2012年2月10日(金) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
ビジネスとしてブログやメルマガなどを書いてみたり、リーダーとして部下に大切なことを話してみたり・・・
モノゴトを相手に伝える場合、特に相手に納得してもらおうとする場合、1つのテクニックとして
「言い切ること」
が大切だということは、皆さんもどこかで聞いたことがあるでしょう。
もちろんこの言い切り型は、緻密な議論を交わしたり論文を書く際には不向きですが、例えばこちら側が相手にモノゴトを教えたり指南する場合には、とても有効です。
「~だと思います」
「~ではないでしょうか?」
という感想や同意を投げかける言葉では、どこか曖昧さや不安定さを残します。
ですから、そんな言葉で締めるよりも、
「~です」
「~なんです」
と断定して言い切ってあげた方が、相手に力強く伝わりますし、聞く側に不安を残しません。
特に文章でモノゴトを伝える場合は、言い切り型で文章を構成していった方が、内容的にもスッキリして相手に話の内容を理解してもらいやすくなるという効果もあります。
ですから、実際に文章を書く時は、下書きの後、文末に着目してきちんと言い切っているかどうかをチェックします。
そうやって、説得力のある文章に仕上げたりするんですね。
つまり、「言い切る」ということは、文章における説得力と分りやすさの2つを手助けする、大切なツールだということです。
おぉっ!
良いこと尽くめじゃんっ!
そう、ですから文章や話し方の講座などでは、言い切ることの大切さが述べられることが結構多いわけです。
しかし、私から言わせてもらえば、それは小手先のテクニックにしか過ぎません。
この「裸足のリーダー」における私の文章はよく、「言い切り型」だと言われます。
まぁ、読み返してみても、確かにその通りです。
ただ、それはあくまで結果論であって、「言い切り型にしよう!」と思ってやっているわけではありませんし、そのために文章を手直しすることはありません。
だってね、根本的なところで言えば、相手の胸に届くかどうかなんて、言い切ったか言い切らなかったかになんて集約していかないんですから。
大切なのは、その言葉を綴るまでの過程にあります。
ちょっと、恐ろしく簡単な質問をしてみましょう。
「1 + 1」の答えは何でしょう?
もちろん、「2」ですね。
もっと分りやすく言えば、「2です」ですね。
「2だと思う」とか「2なのではないでしょうか?」という人はいません。
なぜ?
それは、自分にとってその答えが、自明の理だからです。
なぜそういう答えになるのかを、自分自身が納得し理解し、であるが故に自信を持っているからです。
しかし、質問の内容が
「カリフォルニア州の人口は、3,500万人以上?それとも未満?」
となった途端、知っている人は言い切れても、知らない人やうろ覚えの人は
「3,500万人以上だと思う」とか「3,500万人・・・未満?」といった言い方になってしまいます。
要するに、自分が説明するモノゴトの理由を、自分自身の中で本当に納得し理解している人は、言い切ることが出来るわけです。
そして、曖昧さを残している人は、自然と言い切ることが出来なくなります。
ですから、「~だと思う」などで文章を自然と締めてしまう人の多くのパターンは、実は自分自身がその答えの裏づけとなるもの(経験や推敲)が乏しいわけです。
であれば、そんな人の書いた文章は、部分的な問題以前に、話全体の説得力自体が乏しいということになります。
それなのに、そんな文章の「~だと思う」「~なのではないか?」という語尾だけを言い切り型に変えたところで、一体どれほど説得力が増すというのでしょうか?
確かに「言い切る」というテクニックを使えば、多少の説得力は増すでしょう。
しかし、それは所詮小手先なものですから、10%アップしたとかしないとか、そんなレベルの話です。
相手に納得してもらえる“内容”には、決してならないんです。
だってさ、中身がないんだもん。
自分自身の心の奥底に不安を残したレベルの言葉が、相手に届くことはありません。
どんなに小手先のテクニックを費やしたところで、相手の胸には響かないんです。
もし、相手に伝えなければいけないと本気で思っているのであれば、もっと自分自身の考えの裏づけとなる経験と熟考を繰り返す必要があります。
伝えるのは、その後からなんですよ。
相手に渡してあげる実力もないうちから、目先の利益を欲しがるから、熟してもいない柿を相手に渡そうとするんです。
渡された相手の気持ちがわかりますか?
決して喜んでもらえない、知らずに食べたら渋い顔するのなんて、簡単に想像できるはずでしょう。
それに気付かず、小手先のテクニックばかりに走ってしまうのは、安易に利益を手に入れようとする大人特有の心の弱さです。
いいですかい?
アナタ自身の言葉が、いくつもの経験を積み重ね、熟考を重ねることで導き出したものであれば、
そして、相手に伝えたいという気持ちが、至極真っ当で強いのであれば、
自然と言葉尻は「言い切り型」になっていくものです。
いや、仮に言葉尻がどうであれ、数々の汗が染み込んだ言葉は、自ずと相手に伝わっていくものなんです。
例え相手が理解してくれずとも、何かしら相手の胸に引っかかるものを残せるはずです。
言葉尻を気にする前に、まずは自分が吐き散らかすその言葉の内側を見つめなさい。
生意気かもしれませんが、それでも私は本気でそう思いますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
むしろ私が心配なのは、言い切れない言葉を言い切ってしまう人の心の不安定さです。
だって、自分自身で自分を誤魔化しているわけですよ。
それを繰り返すことで、その人の心が不安定さを増していく可能性を否定できません。
それどころか、そんな人の言葉からは、説得力どころか、不安定さを感じることが私には度々あります。
ツールやテクニックに振り回さちゃいけない・・・
つくづくそう思いますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
以上、各文章を「思います」で締めてみましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2011年12月15日(木) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
そう言えば以前、私と木村拓哉のどちらが男前なのかを、検証してみたことがあります。
皆さん、覚えているでしょうか?
結果として、私とキムタクの間には、たいした差がないことが判明しました。
ただ、グローバリゼーションが叫ばれている古今、今度はジョニー・デップと私との男前度を比較検討する必要性を感じています。
そこで昨晩、思い切って検証してみることにしました。
すると、どうでしょう・・・?
驚いたことに、私とジョニー・デップとの間にも、たいした違いがないことが判明したのです。
ただ彼の方が私より、ルックスが良くてセンスがありそうで、有名でお金持ちなだけです。
そう、彼が私より上にいくのは、たった4つしかないんです。
たったの4つですよ!
もちろん、異論はあると思います。
確かにジョニー・デップは、私よりもフサフサかもしれません。
しかし、私の方がジョニー・デップよりツルツルで、しかもテカテカです。
確かにジョニー・デップは私より英語がペラペラでしょう。
しかし、私は彼より日本語が堪能です。
おまけに私は、新潟弁にも精通しています。
おおっ!
そう考えると、私の方がジョニー・デップより、なんだかイケてるんじゃねーかって気がしてきましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
多くの人に見られる傾向として、
計画を立てるのが大好きっ!
でも、実行するのが苦手。(* ̄∇ ̄*)ゞ テヘッ♪
というものがあります。
まあ、当然といえば当然です。
だって、未来のことを想像するのは楽しくて楽ですが、現実を相手にするのは大変ですから。
ただ、立てた計画は実行したいですし、出来ない自分にため息をつきたくないのも、本当のところです。
だったら、改善しましょう。
そう、今までやってきたそのやり方を、です。
ダメなやり方を何度繰り返しても、ダメなものはダメですから。
計画倒れに終わる人の1つの原因に、
考えることが複雑で、やることに完璧を求めがち
というものがあります。
計画を練り過ぎなんですよ。
質と量の配分やら、時間割なんかも細かく決めたりなんかして。
でも、出来ないものをどんなに精密に仕上げようとしても、出来るはずがありません。
ですから、計画なんてアバウトで十分です。
「この時間になったら、大体この程度やる」
これで十分です。
精密な計画など、やれるようになってから立てれば良いじゃないですか。
やれないことを綿密に計画を立てようとするのは、
「明日、アメリカに観光旅行に行こう!」
と言って、パスポートもビザもないのに計画を立てているのと一緒です。
そこに行きたいなら、「やり続ける実績」というパスポートを手にしてからにすれば良いんです。
もちろん、アバウトな計画を立てたら、実行もアバウトにする必要があります。
とかく計画をきちんと立てたがる人ほど、実行も完璧にしたがります。
でも、それじゃあ重い・・・
重いんですね。
完璧を目指せば、完璧に仕上げるテンションを保たなくちゃいけません。
でも、それは無理です。
だって、人間だもの。
毎回、富士山の頂上に登りきるかの様に振舞ってたら、数日でやる気が失せてしまいます。
ですから、実行も積極的にアバウトにしていく必要があります。
例えば、立てた計画をきちんと実行したかどうかを評価する場合、
「計画通りにできたか?それとも計画通りにできなかったか?」
で判断してしまいがちです。
しかし、実際に必要なのは、
「計画通りじゃないけどやったか?それとも全くやらなかったか?」
という判断です。
そう言えばこれ、ずぅ~っと前にも言いましたね。これだ、これ。
→「マルサンカクの計画表」
ポイントは、“やった”ことの内訳を意識することです。
計画通りに完璧にやったことも、ほんのちょっとだけやったことも、アバウトに考えれば、“やった”ことには変わりありません。
ですから、
計画通りに出来たら、マル。
計画通りじゃないけど、ほんの少しでもやったらサンカク。
計画通りに完璧に出来なかったからといって、×をつける必要はありません。
しかも、もっと優越感に浸りたいなら、
計画通りに出来たら、三重マル。
計画の60%をこなしたら、二重マル。
計画のほんの1%でも実行できたら、一重マル。
それで良いんですよ。
やったことには変わりないんですから。
例えば、毎日ストレッチをやる!って決めたとしますよ。
すると、ストレッチのメニューを計画の段階で決めますよねぇ?
で、最初は気合を入れて、メニュー通りにストレッチをやったりします。
で、3日位すると面倒臭くなってくるわけで。
そんな時は、とりあえず右足のアキレス腱だけでも伸ばしておけばOKです。
そして、
「今日はストレッチやりました。評価はマルマルモリモリです」
ってしておけば良いんですよ。
え?
右足のアキレス腱だけで合格点?
何か変だよ、絶対。
じゃあ、ついでに左足も伸ばしておけば良いじゃないですか。
あっという間に実行量が2倍に増えました。
凄いじゃんっ!
要するに、アバウトで良いんですよ。
アバウトに計画して、アバウトに実行する。
そうやって、身軽に構えて身軽に動けば良いんです。
だいたい、今までが重過ぎたんですよ。
綿密に正確にやるのは、ある程度できる様になってからで、十分です。
計画倒れに終わる人って、なにかと「小さい積み重ね」を強調したがりますが、実際は大きく積み重ねていこうとします。
だから出来ない。
だから続かない。
「小さな1歩」とか言いつつ「大きな1歩」を踏み出そうなんて、まるで私がジョニー・デップより男前だと勘違いしているのと、変わりませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2011年11月4日(金) [ あたま・ノウハウ ]
私達にとって、未来を予測することは、とっても難しいことです。
ましてや100%未来を言い当てるなんて、不可能以外の何者でもありません。
もちろん、経験則やモノゴトの道理に沿って考えれば、ある程度の予測が立てられるものもあるでしょう。
例えば、
「お昼の時間帯になったら、この飲食店は込むだろう」
「今の段階でここまでしか仕上がってないのであれば、期日までに完成するのは難しいだろう」
「この広告じゃ訴求力が足りないから、反応率は0.2%未満にしかならない」
みたいなのはね。
数個の原因だけが大きく影響する事柄であれば、未来を言い当てる確率は高くなります。
しかし、例えば半年後の株価や未来のヒット商品を言い当てるのは難しい。
だって、それらは無数の要因が複雑に絡み合って変化した結果によるものですから。
未来に影響する無数の要因を全て抽出し、全ての起こりうるパターンを計算に入れて総合的に判断することは、不可能です。
言ってしまえば、未来に確実なものは何もありません。
不確定要素の塊みたいなものなんです。
そんな未来を、私達は100%予測することは出来ません。
未来をどんなに予測してみたところで、不確実な部分を拭い去ることは出来ないのです。
で、この未来に対して不確実な部分、不確実性のことを経済分野では
「リスク」
と呼んでいます。
一般的に「リスク」と言えば、「危険」とだけ解釈している人が結構多いと思うんですが、それは正確な理解ではないんですねぇ。
ビジネスや資金運用など経済分野において「リスク」と言えば、その多くは「不確実性」を意味します。
ですから、「リスク」という言葉に出会った場合、それは「危険性」という意味なのか「不確実性」という意味なのかを、把握する必要があります。
だって、予想外なラッキーな出来事だって、不確実性の中から生まれるわけですから。
ラッキーなことって、全然危険なんかじゃありません。
で、多くの人が勘違いをしています。
ビジネスをはじめ、およそ「勝負」という言葉が似合う世界で
「リスクを積極的に取りにいく(リスク・テイク)」
と言った場合は、それはあえて危険を冒すといったギャンブラー的な意味合いではありません。
モノゴトは不確実性の上に成立していることを認識し、その中でどう対処すべきかを考えながら、成果を掴み取ろうとする行為、
それを「リスクを積極的に取りにいく」と言うのです。
ビジネスに限らず、私達の人生は不確実性の中にあります。
どんなに避けたところで、不確実性の中から逃れることは出来ません。
いいですかい?
私達は今、「リスク」という名前の海に放り出され、漂っています。
そして、そんな不確実性の海の中では、「これを選んだら間違いない」という様な保証はありません。
正解など、どこにもないんです。
しかし、だからといって、その海の中をただ漂っているだけで良いんでしょうか?
その海の中で、呆然と潮に流されていようが島に向かって泳ぎ出そうが、溺れたりサメの餌になってしまう確率は変わりません。
だとしたら?
何もしないなんて、もったいない。
薄っすらと見える島影に向かって泳ぎ出すのも手です。
逆にその場所に留まった方が安全だと思うなら、潮に流されない様に振舞うのも手です。
不確実性の海の中では、自分にとって最善な方法を自分で選択し、積極的にそれに向かって行動を取っていくことが大切なんです。
で、それが「リスクを積極的に取りにいく」ということなんです。
アナタは今、「リスク」という海の中で、一体何をしていますか?
泳ぎ出しもせずに、溺れることばかり気にしていたって、事態は何も変わりませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
本文ではややこしくなるのでスルーしましたが、
「何もしない」
ということだって、それが自分の判断であれば、それでOKです。
だって、何もしないことが適切だと積極的に判断し、積極的に実践しているわけですから。
それだって、リスク・テイクなわけです。
ですから、自己啓発にありがちな、
「リスクを恐れるな。何もしないことが最大の失敗だ」
というのは、一見当たり前の様に思えますが、実は過ちです。
格好良さ気に聞こえますが、それはリスク・テイカーでも何でもありません。
「リスクを知って、自分がどう振舞うかを選択し行動する」
それが、リスク・テイカーのあるべき姿です。
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2010年9月9日(木) [ あたま・ノウハウ ]
intro:
生きていれば、人生の岐路に立たされることは度々あります。
学校卒業後の進路をどうすべきかだとか・・・
今の会社に留まるべきか転職するべきかだとか・・・
今日のお昼はうどんにすべきか蕎麦にすべきかの判断だって、痛いくらいに私達の心を迷わせます。
そう、今日のお昼はタラコソースのパスタで決まりです。
ただ残念なのは、多くの人々はそれらの選択に迷った挙句、判断を誤ってしまうということです。
今日の様に軽く体調が重い日は、本来は消化の良いうどんにすべきなのです。
さて、私は一体何を語ろうとしていたのでしょうか。
軽いめまいがしてきました。
自分を見失わないうちに、さっさと本題へと突入することにしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
どちらの道を進むべきか迷った時、私はいつも「困難な道のり」を選択するようにしています。
迷った時に困難な道へ進むと、結果として「吉」と出ることが多いという、これは私の経験則からの判断です。
ただ、単なる個人的な経験則では、あまり説得力がないかもしれません。
なので、ちょっとだけ論理的ぶって、その理由をお話します。
AとB、どちらかを選択しなければならない場合を考えてみましょう。
選択に迷ってしまうのは、Aを実行して得ることのできる価値(利益)とBを実行して得ることのできる価値が同じだと思われる場合になります。
Aの実行結果の価値(利益) = A1
Bの実行結果の価値(利益) = B1
とした場合、
「A1 = B1」もしくは「A1 ≒ B1」(AもBも利益の大きさがほぼ同じ)
ならば、人はAかBかの選択に迷うわけです。
そして、当たり前のことですが、
「A1 > B1」(Aの利益がBよりも大きい)
ならば、人はAを迷わず選択します。
しかし、人はモノゴトを選択する場合、利益のみを基準にするわけじゃありません。
実行するに当たっての難易度も、考慮に入ってくるはずです。
それをやるには精神的に負担が大きいとか、肉体的にキツイとか・・・
恥ずかしいからやりたくないとか、不慣れなことはしたくないとか・・・
これ以上のストレスは抜け毛を増やすからイヤだとか・・・
実行するに当たっての難易度も当然、選択基準に入るわけです。
そして、この難易度を
Aの難易度 = A2
Bの難易度 = B2
とした場合、
「A1 = B1」であり「A2 > B2」(AとBの利益は同じだが、Aの方が困難)
であれば、人はBを選択するはずです。
手にする利益が同じなら、楽な方が良いのは当たり前のことですからね。
じゃあ、これはどうでしょう?
「A1 > B1」であり「A2 > B2」
実行して得られる価値はAの方が大きいが、Aを実行する方が困難というケースです。
こういった時にも、人は選択に悩むわけです。
ここまでお話すれば、私が冒頭でお話した「迷った時は、困難な方を選ぶ」という意味が、もうお分かりだと思います。
明らかに価値の高いものでも、そこに困難が伴うと思うと人は迷ってしまいます。
心の奥底にある楽したいと思う気持ちが、本来の価値を見えなくしてしまってるんですね。
人が選択に迷う時、実は本音の部分では自分の求める価値がハッキリしていることが多いんですが、その裏側で
「恥ずかしいのはイヤ」だとか
「キツイのはちょっと・・・」だとか、
やりたくないという気持ちが判断を迷わせていたりします。
しかし、どんなに「A2 > B2」(Aの方が困難)であっても、とどのつまりは「A1 > B1」(利益はAの方が大きい)であるわけです。
結果として、本来の利益を追求するのであれば、困難な方を選択した方が、より大きな利益を手にすることができるわけです。
さて、アナタは判断に迷った時、選べない理由を取り出してみては自分自身を誤魔化していませんか?
そんな時は、難易度そのものが本当にアナタにとって重要な価値なのか、もう一度見直してみてください。
「選択に迷った場合は、困難な道を選ぶ」
それを判断の指標とすると、より自分のやりたいこと、やるべきことが見えてくるはずです。
甘えるつもりならチャレンジなんてするんじゃねーよ、ってことですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
ちなみに、私の可愛い髪の毛たちは、なんら迷わず私の元から去っていく選択を、今も繰り返しています。
おーい、無理すんなよー!
いつでも戻ってきていいからなー!
決して報われることのない私の叫び声が、妙に虚しく響く今日この頃ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
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2010年8月20日(金) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
「いつか髪の毛フサフサになって、颯爽と前髪をかき上げてやるんだ!」
私には、そんな壮大な夢があります。
かれこれ10年以上は経つでしょうか。
しかし、一向にその気配は訪れません。
というより、抜ける一方。
でも、私は決して諦めませんよ。
だって、「諦めなければ、夢はいつか叶う」って言うじゃないですか。
諦めなければ、きっと私はフサフサ君になれるんです!
そんな悲しい目で私を見たって、私は決して諦めませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
ここ数年、当たり前の様に見かける言葉に
「諦めなければ、いつか夢は叶う」
といった感じのものがあります。
確かに途中でリタイアしてしまえば、ゴールにたどり着くことはありません。
であれば、途中で諦めてしまうという行為は、自分で自分の可能性を放棄してしまうことなのかもしれません。
でもじゃあ、諦めなければ本当に夢は叶うんでしょうか?
世界チャンピオンを目指してボクシングを始めた人達は、諦めなければ1人残らず世界チャンピオンになれたとでも言うんでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
諦めなかったからといって、夢を掴めるわけじゃないのが現実です。
人は、ポジティブな結果だけに目をやって、ネガティブな結果には目を伏せようとする傾向があります。
シュリーマン(トロイの遺跡を発見した人)の様に諦めなかったおかげで成功した人の例ばかりを見て、それだけが真実だと思いたがります。
しかし、留学支援会社ゲートウェイ21の破綻の様に、適切な場面で諦めなかったせいで被害を増大させた例だって、腐るほどあるんですよ。(参考:「踏み出せば戻れない」)
そして残念なことに、人間というものは「プロスペクト理論」と呼ばれる呪縛から、簡単には逃れられません。
チャンスを掴んで手にしたモノよりも、諦められなかったことで失うモノのの方が大きくなってしまうんです。
ゴールを諦めず無理したおかげで、もう2度と試合に臨むことが出来ない身体になってしまうことだってあります。
しかし、途中で諦めたことによって、次の試合に挑むチャンスを手にすることは出来るのです。
ですから、人生は諦めが肝心。
昔から、そう言われているんですよ。
諦めるというのは、物凄く大事なことなんです。
「諦める」ということは、「明らかに見極める」ということ。
そんな風に言われます。
進むべきか退くべきかを、自分の状況から判断して見極めることが、諦めることです。
達成することで得ることの出来る量は?
自分が抱えることのできるリスクの量は?
そして、その覚悟は?
やりたいことをやっている充実感は?
自分にとっての優先順位は?
それらを見極めずに止めてしまったら、それは自らチャンスを捨てたことになるかもしれません。
しかし見極めずに止めもしないのは、ただ往生際が悪いだけかもしれません。
諦めることと諦めないことの見極めが大切なんです。
いいですかい?
勘違いしてはいけません。
諦めることが悪いのではありません。
諦めないことが悪いのでもありません。
また、見極めたつもりでいて、結果としてその判断が誤っていたことが悪いわけでもありません。
そうではなく、自分自身と向き合おうともしないくせに、ポジティブに振舞ったりネガティブになったりして、諦めたり諦めなかったりすること・・・
それこそが、アナタを目的地から遠ざけてしまっている大きな原因なんです。
諦めるということは、アナタ自身が本気になるということです。
ps:
自己啓発業者さんの売り文句ではなく、ホントの意味での諦めないという生き方に触れてみたい方は、前回書いた記事にある「アンヴィル!~夢を諦めきれない男たち~」というドキュメンタリー映画をご覧ください。
バンドをやっていたことのある私は恥ずかしながら、この映画のラストで思いっきり泣いちゃいましたぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 10:25 | コメント・トラックバック(0)
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