮なく私はこう答えます。
「足りない所しか、ありませんけど」
まだ学校を卒業したばかりで、はじめての営業職。
たったの2ヶ月程度の新人さんに、一体何が出来るというんでしょう?
たいしたことなど、な~んにも出来やしません。
やれることと言ったら、ただアポを取り続けることと、アポ先に足を運んで話をすることだけです。
上手であろうが下手であろうが、関係なくね。
立派な仕事など、出来なくて当然です。
だって、初心者なんだもん。
ですから彼女にとってラッキーなことは、足りない所しかないことです。
足りない所しかないということは、つまり何も持ってはいないということです。
足りない所を気にする必要がありません。
足りない所を埋める必要もありません。
ただ何もないところに、経験を積み上げていくだけの話です。
ただただ、目の前にある仕事をして、繰り返し繰り返し仕事をして。
そうやって、少しずつ少しずつ積み上げていく。
たったそれだけです。
なんだか、凄く恵まれています。
多くの人が犯す過ちは、失敗と経験を自分勝手に摩り替えてしまうことです。
「失敗したらどうしよう・・・」って、そもそも出来なくて当然なので、失敗もクソもありません。単なる経験です。
経験を恐れてどうする?
経験が乏しいくせに、上手く出来ない自分に悩んだり失敗を怖がったりすること自体が、無意味です。
それってある意味、自惚れでしかありません。
素振りを何回繰り返したところで、ホームランも三振もあるわけないでしょ。
成功も失敗も、自分の足元になんか転がっていません。
そもそも彼女は、聞けば誰でも知っている有名企業の営業ウーマンです。
だから、どこの馬の骨ともわからない小さな会社の営業職よりも、断然有利なわけです。
企業名を言えば、相手は安心してガードを下げますから。
アポも取りやすいし、話も聞いてもらいやすい。
彼女は最初から「ネームバリュー」というチャンスをモノにしているわけです。
そして、そんなチャンスを掴んだのは、自分自身の実力です。
なーんにも無いと思っていても、実はチャンスだけはちゃっかり掴んでいるわけです。
ま、別に彼女に限った話じゃありませんが。
俗に「ピンチをチャンスに変える」なんて言いますが、初心者にとって見ればそんな必要すらありません。
アナタの足元に転がっているのは、いつだって「経験」という名前の石ころです。
そして、そんな石ころに躓いたところで、それは“ラッキー”な出来事でしかありません。
ps:
新たな経験に直面することに、臆病になっている人が増えています。
これは若い世代に限った話ではなく、社会全体がそうなりつつある様です。
もちろん、その原因は社会に出るまでの間に受けてきた教育にあります。
「もしものことがあったら・・・」なんて言って、常に大人達が先回りして安全な道にしか子供を進ませない、そんな教育ばっかりです。
リスクとリターンのバランスを見ながら行動していく訓練を、多くの人たちは社会に出るまでの間に受けてきていません。
ですから、そんな教育を受けていない人が社会人になって、いきなりチャレンジ精神旺盛な行動派になれるはずがないんです。
上手く行かないことがあれば、直ぐにクヨクヨしてしまいます。
ですから、どんなに素晴らしい内容の書いてある本を読んだところで、突然と行動できる人になんてなれません。
誰かに背中を押してもらったところで、継続して行動し続けることなんて出来ません。
だって、訓練を受けてないんですもん。
訓練を受けてないんだったら、これから訓練するしかありません。
まずは目の前にあることを、とりあえずやっとけ。
post by ノリユキ at 12:43 | コメント・トラックバック(0)
2007年7月6日(金) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
私の友人たちは、私の可愛い髪の毛たちを
「自立心の低い髪の毛」
と言って嘲笑います。
自立できずに直ぐに抜けてしまうということを、わざわざ比喩を用いて表現するその姿勢が、実に私の友人らしくてムカつきます。
でも、彼らは大きな過ちを犯しています。
私の可愛い髪の毛たちは、自立心が旺盛なんです。
旺盛すぎて、直ぐに私の元から旅立ってしまいます。
「可愛い子には、旅をさせろ」とは、よく言ったものですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
同じ職場、同じ職務で働いていても、人によって仕事の量は違います。
たくさん仕事を抱えている人もいれば、ヒマを持て余している様な人もいるわけです。
で、そんな仕事量の違いは、働く人それぞれの“自立性”の違いによって左右されるケースが、割と多いみたいです。
自立心の高低で、仕事の量は決まります。
もちろん私がそんな話をすると、みんな気が付いたように「うんうん」と頷きます。
「自立できない人って、仕事だってほとんど人任せだろうしね」
「自立できてる人って、責任感があるから仕事を抱え込んでしまうんだろうね」
なんて具合に。
ほとんどの人は、自立できない人の仕事量が少ないって思っています。
でもね、違います。
自立できていない人ほど、仕事をたくさん抱え込んでしまうんです。
私達を取り囲む社会は、結構複雑に出来てます。
独りじゃ抱えきれないくらいの問題が、ゴロゴロと転がっています。
おまけに人って、デコボコです。
長所もあれば、短所もあるわけです。
ですから人は、自分1人で何もかも背負うことなんて出来ません。
なのに、自分ひとりの力で何もかもやろうとする人がいる。
そんな人は、色んなものを抱えきれずに潰されてしまいます。
自分1人の力で立つことなんて、出来ないんです。
自分の力で立ち上がるためには、余計な荷物は他人に持ってもらわなくちゃいけません。
児童健全育成推進財団の常務理事である鈴木一光氏は、こんなことを言っています。
福祉の世界で自立というのは、自分が苦しいときや出来ないことは人に任せられることを言うんです。
「テレビ寺子屋」第1538回<自立する心を育てる>より
世の中の価値観で間違っているのは、自分1人の力で何もかも出来ることが自立だと思っていることです。
もちろん、単純明快で平穏な世の中なら、それも通用したことでしょう。
でも、複雑な社会では、そんな価値観は時代遅れです。
何度でも言います。
人間って、決してスマートな生き物じゃなく、デコボコしてます。
長所もあるけど、それ以上に弱点だらけです。
だから、自分1人の力で立って生きていこうとするのであれば、自分に持てない荷物は他人に預けるしかありません。
自分の出来ないことは、他人にやってもらう。
そして、他人に出来ないことで自分に出来ることは、率先して自分が引き受ける。
それが、自立できる人です。
他人に何かを任せられない人は、自立心が旺盛なわけでも責任感が強いわけでもありません。
プライドが高いか他人を信用できない、もしくは必要以上に他人に遠慮し過ぎて生きている、そんな自立心の低い人なんです。
ですから、仕事だって同じです。
たくさんの仕事を抱え込んでしまう人って、自立できない人です。
自分が不得意な仕事は、それを得意とする人にお願いする。
自分が大変な時は、他人の手を借りる。ネコの手だって借りる。
そして、自分に出来て他人に出来ない仕事は、その空いた手をそっと差し伸べてあげる。
それが自立できる人であり、仕事をする時の基本です。
ps:
自立心旺盛な私の髪の毛たちは、手を取り合って一斉に旅に出かけてしまいました。
「髪の毛くん、毛髪ちゃん、お父さんは指折り数えてアナタ達が帰って来るのを待ってますからね」
なんだか寂しくて、泣けてきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2007年5月30日(水) [ あたま・ノウハウ | ビジネス・おかね ]
intro:
一流のワルとして世間に名を轟かせた私が次に目指すのは、街の人気者です。
そのためには、最新の流行をいち早く取り入れ、時代の最先端を走り続ける必要があります。
ですから、そんな私はヘア・スタイルにも気を配ります。
オシャレな女性が人気タレントの髪型をマネるようにね。
床屋に行けば私は、ハニカミ王子の様な笑顔で店のオヤジにこう呟くんです。
「宮崎県の東国原知事と同じヘア・スタイルで」
着実に時代は、私の方に向かって来てる気がしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
今、私の中で一番熱いお笑い芸人は、柳原可奈子です。
世間の噂に耳を傾けてみても、現在人気沸騰中みたい。
「柳原可奈子のネタ映像」(YouTubeより)
地域や世代によっては「?」と思ってしまうネタなのかもしれません。
が、私にはあの
「いる、いる!いるよね、こんな人」
と思わせるモノマネが、ツボにハマって抜け出せません。
何度見ても、笑える。
ん?
でも、ちょっと待ってください。
確かに「いる、いる!ある、ある!」と思ってしまう私ですが、良く考えてみると、本当にそんな人はいるんでしょうか?
いや、確かにいるのかもしれません。
でも、私は109なんかのショップに行ったこともありません。
総武線だってそんなに多くは乗りません。
ショップ店員や女子高生の会話や細かな仕草だって、世代も性別も違う私は、実はよく知らないはずです。
それなのに私は、彼女の演じるショップ店員も女子高生も、「確かにいる」と思ってしまいます。
いると思ってて、実はいないのかも・・・
あると思ってて、実は無いのかも・・・
そう言えば昔、菊池桃子が「どこにでもいそうな普通の女の子っぽいアイドル」として一世を風靡していた時代がありました。
でも実際は、あんな娘っていそうでいなかったし。
何となく“ある”と思ってしまうけど、実はよく知らない。
そんなモノやコトやヒトに、人気が集まったりするのかもしれません。
東京ではここ数年「うどん」が人気です。
昨年は映画「UDON」が公開されました。
でも、うどんって昔からある食べ物です。
流行りもクソも無いような気がしますが。
う~ん・・・これもよく考えれば、「あると思ってて、実は無い」商品だったのかもしれません。
「うどんが人気」といっても、それは讃岐うどんが中心です。
関東風のうどんが人気になったワケじゃ、ありません。
そう言えば、関西の人は関東風のうどんを食べると「東京のうどんはマズい」と口を揃えて言ってました。
あの醤油っぽい真っ黒な汁に驚くみたいです。
でも、ちょっと待ってください。
意外にも気付かれていなかったことですが、実は今まで
「東京には『うどん屋』が、ほとんどなかった」
という事実があります。
ほとんどの場合、東京で口にするうどんってソバ屋で食べてるんです。
ソバ屋さんの作るうどん。
誤解を生む言い方ですが、関東で食べるうどんの多くは「ソバ風のうどん」ばっかりだったんです。
で、ここが奇妙なところです。
東京って、紛れもなく飲食業の激戦区です。
中華にしろフランス料理にしろ、和食にしろイタリアンにしろ、各ジャンルごとに美味い店はたくさんあります。
「和歌山ラーメン」やら、「広島風お好み焼き」のように、同ジャンルでも、テイストやバリエーションごとに店が分かれていたりします。
なのになぜ、東京で食べるうどんは関東風ばっかりだったんでしょう?
関西の人が「不味い、不味い」と繰り返していても、実は讃岐うどんも関西風うどんも、ちょっと前までは簡単には食べれなかったんです。
「うどん」は確かにあった。
そして、確かにあると思ってた。
でも、実は滅多にお目にかかれなかったうどん・・・
それがここ数年のうどん人気に繋がってるんじゃないでしょうか?
いや、流行と言うよりも、もはや定番です。
同じくここ数年流行なのが、「起業」です。
で、起業に関する教科書には、どれを覗いても「ニッチだ。ニッチだ」と口喧しく騒ぎ立てています。
ある程度大きな市場はどこも大手が入り込んでいるので、隙間産業を狙って起業しましょう、と言ってるわけです。
ところが、どうでしょう。
てっきりいると思ってた大手企業が、実は大きな市場にいない。
残された市場はニッチしかないと思ってたら、実は大きな市場にもある。
東京では「うどん」という市場に、実は大きな穴がポッカリと開いていたわけです。
既に“アル”と思ってたものが、実は“ナイ”。
ありそうで、実はない。
そういうことって、巷にはまだまだ転がっているのかもしれません。
今まで何気なく見過ごしていたことを、ちょっとだけ足を止めて見つめてみるだけで、今までの景色が違って見えてくるのかもしれません。
ps:
もっと別な、というか正確な言い方をすれば、
「人に“ある”と認識させるには、本当に知っている必要はなく、もっと別な要素が関係している」
「記憶の断片をつなぎ合わせていくと、知らないことまで知っている気持ちになる」
ということになるのかと。
ps:
一難去ってまた一難・・・というよりも、一難が去る前にまた一難が降りかかる、そんな踏んだり蹴ったりの毎日を送っています。
この間は、空き巣にも入られましたし。
でも最近の空き巣って、部屋の中を荒らさないんですねぇ。
貴金属や小銭なんかも盗みません。
お札だけを、そっと盗っていくわけです。
だから自分の家で何が盗まれてたかキッチリ把握するのに、結構時間がかかりました。
最初は、「何も盗まれてなくて、良かった~ぁ!」なんてぬか喜びしてましたもん。
あると思ってた現金が実は無かったって気付いた瞬間・・・
正直ショックと共に、ちょっぴり笑えました。
そんな自分が、今日もちょっぴり可愛らしく思えます。
だから、先週もメルマガを発行しなかったことは、許せ。許すんだ。
頼みましたぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 14:12 | コメント・トラックバック(0)
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