2011年5月19日(木) [ 組織・リーダーシップ ]
新入社員が4月に入社して、早1ヶ月が経ちました。
ホント、あっと言う間ですね。
しかし、その「あっ」と言う間で、新人さん達の間には仕事の“差”が露骨につき始めています。
皆さんの会社でも、入社して1ヶ月もすれば、
「今度入ったアイツ、凄いよ。使える」
「アイツ、1ヶ月経ってもまだこれすら出来ねぇんだよ。使えねぇな」
などと新人さん達の評判が聞こえてくるのは、珍しくないはずです。
理解の早い人、物覚えの良い人、要領の良い人などは、そうでない人よりも早く仕事が出来るようになるのは当然のことです。
スピードや質など、仕事の仕上がりは、わずかな期間で他者を抜きん出ます。
そして、他者よりも先に次の仕事に進むことになるわけです。
逆に、そうでない人というのは、わずかな期間で差をつけられていきます。
他者に後れをとったからと言って、誰かが補習授業を用意してくれるわけでもありません。
そう、これが競争社会の現実です。
人は他者から、あっという間の短期間で判断・評価され、その中で生きていくことになります。
しかし、ここで注意すべきことがあります。
それは、
「人材評価が、ちょっと早過ぎるんじゃね?」
ということです。
確かに1ヶ月、早ければ1週間もすれば、新人さん達の間には仕事の差が生まれてきます。
が、1ヶ月、2ヶ月程度で、彼らの一体何がわかるというのでしょうか?
仕事の覚えの早い人が今後、本当に仕事のできる人として育っていくかは、長い目で見なければわかりません。
単に要領が良いだけで、下手をすれば手抜きばかりが上手いだけの人だっているかもしれません。
局所戦に強くても、戦略性を持って動く立場になった途端に、ガタガタになる人だっているんですよ。
逆に、仕事覚えの遅い人でも、1年後には大きく伸びている人もいます。
局所を教わっているだけの時は飲み込みが悪くとも、大局が見えてくる頃になると途端に頭角を現す人だっています。
入社当初は「先が思いやられる」と思われていても、数年後には頼りがいのある中堅社員や上司として活躍しているケースは、意外にも多いんですよ。
ですから、仕事覚えの悪い人に対して、早めにジャッジを下してしまうことは、大きな問題です。
それなりに一生懸命仕事に取り組んでいるけど、上手くいかない人、直ぐに結果が出せない人、遅れをとってしまっている人などに対して、
「ダメだ」とか
「使えない」とか
そんな判断を早々に下してしまうのは、逆に彼らのやる気を削いでいく結果になりかねません。
それって、将来大きく花開く可能性を持っているのに、蕾(つぼみ)にもならないうちから早々と摘み取ってしまうのと同じことです。
結果的に、そんな早すぎる人材評価が、その人の可能性を奪っていくだけでなく、会社としての将来性をも奪っていくことになります。
でも人って、ついつい短期間で人を評価してしまいがちなんですよねぇ。
もちろん、短期評価も大切ですけど、人はその場その場の判断だけで人を評価を下しがちです。
ですから、中長期で人を評価する仕組みを作ったり、そう意識付けしていくいくことって、とっても重要です。
「花も人も、芽を出し根を張る時間はそれぞれ」
そう肝に銘じておいた方が良さそうですぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
まあ、そんなに長い間構えてられない事情というのも企業にはあるにはあるんですけどねぇ・・・
そこを乗り越えるんだ。
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2010年10月29日(金) [ 組織・リーダーシップ ]
intro:
平凡なヘア・スタイル、つまり「可もなく不可もないヘア・スタイル」というのは、確かに存在するかもしれません。
が、「可もなく不可もないハゲ」というのは存在するのでしょうか?
良くも悪くもないハゲ・・・
今、そんなハゲを想像してみましたが、ちょっと頭が混乱してきた様です。
軽くめまいがしてきました。
「きっとそんなハゲがあるはず」という願いと「そんなハゲ、あるはずがない」という絶望感が、私のハゲ頭の中で葛藤を続けています。
誰か、一刻も早く私をこの深い暗闇の中から救ってください。
チリの救出カプセル「フェニックス」なら、なんとかなるかもしれませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
さて前回は、人材評価においての大切なポイントとして、「無可無不可」があるとお話しました。
この「無可無不可」とは、日本語に訳すと
「可もなく不可もなく」
となります。
ご存知の通り、「特に良いところもないけど悪いところもない」といった様に「平凡な」という意味で使われます。
ですが、この言葉には他の解釈もあるんですねぇ・・・
それは、この「可もなく不可もなく」という言葉を、
「『可もなく』ということもOKだし、『不可もなく』ということもOK」
という風に、仏教思想的に捉える考え方です。
「特に良いところがないのもアリだし、悪いところがないのもアリ」
「出来なくても良いし、出来ても良いし」
ただ、これを字面のまんま企業の人事に当てはめてしまうと、とんでもないことになります。
だって、
「君を今回のプロジェクト・リーダーに抜擢する。でも、このプロジェクト、上手く進行できなくても良いよ」
となってしまいますから。
ダメでも良いのであれば、別に誰をリーダーにしたって良いはずです。
そうではなく、さらにこの言葉を裸足のリーダー流に解釈します。
それは、この言葉を“人材評価を下す本人に帰す”というもの。
例えば、A君という人材の過去の実績を見て、アナタは彼が今回のプロジェクトのリーダーに適任だと判断したとします。
ところが、彼にとってそれは初めての経験。
彼はこのプロジェクトを上手く推進できず、失敗させてしまった・・・
アナタは、期待を裏切った彼に対して、悲観や怒りの念を感じるかもしれません。
A君には、二度とチャンスを与えないかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
確かにプロジェクトを失敗させたのも期待を裏切ったのも、A君です。
しかし、彼をそのポストに置いたのはアナタ自身です。
アナタの判断ミスなんですよ。
そしてアナタの判断を容認した周囲の人達の責任でもあるわけです。
だったら、これはA君の責任であると共に、アナタと会社全体の責任でもあるわけです。
多額のお金を、知人に貸す場合を考えてみましょう。
「彼ならきっと返してもらえる」
そう判断できる場合に限って、アナタはお金を貸すはずです。
しかし、未来は未確定です。
なので、多くの場合、人は他人に多額のお金を貸しません。
しかし、こんなこともあるかもしれませんよ。
「もし彼が失敗してお金を返せなくとも、それでも構わないよ。俺も覚悟を決めたよ」
つまり、期待する自分自身もリスクを負うという覚悟です。
で、これを「信頼」と呼びます。
人材評価も、それとまた同じです。
未来は未確定ですから、人材配置を新たに行なった結果、それが上手く行くかどうかなんて誰にも分りません。
「過去の実績から見て、A君が今回のプロジェクトリーダーに適任だと思う。彼ならきっとやってくれるはず。
でも、万が一それが失敗しても、それならそれで構わない。
他に誰がいる?彼が最も適任だろ?
もし失敗したのなら、その時は俺も覚悟を決めるよ」
ちょっと大袈裟かもしれません。
しかし、本質的な考え方として、人材評価や人事に関しては、そんな心構えが必要なんです。
ある意味、自分でリスクを負えないのであれば、他人の評価なんてする資格はないんです。
「可もなく不可もなく」
それは、「平凡な」という意味ではなく、「信頼と覚悟」を意味します。
ps:
ですから、私も自分の抜け毛に対しては常に、「可もなく不可もなく」という心構えで接しています。
もちろん、ウソですけど。
1本抜ける度に、自分以外の何かのせいにしてやりますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2010年10月22日(金) [ 組織・リーダーシップ ]
intro:
以前、明らかに仕事が出来ずに昇進の機会を後輩に奪われた人の愚痴を聞きましたが、ご多分に漏れず彼は、
「会社が悪い」
そう言っていました。
自分のことはさて置き、というより自覚がないんですね。
で、ついでなんで私もハッキリと申し上げておきます。
私がハゲているのは、別に私が悪いわけではありません。
私がハゲているのは、この世知辛いストレス社会が悪いのであり、また遺伝のせいなんです。
私は何ひとつ悪くはないのです。
ただ、私は社会を構成する一員ですし、遺伝子に至っては私自身そのものです。
ということは、どっちにしろ私の責任?
嫌だ、そんなの。
それだけは、誰がなんと言おうとも、絶対に認めませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
組織の中で働く人達は、成果を認められて昇進を重ねていきます。
もちろん1度の昇進で終わってしまう人もいれば、経営陣に名を連ねるまでになる人もいるでしょう。
1度も昇進できずに終わってしまう人もいるかもしれません。
しかし、彼ら全てに共通するのは、与えられたポストで実力を示せなければ、昇進はそこで止まってしまうということです。
でも、良く考えてみてください。
実力を示せず昇進が止まってしまったということは、以前はどんなに優秀であっても、つまりそのポストにおいて彼らは無能であるということです。
そして彼らは、そのポストに無能のまま留まることになります。
ということは、それが組織内で繰り返されると、組織の中のあらゆるポストは、無能な人達で占められてしまうわけです。
優秀な成果をあげていた人達を昇進させていくことを繰り返していたら、会社の中は無能者ばかりになるなんて・・・
うわっ!怖っ!
で、これがいわゆる「ピーターの法則」(参考書籍:「ピーターの法則」ダイヤモンド社)と呼ばれるものです。
もちろんこれは絶対的なお話ではありませんが、単純な成果主義の欠点を突いた上手い着眼点であることは間違いありません。
しかし、笑えない話ですねぇ・・・
一体、何でこんなことが起きるんでしょうか?
これ、前回お話した通り、人の評価を「完了形」で評価しているにもかかわらず、昇進させてしまうからです。
営業マンとして入社し、優秀な成績を収め、課長に昇進した。
課長として現場の指揮官の役目を果たし、優秀な成績を示した。
そして部長へと昇進した・・・
しかし営業マンとして有能さが、部長職の能力の高さを示すわけではありません。
今まで優秀な営業マンだった人間が、部長として手腕を発揮できるとは限りません。
逆説的に考えれば、一兵卒としてはイマイチな成績の社員であったとしても、部長としてなら抜群の能力を発揮できる人がいるかもしれないのです。
人材の評価とは、今までの成果だけでは容易に判別できません。
人材評価には、未来に向けた「可能性」を模索する必要があるわけです。
でもまぁ、「言うは易し行なうは難し」なんですけどね。
未来のことなんて、誰にも分りませんから。
しかし、人材を評価して適材適所に配置することが、組織の役割です。
そしてその評価の大半は、やはり成果、つまり今までやってきた過去から判断せざるを得ません。
う~ん、矛盾してますねぇ・・・
でも、そのくらい人材評価って、すっごく難しいものなんです。
はいっ!
そこで、今日のワンポイント!(フジの生野アナ風)
それは、「無可無不可」です。
え?何それ?って人もいると思いますが、そのお話はまた次の機会にでも。
ps:
フジテレビの「フリーター、家を買う」を観ましたが、主人公の父親が言っていた言葉が印象的です。
「お前は、あんな会社こっちから辞めてやったと思ってるみたいだがな、実際は能力の無いお前がふるい落とされたんだよ」(筆者意訳)
うむ・・・こういったケースって、結構ありそうですね。
そうそう、冒頭文の昇進できずに愚痴っていた人ですが、彼は間もなくして会社を辞めていきました。
彼もまた、ふるいにかけられ、ふるい落とされた1人なのかもしれません。
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2010年9月30日(木) [ にんげん・こころ | 組織・リーダーシップ ]
intro:
そう言えばネットでは今年の夏、名言に「30歳 無職」などの肩書きをつけると説得力がなくなるといった話題で盛り上がったことがありました。
例えば・・・
「我が生涯に一片の悔い無し」(30歳 無職)
「少年よ、大志を抱け!」(36歳 フリーター)
言葉ってのは「何を言ったか」じゃなくて「誰が言ったか」で価値が大きく変わるものなんですかねぇ・・・
じゃあ、これなんてどうでしょう?
「諦めなければ、願いは叶う」(41歳 発毛を願うハゲ)
「人はセルフ・イメージの通りになる」(41歳 セルフ・イメージが小栗旬のハゲ)
「我が生涯に一毛の悔い無し」(41歳 ハゲ)
ホントだ、全然説得力がない。
それどころか、悲痛な叫び声にも聞こえてきますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
突然ですが、質問です。
仮に今、アナタの目の前に、身元のハッキリしない30歳の無職の男がいるとしましょう。
彼は、「このままの日本ではダメだ」と今の日本を憂いでいます。
そしてアナタに向かって、日本のあるべき姿を語ります。
しかし、それだけはありません。
彼は、自分の夢や目標までもを、アナタに向かって熱く語り出します。
しかも彼の夢というのは、「就職したい」とか「住宅ローンが組めるようになりたい」などのレベルの話ではありません。
「俺が日本を変えてやる」くらいの勢いで、自分の将来を語り出すんです。
さて、アナタはそんな彼を見て、一体何を思うでしょうか?
「よしっ!この男の話に乗った!資金を援助してやろう」
とか思いますかね?
それよりも、
「夢語る前に、働けよ」
「身の程を知れ」
って思うんじゃないでしょうか?
そう。だから多くの人々は、坂本龍馬を見つけられない。
今、超人気の坂本龍馬。
多くの人々が、尊敬の眼差しで彼を見つめています。
しかしそれは、彼が残した結果だけを見て判断しているに過ぎません。
当時30歳だった頃の坂本龍馬は、無職です。
しかも、脱藩浪人という身元のハッキリしない指名手配者。
どこの馬の骨とも分らない、怪しい人物なのです。
ですから坂本龍馬ファンの多くは、仮にリアルタイムで30歳の頃の坂本龍馬に出会っても、彼の凄さに気がつくことはありません。
気づくどころか、軽蔑したりなんかして。
だってほとんどの人は、肩書きで人を判断してしまうんですから。
結果だけを見れば敬愛してやまないはずの人物を、リアルタイムでは決して見つけることが出来ない・・・
それってある意味、とっても滑稽なことです。
(この話、実はTwitterで私が以前つぶやいたことなので、ご覧の方にはネタバレですね)
もちろん、自分の肩書きを超えて他人を信用させた坂本龍馬自身に、その凄さはあるはずです。
しかし、彼の言葉に全ての人が首を縦に振ったわけじゃないでしょう。
だって、30歳無職の指名手配者なんですから。
むしろ私がここで注目したいのは、30歳無職の男に可能性を見出した人達のことです。
勝海舟、木戸孝允、西郷隆盛、彼を支援した商人達など・・・
名を成した人物の多くが、彼に可能性を見出しています。
大きな業を成した人たちは、やはり人を見る眼も一般の人たちとは違っている様です。
多くの人々は、「完了形」で人を判断します。
今まで何をやってきて(経歴)、今どの様になっている(肩書き)かだけで、人を判断します。
確かに「過去」というものは、その人を形成する大切な要因です。
しかし、過去は人を判断するための重要なファクターであっても、その人の未来を全て表しているわけではありません。
ですから、人物眼に優れている人というのは、人を完了形で判断しません。
その人の未来、つまり可能性を推し量ろうとするんです。
その人の可能性が、その人の人物評価になるわけです。
いいですかい?
多くの人たちが、「人間には無限の可能性がある」などと恥ずかしげもなく言っています。
しかし、そんな人たちのほとんどは、人の可能性を推し量ることなく、人を完了形で判断します。
みんな、キレイゴトばっかりで、実際のところはリスクを回避することしかしません。
だって、未来は未確定ですから。
可能性を信じるというのは、リスクを背負うということなんです。
しかし、私達は一体どこに向かって生きているんでしょうか?
未来に向かって今を生きていますか?
それとも、過去ばかりを見つめ、過去に生きるつもりですか?
もし、未来に向かって歩いていくつもりなのであれば、自分の可能性だけでなく、周りの人たちの可能性を見つめてみることも必要です。
ひょっとしたら、自分の隣に現代の坂本龍馬を見つけるかもしれません。
ps:
そう、だから私のハゲだって、決して完了形で見ないで頂きたい。
私の頭髪が再生する可能性は、いつだって無限大なんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2009年5月13日(水) [ にんげん・こころ | 組織・リーダーシップ ]
intro:
ある程度年齢を重ねた男性の多くが抱く恐怖・・・
それは、朝起きたときに枕に大量に付着している「抜け毛」なのではないでしょうか?
両手いっぱいの抜け毛・・・
うわあぁぁぁぁ!!
想像しただけでも、身震いがしてきます。
多くの男性達は、そんなリスクを抱えながら、今日も寝床へと向かいます。
そんな彼らの姿は間違いなく、戦場へと足を踏み入れる勇者と同じはずです。
しかし、そんな戦場を幾度も潜り抜けてきた歴戦の勇者である私からすれば、彼らはまだまだ甘ちゃんです。
私は、そういったリスクに対する恐怖など、今では全く感じません。
そう、皆無なんです。
「それは、恐怖が麻痺したから?」
答えは「NO」。
あの心の痛みを忘れることなど、できやしません。
「じゃあ、それは諦め?」
その答えも、「NO」だね。
私はまだ、諦めたわけじゃない。
「では、なぜ?」
ただもう私には、そんなに抜け落ちるほどの髪の毛が残されていないんです。
大量に抜けるくらいに髪の毛があるなんて、私からすれば幸せ以外の何ものでもありませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
人は何らかの行為をすることで、利益(リターン)を得ようとします。
が、そこには必ずリスクが伴います。
え?言われなくとも分かってる?
そうですか、じゃあ先に進みます。
では仮に、Aという行為があるとしましょうか。
それを実行することで期待できるリターンの大きさは「20」です。
それに伴うリスクの大きさは「10」です。
そして、アナタが許容できるリスクの大きさは「15」だとします。
さて、アナタはこのAという行為を実行するでしょうか?
普通に考えたら、まずやるんでしょうね。
期待できるリターンは20あって、でもリスクの大きさはアナタが耐えられる量15よりも少ない10のわけですから。
でもね、人ってなんて不思議な生き物なんでしょう。
実際にこういった場面に直面したら、多分アナタはやらない。
いや、アナタだけじゃなく、ほとんどの人がAを実行しません。
なぜかというと、人はリスクを過大に見積もる性質があるからです。
人はリスク回避性向がありますから、少しのリスクでも避けようとしますし、また実際よりも過大にリスクを感じてしまいます。
前にも言いましたが、1グラムの幸せと1グラムの不幸せでは、不幸せの方が重く感じられてしまうんです。
ですから、恐らくアナタも他の人も、リスク10のところを20くらいに感じてしまい、Aを行なうことを躊躇ってしまいます。
いや、ほとんどの人はリスクがあるということ自体を嫌がって、「何となく不安」が理由で、実行することを避けてしまいます。
で、自己啓発なんかのポジティブ・シンキングでは、この「何となく不安」を「リスクを恐れるな」とか言って、夢や希望にすり替えます。
「リスクが20もある」を「リスクは20しかない」へと思い込ませます。
つまり、従来のポジティブ・シンキングって、リスクを甘く見積もるようなものなんです。
もちろん先の例で言えば、そんなポジティブ・シンキングでも結果は上手く行くことが多いでしょうね。
だって、リスクを甘く見積もってAを実行しても、実際のリスクはアナタの許容範囲内ですから。
でも仮に、行為Bがリターン50でリスク30だったら、どうなんでしょ?
「リスクは30もある、ではなくて30しかないんだ!」とか言って挑戦するんですかね?
するんでしょうね、ポジティブ・シンキングなら。
でも、どんなにポジティブになったところで、アナタのリスク許容量は15しかありません。
リスクを被る場面に直面した時点で、最悪アナタは破綻します。
凄いですね、ポジティブ・シンキングって。
まるで自分に羽根が生えたかのように思わせて、崖から飛び込ませる様なものです。
たまたまその谷底が1メートル程度だったら、アナタはめでたく成功者となれるわけですが、深ければ大怪我を負ってしまいます。
ポジティブ・シンキングって、結果を運に頼ることだったんだあ。
でも、ホントにポジティブな人の姿勢って、そうじゃありません。
まずは、リスクをきちんと見積もります。
次に、実際のリスクと感覚的なリスクの差異を見つけます。
そして、その差異の分だけを埋める心の作業が、ポジティブ・シンキングなんです。
そして、実際のリスクを積極的に取りにいく。
この積極的な姿勢が、本当の意味でのポジティブな考え方と姿勢です。
そして、リスク・テイカーは報われる・・・
いいですかい?
良く考えてみてください。
リスクを過大に見積もってしまうネガティブな感情って、人として極当たり前の心理状態なんです。
ですから、先のAという行為には、ほとんどの人が手を出しません。
みんな、リスクがほとんどないと感じる別のところで、シノギを削ってます。
そして、Aを実行するのは、ほんのわずかなリスク・テイカーだけです。
はい、ここまで言って、気がつきましたか?
そうです。
つまり、このAという行為は、実はライバルが少ないという空白地帯・・・
だから、リスク・テイカーは報われます。
多くの人たちが、果実を求めて森を彷徨います。
そして彼らの多くは、自分が許容できるよりも遥かに安全な場所にいて、限られた数の果実を、みんなで奪い合っています。
変なセミナー屋さんに乗せられた一部の人は、素晴らしい果実を掴もうと、「ポジティブ!」とか叫びながら、崖の上から飛び降りています。
しかし、リスク・テイカーとなったアナタは、他人が危険だと思い込んで足を踏み入れない場所へと向かいます。
だって、そこは他人が思ってるほど危険じゃないということ、そしてそのリスクに自分が耐えられるということを、アナタは知っているから。
そして、その場所にはたくさんの果実が実っています。
だって、その場所は、ほとんどの人が足を踏み入れない場所だから。
その実を摘んでいるのは、極わずかな人たちだけです。
そして夕暮れ時、アナタは鼻歌を歌いながら家路へと向かってるはずです。
両腕いっぱいに、果実を抱えながらね。
ps:
起業を望みながら、「何となくの不安」というリスクの存在が理由で躊躇している人って、結構多いです。
ところが、いざ起業をしてみた人の多くは、リスクのことなんて何も考えてはいません。
自己啓発で言われなくとも、行動に移した人はみんな、成功したイメージで頭の中は一杯なんです。
だから、現実に直面すると、わりと直ぐに崩れ落ちるんですよねぇ・・・
ということは、あれですかね?
私の頭髪もポジティブ・シンキングで、現実に直面すると直ぐに抜け落ちちゃうってことですかね。
あはは。
泣いちゃうぞ。
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