両腕いっぱいの果実

intro:

 
ある程度年齢を重ねた男性の多くが抱く恐怖・・・
それは、朝起きたときに枕に大量に付着している「抜け毛」なのではないでしょうか?

両手いっぱいの抜け毛・・・

うわあぁぁぁぁ!!

想像しただけでも、身震いがしてきます。

多くの男性達は、そんなリスクを抱えながら、今日も寝床へと向かいます。
そんな彼らの姿は間違いなく、戦場へと足を踏み入れる勇者と同じはずです。

しかし、そんな戦場を幾度も潜り抜けてきた歴戦の勇者である私からすれば、彼らはまだまだ甘ちゃんです。
私は、そういったリスクに対する恐怖など、今では全く感じません。

そう、皆無なんです。

「それは、恐怖が麻痺したから?」

答えは「NO」。
あの心の痛みを忘れることなど、できやしません。

「じゃあ、それは諦め?」

その答えも、「NO」だね。
私はまだ、諦めたわけじゃない。

「では、なぜ?」

ただもう私には、そんなに抜け落ちるほどの髪の毛が残されていないんです。

大量に抜けるくらいに髪の毛があるなんて、私からすれば幸せ以外の何ものでもありませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

人は何らかの行為をすることで、利益(リターン)を得ようとします。
が、そこには必ずリスクが伴います。

え?言われなくとも分かってる?
そうですか、じゃあ先に進みます。

では仮に、Aという行為があるとしましょうか。

それを実行することで期待できるリターンの大きさは「20」です。
それに伴うリスクの大きさは「10」です。
そして、アナタが許容できるリスクの大きさは「15」だとします。

さて、アナタはこのAという行為を実行するでしょうか?

普通に考えたら、まずやるんでしょうね。
期待できるリターンは20あって、でもリスクの大きさはアナタが耐えられる量15よりも少ない10のわけですから。

でもね、人ってなんて不思議な生き物なんでしょう。

実際にこういった場面に直面したら、多分アナタはやらない。
いや、アナタだけじゃなく、ほとんどの人がAを実行しません。

なぜかというと、人はリスクを過大に見積もる性質があるからです。
人はリスク回避性向がありますから、少しのリスクでも避けようとしますし、また実際よりも過大にリスクを感じてしまいます。

前にも言いましたが、1グラムの幸せと1グラムの不幸せでは、不幸せの方が重く感じられてしまうんです。

ですから、恐らくアナタも他の人も、リスク10のところを20くらいに感じてしまい、Aを行なうことを躊躇ってしまいます。

いや、ほとんどの人はリスクがあるということ自体を嫌がって、「何となく不安」が理由で、実行することを避けてしまいます。

 

で、自己啓発なんかのポジティブ・シンキングでは、この「何となく不安」を「リスクを恐れるな」とか言って、夢や希望にすり替えます。
「リスクが20もある」を「リスクは20しかない」へと思い込ませます。

つまり、従来のポジティブ・シンキングって、リスクを甘く見積もるようなものなんです。

もちろん先の例で言えば、そんなポジティブ・シンキングでも結果は上手く行くことが多いでしょうね。
だって、リスクを甘く見積もってAを実行しても、実際のリスクはアナタの許容範囲内ですから。

でも仮に、行為Bがリターン50でリスク30だったら、どうなんでしょ?

「リスクは30もある、ではなくて30しかないんだ!」とか言って挑戦するんですかね?
するんでしょうね、ポジティブ・シンキングなら。

でも、どんなにポジティブになったところで、アナタのリスク許容量は15しかありません。
リスクを被る場面に直面した時点で、最悪アナタは破綻します。

凄いですね、ポジティブ・シンキングって。
まるで自分に羽根が生えたかのように思わせて、崖から飛び込ませる様なものです。

たまたまその谷底が1メートル程度だったら、アナタはめでたく成功者となれるわけですが、深ければ大怪我を負ってしまいます。
ポジティブ・シンキングって、結果を運に頼ることだったんだあ。

 

でも、ホントにポジティブな人の姿勢って、そうじゃありません。

まずは、リスクをきちんと見積もります。
次に、実際のリスクと感覚的なリスクの差異を見つけます。

そして、その差異の分だけを埋める心の作業が、ポジティブ・シンキングなんです。
そして、実際のリスクを積極的に取りにいく。

この積極的な姿勢が、本当の意味でのポジティブな考え方と姿勢です。

そして、リスク・テイカーは報われる・・・

 

いいですかい?
良く考えてみてください。

リスクを過大に見積もってしまうネガティブな感情って、人として極当たり前の心理状態なんです。

ですから、先のAという行為には、ほとんどの人が手を出しません。
みんな、リスクがほとんどないと感じる別のところで、シノギを削ってます。

そして、Aを実行するのは、ほんのわずかなリスク・テイカーだけです。

はい、ここまで言って、気がつきましたか?

そうです。
つまり、このAという行為は、実はライバルが少ないという空白地帯・・・

だから、リスク・テイカーは報われます。

多くの人たちが、果実を求めて森を彷徨います。
そして彼らの多くは、自分が許容できるよりも遥かに安全な場所にいて、限られた数の果実を、みんなで奪い合っています。

変なセミナー屋さんに乗せられた一部の人は、素晴らしい果実を掴もうと、「ポジティブ!」とか叫びながら、崖の上から飛び降りています。

しかし、リスク・テイカーとなったアナタは、他人が危険だと思い込んで足を踏み入れない場所へと向かいます。

だって、そこは他人が思ってるほど危険じゃないということ、そしてそのリスクに自分が耐えられるということを、アナタは知っているから。

そして、その場所にはたくさんの果実が実っています。

だって、その場所は、ほとんどの人が足を踏み入れない場所だから。
その実を摘んでいるのは、極わずかな人たちだけです。

そして夕暮れ時、アナタは鼻歌を歌いながら家路へと向かってるはずです。
両腕いっぱいに、果実を抱えながらね。

ps:

起業を望みながら、「何となくの不安」というリスクの存在が理由で躊躇している人って、結構多いです。

ところが、いざ起業をしてみた人の多くは、リスクのことなんて何も考えてはいません。
自己啓発で言われなくとも、行動に移した人はみんな、成功したイメージで頭の中は一杯なんです。

だから、現実に直面すると、わりと直ぐに崩れ落ちるんですよねぇ・・・

ということは、あれですかね?
私の頭髪もポジティブ・シンキングで、現実に直面すると直ぐに抜け落ちちゃうってことですかね。

あはは。
泣いちゃうぞ。

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リスク・テイカーによろしく

intro:

巷に蔓延る多くのハゲたちは、頭皮が蒸れることを気にして、帽子をかぶることを避けているようです。
もちろん、周囲の人間も

「アンタ、ハゲなんだから帽子なんてかぶってると、蒸れて抜けるよ」

という脅し文句を、平然と吐き捨てます。

なんという恐ろしい世の中でしょうか。

しかし私は、そんな脅しなどには屈しません。
お出かけの際には、帽子を平然とかぶってみせますし、むしろ余裕の笑みさえ浮かべているくらいです。

そう、私は一流のワルとして名を馳せた男。
常にリスクと背中合わせに生きている男の中の男なんです。

傷だらけの背中が、今日も泣いています。

でも、ツンツルテンの私のハゲ頭は、もっと泣いてるみたいですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

昨日、TBSで放送している「東京フレンドパーク2」を観ました。
毎週ゲストが、アトラクションゲームにチャレンジするという番組です。

昨日のゲストは、フィギュアスケートで活躍する浅田真央、安藤美姫、織田信成、小塚崇彦の4人でした。

彼らのゲームにはしゃぐ姿を見ていると、

「あれ?この4人って日本を代表するフィギュアスケーターだよね?」

と思ってしまうくらい、ごく普通の若者達と変わらない無邪気さを感じてしまいます。

ただ、それでもやっぱり彼らは、一般的な人は違っている様です。
番組の中でも、「やっぱ、アスリートだな」と思うことがありました。

それは、「フラッシュザウルス」というゲームでのこと。
ゲームの内容は端折りますが、ルールとしては

  • 1人ずつゲームに挑戦していき、3人全員がクリアできると、そのゲームは成功となる
  • 途中で誰かが失敗すれば、そのゲームは失敗
  • ゲームは8回まで繰り返すことができ、そのうち3回成功すれば、勝利が決定!

というものです。
(詳しくは→http://www.tbs.co.jp/tfp2/atr_flash.html

このゲーム、先にチャレンジした2人が成功しても、3人目の人が失敗すれば、元も子もないという内容です。
ですから、プレイヤーの中では、3番手が最もプレッシャーを抱えることになります。
3番手は、誰もやりたがらない。 

ところが、ここで面白いことが。

まず、浅田真央・安藤美姫・小塚崇彦の順番でゲームをしていると、1番手の真央ちゃんが失敗をしました。

すると真央ちゃんは、次のゲームでは自分が3番手をやると言い出すんです。

1度失敗してしまったら、次は余計にプレッシャーを感じてしまうのが普通です。
なのに彼女は、更にプレッシャーを負うことになる3番手でプレーすることを自らすすんで選択するわけです。

そして同じことが、浅田真央・織田信成・安藤美姫の順番でゲームを始めた時にも起こります。
2番手の織田信成が失敗すると彼は、やはり次のゲームで自分が3番手をやると言い出します。

その時、信長の末裔は「だって、プレッシャーに勝ちたいから・・・」と、ポツリと呟いていました。

これを観ていて私は、「やっぱ、アスリートは違うな」と思わず感心してしまったわけです。

世界の舞台を第一線で活躍する人間・・・
勝負の世界でコンスタントに結果を残し続けることのできる人間・・・

彼らは紛れもなく、チャレンジを求められる場面では積極的にリスクを取りにいくことのできる人、つまりリスク・テイカーなんです。

 

間違いないように言っておきますが、ここで言うリスク・テイカーって、危険を顧みずに何でもかんでも突き進む人間のことではありません。

きちんとしたリスク判断のもとで、積極的にリスクをとりにいくことの出来る人間のことを、リスク・テイカーと言います。

先の話で言えば、真央ちゃんも信長の末裔も、失敗した後にあえて最も人が嫌がる3番手でプレーすることを自ら選択しています。

凄い。

しかし、普通に考えればわかるとおり、実は1番手と2番手と3番手の間に、成功する確率と失敗する確率に違いはありません。
何番手でプレーしようが、確率から言えば何も変わらないんです。

だから、本来であれば何番目でプレーしようが、結果に違いはありません。
ないはずです。

ところが、現実の世界は違います。
なぜなら、そこには人間の心理面が結果に大きく影響を与えるからです。

つまり、変わるのはリスクではなく、自分の精神面だけ。
実体面でのリスクは何も変わらないのに、人の心理がその結果を大きく左右する状況って、世の中には結構多いんですね。

で、こういった状況をきちんと見極められる人が、リスク・テイカーです。

普通の人は、こういった状況に置かれると、その行為を避けることでリスクそのものを避けようとします。

ところが、リスク・テイカーは違います。

リスクを負う確率は同じ、後は自分の心理面だけといった場面では、自分自身ときちんと向き合うことが出来るんです。
そして、積極的にリスクを取りにいきます。

これが、リスク・テイカーです。
結果、彼らは常に勝利に近い位置にいることになります。

これ、子供の頃から勝負の世界に身を置いていたりすると自然と身に付く感覚なんですが、大人になった後から身に付けることも可能です。

 

・・・とここまで書いて、そう言えばこの「裸足のリーダー」では、このリスク・テイクに関する話は、今までしてなかったなと気がつきました。

まあ正直なところ、話が面倒くさくなりそうなんで、ちょっと避けてた部分はあるんですけどね。

ただ、最近はようやく行動経済学などに関する本が書店に数多くならんだりテレビでも採り上げられるようになりました。
ということで、私もこれ以上突き進んでお話しても、理解できる人が多少なりとも増えるんじゃないかと思う次第で。

この話、リスク管理を理解している人なら、別に珍しくもない話なんですが、月並みなポジティブ・シンキングしか知らない人は、目から鱗かも。

ということで次回の裸足のリーダーでは、リスク・テイクについて、もう少しお話しするつもり。
私の気が変わらなければ、の話ですけど。

ps:

さて、実は私、次回への期待を大袈裟に煽っておきながら、次はリスク・テイクの話じゃなくて、全く別の話にしようかと模索中です。
いかに読者の期待を裏切ろうかと、今からドキドキしているわけです。

そんなことしたら、読者が減る?
いや、減らないですよ、多分。

そう、私はリスクをきちんと把握しつつ、リスクを積極的に取りにいくリスク・テイカーなんです。

どうです?
凄くないですか?

もちろん、リスク・テイカーとか言って調子に乗ってる私に向かって

「お前はまず、自分の抜け毛を積極的に取り戻しに行ってこいよ」

とか言うのは、無しですぜ。
泣いちゃうよ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

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自由という名の厳しさ

intro:

「自由じゃなけりゃ、意味がねぇんだよ」と吐き捨てたのも、
「自由って一体何だい?」と歌ったのも、

そう言えば、尾崎豊でした。
今週末の25日は、彼の命日です

当日は彼の未公開映像が公開されるそうです。
でも、それって毎年の様に命日がくる度にやって気がするんですが。

もちろん、ファンの方々には嬉しい限りなんでしょうけど、何となく勿体つけて小出しにされてるかの様にも思えてしまいます。

まあ、私の抜け毛も小出しと言えば小出しですが、それは毎日のことなので、1年でみれば相当量の髪の毛が抜けています。

「チリも抜ければハゲ頭」

どうやら私はたった今、歴史に残る名ゼリフを世界中の人々の心に刻み付けてしまった様です。

「早過ぎた伝説」とは、やっぱり私のことだったみたいですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

もう既に大人になってしまった私達は、「自由」というものが単に「何者にも縛られない」という意味ではないことを知っています。

じゃあ、自由って何でしょう?
この答えを探すには、2つの視点で考える必要があります。

まず考えられるのが、「選択肢がある」ということです。

選択の余地がない、取るべき選択肢が1つしかないというのは、不自由なことです。
しかし、いくつかの選択肢の中から選ぶことができる環境にあるというのは、自由なことです。

仕事に行く時も、遊びに行く時も、デートに行く時も、いつも同じ服しか着れないのは、イヤなものです。
その日の気分や体調、シチュエーションなんかに合わせて、服や食事を選ぶことが出来るのは、自由なことです。

ですから、選択肢の中から選ぶことが出来る環境にあることは、確かに「自由である」と言えるはずです。

でも、ちょと待ってください。

自由って、ホントはとっても主観的。
自由なのか不自由なのかを感じるかどうかって、本人次第です。

見た目に無頓着の人なら、毎日同じネクタイやスカートでも、全然気にならないかもしれません。
また制服の様に、周りの人も毎日自分と同じ格好であれば、不自由さを感じないかもしれません。

自分が自由であるかどうかなんて、与えられた環境にもよりますし、また自分の主観によるところも大きいわけです。

 

じゃあ、ちょっと視点をかえてみましょうか。

その人自身は不自由さを感じていなくても、他人から見たら「この人って、不自由だな」なんて思ってしまうことって、あります。

それって、どこから生じるんでしょう?

まず最初に思いつくのは、その人がその対象に興味があるかないかです。
ファッションに興味がなければ、毎日同じ服でも不自由を感じないかもしれません。

でも、本人は興味があるし不自由さを感じていないけど、他人から見たら違和感を感じることって、あるはずです。

例えば私が自分で選んだピンク1色のシャツを着て意気揚々としているとしましょうか。
でも、それを見てアナタは、

「お前は何を着ても似合わねーよ」とか
「老け顔のハゲなんだから、もっと落ち着いた色にすれば良いのに」とか

そんな風に思ったりするかもしれません。

本人は自由な選択だと思っていますし、確かにどの服を選ぶのは自由ですが、でも他人から見たら、

「どうして、そっちを選ぶんだ?」
「なぜ、コッチを選ばないんだ!?」

と思ってしまうことがあるわけです。

もちろん、本人だって不自由さを感じているけど、「どうして良いかわからないんだよっ!」って場合もあるはずです。

つまり、不自由な人って、きちんとしたチョイスができなかったり、そもそも他の選択肢があることすら気がつかない人のことです。

そしてこれは、「能力の差」です。

  • 選択肢の中から選び取る能力がない
  • 別の選択肢を見つける能力がない

という悲劇が、その人自身を不自由にさせていることになります。

 

さて、ここで厳しい現実に直面します。

つまり、自由でありたいと思うならば、そのための能力が必要であるということです。
選択肢を見つけ選び取る能力がなければ、自由は制限されてしまいます。

だから、自由であることって厳しいことなんです。

例えば、今の仕事に不自由さを感じ、転職を望む人がいるとしましょう。

しかし、自分の仕事に対して自由に振舞えるかどうかは、先の2つの視点から、以下の条件のどちらかが必要になります。

  1. 自由に振舞える環境が与えられている
  2. 自他共に能力があると認められているため、自由に振舞える

なので、自分に能力がないのに不満の理由を職場環境に挙げる人は、いつまでも1.を求めて彷徨い続けることになります。

しかし、2.の条件を満たせる人は、どこにいても自由です。

もちろん、次の職場へ行って頑張れば、能力を磨くことはできるはずです。
でも、だったら今の職場ではなぜ能力を磨かなかったんでしょう?

1.なのか2.なのかの極論は避けたいところですが、長くなりそうなので割り切って言いますが、多くの場合、

仕事や生活に対して不自由さを感じるのは、その人自身に能力が不足しているから

と考えた方が、現実的な問題解決には繋がりやすいんです。

 

今のところがダメだから、別のところへ行ってみる。

確かにその選択は、自由です。
しかし本当に自由な人は、その選択がどういう意味を持つのか知っています。

それが自分にとってのステップアップや転機になるのか。
それとも単に、その場所から逃げ出すための言い訳を探しているのか?

もちろん、逃げることも言い訳をすることも、全然OKです。
しかし、逃げることと自由になることは違うという認識は必要です。

今いる場所から違う場所へ行くことは、今以上に厳しい環境が待ち構えているかもしれません。
そういった現実を知り、覚悟する気持ちが必要です。

いいですかい?
もう一度言います。

自由でいるためには、そこで生き抜く能力が必要です。
そして、自由でいたいのであれば、自分自身に厳しさを突きつけていく必要があります。

ps:

ちなみにですが、この2つの視点の自由。
前者を「消極的自由」、後者を「積極的自由」と呼んだりします。

そして、「アレもコレも嫌だ。だから、アッチにする」というのを「ワガママ」と言います。

私個人としては、別にワガママを貫き通す生き方だってありじゃないかと思っています。
まあ、周囲の人間からすれば、とっても迷惑な生き方ですが。

ちなみにですが、私の髪の毛たちも、とってもワガママです。
勝手にどこかへ行ってしまって二度と戻ってきやがりません。
いつも私を困らせてばっかりなんです。

それを考えると、やっぱりワガママってのは、絶対はんた~いっ!
そんな気がしてきましたぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 13:23 | コメント・トラックバック(0)

伝言ゲームを阻止せよ!

intro:

周知の方も多いと思いますが、私は「坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた」という早口言葉が得意です。

ですから私の場合、仮に伝言ゲームで

「生麦、生米、生卵」

と伝えられても、必ず

「坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた」

と次の相手に伝えることにしています。

どうです?
この、何が起ころうとも自分の行動を変えないという、不動の姿勢。
そして、シンプルでわかりやすい行動規範。

私のその様な行為は、きっと多くの人々に感動を与えているはずです。
惚れちゃっても、構いませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

この時期は、新入社員やら新人のアルバイトが多く入ってくるシーズンです。
なので今日は、新人さんに業務を教える際の注意点でもお話しようかと。

内容は至ってシンプルです。
ポイントは、1つ。

「マニュアル以上のことは教えない」

ということです。

新人さんに業務を教える際、上司や先輩が手取り足取り教えてくれます。
ただその際に、親切心から

「これは、こうするとやりやすいよ」とか
「コッチを後回しにして、先にアッチをやっておくと、早く終わるよ」とか

そんな風に、先輩達はマニュアルを超えて、やりやすい方法やスムーズに出来る方法を教えてしまいます。
特に仕事が出来る人ほど、そうする傾向が強くなります。

でも、やめてください。

個人的な親切心が、実は会社全体としてあまり良い結果を残さないことが、結構多いんです。

 

人は、自分なりにやりやすい方法というものを探します。
もちろん与えられた業務も、放っておけば自分なりに、簡単にスムーズに進められる方へと、その方法を変えてきます。

その人なりに、ね。

ですから、例えばアナタが教えた「応用」が、相手にとってやりやすいとは限りません。
逆に、やり難くしてしまうことだってあるわけです。

しかも、教える人が複数の場合、その応用編は教える人の数だけ違ってきます。
1つの業務のやり方を、先輩や上司にそれぞれ違った方法で教えられたら、新人さんはたまったもんじゃありません。

アッチをやれば「そうじゃない」と言われ、コッチをやれば別の先輩から「そうじゃない。教えただろ」と言われます。
人間関係も絡んでくるイヤ~な問題です。

だから余計なんですよ、マニュアル以上のことを安易に教えてしまうのは。
余計なストレスを、新人に与えてしまうんです。

でも、組織全体のこと考えたら、事態はもっと深刻です。
マニュアルを超えて、個人の裁量で業務のやり方を新人を教えてしまうのは、

「伝言ゲーム」

と同じになってしまうんですから。

仮にアナタが親切心から、新人アルバイトのAさんにマニュアル以上のことを教えたとしましょう。

でも、Aさんにとって教えられたその応用編は、基本です。
仕事に慣れてくると、教えられたその基本をもとに、更に自分のやりやすい方法に変えて、業務をするようになります。

そして半年後、今度はAさんが新しく入ってきた新人アルバイトBさんに自分流のやり方を教える様になります。

そうなるとBさんは仕事が慣れるにつれ、Aさんのやり方を自分なりにアレンジして、自分なりの方法で仕事をする様になります。

そして次に新人アルバイトCさんがくると、Bさんは・・・

という風に、どんどんと業務のやり方が変質してしまいます。

それはまるで伝言ゲームかのよう。
決められた業務のあり方は、次第に形を変えてしまい、酷ければ元の原型から全くかけ離れた別ものになってしまいます。

もちろん、企業として総合的に見ながら業務のやり方を変革していくのは「カイゼン」です。
しかし、個人がバラバラに自分の裁量で勝手にやり方を変えていくことを繰り返すのはカイゼンではなく、惰性です。

それは会社に良い影響を与えません。
業務の質が劣化していくケースがほとんどです。

しかもそれは、知らないところで会社のカラーを変えていく結果になります。
当初のやり方と今現在のやり方が変わっていけば、それは自然な結果です。

特に顧客と直接接する機会の多い業務でそういったことが起こると、顧客はそれを雰囲気として自然に察知します。

各人の業務の質が低下している・・・
おまけに従業員それぞれ、やってることがバラバラ・・・

こうなると、期待されるパフォーマンスを達成することは難しくなります。

これって、深刻です。
気がついた頃には、時すでに遅し・・・ならまだ良い方です。

こういった事態に陥っていることに気がつかずに放置されたまんまってことの方が、ずっと多いんですよねぇ。

仮に気がついたとしても、それは1から業務のやり方を従業員全員に正し直すという作業が必要です。
これ、全くゼロから人を教えるよりも、大変です。

人は保守的ですから、従来のやり方を変えられることを嫌います。
不満が残ったり、クセとなってなかなか改善されなかったりします。

そうならないうちに、新人さんに業務を教える時には、マニュアル以上のことは極力教えることを避ける必要があります。
親切心が、仇となって返ってこないうちにね。

伝言ゲームは早めに阻止する。
企業のカタチを維持するには、情報伝達の方法に、もっと目を向ける必要があります。

ps:

もちろん、新人が自分で頭を悩ませながら成長していく過程で、上司や先輩が知恵を授けたりするのは、内容にもよりますが、基本的に問題ありません。
というより、むしろそっちの方が好転する場合が多いかも。

ただ、問題が1つ。
最近は、「教えられてないから」という理由で、教えられたこと以上のことをしない人が増えています。

ま、それについては気が向いた時にでもお話しするとしますか。

ちなみに私の場合、悩みながら基本レベルから応用レベルへとハゲが進行しているにもかかわらず、誰も口を出してはくれません。

「言ったところで、何も変わらないだろ」とでも思ってるんですかね?

世の中って、世知辛いもんですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 12:27 | コメント・トラックバック(0)

背中に文字を書いてみる

intro:

一流のワルとして世間にその名を轟かせている私は、最近ケータイのメールに凝っています。
昨晩も私は、知人達にこんな謝罪のメールを送ってあげました。

「今日の俺、カッコ良過ぎてゴメン」

50%の確率で、返事が戻ってきません。
残りの50%たちからの返答メールは、

「口だけは相変わらず達者だな」
「聞き飽きた。次のネタ探せ」

と言った失礼なものばかりです。

彼らは一体、何を照れているんでしょうか?

照れ屋さんの彼らには、今晩あたり

「いい歳して、いいかげん素直になった方が良いんじゃねーの?」

って説教メールでも送ってあげることにしますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

人はモノゴトを、言葉を用いて説明しようとします。
ですから時に人は、自分を言葉で着飾ります。

もちろん、それは決して悪いことではありません。
自分が他人からどう見られるかということは、生きていくうえで、ことにビジネスにおいては、大切なことですから。

ただ、過ぎたれば及ばざるがごとし。

必要以上に自分を着飾れば着飾るほど、実態からかけ離れてしまいます。
そうなってしまえば最早、オシャレでもコミュニケーション技法でもなく、自己プロデュースでもありません。

単なる虚飾です。

そしてそんな嘘は、いつか相手に見抜かれてしまいます。
もちろん、目上の立場の人ではなく、自分の部下に、です。

繰り返しお話していますが、ヒエラルキー(階級性)と言う名の組織ピラミッドの中では、上からよりも下からの方が見晴らしが良いものです。
上司の目は騙せても、部下の目は騙しきれません。

 

横を見て、後ろを見て・・・
そんな風に周りの目ばかりを気にしていて、いつまで経っても前を振り向かない人がいます。

でも、前を向かなければ、前になんて上手く進めません。
当たり前のことです。

言葉で自分を着飾るあまり、どこに向かって歩いているのか分からなくなってしまいます。

だから、前に進むには、まず前を向かなくちゃ。

まずは、進む方向を指差します。
そして、その指差した方へと、前に進みます。

たったそれだけのことです。

でね。

前を向いて歩いているその後姿。
その背中を部下達は、見ているわけです。

もちろん、部下だけはありません。
同僚だって、顧客だって、取引先だって、ビジネス・パートナーだって。

付き合いが長ければ長くなるほど、人は相手の本質を把握していきます。

だから、自己プロデュースって、自分の背中にどんな文字を書くかってことです。
口から発した言葉ではなく、背中で何を語るかなんです。

あのね。
勘違いしないで下さい。

これって別に、精神論なんかじゃなりません。
行動論です。

言葉でもなく振り向いた横顔でもなく、単にアナタの歩く後姿。
そこにしか、アナタが語る場所はありません。

でも、それが実は、最もシンプルで簡単な自己プロデュース。

だから、まずは背中に文字を書いてみる。
私たちに出来ることって、そんなことくらいです。

ps:

進む方向を指差します。
そして、その指差した方へと、前に進みます。

つまりそれは、

目標を設定します。
そして、その目標へ向かって、前に進みます。

ってことです。
装飾を取り払ってシンプルに考えてれば、極めて単純で当たり前のことです。

シンプル・イズ・ベスト

私の髪の毛も、シンプルに前頭部はツンツルテンのハゲ頭ですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

post by ノリユキ at 13:02 | コメント・トラックバック(0)