2008年4月22日(火) [ 組織・リーダーシップ ]
intro:
先日、その業界で知らない人はいないと言われている、とある会社の会長さんとお話しする機会がありました。
ところがその会長さんは、事もあろうことか一流のワルで名の通った私に向かって、
「君はハゲてるくせに、客ウケの良い顔つきをしているな。珍しい」
などと言いやがります。
私をハゲタカとパンダの合いの子とでも思ってるんでしょうか?
ちっくしょう・・・
お前なんか・・・
お前なんか・・・
(ヨッ!スシ王子!)
握ってやるっ! 凸( ̄ヘ ̄)しゃき~ん
『参考:銀幕版スシ王子!~ニューヨークへ行く~』
もちろん、1日に少なくとも10回はコレを繰り返す私は最近、周りからウザがられています。
一流のワルどころか、ウザ王子ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
モチベーションを高い状態で維持し続けるのは、基本的に不可能です。
人は人であるがゆえに、上がり下がりします。
決意とか自己計画など、自分の内部だけでモチベーションを維持し続けることが出来る人なんて、滅多にいません。
ですから自分の外側、つまり外部環境を整えることが必要になります。
会社組織の場合、上司としてまずすべきことは、部下が働きやすい環境を作り上げることです。
上がり下がりする人の気持ち。
これが上り調子の時は、「働きやすい環境」が従業員の背中を押してくれます。
下手な小細工するよりも、働きやすいと各自が感じて仕事をすることが、何よりも大切です。
ところが、一口に「働きやすさ」と言っても、実情は複雑です。
部下のモチベーションの高い時にはそれが有効に機能しても、逆にモチベーションが低くなると、働きやすさが怠けやすさに変わることが多々あります。
ですから、尻を叩く存在が必要になってきます。
下り調子の時、尻を叩く存在が必要なんです。
そしてその存在が、「上司」です。
部下のことをきちんと考える上司は、部下に対して働きやすい環境を提供しようと、下手をすれば物分りの良い上司を演じてしまいます。
しかし、そればかりだと従業員たちの気持ちが上手く上向かない場合には、とんでもなく下降線をたどり続けます。
だからね、上司なんてウザいくらいが調度良いんです。
うるさい上司。
ちょっとしたスキや手抜きを見逃さなかったりする上司。
そんな上司が目の前からいなくなると、部下達は「C= (-。- ) フゥッ」っと気が緩みます。
で、そんな存在の上司がある意味、調度良かったりします。
決して過度ではなく、適度なストレスを上司が与え続けることができれば、モチベーションの低下を防ぐことが出来ます。
そもそも自分のモチベーションが高い時って、上司から五月蝿く言われることは少ないはずですし、気にもなりません。
だからね、もう一度言います。
上司なんて、ウザいくらいが調度良いんです。
自分は部下達からウザがられてるかもしれない・・・
そんな風に悩む必要は、どこにもありません。
それが自分の事情ではなく、仕事のためのウザさなら、きっとアナタは立派な上司です。
ps:
先の会長さんとお話した時、「どうだ。僕は五月蝿いだろ?」と笑いながら私に尋ねます。
目の奥が笑ってなかったので、「まあ、その位が調度良いです」と答えときました。
いい歳したオッサンが、まだ40にもなってない若造の頭ン中を探って一体何をしようってんだい!
と思いましたが、まあその会長もハゲてるんで許すとしましょう。
あ、私は今なにか、とっても危険なことを言ってしまった様な気がする。
関係者各位の皆様が、このブログを読んでないことを心から祈るとしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 15:45 | コメント・トラックバック(2)
2007年6月29日(金) [ 組織・リーダーシップ ]
intro:
一流のワルで名の通った私は以前、一流のダンサーとして活躍していた時期があります。
日本では知らない方も多いと思いますが、90年代のアメリカ、ことにロサンゼルスでは超有名です。
「ウソだろ」
ウソじゃありません。
へー、じゃあアナタはロサンゼルスに居たことがあるんですか?
居たこともないくせに、憶測でものを言って欲しくないですね。
「90年代なら、ロスに住んでたんだけど」
あ、すみません。私が活躍していたのはロサンゼルスじゃなくて、ルクセンブルグでした。
いや、プラハだったかもしれませんし、北京だったような気もします。
あれれぇ?忘れちゃったみたい。(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪
常に未来に向かって走り続けている私にとって、過去のことなんがどうでも良いってもんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
chapter 1:
例えば未婚のフェミニストが女性の社会進出を叫ぶと、
「モテない女の僻みだろ」
「結婚したこともないくせに」
なんて具合の言葉が浴びせられたりします。
同様に、子育ての経験のない識者が子育て論を語れば、
「子供を育てたこともない人間に、何がわかる」
なんてことを言われるかもしれません。
ビジネスの世界でも、畑違いの業界出身者が口を出せば、「この業界の現状を何にも知らないくせに」なんてことを言われたりします。
営業部が製造部に口を出すと「作る側の現状がわかってない」と言われ、製造側が営業に注文を出せば「売る側の現実を知らな過ぎる」と言われます。
要するに
「現場を知らないやつは、口を出すんじゃねえよ」
って、そういうことなわけです。
まあ、現実の苦労も知らない連中に口を出されるのって、確かにムカつきますから。
さて、それじゃあ質問です。
経験のない人が、経験のないモノゴトを語る資格はないんでしょうか?
現場を知らない人間が、その現場に口を出すのはダメなんでしょうか?
chapter 2:
ここ最近、ミートホープ社による牛肉偽装問題で話題は持ちきりですが、渦中の社長は不正行為は業界の体質にあるかのような発言をしています。
田中社長仰天発言「消費者にも問題」…ミンチ偽装で強制捜査(スポーツ報知)
そう言えばこの食肉業界では5年ほど前にも、日本ハムによる輸入牛肉の偽装・隠蔽が問題になりました。
こういった不祥事が続けば当然、偽装などの不正行為は食肉業界全体に及ぶ体質なんじゃないかという疑惑が湧き上がっています。
まあ今回の事件を受けて、農水省が全国で抜き打ち検査を始めたそうですから、そんな業界体質があると疑ってかかるべきなのかもしれません。
農水省、100品目を全国で抜き取り検査 ミンチ偽装(asahi.com)
さて、別に偽装に限った話じゃありませんが、それぞれの業界や組織では、それぞれに特有の体質を抱えています。
で、体質には良い面もあるわけですが、残念ながら体質の悪い部分が自分たちのビジネスにとって大きな弊害になってくる場合があります。
もちろん、そんな時は体質を変えて悪弊を取り除かなくちゃいけません。
でも、出来ないんですよねぇ・・・
自社の体質を自らの手で変えていくって、物凄く難しいんです。
だって組織で働く人たちは、今まさにその現状で利益を得ているわけです。
変えようとすれば、誰かが傷を負います。いや、皆が傷を負うのかも。
落ちてしまうかもしれないというリスクを背負って高みを望むより、多少の不満があっても現状の安定性を望むのが、人間です。
弊害はわかっていても、現状はなかなか変えられません。
いや、弊害にあえて気付こうとしない人だって沢山います。
だって、「改革する」と言うことはある意味、「今までやってきたことはダメだった」ということです。
自分が歩いてきた道を否定されてしまうわけです。
だから、認めるわけにはいかない。
それを認めたらその人は自分自身の存在意義を見失います。
組織内の体質に悪い部分があることを、認めるわけにはいかないんです。
そうやって人は保守的になっていきます。
保守的になった人たちは、今まで自分達がやってきた「出来ること」に賞賛を与え、改善策には「出来ない理由」ばかりを挙げて行きます。
変わろうとしないんです。
chapter 3:
確かに現場を知ることって、大切です。
現実から離れた机上の空論を振り回したところで、意味はありませんから。
でも、現場を知らないからこそ言えることって、あります。
現場とは無関係だったからこそ、出来ることもあるわけです。
現実の困難さを知らないがゆえに、現実に縛られず自由に発想することが可能です。
現状に無関係であるがゆえに、シガラミに囚われず自由に行動が出来ます。
ブレイク・スルーとは、いつだってそんな素人感覚から生まれてきてるわけです。
だから、改革を進めたい時の常套手段はいつも、「新しい風」です。
組織内部では変革できないのであれば、組織に風穴を開け、風通しを良くし、外部からの力で変革を推進します。
別の業界、別の組織から人を呼び、今までの体質を変えるリーダーシップを発揮してもらったりします。
組織内の事情を外部に公表し、「世論」という圧力で体質を改善していくという手もあります。
ミートホープ社だって、結局は世間で騒がれない限りは問題行為をずっと続けたままだったでしょう。
いけないことだと分かっていても、現社長の下では恐らく何も変わらなかったはずです。
食肉のプロ、職人として叩き上げの社長に一蹴されて、それで終わりです。
chapter 4:
人は感情論に振り回されやすい存在です。
口を出されると都合が悪ければ、「現場を知らないヤツに、それを語る資格はない」と言い出します。
逆に現場の人間だけじゃ混乱から抜け出せない場合は、「第三者の意見を聞く」と言って、客観的な意見や行動力を欲しがります。
でも第三者って、当事者じゃない人たちのこと。
要するに、現場を知らない人のことです。
世の中が物凄い勢いで変化している現在、それはある意味、改革を常に迫られているということです。
方向転換を迫られている組織は沢山あります。
私達1人ひとりが改めるべき事だって、沢山あったりします。
でもそんな時、アナタは感情論に振り回されていませんか?
アナタにとって必要なのは、経験知と客観知。
そのどちらかではなく、両方です。
ps:
確かに改革には経験知と客観知の両方が合わさるべきですが、牛肉コロッケには牛と豚の肉を混ぜちゃいけませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 13:07 | コメント・トラックバック(0)
2007年5月2日(水) [ 組織・リーダーシップ ]
intro:
先日、脱毛に関する記事を読んでいたら、脱毛のことを「自殺」と表現している部分がありました。
信じられん。
世の中のハゲ達に失礼だろ。
もちろん、私のハゲ頭にも失礼です。
だって私の抜け毛は、死にたくて死んでいったわけじゃありませんから。
私の脱毛は、この殺伐とした現代社会の中で、アイデンティティーを求めながら彷徨い続けた毛髪たちの自己表現の結果なんです。
ですから私の脱毛は、単なる「自殺」と呼ぶには値しません。
「限りなく他殺に近い自殺」
そう呼んでください。
「早すぎた伝説」とはまさに、若ハゲである私のことなのかもしれませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
chapter 1:
う~ん・・・これからするお話は、ホントは先週(4月25日)にするつもりだったんですけどねぇ・・・
タイムリーさから言えば、ちょっとズレますが、まいっか。
それじゃ、はじめましょう。
chapter 2:
今から15年前の4月25日、半裸で泥酔状態の男がとある民家の庭で発見され、その後、他界しました。
男の名前は、尾崎豊。
当時、「10代のカリスマ」「若者達の教祖」などと呼ばれたシンガー・ソングライターです。
言わずとも、皆さんご存知かと。
で、そんな彼に関する面白い記事を見つけました。
http://www.asahi.com/komimi/TKY200704190202.html (asahi.com「没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心」より)
私がこの記事を読んで驚いた点は2つ。
1つは、尾崎豊が倫理の教科書に採り上げられているということ。
公的な教育機関において、反社会的な歌詞を綴った尾崎豊が載っているというのは、一体どういうことでしょうか?
バイクを盗んだり、家出をしたり、学校の窓ガラスを壊して回るといった若者の反社会的な行動と感情。
そういったものにも、大人達・教育者達は「理解を示す」という姿勢があるとでも言いたいんでしょうか?
ふーん。
昔と今では、随分と違うんですねぇ。
さて、もう1つの驚いた点というのは、尾崎の歌詞に対して、現代の若者達には否定的な意見が目立ってきているということです。
今の30代の多くが若かりし頃、尾崎の歌に共感を持っていました。
それが今、不快感を感じる人が増えているとは・・・
へー。
昔と今では、随分と変わってきてるんですねぇ。
要するに、時代は変わってる、ということでしょうか。
価値観や感性が、考え方や態度が、大人も子供もわずか15年間で大きく違ってきているわけです。
chapter 3:
「自分が若かった頃の気持ちを思い出せば、子供の気持ちがわかるはず」なんて言う人がいます。
人間誰しも、「子供の頃」という時期がありましたから。
でも、今の大人が子供だった時代と、今の子供達が生きている時代は違います。明らかにね。
だから世代の違う相手の気持ちなんて、そう簡単に解かるはずがないんです。
同世代だって、理解しあうのは難しいはずです。
だって、他人なんだもん。
理解したつもりでいて、実は大きくズレいている。
それが現実です。
人って、そんなに簡単に解かり合えるもんじゃ、ありません。
立場も違えば、考え方も感じ方も違います。
すれ違ってばっかりです。
ひょっとしたら、永遠に解かり合えないのかもしれません。
なのに、向き合うことばっかり考えて。
安易に理解者面したがる人って、多い気がします。
向き合って、相手の話に頷いて、相手の気持ちに理解を示す。
そういう態度やテクニックって、今のご時世、大流行の様な気がします。
でも気がつけば、“理解を示している自分を相手に理解して欲しい”だけになってたりします。
理解者面することで、自分自身を満たそうとしてるんです。
ホントに理解して欲しいのは、自分自身だったりしてね。
だから溝なんて、一向に埋まらない。
chapter 4:
確かに、向き合うことは大切です。
相手を理解しようとする気持ちも大切です。
でも今、多くの人が目下の人間に理解を示そうとしているのは、自分に自信がないからじゃないですかね?
テメェの背中を見せる勇気も自信もないから、向き合って優しい笑顔を見せてる様な気がします。
でも、自分だけがカッコ良い正面の顔だけを見せておいて、相手の心の奥底を知ろうなんて、都合良過ぎやしませんか?
それじゃあ、いつまで経っても相手は顔を背けたままです。
仮に目を合わせてくれたとしても、心の奥底では舌を出して鼻で笑っています。
優しく微笑むその人の、情けない後姿を見つめながらね。
chapter 5:
まずは自分の背中から。
リーダーとして大切なのは、自分自身の在り方を相手に示せるかどうかです。
転んでも、泣いてしまってもいいんです。
格好悪くても、進むべき方向に突き進む自分の背中を、相手はきちんと見ています。
向き合ってみるのは、それからでも良いじゃないですか。
ps:
あ、そうそう。
くれぐれも言っておきますが、理解者面の「面」は「ヅラ」と読みますが、「カツラ」のヅラではございません。
そこんとこ、ヨロシク頼みますぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 14:36 | コメント・トラックバック(0)
2006年12月29日(金) [ あたま・ノウハウ | 組織・リーダーシップ ]
intro:
さて、アナタは今年のクリスマスをどの様に過ごしたでしょうか?
自慢するわけじゃありませんが、一流のワルで名の通った私はイブの夜を、仕事先の座布団の上で独り寂しく過ごしました。
仕事の都合で家にすら帰れなかったんです。
おかげ様で、明石屋サンタが観れませんでした。
「なんだ、そういう問題か?」とか言わない様に。私にとっては重大なんです。
前回メルマガを発行できなかったのは、私にとっては二の次です。
あ・・・今なにか余計なことを言ってしまった様な気がする・・・
ま、きっと気のせいでしょう。
気に障った言葉なんて早く忘れちまった方が、私にとってもアナタにとっても、きっと良い1年になるはずですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
そもそも私はこの「裸足のリーダー」を
「投げっ放し」
って、そんなつもりで書いてます。
私がボールを勝手に投げ続ける。
たったそれだけのものです。
私が投げたボールを、アナタがどう受け止めようが、また受け取ったボールをどう扱おうが、それはアナタの勝手です。
自分の手の中で転がしてるのもOKです。
部下や仲間、会社のみんなとそのボールで遊んでみるのもイイかも。
もちろん、私に投げ返してみるのもアリかもしれません。
出来るだけ、そのボールで自由に遊んでくれたら。
って、そんな感じで「裸足のリーダー」を書いてます。
だから逆に色々と考えることもあるわけで・・・
以前お話した「二項対立」、覚えてますかね?
(知らない人は「光のない世界」と「消えない反対側」を参照のこと)
「明」があれば必ず「暗」があります。
どちらか一方だけが存在すると言うことは、あり得ません。
相反するモノゴトが2つでワンセットになるのが、この世の常です。
ですから、私が「右が好き」と言えば、それは暗に「左は嫌い」もしくは「左は好きじゃない」という意味を示すことになるわけです。
「〇〇が好き」
と言うことは
「△△は嫌い」
という言葉の裏返しです。
でね。
言葉を選ぶ時は、出来るだけポジティブな方が良い。
それを意識することって、大切です。
「△△は嫌い」
と言うよりは、
「〇〇が好き」
と言った方が良いんです。
「黒は嫌い」という表現を使うなら、「白が好き」という表現を使った方が良いわけです。
その方が、印象が明るく柔らかくなるし、人との摩擦も生じません。
言葉を使う時は、出来るだけポジティブな方を選択する方が、良いわけです。
もちろん、部下に対しても同様です。
「俺は、仕事が後手にまわるやり方しか出来ないヤツは、嫌いだ」
などの言葉を使い続けるよりも、
「俺は、先回りして仕事をこなすヤツが好きだ。見てて気持ちが良い」
と言い続ける方が良い。
職場全体が、ポジティブな言葉の量だけ明るくなります。
ポジティブな言葉の数だけ、周りにいる人たちはアナタに明るさを感じるんです。
でもご存知の通り、この「裸足のリーダー」で私はポジティブな言葉だけじゃなく、ネガティブな言葉もたくさん使ってます。
「〇〇が嫌いです」
って感じで。
そう言えば前回の裸足のリーダーでも、そんな言葉を使ってますねぇ。
ま、これでも私は「裸足のリーダー」を書くときに、一応は考えてるつもりです。
「どちらの言葉を選択するか?」ってね。
優しいボール、受け取りやすいボールばっかり投げてても良いんだろうか?
相手に向かって突き刺さるような、そんなボールも必要なんじゃないか?
って、そう思うんです。
もちろん、突き刺すボールはいずれ自分に跳ね返ってくるはずです。
自分だけが無傷でいられるほど、世の中は甘くはありません。
でも、自分の考え方を述べれば、必ず摩擦は生じます。
皆それぞれの価値観で生きてますから、傷つく人も腹を立てる人も出てきて当然です。
だから、嫌なら黙ってるしかないんです。
人間関係を良好に保つのが目的なのであれば、言葉をポジティブな方向で使い続けるのは得策です。
でも、そうではない場合・・・
優しいボールを投げてるだけじゃ、伝える意味などありません。
優しい言葉を並べたところで、それは他人の眼ばかりを気にして書き綴るのと一緒です。
上っ面って、確かに大切です。
見た目も大切ですし、カタチから入ることも大事なことです。
でも、それだけじゃ世の中は成り立っていません。
もっと奥の方、外からは見えないことを知るのも、大切なことなんです。
表面だけをとりつくっても、突き刺すものがなければ何も見えてきません。
それは、これを読むアナタだけじゃなく私にとっても、ね。
だから私は来年も、自分勝手にアナタに向かってボールを投げ続けます。
ま、適当に相手してやってくださいな。
ps:
だからといって、今までクレームらしきクレームを受けたことは一度もないんですけどね。
この「裸足のリーダー」をご覧の皆さん、今年一年どうもありがとうございました。
来年もよろしく。
post by ノリユキ at 13:20 | コメント・トラックバック(0)
2006年12月8日(金) [ にんげん・こころ | 組織・リーダーシップ ]
intro:
周知の事実ですが、一流のワルで名の通った私は、速水もこみちに激似です。
って、そんなセルフ・イメージを持っています。
でも、振り返ってみれば今までの私は、数々の美男子に激似の日々を過ごしてきました。
坂口憲二、KAT-TUNの赤西仁、そして現在は速水もこみち・・・
そして、そう言い張る私を、周りの人たちは温かく鼻で笑って迎えてくれた様に感じます。
みんな、良い人達ばっかりです。
ただ、どうしても私は、「福山雅治に激似です」とだけは言えません。
それを言った途端、リアルに殺意を抱かれそう。
そんな気がするのは、リアルに私が福山に似てるから?
たった今、私はこの1年を無事に過ごせるか、心配になってきました。
今日から駅のホームに立つ時は、後ろに気をつける事にしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
さて、前回の裸足のリーダーの続きです。
スタンフォード大学で行なわれた監獄実験では、受刑者役による暴動が起こり、更には看守役による度重なる虐待が繰り返されました。
この衝撃的な心理実験は一般的に、
- 人は与えられた役割に沿って行動するようになる
- 権力を持つ者は、その力の行使が暴走する傾向にある
ということが証明されたとされています。
が、果たしてこの実験結果、単純にそう判断しても良いんでしょうかね?
ちょっと考えてみてください。
実際の刑務所では、そう簡単に暴\動や虐待が起こるものでしょうか?
文化や時代背景に左右されるかもしれませんが、約35年前のアメリカの刑務所で暴動や虐待が日常茶判事だったなんて、聞いたことがありません。
でもこの仮想刑務所においては、わずか2日目で受刑者による暴動、その後は看守による度重なる虐待が起きたんです。
なぜ?
確かにジンバルドー博士は、この仮想刑務所をよりリアルに再現する事に努めた様子です。
受刑者役の人たちは、強盗容疑の罪を負った犯罪者という設定で、自宅からパトカーに乗せられ、刑務所へと連行されています。
また刑務所に到着した彼らは、衣服を強制的に脱がされて、シラミ除去の消毒を受けさせられます。
そして、囚人服とID番号が与えられました。
けれども実はこの実験、仮想刑務所と現実の刑務所とでいくつかの点で違いがあります。
通常の犯罪者って警察に強盗の容疑で捕まった後、そのまま監獄にぶち込まれてID番号で呼ばれることはありません。
取調べだの裁判だのあるでしょ、普通は。
おまけにこの受刑者役の人たちって、実際に罪を犯したわけじゃありません。
だから罪の意識もありませんし、刑に服すことを受け入れる心の準備もありません。
そうであれば、いくら受刑者役だからといっても、看守役に生意気な態度をとられたら、腹も立ちます。
実際の刑務所より、暴動が起こる火種は予め多くあったわけです。
他にもまだまだ違いはあります。
例えば実際の刑務所じゃ、看守同士が相談しあって刑務所のルールを勝手に決めたり変更したりなんかできません。
刑務所のルールは、人権の尊重を踏まえ、法律に定められた範囲内で然るべき所で決められるはずです。
でも、この仮想刑務所では看守役同士が、勝手にルールを変えてます。
現場の担当者が勝手に組織のルールを変える・・・そんな組織ってアリなんですかね?
この様に見ていくとこの実験では、看守役は看守らしくなかったし受刑者役は受刑者らしくなかった、と言えます。
「看守」や「受刑者」という名前の着ぐるみは着ていましたが、彼らの心の中や実際に与えられた権限は、看守でも受刑者でもありませんでした。
つまり、「肩書き」そのものに意味は無かったわけです。
実際にそこにあったのは、権力を振るう者とそれに従わざる者という、単純な権力構造だけです。
この実験でわかったのはただ、肩書きじゃなく、権力関係(上下関係の質)の中で人は行動を変質させ暴走させるということです。
以上を踏まえて、もう一度この実験内容を整理してみましょうかね。
不快な環境に置かれたAさんは、不満を募らせます。
そしてAさんは自分を管理するBさんに対して、反発的な態度をとります。
反発されたBさんは、もちろん気に入らない。
ですからBさんは、より強い権力をAさんに対して行使します。
するとBさんは、更に反発。
ですからAさんは、Bさんを屈服させるまでその行為を増大させます。(そして暴走していく・・・)
ま、ここまで分解してしまうと、その構造が誰にでもわかるくらい単純だってことがわかります。
従者が自主的であれば、権力者はその権力を行使する機会は少なくなります。
従者が反発的であれば、権力者はその権力を行使する度合いが強くなります。
人と人の関係って、常に相対的なわけです。
人的マネジメントを行なう場合、部下に対して役割を与え、より自主的に仕事をさせる。
その方が部下は反発しないし、アナタも力を行使する必要性が薄らぎます。
要するに、部下を自主的に行動させれば、上司であるアナタは楽ちん
そういうことです。
もちろん、「個人の自主性を重んじ云々・・・」などと言うお題目だけじゃ、何も変わりません。
本気で部下が自主的に働ける環境を整えてみる。
そうすることが上司も部下も、いわれもない日々の監獄から抜け出す第一歩なのかもしれません。
ps:
ヨッシャ、今日もキマった!
と言いたいところですが、肝心な部分がもう少し残ってます。
この実験で行なわれた様な権力関係を持つ集団って、普通ありません。
今から30年以上前とは言え、先進国のアメリカの公的機関において、存在するって、考えづらい・・・
いや、あった。
それは、戦争時における「捕虜」とその「看守」という関係・・・
捕まったら直ぐに収容所にぶち込まれ、番号で呼ばれます。
でも捕まった捕虜って、罪の意識があるわけじゃないです。
となると、この実験で行なわれた関係って、まさしく「捕虜」と「看守」の関係です。
そう言えば、いつの時代も捕虜に対する看守達の目に余る虐待って、絶えることがありません。
アメリカ兵によるイラク人捕虜に対する虐待なんか、記憶に新しいことです。
あ。
そう言えば、このスタンフォード監獄実験の資金提供者って、
アメリカ海軍・・・
あーあ、「刑務所」とか言うネーミングの裏側で、本当は何を実験したかったんでしょうかねぇ。
以上、深読みでした。
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