理解者の背中

intro:

先日、脱毛に関する記事を読んでいたら、脱毛のことを「自殺」と表現している部分がありました。

信じられん。
世の中のハゲ達に失礼だろ。

もちろん、私のハゲ頭にも失礼です。
だって私の抜け毛は、死にたくて死んでいったわけじゃありませんから。

私の脱毛は、この殺伐とした現代社会の中で、アイデンティティーを求めながら彷徨い続けた毛髪たちの自己表現の結果なんです。

ですから私の脱毛は、単なる「自殺」と呼ぶには値しません。

「限りなく他殺に近い自殺」

そう呼んでください。

「早すぎた伝説」とはまさに、若ハゲである私のことなのかもしれませんぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

chapter 1:

う~ん・・・これからするお話は、ホントは先週(4月25日)にするつもりだったんですけどねぇ・・・

タイムリーさから言えば、ちょっとズレますが、まいっか。
それじゃ、はじめましょう。

chapter 2:

今から15年前の4月25日、半裸で泥酔状態の男がとある民家の庭で発見され、その後、他界しました。

男の名前は、尾崎豊。

当時、「10代のカリスマ」「若者達の教祖」などと呼ばれたシンガー・ソングライターです。
言わずとも、皆さんご存知かと。

で、そんな彼に関する面白い記事を見つけました。

http://www.asahi.com/komimi/TKY200704190202.html (asahi.com「没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心」より)

 

私がこの記事を読んで驚いた点は2つ。

1つは、尾崎豊が倫理の教科書に採り上げられているということ。
公的な教育機関において、反社会的な歌詞を綴った尾崎豊が載っているというのは、一体どういうことでしょうか?

バイクを盗んだり、家出をしたり、学校の窓ガラスを壊して回るといった若者の反社会的な行動と感情。
そういったものにも、大人達・教育者達は「理解を示す」という姿勢があるとでも言いたいんでしょうか?

ふーん。
昔と今では、随分と違うんですねぇ。

 

さて、もう1つの驚いた点というのは、尾崎の歌詞に対して、現代の若者達には否定的な意見が目立ってきているということです。

今の30代の多くが若かりし頃、尾崎の歌に共感を持っていました。
それが今、不快感を感じる人が増えているとは・・・

へー。
昔と今では、随分と変わってきてるんですねぇ。

 

要するに、時代は変わってる、ということでしょうか。
価値観や感性が、考え方や態度が、大人も子供もわずか15年間で大きく違ってきているわけです。

chapter 3:

「自分が若かった頃の気持ちを思い出せば、子供の気持ちがわかるはず」なんて言う人がいます。
人間誰しも、「子供の頃」という時期がありましたから。

でも、今の大人が子供だった時代と、今の子供達が生きている時代は違います。明らかにね。

だから世代の違う相手の気持ちなんて、そう簡単に解かるはずがないんです。
同世代だって、理解しあうのは難しいはずです。

だって、他人なんだもん。

理解したつもりでいて、実は大きくズレいている。
それが現実です。

人って、そんなに簡単に解かり合えるもんじゃ、ありません。
立場も違えば、考え方も感じ方も違います。

すれ違ってばっかりです。
ひょっとしたら、永遠に解かり合えないのかもしれません。

なのに、向き合うことばっかり考えて。
安易に理解者面したがる人って、多い気がします。

向き合って、相手の話に頷いて、相手の気持ちに理解を示す。
そういう態度やテクニックって、今のご時世、大流行の様な気がします。

でも気がつけば、“理解を示している自分を相手に理解して欲しい”だけになってたりします。
理解者面することで、自分自身を満たそうとしてるんです。

ホントに理解して欲しいのは、自分自身だったりしてね。

だから溝なんて、一向に埋まらない。

chapter 4:

確かに、向き合うことは大切です。
相手を理解しようとする気持ちも大切です。

でも今、多くの人が目下の人間に理解を示そうとしているのは、自分に自信がないからじゃないですかね?

テメェの背中を見せる勇気も自信もないから、向き合って優しい笑顔を見せてる様な気がします。

でも、自分だけがカッコ良い正面の顔だけを見せておいて、相手の心の奥底を知ろうなんて、都合良過ぎやしませんか?

それじゃあ、いつまで経っても相手は顔を背けたままです。

仮に目を合わせてくれたとしても、心の奥底では舌を出して鼻で笑っています。
優しく微笑むその人の、情けない後姿を見つめながらね。

chapter 5:

まずは自分の背中から。

リーダーとして大切なのは、自分自身の在り方を相手に示せるかどうかです。

転んでも、泣いてしまってもいいんです。
格好悪くても、進むべき方向に突き進む自分の背中を、相手はきちんと見ています。

向き合ってみるのは、それからでも良いじゃないですか。

ps:

あ、そうそう。
くれぐれも言っておきますが、理解者面の「面」は「ヅラ」と読みますが、「カツラ」のヅラではございません。

そこんとこ、ヨロシク頼みますぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


post by ノリユキ at 14:36 | コメント・トラックバック(0)

投げっぱなしの行方

intro:

さて、アナタは今年のクリスマスをどの様に過ごしたでしょうか?
自慢するわけじゃありませんが、一流のワルで名の通った私はイブの夜を、仕事先の座布団の上で独り寂しく過ごしました。
仕事の都合で家にすら帰れなかったんです。

おかげ様で、明石屋サンタが観れませんでした。

「なんだ、そういう問題か?」とか言わない様に。私にとっては重大なんです。
前回メルマガを発行できなかったのは、私にとっては二の次です。

あ・・・今なにか余計なことを言ってしまった様な気がする・・・

ま、きっと気のせいでしょう。
気に障った言葉なんて早く忘れちまった方が、私にとってもアナタにとっても、きっと良い1年になるはずですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

そもそも私はこの「裸足のリーダー」を

「投げっ放し」

って、そんなつもりで書いてます。

私がボールを勝手に投げ続ける。
たったそれだけのものです。

私が投げたボールを、アナタがどう受け止めようが、また受け取ったボールをどう扱おうが、それはアナタの勝手です。

自分の手の中で転がしてるのもOKです。
部下や仲間、会社のみんなとそのボールで遊んでみるのもイイかも。
もちろん、私に投げ返してみるのもアリかもしれません。

出来るだけ、そのボールで自由に遊んでくれたら。
って、そんな感じで「裸足のリーダー」を書いてます。

だから逆に色々と考えることもあるわけで・・・

 

以前お話した「二項対立」、覚えてますかね?
(知らない人は「光のない世界」と「消えない反対側」を参照のこと)

「明」があれば必ず「暗」があります。
どちらか一方だけが存在すると言うことは、あり得ません。
相反するモノゴトが2つでワンセットになるのが、この世の常です。

ですから、私が「右が好き」と言えば、それは暗に「左は嫌い」もしくは「左は好きじゃない」という意味を示すことになるわけです。

「〇〇が好き」

と言うことは

「△△は嫌い」

という言葉の裏返しです。

 

でね。

言葉を選ぶ時は、出来るだけポジティブな方が良い。
それを意識することって、大切です。

「△△は嫌い」

と言うよりは、

「〇〇が好き」

と言った方が良いんです。
「黒は嫌い」という表現を使うなら、「白が好き」という表現を使った方が良いわけです。

その方が、印象が明るく柔らかくなるし、人との摩擦も生じません。
言葉を使う時は、出来るだけポジティブな方を選択する方が、良いわけです。

もちろん、部下に対しても同様です。

「俺は、仕事が後手にまわるやり方しか出来ないヤツは、嫌いだ」

などの言葉を使い続けるよりも、

「俺は、先回りして仕事をこなすヤツが好きだ。見てて気持ちが良い」

と言い続ける方が良い。
職場全体が、ポジティブな言葉の量だけ明るくなります。

ポジティブな言葉の数だけ、周りにいる人たちはアナタに明るさを感じるんです。

 

でもご存知の通り、この「裸足のリーダー」で私はポジティブな言葉だけじゃなく、ネガティブな言葉もたくさん使ってます。

「〇〇が嫌いです」

って感じで。
そう言えば前回の裸足のリーダーでも、そんな言葉を使ってますねぇ。

ま、これでも私は「裸足のリーダー」を書くときに、一応は考えてるつもりです。
「どちらの言葉を選択するか?」ってね。

優しいボール、受け取りやすいボールばっかり投げてても良いんだろうか?
相手に向かって突き刺さるような、そんなボールも必要なんじゃないか?

って、そう思うんです。

もちろん、突き刺すボールはいずれ自分に跳ね返ってくるはずです。
自分だけが無傷でいられるほど、世の中は甘くはありません。

でも、自分の考え方を述べれば、必ず摩擦は生じます。
皆それぞれの価値観で生きてますから、傷つく人も腹を立てる人も出てきて当然です。

だから、嫌なら黙ってるしかないんです。

人間関係を良好に保つのが目的なのであれば、言葉をポジティブな方向で使い続けるのは得策です。

でも、そうではない場合・・・

優しいボールを投げてるだけじゃ、伝える意味などありません。
優しい言葉を並べたところで、それは他人の眼ばかりを気にして書き綴るのと一緒です。

 

上っ面って、確かに大切です。
見た目も大切ですし、カタチから入ることも大事なことです。

でも、それだけじゃ世の中は成り立っていません。
もっと奥の方、外からは見えないことを知るのも、大切なことなんです。

表面だけをとりつくっても、突き刺すものがなければ何も見えてきません。
それは、これを読むアナタだけじゃなく私にとっても、ね。

だから私は来年も、自分勝手にアナタに向かってボールを投げ続けます。
ま、適当に相手してやってくださいな。

ps:

だからといって、今までクレームらしきクレームを受けたことは一度もないんですけどね。

この「裸足のリーダー」をご覧の皆さん、今年一年どうもありがとうございました。
来年もよろしく。


post by ノリユキ at 13:20 | コメント・トラックバック(0)

スタンフォードの地下室から(その2)

intro:

周知の事実ですが、一流のワルで名の通った私は、速水もこみちに激似です。

って、そんなセルフ・イメージを持っています。
でも、振り返ってみれば今までの私は、数々の美男子に激似の日々を過ごしてきました。

坂口憲二、KAT-TUNの赤西仁、そして現在は速水もこみち・・・

そして、そう言い張る私を、周りの人たちは温かく鼻で笑って迎えてくれた様に感じます。
みんな、良い人達ばっかりです。

ただ、どうしても私は、「福山雅治に激似です」とだけは言えません。
それを言った途端、リアルに殺意を抱かれそう。

そんな気がするのは、リアルに私が福山に似てるから?

たった今、私はこの1年を無事に過ごせるか、心配になってきました。
今日から駅のホームに立つ時は、後ろに気をつける事にしますぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

さて、前回の裸足のリーダーの続きです。
スタンフォード大学で行なわれた監獄実験では、受刑者役による暴動が起こり、更には看守役による度重なる虐待が繰り返されました。

この衝撃的な心理実験は一般的に、

  • 人は与えられた役割に沿って行動するようになる
  • 権力を持つ者は、その力の行使が暴走する傾向にある

ということが証明されたとされています。
が、果たしてこの実験結果、単純にそう判断しても良いんでしょうかね?

ちょっと考えてみてください。
実際の刑務所では、そう簡単に暴\動や虐待が起こるものでしょうか?

文化や時代背景に左右されるかもしれませんが、約35年前のアメリカの刑務所で暴動や虐待が日常茶判事だったなんて、聞いたことがありません。

でもこの仮想刑務所においては、わずか2日目で受刑者による暴動、その後は看守による度重なる虐待が起きたんです。

なぜ?

 

確かにジンバルドー博士は、この仮想刑務所をよりリアルに再現する事に努めた様子です。

受刑者役の人たちは、強盗容疑の罪を負った犯罪者という設定で、自宅からパトカーに乗せられ、刑務所へと連行されています。
また刑務所に到着した彼らは、衣服を強制的に脱がされて、シラミ除去の消毒を受けさせられます。
そして、囚人服とID番号が与えられました。

けれども実はこの実験、仮想刑務所と現実の刑務所とでいくつかの点で違いがあります。

通常の犯罪者って警察に強盗の容疑で捕まった後、そのまま監獄にぶち込まれてID番号で呼ばれることはありません。
取調べだの裁判だのあるでしょ、普通は。

おまけにこの受刑者役の人たちって、実際に罪を犯したわけじゃありません。
だから罪の意識もありませんし、刑に服すことを受け入れる心の準備もありません。

そうであれば、いくら受刑者役だからといっても、看守役に生意気な態度をとられたら、腹も立ちます。
実際の刑務所より、暴動が起こる火種は予め多くあったわけです。

他にもまだまだ違いはあります。

例えば実際の刑務所じゃ、看守同士が相談しあって刑務所のルールを勝手に決めたり変更したりなんかできません。
刑務所のルールは、人権の尊重を踏まえ、法律に定められた範囲内で然るべき所で決められるはずです。

でも、この仮想刑務所では看守役同士が、勝手にルールを変えてます。
現場の担当者が勝手に組織のルールを変える・・・そんな組織ってアリなんですかね?

 

この様に見ていくとこの実験では、看守役は看守らしくなかったし受刑者役は受刑者らしくなかった、と言えます。

「看守」や「受刑者」という名前の着ぐるみは着ていましたが、彼らの心の中や実際に与えられた権限は、看守でも受刑者でもありませんでした。

つまり、「肩書き」そのものに意味は無かったわけです。
実際にそこにあったのは、権力を振るう者とそれに従わざる者という、単純な権力構造だけです。

この実験でわかったのはただ、肩書きじゃなく、権力関係(上下関係の質)の中で人は行動を変質させ暴走させるということです。

 

以上を踏まえて、もう一度この実験内容を整理してみましょうかね。

不快な環境に置かれたAさんは、不満を募らせます。
そしてAさんは自分を管理するBさんに対して、反発的な態度をとります。

反発されたBさんは、もちろん気に入らない。
ですからBさんは、より強い権力をAさんに対して行使します。

するとBさんは、更に反発。
ですからAさんは、Bさんを屈服させるまでその行為を増大させます。(そして暴走していく・・・)

ま、ここまで分解してしまうと、その構造が誰にでもわかるくらい単純だってことがわかります。

従者が自主的であれば、権力者はその権力を行使する機会は少なくなります。
従者が反発的であれば、権力者はその権力を行使する度合いが強くなります。

人と人の関係って、常に相対的なわけです。

 

人的マネジメントを行なう場合、部下に対して役割を与え、より自主的に仕事をさせる。
その方が部下は反発しないし、アナタも力を行使する必要性が薄らぎます。

要するに、部下を自主的に行動させれば、上司であるアナタは楽ちん
そういうことです。

もちろん、「個人の自主性を重んじ云々・・・」などと言うお題目だけじゃ、何も変わりません。

本気で部下が自主的に働ける環境を整えてみる。
そうすることが上司も部下も、いわれもない日々の監獄から抜け出す第一歩なのかもしれません。

ps:

ヨッシャ、今日もキマった!

と言いたいところですが、肝心な部分がもう少し残ってます。

この実験で行なわれた様な権力関係を持つ集団って、普通ありません。
今から30年以上前とは言え、先進国のアメリカの公的機関において、存在するって、考えづらい・・・

いや、あった。

それは、戦争時における「捕虜」とその「看守」という関係・・・

捕まったら直ぐに収容所にぶち込まれ、番号で呼ばれます。
でも捕まった捕虜って、罪の意識があるわけじゃないです。

となると、この実験で行なわれた関係って、まさしく「捕虜」と「看守」の関係です。

そう言えば、いつの時代も捕虜に対する看守達の目に余る虐待って、絶えることがありません。
アメリカ兵によるイラク人捕虜に対する虐待なんか、記憶に新しいことです。

あ。

そう言えば、このスタンフォード監獄実験の資金提供者って、

アメリカ海軍・・・

あーあ、「刑務所」とか言うネーミングの裏側で、本当は何を実験したかったんでしょうかねぇ。

以上、深読みでした。


post by ノリユキ at 12:43 | コメント・トラックバック(0)

スタンフォードの地下室から(その1)

intro:

婚約だってまだなのに「結婚」という文字が踊る。
そんな藤原紀香と陣内智則の恋愛大げさ報道が、ちょっと前にありました。

あー、でもそれって、視聴率が低迷してるっていうテレビ朝日系ドラマ「だめんず・うぉ~か~」(藤原紀香主演)に話題を作るためのリークなんじゃねーの?

って、そんな風に深読みをしてしまった私はもちろん、一流のワルとして世間から恐れられています。
が、今まさに芸能界の恐ろしさに震えが止まりません。

もちろん深読みだけで震えるくらいですから、ちょっとしたことで私の髪の毛が抜けてしまうのなんて、いともたやすいことなんですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

人って、社会的な役割を与えられると、自然とその役割に見合った行動を取るようになります。
本来持っている性格とかそんなものを超えて、人は地位や肩書きを与えられると、その役割に合わせて振舞います。

昔、これを示すあまりにも有名な実験が行なわれました。
es」という映画にまでなったくらいなので、きっと知ってる人も多いかと。

まあ一応、概略を説明しときますかね。

この実験は1971年、アメリカのスタンフォード大学心理学部においてフィリップ・ジンバルドーの指揮によって行なわれました。

内容は、被験者を看守役と受刑者役に分け、地下室に作った架空の刑務所でそれぞれの役割を演じさるというもの。

実験の結果から、時間の経過と共に看守役はより看守らしく、受刑者役はより受刑者らしく行動を取るようになっていったということが証明されました。

ただ実際の実験はあまりにも衝撃的な結末・・・

実験わずか2日目、自分達の処遇に不満を持つ受刑者役の人たちによって、早くも暴動が起こります。
そのため看守役の人たちは、その役割に合わせて沈静化のために行動を起こします。

が、今度は看守役の人たちが次第に暴走していきます。
最初は指示通りに看守役を務めていた彼らですが、時間の経過と共に、受刑者役に対して勝手に罰を与え出します。
そして遂には、虐待をはじめたんです。

そのため、当初2週間を予定していた実験は、わずか6日間で中止に。
ところが看守役の人たちは、実験の続行を希望したんだとか。

ま、以上が俗に言う、「スタンフォード監獄実験」です。
この実験内容についてもう少し詳しく知りたい人は、

Wikipedia「スタンフォード監獄実験」
X51.ORG「情況の囚人 ―\ 1971年”スタンフォード監獄実験”とは」

あたりでも見やがれ。

さて、この実験はとってもネガティブな結果に終わりました。
が、この実験は私達に多くの示唆を与えてくれます。

人は権力を与えられると、暴走し出すんです。
ですから、組織内の上下関係においても、その権力の配分に注意する必要があります。

昨日のニュースでも、それを感じさせることがありました。

背中一面「不動明王」…従業員に無理やり入れ墨 社長逮捕(Sankei Webより)

なんでも退職を申し出た従業員に対して入れ墨を入れることを強要した健康食品販売会社の社長が逮捕されたんだとか。

まあ、本人は容疑を否認しているそうですが、もしこれが事実だったとしたら、これもまた権力の暴走なんですかねぇ。
ここのところ大きく伸びてた会社の社長らしいんで、ちょっと調子に乗り過ぎた?

 

さ、話を元に戻しますが、この実験が教えてくれることは何もネガティブな内容だけではありません。
人は社会的な役割や立場を与えられると、自然とそれに合わせて振舞うようになる、という傾向があることがわかったわけです。

ですから、大切なことって「役割を与えてみる」ってことです。

多少頼りないと思ってみても、部下にやらせてみる。
責任ある役割を担わせてみる。

それって大切です。
クダラナイ小手先じみた社員研修なんかをやるよりも、ずっと効果的かもしれません。

もちろん「自然に」だけじゃなく、人は役割を与えられるとそれに合うように努力します。
今よりも大きな器を与えられれば、人はその器に合うように努力していくんです。

いつまでも危ういと思って何から何まで手を貸しているようじゃ、いつまで経ってもアナタの部下は成長しません。

「器が人を作る」

昔から言われているその言葉は、きっといつの時代にも確かなはずです。
そうやって皆、大きくなっていきます。

ps:

実はこの実験に対してもう少し突っ込んだ話をしたいんですが、長くなっちゃうんで、この続きは次回の「裸足のリーダー」でします。

アナタはこのスタンフォードの監獄実験について、ちょっと“奇妙”な感じがしませんか?
ちょっと不可解なんです。

果たしてこの実験で、看守役の人たちは本当に“看守”の行動に、受刑者役の人たちは本当に“受刑者”の行動になっていったんでしょうか?

次回はこの点に突っ込んで、このスタンフォードの地下室の闇の中を深く覗いてみましょう。

ああ・・・早くオチが言いたいっ!

って言うわりには、次の月曜日に「裸足のリーダー」を更新しなかったりして。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


post by ノリユキ at 13:27 | コメント・トラックバック(0)

イヌ型とネコ型、どちらがお好き?

intro:

私の性格は、果たしてイヌ型だろうか?それともネコ型だろうか?
そんな風に尋ねると、多くの人は私のことをイヌ型だと答えます。

まあ、その気持ち、わからなくもありません。

なにせ私といったら、一流のワルとして世間にその名を轟かせている男です。
アナタが私のことを「一匹狼」から連想して「イヌ型」だなんて思ってしまうのも、無理はありません。

でも、真実は違います。
私は明らかにネコ型の男。

 

「イヌは人につき、ネコは家につく」

 

そんな風に、相場は決まっているわけです。
ですから、一流のワルで名の通った私が、他人に忠実に飼い慣らされてしまうわけがありません。

腹が空けば主人も裏切る。
それが一流のワルで名の通った男の私らしい生き方、いや生き様なんです。

ですから私は、まさしくネコ型な男です。
いや、百獣の王であるライオン型と言った方が、よりそのイメージにピッタリなのかもしれません。

でも、あの勇ましい雄ライオンのタテガミは、どう考えても私のツンツルテンのハゲ頭には似合わない。

そんな事実は、一生のお願いですから内緒にしておいてください。
頼みますぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

main:

自己プロデュースを上手くやって、自分を売り込もう!
そんな風に考えてビジネスをする人って、結構います。

確かにそれって、大切なことです。
自分を売り込んで初めてモノが売れる、そんな場合が圧倒的に多いですし。

でも、アナタが会社の経営者だったり管理職だったりする場合、ちょっとだけ気をつけなきゃいけないことがあります。
それは、

「会社は、従業員個人の技術に依存してはいけない」

ということです。

 

自己プロデュースを各営業マンや各接客員が自分の裁量で行なった場合、その結果には大きな個人差が出てきます。
圧倒的に優秀な人間が出てくるわけです。

で、それって結構ヤバイ。
そんな事実に気がつかなきゃいけません。

だってさ、考えてもみてください。
仮にアナタの部下Aさんが物凄く優秀で、沢山のお客さんをファンにしてしまった場合を・・・

確かに売上は上がります。
でもそれは、会社が叩き出した売上ではなく、Aさん個人が叩き出した売上です。

ですから、Aさんがアナタの会社から去ってしまった時点で、沢山のお客さんもアナタの会社から去って行きます。
それは当然の摂理です。

最悪の場合、多くの顧客を失わないために、アナタはAさんが望む多くの要求を呑まなければいけなくなります。

つまり、会社はAさんの言いなりです。
会社の行動は、一従業員の気持ちに振り回されてしまうわけです。

こういった状況を放置している会社って、結構あるんですよねぇ。

典型的なパターンって、美容室です。
お目当ての担当美容師がいなくなれば、お客さんは必ずその理由を尋ねます。

で、お店側は必ず「ああ、彼女は辞めて田舎に帰りました」って言うわけです。
「彼女は他店に移った」なんて言った日には、そのお客さんは他店へと移ってしまうんですから。

ま、それだけならまだ良いほうかも。
力のある営業部長のご機嫌伺いを繰り返す社長、って以外に多いもんです。

ヘタに社長風を吹かせて彼の機嫌を損ねてしまえば、会社を辞められるだけじゃなく、新会社を設立されてお客さんを根こそぎ持っていかれる。

それって、売上激減を招くだけじゃあっりません。
強力なライバル会社が近くに出現してしまう、ということなんです。

飼い犬に手を噛まれるって、このことです。
ご主人様を食い殺すイヌならぬオオカミなんて、実は巷にはゴロゴロいるんです。

 

だからね。
顧客はイヌ型に育ててはダメです。
ネコ型に育てなくちゃ。

 

従業員個人の技術に依存してしまう会社やお店は、顧客をイヌ型に育ててしまいます。
もちろん、そんな顧客はその従業員自体についているわけで、会社やお店そのものには興味はありません。

結果、会社の状況は、その従業員の動向に左右されてしまいます。
個人が叩き出した売上げは、個人の利益であって会社の利益ではないと、肝に銘ずるべきです。

 

人につくイヌ型のお客さんを、決して育ててはいけません。
アナタがしなくちゃいけないことって、アナタの会社、あなたのお店につくネコ型のお客さんを育てることです。

だから、会社やお店の仕組みに惚れさせる。

それを考えるのが、経営者であり上司の役目です。
お客さんにとって、その会社そのお店自体を好きになってもらえる仕組みを、アナタは作らなくちゃいけません。

“人”そのものだけを売り物にする商売って、実はたった2つだけです。
芸能と呼ばれる世界と、夜の世界。
それだけなんです。

それ以外の商売であれば、決して“人”だけを売り物にしてはいけません。
それをやってしまえば、どんな商売も水物です。

ps:

ただ1つだけ解せないことがあります。

ネコ型ロボットであるドラえもんは、野比家のために未来からやってきたはずです。

でも、タイムマシンに乗ってやってきたドラえもんは、結果として野比家についていたのではなく、のび太くん個人についてしまいました。

だから見た目はともかく、絶対ドラえもんはネコ型ではなく、イヌ型ロボットです。
そうだ、そうに決まってる。


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