たった1枚の紙切れに載る人生

intro:

4月に入り、多くの企業では新卒の新入社員を迎えることになったと思います。

まだ緊張の解けぬ面持ちと、パリパリのスーツ姿。
フレッシュという言葉そのまんまの彼ら、彼女たち。

良いですねぇ。
彼らは企業にとって、将来の宝となる人材のはずです。

そう、“はず”です。

企業側は、数々の面接や試験を行ない、新入社員を厳選したはずですが、本当に彼らがモノになるかどうかlは、実際に働いてみなくちゃわかりません。

期待されて入社した新人が、期待はずれに終わるのは日常茶判事ですし、補欠レベルで入社した人がとんでもなく化けることだってあります。

だって、面接も履歴書も、そういった装い、つまり自己PRの得意な人に有利に働くわけで、そんな特技が実際の仕事に結びつくとは限りませんから。

しかし、そういった意味で、フレッシュな新卒社員というのは、未知数なわけです。
ポジティブに受け止めれば、面接や試験、履歴書では分らない、可能性を秘めているとも言えます。

若さって、いいですねぇ・・・

しかし人間、三十路も過ぎれば、これから歩む道のりよりも、今まで歩んできた道のり方が、今の自分を大きく左右してしまいます。
たった1枚の履歴書で、その人間がビジネス・パーソンとして使える人間かどうか、ある程度分る様になってしまいます。

main:

履歴書というのは、その人が今まで歩んできた人生の縮図です。
どこをどう歩いてきたのかが、客観的な事実で記されています。

そして性格・・・とでも言うんでしょうか?

人は、今まで歩んできた道のりと同じ様な道のりを、繰り返し繰り返し選択しがちになります。
そう、歴史は繰り返すのです。

ですから残念なことに、履歴書に載った今までの人生が、その人の今後の未来も指し示すことになっていくんです。
10代、20代ならまだしも、人格形成がなされた三十路も過ぎてしまえば、たかが履歴書1枚で、その人のビジネス・パーソンとしての今後が透けて見えてしまいます。

 

特に顕著なのは、職歴です。

転職を繰り返した経緯のある人は、次の職場でも長く続かない可能性は、ひたすら大きくなります。

もちろん、当の本人からすれば、離職にはそれなりの理由があったはずです。
様々な事情から辞めることに至った結果なのでしょう。

しかし、そんな人は、もちろん次の職場でもそんな個人的な事情で直ぐに辞めてしまいます。

離職に対する精神的ハードルが低いのか、単に忍耐力がないのか、コミュニケーション能力が不足しているのか、それとも資質的にその人が嵐を呼ぶ性格なのか?

他人からすれば、そうとしか思えない理由でも、当のご本人からすれば、会社の労働環境が悪い、先輩上司の意地が悪い、組織としてのオペレーションに不満、と内容が摩り替わって映ります。

最近の私の身近な事例を挙げると・・・

中途採用で入社したばかりの社員が、労働環境の悪さを理由に即辞めしたケースがあります。
事の発端は、「休憩をとらしてくれ!」という自分の要求に、上司がOKを出さなかったことに始まります。

その日、サービス業であるその会社は朝からお客様の対応で忙しく、朝から夕方までその新入社員は休憩がとれませんでした。
で、疲れ果てた新入社員は夕方、「休憩をくれ」と上司に。
しかし上司は、「今はそれどころじゃない」と一蹴。
すると新入社員は、「規約と違う」と怒って、仕事をその場で放り出して帰ってしまいました。
そして、次の日、「辞めます」と電話で連絡・・・

まあ、これだけを聞くと、新入社員の言い分も上司の言い分も、わからなくもありません。

しかし、実際の現場での話を聞くと、少し様子が変わって見えます。

実は、ただでさえ忙しい最中に、学生アルバイトを含めた周囲の従業員たちは、新入社員で仕事の覚束ない彼をフォローするために、皆が休憩を返上していたのです。
そんな状況の中で、この新入社員は、休憩をくれない上司に怒りを感じて職場を放棄してしまったわけです。

他人のことは何も見えず、自分への労りと権利だけを主張する新入社員・・・
彼もまた、転職を繰り返した職歴を持ち、しかも離職の理由には“それなりの理由”があるわけです。

 

最近は就職難などの社会的な理由もあって、ずっとフリーターだった人が、30歳を過ぎてから就職してくるケースが多々あります。
しかし、そんな人が就職しても、職場では使い物にならないことが、割合として高かったりします。

多くの会社では、アルバイトには正社員並みの就労や責任を負わせることがありません。
バイトは所詮バイト、パートも所詮パート、そんな扱いです。

ですから、そんな範囲でしかずっと仕事をしていなければ、それが当たり前になってしまいます。
そして、そんな状況で人格が形成されてしまうと、30を過ぎた頃にはその意識変革が難しくなります。

正社員として就職した途端、今までよりも求められることが多くなりますから、就労環境はその人にとって悪化することになります。
これがまず、ストレスに繋がります。

おまけに、30を過ぎてからの新しい仕事というのは、10代、20代の頃の様には覚えられません。
記憶力をはじめとする能力的なものや体力的なものは、確実に劣ってくるからです。
なので、人並みに仕事が出来る様になるためには、人並み以上に学ばなければいけません。

ところが、趣味や生活スタイルが確立してしまった今更、プライベートは犠牲にしたくないし、むしろ労働者としての権利が侵害されているんじゃないかと言うことばかりに目が行くわけで。

結局、当の本人は、ストレスや被害者意識が高まるだけ。
職場の同僚・上司は、いつまで経ってもマトモに仕事しない彼に苛立ちが高まるだけ。

そうして、30歳までフリーターだった人は、ようやく就職した会社は長く続かず、また元のフリーターに戻ったりするケースが多くなります。

 

もちろん履歴書には、職歴だけでなく、趣味や特技、家族構成などが載っています。
そして、それらの属性も、その人を判断するには物凄く有効です。

やはり長男は長男らしい性格ですし、子供がいるのといないのとでは仕事に対する意識が違います。
これ、普段では表面化していなくても、いざとなると顕著に現れたりするので、面白いものです。

(う~ん・・・これらについても、もっと説明したいんですが、長くなってしまうので割愛)

で、この様に、履歴書には、その人の今後が裏打ちされています。
そしてそれは、歳を重ねるごとに顕著になっていきます。

ですから、人の採用、とくに中途採用には、大いに履歴書を活用するべきです。
面接で見抜けなかったその人の素顔が、たった1枚の紙切れに深く刻まれているんですから。

また、部下を何かのプロジェクトに起用するなど、社内人事を行う場合においても、もう一度彼らの履歴を見直してみるのも手です。
同じ職場で分っているつもりの彼らの違った一面に、気付くことが出来るかもしれません。

 

ただ、ここで言いたいのは、もう1つ。
それは、他人の履歴書ではなく、自分の履歴書です。

履歴書は、自分を見つめ直す時にも、大切なツールになり得ます。
だってね、さっきも言った通り、その紙切れ1枚は、自分の人生の縮図なんですから。

なので、今後の方向性を模索する時、今の自分のあり方を考える時、行き詰った時などは、そっと自分の履歴書を書いてみることをオススメします。

そして、他者の履歴書を覗く様に、自分の履歴書を覗いてみるんです。
今までの、ここに来るまでの自分が歩んできた道のりを。

そこには、自分が思い込んでいた自身の像とは別の、違う自分の顔を知るきっかけがあるかもしれません。
そして新しい自分・・・というよりは、今まで気付かなかった自分、本来の自分自身に気付いてあげましょう。

今後進むべき道のりが、おぼろげながらでも見えてくるかもしれません。


post by ノリユキ at 11:26 | コメント・トラックバック(0)

蕾(つぼみ)をつける、その前に

新入社員が4月に入社して、早1ヶ月が経ちました。
ホント、あっと言う間ですね。

しかし、その「あっ」と言う間で、新人さん達の間には仕事の“差”が露骨につき始めています。

皆さんの会社でも、入社して1ヶ月もすれば、

「今度入ったアイツ、凄いよ。使える」
「アイツ、1ヶ月経ってもまだこれすら出来ねぇんだよ。使えねぇな」

などと新人さん達の評判が聞こえてくるのは、珍しくないはずです。

理解の早い人、物覚えの良い人、要領の良い人などは、そうでない人よりも早く仕事が出来るようになるのは当然のことです。

スピードや質など、仕事の仕上がりは、わずかな期間で他者を抜きん出ます。
そして、他者よりも先に次の仕事に進むことになるわけです。

逆に、そうでない人というのは、わずかな期間で差をつけられていきます。
他者に後れをとったからと言って、誰かが補習授業を用意してくれるわけでもありません。

そう、これが競争社会の現実です。

人は他者から、あっという間の短期間で判断・評価され、その中で生きていくことになります。

 

しかし、ここで注意すべきことがあります。
それは、

「人材評価が、ちょっと早過ぎるんじゃね?」

ということです。

確かに1ヶ月、早ければ1週間もすれば、新人さん達の間には仕事の差が生まれてきます。
が、1ヶ月、2ヶ月程度で、彼らの一体何がわかるというのでしょうか?

仕事の覚えの早い人が今後、本当に仕事のできる人として育っていくかは、長い目で見なければわかりません。

単に要領が良いだけで、下手をすれば手抜きばかりが上手いだけの人だっているかもしれません。
局所戦に強くても、戦略性を持って動く立場になった途端に、ガタガタになる人だっているんですよ。

逆に、仕事覚えの遅い人でも、1年後には大きく伸びている人もいます。

局所を教わっているだけの時は飲み込みが悪くとも、大局が見えてくる頃になると途端に頭角を現す人だっています。

入社当初は「先が思いやられる」と思われていても、数年後には頼りがいのある中堅社員や上司として活躍しているケースは、意外にも多いんですよ。

ですから、仕事覚えの悪い人に対して、早めにジャッジを下してしまうことは、大きな問題です。

それなりに一生懸命仕事に取り組んでいるけど、上手くいかない人、直ぐに結果が出せない人、遅れをとってしまっている人などに対して、

「ダメだ」とか
「使えない」とか

そんな判断を早々に下してしまうのは、逆に彼らのやる気を削いでいく結果になりかねません。

それって、将来大きく花開く可能性を持っているのに、蕾(つぼみ)にもならないうちから早々と摘み取ってしまうのと同じことです。

結果的に、そんな早すぎる人材評価が、その人の可能性を奪っていくだけでなく、会社としての将来性をも奪っていくことになります。

 

でも人って、ついつい短期間で人を評価してしまいがちなんですよねぇ。
もちろん、短期評価も大切ですけど、人はその場その場の判断だけで人を評価を下しがちです。

ですから、中長期で人を評価する仕組みを作ったり、そう意識付けしていくいくことって、とっても重要です。

「花も人も、芽を出し根を張る時間はそれぞれ」

そう肝に銘じておいた方が良さそうですぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

ps:

まあ、そんなに長い間構えてられない事情というのも企業にはあるにはあるんですけどねぇ・・・
そこを乗り越えるんだ。


post by ノリユキ at 12:20 | コメント・トラックバック(0)

可もなく不可もなく(ぱ~と1)

intro:

平凡なヘア・スタイル、つまり「可もなく不可もないヘア・スタイル」というのは、確かに存在するかもしれません。

が、「可もなく不可もないハゲ」というのは存在するのでしょうか?

良くも悪くもないハゲ・・・

今、そんなハゲを想像してみましたが、ちょっと頭が混乱してきた様です。
軽くめまいがしてきました。

「きっとそんなハゲがあるはず」という願いと「そんなハゲ、あるはずがない」という絶望感が、私のハゲ頭の中で葛藤を続けています。

誰か、一刻も早く私をこの深い暗闇の中から救ってください。

チリの救出カプセル「フェニックス」なら、なんとかなるかもしれませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

さて前回は、人材評価においての大切なポイントとして、「無可無不可」があるとお話しました。

この「無可無不可」とは、日本語に訳すと

「可もなく不可もなく」

となります。
ご存知の通り、「特に良いところもないけど悪いところもない」といった様に「平凡な」という意味で使われます。

ですが、この言葉には他の解釈もあるんですねぇ・・・

 

 
それは、この「可もなく不可もなく」という言葉を、

「『可もなく』ということもOKだし、『不可もなく』ということもOK」

という風に、仏教思想的に捉える考え方です。

「特に良いところがないのもアリだし、悪いところがないのもアリ」
「出来なくても良いし、出来ても良いし」

ただ、これを字面のまんま企業の人事に当てはめてしまうと、とんでもないことになります。
だって、

「君を今回のプロジェクト・リーダーに抜擢する。でも、このプロジェクト、上手く進行できなくても良いよ」

となってしまいますから。
ダメでも良いのであれば、別に誰をリーダーにしたって良いはずです。

そうではなく、さらにこの言葉を裸足のリーダー流に解釈します。
それは、この言葉を“人材評価を下す本人に帰す”というもの。

 

例えば、A君という人材の過去の実績を見て、アナタは彼が今回のプロジェクトのリーダーに適任だと判断したとします。

ところが、彼にとってそれは初めての経験。
彼はこのプロジェクトを上手く推進できず、失敗させてしまった・・・

アナタは、期待を裏切った彼に対して、悲観や怒りの念を感じるかもしれません。
A君には、二度とチャンスを与えないかもしれません。

でも、ちょっと待ってください。
確かにプロジェクトを失敗させたのも期待を裏切ったのも、A君です。

しかし、彼をそのポストに置いたのはアナタ自身です。
アナタの判断ミスなんですよ。
そしてアナタの判断を容認した周囲の人達の責任でもあるわけです。

だったら、これはA君の責任であると共に、アナタと会社全体の責任でもあるわけです。

 

多額のお金を、知人に貸す場合を考えてみましょう。

「彼ならきっと返してもらえる」

そう判断できる場合に限って、アナタはお金を貸すはずです。

しかし、未来は未確定です。
なので、多くの場合、人は他人に多額のお金を貸しません。

しかし、こんなこともあるかもしれませんよ。

「もし彼が失敗してお金を返せなくとも、それでも構わないよ。俺も覚悟を決めたよ」

つまり、期待する自分自身もリスクを負うという覚悟です。

で、これを「信頼」と呼びます。

 

人材評価も、それとまた同じです。
未来は未確定ですから、人材配置を新たに行なった結果、それが上手く行くかどうかなんて誰にも分りません。

「過去の実績から見て、A君が今回のプロジェクトリーダーに適任だと思う。彼ならきっとやってくれるはず。

でも、万が一それが失敗しても、それならそれで構わない。
他に誰がいる?彼が最も適任だろ?

もし失敗したのなら、その時は俺も覚悟を決めるよ」

ちょっと大袈裟かもしれません。
しかし、本質的な考え方として、人材評価や人事に関しては、そんな心構えが必要なんです。

ある意味、自分でリスクを負えないのであれば、他人の評価なんてする資格はないんです。

「可もなく不可もなく」

それは、「平凡な」という意味ではなく、「信頼と覚悟」を意味します。

ps:

ですから、私も自分の抜け毛に対しては常に、「可もなく不可もなく」という心構えで接しています。

もちろん、ウソですけど。

1本抜ける度に、自分以外の何かのせいにしてやりますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


post by ノリユキ at 10:40 | コメント・トラックバック(0)

厄介なのはピーター君の・・・

intro:

以前、明らかに仕事が出来ずに昇進の機会を後輩に奪われた人の愚痴を聞きましたが、ご多分に漏れず彼は、

「会社が悪い」

そう言っていました。
自分のことはさて置き、というより自覚がないんですね。

で、ついでなんで私もハッキリと申し上げておきます。

私がハゲているのは、別に私が悪いわけではありません。
私がハゲているのは、この世知辛いストレス社会が悪いのであり、また遺伝のせいなんです。

私は何ひとつ悪くはないのです。

ただ、私は社会を構成する一員ですし、遺伝子に至っては私自身そのものです。

ということは、どっちにしろ私の責任?

嫌だ、そんなの。
それだけは、誰がなんと言おうとも、絶対に認めませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

組織の中で働く人達は、成果を認められて昇進を重ねていきます。

もちろん1度の昇進で終わってしまう人もいれば、経営陣に名を連ねるまでになる人もいるでしょう。
1度も昇進できずに終わってしまう人もいるかもしれません。

しかし、彼ら全てに共通するのは、与えられたポストで実力を示せなければ、昇進はそこで止まってしまうということです。

でも、良く考えてみてください。

実力を示せず昇進が止まってしまったということは、以前はどんなに優秀であっても、つまりそのポストにおいて彼らは無能であるということです。
そして彼らは、そのポストに無能のまま留まることになります。

ということは、それが組織内で繰り返されると、組織の中のあらゆるポストは、無能な人達で占められてしまうわけです。

優秀な成果をあげていた人達を昇進させていくことを繰り返していたら、会社の中は無能者ばかりになるなんて・・・

うわっ!怖っ!

で、これがいわゆる「ピーターの法則」(参考書籍:「ピーターの法則」ダイヤモンド社)と呼ばれるものです。

もちろんこれは絶対的なお話ではありませんが、単純な成果主義の欠点を突いた上手い着眼点であることは間違いありません。

しかし、笑えない話ですねぇ・・・
一体、何でこんなことが起きるんでしょうか?

 

これ、前回お話した通り、人の評価を「完了形」で評価しているにもかかわらず、昇進させてしまうからです。

営業マンとして入社し、優秀な成績を収め、課長に昇進した。
課長として現場の指揮官の役目を果たし、優秀な成績を示した。
そして部長へと昇進した・・・

しかし営業マンとして有能さが、部長職の能力の高さを示すわけではありません。
今まで優秀な営業マンだった人間が、部長として手腕を発揮できるとは限りません。

逆説的に考えれば、一兵卒としてはイマイチな成績の社員であったとしても、部長としてなら抜群の能力を発揮できる人がいるかもしれないのです。

人材の評価とは、今までの成果だけでは容易に判別できません。
人材評価には、未来に向けた「可能性」を模索する必要があるわけです。

でもまぁ、「言うは易し行なうは難し」なんですけどね。
未来のことなんて、誰にも分りませんから。

しかし、人材を評価して適材適所に配置することが、組織の役割です。
そしてその評価の大半は、やはり成果、つまり今までやってきた過去から判断せざるを得ません。

う~ん、矛盾してますねぇ・・・

でも、そのくらい人材評価って、すっごく難しいものなんです。

 

はいっ!
そこで、今日のワンポイント!(フジの生野アナ風)

 

それは、「無可無不可」です。

 

え?何それ?って人もいると思いますが、そのお話はまた次の機会にでも。

ps:

フジテレビの「フリーター、家を買う」を観ましたが、主人公の父親が言っていた言葉が印象的です。

「お前は、あんな会社こっちから辞めてやったと思ってるみたいだがな、実際は能力の無いお前がふるい落とされたんだよ」(筆者意訳)

うむ・・・こういったケースって、結構ありそうですね。

そうそう、冒頭文の昇進できずに愚痴っていた人ですが、彼は間もなくして会社を辞めていきました。

彼もまた、ふるいにかけられ、ふるい落とされた1人なのかもしれません。


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30歳無職、そして過去に生きる人達

intro:

そう言えばネットでは今年の夏、名言に「30歳 無職」などの肩書きをつけると説得力がなくなるといった話題で盛り上がったことがありました。

例えば・・・

「我が生涯に一片の悔い無し」(30歳 無職)
「少年よ、大志を抱け!」(36歳 フリーター)

言葉ってのは「何を言ったか」じゃなくて「誰が言ったか」で価値が大きく変わるものなんですかねぇ・・・

じゃあ、これなんてどうでしょう?

「諦めなければ、願いは叶う」(41歳 発毛を願うハゲ)
「人はセルフ・イメージの通りになる」(41歳 セルフ・イメージが小栗旬のハゲ)
「我が生涯に一毛の悔い無し」(41歳 ハゲ)

ホントだ、全然説得力がない。
それどころか、悲痛な叫び声にも聞こえてきますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

突然ですが、質問です。

仮に今、アナタの目の前に、身元のハッキリしない30歳の無職の男がいるとしましょう。

彼は、「このままの日本ではダメだ」と今の日本を憂いでいます。
そしてアナタに向かって、日本のあるべき姿を語ります。

しかし、それだけはありません。
彼は、自分の夢や目標までもを、アナタに向かって熱く語り出します。

しかも彼の夢というのは、「就職したい」とか「住宅ローンが組めるようになりたい」などのレベルの話ではありません。
「俺が日本を変えてやる」くらいの勢いで、自分の将来を語り出すんです。

さて、アナタはそんな彼を見て、一体何を思うでしょうか?

「よしっ!この男の話に乗った!資金を援助してやろう」

とか思いますかね?
それよりも、

「夢語る前に、働けよ」
「身の程を知れ」

って思うんじゃないでしょうか?

 

そう。だから多くの人々は、坂本龍馬を見つけられない。

 

今、超人気の坂本龍馬。
多くの人々が、尊敬の眼差しで彼を見つめています。

しかしそれは、彼が残した結果だけを見て判断しているに過ぎません。

当時30歳だった頃の坂本龍馬は、無職です。
しかも、脱藩浪人という身元のハッキリしない指名手配者。
どこの馬の骨とも分らない、怪しい人物なのです。

ですから坂本龍馬ファンの多くは、仮にリアルタイムで30歳の頃の坂本龍馬に出会っても、彼の凄さに気がつくことはありません。
気づくどころか、軽蔑したりなんかして。

だってほとんどの人は、肩書きで人を判断してしまうんですから。

結果だけを見れば敬愛してやまないはずの人物を、リアルタイムでは決して見つけることが出来ない・・・
それってある意味、とっても滑稽なことです。

(この話、実はTwitterで私が以前つぶやいたことなので、ご覧の方にはネタバレですね)

もちろん、自分の肩書きを超えて他人を信用させた坂本龍馬自身に、その凄さはあるはずです。

しかし、彼の言葉に全ての人が首を縦に振ったわけじゃないでしょう。
だって、30歳無職の指名手配者なんですから。

むしろ私がここで注目したいのは、30歳無職の男に可能性を見出した人達のことです。

勝海舟、木戸孝允、西郷隆盛、彼を支援した商人達など・・・
名を成した人物の多くが、彼に可能性を見出しています。

大きな業を成した人たちは、やはり人を見る眼も一般の人たちとは違っている様です。

 

多くの人々は、「完了形」で人を判断します。
今まで何をやってきて(経歴)、今どの様になっている(肩書き)かだけで、人を判断します。

確かに「過去」というものは、その人を形成する大切な要因です。
しかし、過去は人を判断するための重要なファクターであっても、その人の未来を全て表しているわけではありません。

ですから、人物眼に優れている人というのは、人を完了形で判断しません。

その人の未来、つまり可能性を推し量ろうとするんです。
その人の可能性が、その人の人物評価になるわけです。

 

いいですかい?

多くの人たちが、「人間には無限の可能性がある」などと恥ずかしげもなく言っています。
しかし、そんな人たちのほとんどは、人の可能性を推し量ることなく、人を完了形で判断します。

みんな、キレイゴトばっかりで、実際のところはリスクを回避することしかしません。

だって、未来は未確定ですから。
可能性を信じるというのは、リスクを背負うということなんです。

しかし、私達は一体どこに向かって生きているんでしょうか?

未来に向かって今を生きていますか?
それとも、過去ばかりを見つめ、過去に生きるつもりですか?

もし、未来に向かって歩いていくつもりなのであれば、自分の可能性だけでなく、周りの人たちの可能性を見つめてみることも必要です。

ひょっとしたら、自分の隣に現代の坂本龍馬を見つけるかもしれません。

ps:

そう、だから私のハゲだって、決して完了形で見ないで頂きたい。
私の頭髪が再生する可能性は、いつだって無限大なんですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


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