指令:欲望Xを撃退せよ!

4月という新期を迎えると、なんだかやる気がムクムク出てきて、

「英会話でも始めようかな」
「今年はマラソンに挑戦しよう!」

なんて具合に、目ぼしいものに手を出し始めます。

しかし、それから1ヶ月ほど経ち、ゴールデンウィークも過ぎてしまった今頃になってしまえば、

「やる気が起きねぇ・・・」

そんな感じになるのって、珍しくありません。
やる気が起きないどころか、チャレンジしてたことすらすっかり忘れてしまってることだってあります。

まあ、この時期に限らず、一時はやる気を出したつもりでも、直ぐにその気も萎えてしまい、始めたモノゴトが中途半端で終わってしまうのは、良くあることです。

う~ん・・・
やらざるを得ない状況に追い込まれているものであれば、やる気のあるなしに関わらず、やるんでしょうけどねぇ・・・

私達が自らチャレンジしようと思い立つものって、必要性に迫られているものではないことが、ほとんどです。
多少の必要性があっても、差し迫った事態ではなく、放置してもとりあえずは困らなかったりします。

だから、続かない。

 

でも、そんな自分がイヤになってしまうってこと、たまにありませんか?

ないですか、あーそうですか。
もちろん、私もありませんけど。

が、自己嫌悪に陥る人もそうでない人も、出来れば始めたモノゴトって、続けたいじゃないですか。
続けてなきゃ、始めた意味ないし。

で、やる気をなくした頑張り屋さんは、何とかモチベーションを高めようと、あの手この手を考えます。

目標を見直してみたり、自己啓発本を読んでみたり・・・

確かに、低下の度合いによっては効果的ですし、モチベーションの持って行き方ってある程度は確立されている感もあります。

が、それでもやる気が起きないってことの方が多いのかな。

では、そんな時にはどうするか?

実は、とっても良い方法があります。
それは、

「思い切って、止めてしまう」

という方法です。
そう、続けようとせずに、諦めてしまうんです。

だってね、続かないものをグダグダといつまでも引きずっていたところで、事態は変わりませんし、精神衛生上だって良くありませんから。

 

前から何度も言ってますが、人はやりたくないことはやらない様にしますし、やりたいことは止められたってやります。

やりたくない宿題は色々な言い訳を付けて後回しにし、やりたいゲームは叱られたってやろうとするのは、子供も大人も一緒なんです。

つまり、やり始めたことが続かない、やる気が起きなくなったというのは、特別な事情でもない限り、

「そもそも、やる気がなかった」

ということなんです。

「やりたい」んじゃなくて、「なりたかった」だけ。
「なる」という結果は欲しいけど、その過程の「実行」はしたくない。

それが、本音のところです。
ですからもちろん続くはずがありません。

私はその様な「なりたいだけで、実はやる気がない」というモノゴトを、

「欲望X」

と、10年ほど前から呼んでいます。
スミマセン、たった今、そう名付けました。

で、欲望Xは、実に厄介です。

「なりたい」と思って始めようとする時は、一時的にやる気が沸いてきます。
なので、始めた当初は「やる気がない」なんて思いもしません。
やりたくて始めた気になっています。

が、本音のところでは、サッパリやる気がないんですねぇ。
それが、欲望Xというものです。

ですから、英会話のテキストやランニングのジャージやシューズを一式揃えたところで、半分は満足してしまいます。
で、実際に始めた時点で、もうお腹いっぱい。

だから、欲望Xを始めてみても、続かないんです。

それなのに、続けよう続けようとする・・・
それは、自分の日常生活に自らストレスを加え続ける行為と一緒です。

続けられないどころか、それ以外の日常生活をだら~っとさせる原因にもなりかねません。

だからね、思い切って諦めちゃうんです。

で、欲望Xに費やす予定だった時間を、出来れば真逆のことに費やします。

久しぶりに映画館やコンサート会場へと足を運ぶとか、
学生時代にやっていたテニスや釣りに繰り出すとか、
ベロンベロンになるまで酔っ払うとか、

要するに、本当の意味でやりたいことをやるわけです。
何かになりたいことではなく、ただやりたいだけのことを。

「なる」という結果は求めず、ただひたすら「やりたい」だけのモノゴトを、

「欲望Z」

と、私は生後三ヶ月になる頃から、そう呼んでいます。
ハイ、その通り。これもたった今、名付けました。

で、欲望Xとかけ離れた欲望Zは、そのほとんどが自分の向上心とか目標とは無縁のところにあります。

ですから、実は欲望Zって、常日頃のかしこまった自分を解放する力を秘めています。

そう、ストレス発散です。
欲望Zを実行することで、自分でも気付かなかった日頃のウサを晴らしていきます。

つまり、ストレスの発生源でもある欲望Xに費やそうとしていた時間を、ストレス解消の源である欲望Zで埋めていくわけです。

すると、どうでしょう?

アナタ自身を束縛していた「欲望X」は、単なる「X」へと成り下がります。
いや、これは成り上がりと言っても良いでしょう。

 

ストレス発散してしまったアナタは、気持ちに余裕が生まれます。
気持ちに余裕が生まれると、仕事もサクサクこなせます。
サクサクと仕事をこなすと、時間にも余裕が生まれます。

アナタの生活には、「余裕」という名前の穴がポカ~ンと空いてしまうんですね。

じゃあ、この穴、成り上がりXで埋めてみましょうか。

ほら、今まで続かなかった「やる気」が、勝手に再稼動し始めます。
欲望Xから成り上がったXには、余計な義務感も堅苦しい計画性もありませんから、無理せず気軽に、再びやり始めることが出来るようになるんです。

どう?これって凄くね?

 

もちろん、Xを再稼動させても時間が経つにつれ、この成り上がりXは再び欲望Xへと変質していきます。

でも、そうしたら再び、欲望Xを実行することは諦め、欲望Zで埋めてしまうんです。
そうやって再度、欲望Xを成り上がりXにして実行へと移します。

つまり、このサイクルを、繰り返していくんですね。

ほら、3日坊主も続ければそれは継続、って言うじゃないですか。
あれ?言いませんでしたっけ?

3日で止めてしまっても、1日か2日休んで、再び3日坊主を始めてしまうことを繰り返せば、1ヶ月で18~24日ほど実行したことになります。
それを1年続ければ、最低でも軽く200日を超えてしまいます。

3日実行して3日休んでも、それを繰り返せば1年で180日以上の実行結果です。

これを「継続」と言わず、一体何と言うんでしょうか?

 

今の社会、普通に暮らしているだけでストレスが溜まっていきます。
それなのに、たいしてやりたくもないことを続けるのは、苦痛でしかありません。

ですから、何かを新しく始めようと思っても、なかなか続けられないのは、当たり前のことなんですよ。
別に、続けられない自分を責める必要なんてありません。

だからね。

今から何かを始めようと思っている方、
始めてみたけど、今お休みしちゃっている方、

「指令:まずは欲望Xを撃退せよ!」

新しいことに手をつける前に、ストレス発散することを考えましょう。
そうやって、自分の中に余裕を作ってから始めることが大切です。


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メールボックスからのモチベーション

intro:

前回、情報整理についてちょこっとお話しました。
「アーカイヴ」っていう発想を用いれば、別に手間暇かけなくても、スッキリと情報整理が出来ちゃいますよ、という内容でした。

んで、今日はその流れで、メールの整理方法でもお話しようかと。

main:

まず大前提として、メールソフトは何が良いか?ということですが、これは自分が良いと思えば何でも良いと思います。

あのソフトは惰弱でダメだとか言う人もいますけど、基本的にパソコンにウイルス対策ソフトが入っていれば、惰弱性は(致命的なものでない限り)それほど気にする必要もないかと。

また、高機能かどうかを気にする人がいますが、実際のメールのやり取りで使う機能なんてタカが知れてます。
特殊な機能を必要とする人はその機能を持つメールソフトを選べば良いだけで、むしろ低スペックなPCで高スペックなメールソフトなんて重たくて使いづらいだけです。

メールソフトすら必要ないって人もいるかもしれません。
全部Webメール(GmailとかYahoo!メールとか)でOKだと思うなら、それはそれでOKじゃないかと。

要するに、自分のPCやネット環境、また自分の使い道に合わせて選べば良いわけです。
現状に不満がなければ、そのまんま使えばい~じゃない、ってことです。

ま、ビジネス・ツールとして用いる前提として強いて言うならば、

  • アーカイヴ・フォルダが予めあるか、もしくは新しくフォルダを作れる機能がある
  • 検索機能の性能がきちんとしている
  • タグ付けできるのであれば、なお便利(必須じゃないです)

くらいなものでしょうか。
ま、今時のメジャーなソフトなら、特別問題ないでしょう。

ちなみに私は、「Mozilla Thunderbird」を使ってます。
複数持ってるメールアカウントを管理しやすい気が何となくするんで。

 

さて本題ですが、私は最近、意外にも意外な事実に気付きました。
それは、

その日の仕事が終わった段階で、メールの受信ボックスが空になってない人が、すっごく多い。

ってことです。

「受信ボックスは、その日の終わりには空にしておく」

というのが、メールという情報整理術の基本です。

そう、読んだら即捨てます。
返信が必要なメールは、メールを返信したら即、元のメールを捨てます。
もちろん、迷惑メールは読まずに捨てます。

なので、その日、仕事が終わった時には受信ボックスは空になっていなくちゃいけません。

つまり、受信ボックスが空になってないというのは、未処理のメールがまだ残っているということです。
仕事はまだ終わっちゃいない、ということなんです。

ほら、だから私の受信ボックスは、いつも空っぽです。

mailbox01

 

「え?でも、保管しておきたいメールはどうすんの?」

そういった場合、前回お話した様に、アーカイヴ・フォルダに何でもかんでもブチ込みます。
だって、本当に保存すべきメールなんてほとんどないですから。

基本的にアーカイヴ・フォルダの中を整理する必要はありません。
まあ、余裕があるのであれば、タグでも付けておけば良い程度です。

だって、昔受け取ったメールを探したり読み返す様なことは滅多にありませんし、ごく稀にそんな時に出くわしても、アーカイヴの中を検索すれば直ぐに見つかります。
アーカイヴの中に漠然と放り込んでおけば、それで事は十分に足りるわけです。

 

そうそう、忘れる前に言っておきますが、

「返信するメールには、元メールの引用文を必ず添えておく」

ことは必ずやっておいて下さい。

受信したメールを返信する(「返信」ボタンを押す)と、多くの場合デフォルトで「>」や「|」みたいな引用符と共に、受信したメールの原文がメール下部に自動的に挿入されます。
こんな感じで。

mailbox02

ま、恐らく仕事上のメールであれば、ほとんどの人がやっていると思います。
メールのやり取りの流れが一目して把握できる様にしておいたり、お互いのメールの文章が証拠となる様に残しておく必要があったりしますからね。
やってない人は、やっておいた方が吉かもしれません。

で、実はそういう風にしておくと、メール・コミュニケーション上の利点だけでなく、メールの整理整頓にも役に立ちます。

だって、こうすることで、複数のメールのやり取りの内容が、1通のメールに全て残る様になるわけですから。(もちろん、相手もそうやってるという前提ですが)
残しておく必要があったとしても、それは最後の1通だけ保存すればOKになります。

なのでこのメールのやり取り、相手から受信したメールで終わっているのであれば、アーカイヴに保存。
自分が返信したところで終了なら、わざわざ保存しなくても、自分の送信ボックスに自動で送信メールが保存されています。

お~っ、これは楽チン!

ということで、バッサバッサと処理したメールは捨てていきます。

これでスッキリ!サッパリ!です。
後から必要になるかもしれないメールは、普段覗くことのないアーカイヴ・フォルダと送信フォルダに残ってるだけです。

 

さて、実は受信ボックスを空にしておくというのは、単にメールという情報整理術だけではありません。
実は、自分のモチベーションが分かるんです。

モチベーションが高い時って、重要だったり緊急な仕事をグングンと進めることが出来るじゃないですか。
しかし、それだけじゃありません。

実は、モチベーションが高い時って、雑務だったり後回しにしてもOKな様な細かい仕事も、チャカチャカと片付けてたりするんですよ。
だから、見た目もスッキリ、気持ちもスッキリで、大切な仕事もサクサク進みます。

でね、

メールって面白いもので、なぜかメールチェックは頻繁にしたがりますが、メールの処理は後回しにしがちです。

だから、メールボックスを覗けば、その人のモチベーションが分ります。
自分のメールボックスには、自分のモチベーションが反映されているんです。

メールボックスが、スッキリしている時は、細かな業務までキッチリと片付けている時、つまりモチベーションの高い時なんです。
細かい雑務の処理も終わっているから、重要な仕事もサクサクとはかどるわけです。

しかし、メールボックスに、未処理のメールが残っている時って、細かな業務がたんまりと残っているという証です。
面倒だったりやる気のない時は、メールの処理が後回しになっているわけで、即ちそれは大切な業務もダラダラ~っとしてしまっていることの裏返しです。

だから、自分のメール受信ボックスは、常に空にしておく。
そういったルールを決めておくことが重要です。

だって、自分のモチベーションは、自分のメールボックスを覗けばわかるわけですから。

そして、メールボックスに未読・未処理のメールが溜まっている時は、

「あー、自覚無かったけど、俺ってモチベーション落ち気味かも」

と早めに気付いてあげることが大切です。

そしてそんな自分に気付いた時は、多少面倒でもまずは受信ボックスを空っぽにする作業をやってみることです。

するとどうでしょう?

メールボックスがスッキリすると、何だか気持ちまでスッキリした気がしてきます。
部屋を掃除するとやる気が出てくるのと一緒ですね。

で、そんなスッキリした気分で1日の仕事に取り組んでみてください。
きっと、1日の仕事の景色が変わって見えるはずです。

補足

もちろん、その日に処理できないメールってあると思います。
3日後に実行する必要があって、それまでそのメールは削除しない方が良いとか。

もちろん、そんなメールまで無理やり削除する必要はありません。
そのまま受信ボックスに残しておけばい~じゃない、ってことになります。

ただしその際は、フラグなどの重要ですよマークを付けておくことですね。
ウッカリと削除してしまわないように。

ps:

実は先ほど、

「ほら、だから私の受信ボックスは、いつも空っぽです」

などとカッコつけて書きましたが、実は私も“いつも空っぽ”というわけではありません。
結構、受信ボックスにメールが溜まりこんでいる時があります。

もちろん、物理的にメールを処理する時間がない時が多々なんですが、やっぱモチベーションが高い時って、忙しくてもきちんとメールを処理してたりします。
だから、モチベーション管理にメールボックスが空っぽかどうかを利用するのは、結構使えるルールです。

やってない人は、ぜひお試しあれ!


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アーカイヴという発想―捨てられない人のための情報整理術

アナタのデスクトップやマイドキュメント、メールボックスやブックマーク、その他もろもろのフォルダ内・・・

ファイルやショートカットアイコンなど、情報で溢れかえってませんか?

多くの人が、そんな状況に頭を抱えています。

でもまあ、仕方がありません。
普通、人間って収集癖を持ってますし、また知的好奇心というものも持っています。
ですから、色んな情報を収集しては溜め、またしては溜め・・・を繰り返します。

そうやって、情報が溢れかえってしまうわけですねぇ。
何処に何があるかわからないその姿は、まるでゴミの山の様です。

なので、そんなゴミ山を見つめて、ごくたま~ぁに、

「フォルダ分けして、整理しよう!」

と決心するわけです。

ところが、いざ始めてみれば、時間はかかるし面倒臭い。
しかし、それでも頑張ってフォルダ分けし、

「今後はマメに振り分けよう!」

と改心するわけです。

が、いざ振り分けようとしたその情報の内容は、いつもビミョ~で、どのフォルダに入れて良いか迷ったり。あ゛ー!面倒くせーっ!

で、結局は振り分けずに、再び投げ散らかしたかの様なゴミ山が出来ていくわけです。

「捨てりゃあ良いじゃん!」

とか思っても、「何かあった時のために・・・」と、その98%は2度とは来ないと分っていても捨てられない自分がいたりします。

ま、人間ってそんなもんよ。┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

 

しかし、そんな悟り顔したところで、意味はありません。
何とかしたいっ!そう、したいんだっ!

ということで、久しぶりにハウツーもののお話でもしましょうか。
お題は、「捨てられない人のための情報整理術」。

そして、「アーカイヴ」という発想。

これを取り入れることで、情報の整理がグッと効率的になって行きます。

 

アーカイヴって、「書庫」とか呼ばれる記録の保存場所です。
まあ、、情報を溜めておく倉庫みたいなもんでしょうね。

で、そんなアーカイヴのフォルダを、各ツールごとに1個用意します。
もちろん、フォルダ名は「アーカイヴ」じゃなくても「書庫」でも「一時保管場所」でも「たみ夫」でも「ポチ、帰っておいで。ママは怒らないから」でも、OK。
自分で分れば何でも構いません。

そして、そのアーカイヴフォルダの中に、とりあえず何でもぶち込みます。
そう、迷ったらぶち込んじゃうんです。

語弊がない様に追記しますと、「とりあえず何でも」と先ほど言いましたが、それはマジで何でもかんでもという意味ではありません。

既に定期的に使っているもの、今後使う予定がハッキリしているものは、アーカイヴには入れません。

「このサイトは、ほぼ毎日覗くし」とか
「このファイルは、明日の資料作成に使うから」とか

そんなファイルやショートカットアイコンは、むき出しのままで、OKです。
そうではなく、

「このメール、後で読み返したいな」とか
「このサイト、いずれ資料として使う日がくるかもしれない」

などの曖昧なものは、全てアーカイヴに入れてしまいます。
要するに、

使う予定(期日・目的)がハッキリと決まっていない「何となく・・・」な情報は、細かくフォルダ分けせずに、全部アーカイヴとして1つのフォルダにまとめてしまえ!

ということです。

 

人が、モノや情報を整理したがるのは、

  • 見た目がゴチャゴチャしていてイヤ!
  • 必要な時に必要なものを直ぐに取り出したい!

という2点に要約されると思います。

しかし、後者の「必要な時に必要なものを直ぐに取り出したい!」という機会は、まずありません。
そもそも、常に使うものや予め使うと分っているものは、取り出しづらい場所には置きませんから。
自ずと、取り出しやすい場所に保管してるはずです。

なので、問題なのは、先ほど言った「何となく・・・」な情報です。
で、基本的にこの何となくな情報が、整理が付かずゴミの山として溢れかえっているが故に、

「ゴチャゴチャしてイヤ!必要なものを直ぐに取り出せるようにしたい!」

と思わせてしまうわけです。

 

なので、この「何となく・・・」な情報を全て1つのアーカイヴフォルダにまとめてしまいます。

するとどうでしょう?
ご想像の通り、見た目が凄くスッキリしました。
もうこれで、ゴチャゴチャ感はありません。

え?
でも、アーカイヴフォルダの中はゴチャゴチャだって?
アーカイヴの中はどう整理するんだだって?

ご安心ください。
アーカイヴに放り込んだ情報は、

全て放置(キッパリ)

の方針でOKです。

だってね、アーカイヴのフォルダの中を覗くことなんて、ほぼあり得ませんから。
ないんですよ、覗くことなんて。

「後でもう1度読み返したい」
「後で必要になるかも」

なんて、そんな機会はほぼ来ないですから。
そう、アナタだって気付いている通り、「後で・・・」が現実になった試しはほとんどありません。

次から次へと新しい情報が舞い込んでくる今の状況で、過去の情報に構ってる暇なんて、ほとんどないでしょ?
それが現実です。

 

つまり、「アーカイヴ」というフォルダは、捨てられない人のために用意したゴミ箱の代用品、情報の溜め込み場なんです。

だから、整理する必要など全くなし。
ハードディスクの容量に余裕がある限り捨てずに、ただひたすら放り込み続ける。

それが、アーカイヴという発想なんです。

 

そんなこと言ったって、万が一、そのアーカイヴの中から必要なものを取り出さなくちゃいけなくなったら?
ゴミ溜めの様になっていて、探しづらいじゃないか!

なんて、心配性の方は心労を重ねます。

しかし、ご安心ください。

アーカイヴに何を入れたかなんて、入れた本人はほとんど覚えちゃいない。

なので、アーカイヴを覗くことなく、検索エンジンとか何かを使って、新たに情報を収集しようとするはずです。

ただ、ごく稀に・・・そうごく稀に、「アーカイヴの中に確か○○ってファイル、入れておいたよな」なんてことがあるかもしれません。
確率としては、2%くらいでしょうか?
いや、もっと低いか?

でも、そんな低確率の探し物のために、果たしてアナタは長い時間を費やしてフォルダ分けをし、情報を得るたびに常にどこのフォルダに振り分けようかと頭を悩ますおつもりですか?
凄いですねぇ・・・

そんな時間と労力を費やすくらいなら、アーカイヴの中からファイルを探した方が、よっぽど省エネです。

しかもっ!
しかも、です。

今は、「検索」という手段が当たり前の時代じゃないですか。
アーカイヴフォルダ内を、単に検索しちゃえば良いんですよ。

そうすれば、わずかな時間でお目当ての情報を取り出すことができます。

もう少し突っ込んだ言い方をすれば、フォルダにしろメールにしろブックマークにしろ、検索機能が充実したツールを選んで使えば良いわけです。
そうすれば、滅多に来ない探し物をより効率的に行なうことが出来るはずです。

 

みんなね、体裁を整えることに一生懸命です。
捨てるものは捨て、残すものは綺麗にツリー状にフォルダーを整理しておこうとしたがります。

もちろん、それ自体は悪いことではありません。
が、そのせいで、余計な苦労を強いられることだってあります。

だったら、アーカイヴという発想。

整理しなくて良いものは、整理しなくて良いんですよ。

これを取り入れることで、視覚的にも時間や労力的にも、グッとスッキリ簡単にお手入れが可能になります。

ps:

でも、もうちょっと具体的に説明したいところですねぇ。

「メールの場合はこうする」とか、
「ブックマークはこれを使う」とか、
「ファイルはこうした方が」とかね。

まあ、やり方は人それぞれでOKですが、私流のやり方に興味がある人も結構いるみたいなんで、時間ある時にでも個別にツールを含めた使用方法をご紹介しようかと。
期待しないで待っててくださいな。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


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水で薄めたミルクティー

そう言えば今から12年前の西暦2000年、日本では「IT革命」との呼び声と共に、インターネットの利用が一気に広がっていきました。

「これからは、ホームページを作らないと遅れをとっちゃうよ!」

と言われ、多くの企業・ビジネスパーソンが、慣れないホームページを立ち上げました。
そしてしばらくすると、

「これからは、メルマガの時代」

と言われ、多くの人たちがメルマガを発行し始めます。
そしてその数年後、

「これからは、やっぱりブログの時代だよ」

と言われ、ライブドアでブログを始める人が増殖しました。
しかし、今度は

「今、ミクシィが熱い!」

と言われて、ミクシィをはじめ、その口の根も乾かぬうちから、

「アメブロがアクセス集めるらしいよ」

とのことで、アメブロにブログを移行します。
で、いつの間にか

「今は、なうだよ、なう。Twitterをビジネスに活用しようよ!」

なんて始まって、みんながつぶやきだし、

「やっぱFacebookが今は最強。ビジネスに活用しよう!」

といって、猫も杓子もFacebookで友達づくりに励んでる始末です。

さて、来年の今頃、そして数年後、私達は一体どんなWebサービスに夢中になっているのでしょうか?

 

勘違いして欲しくないのですが、別に私は、次々と流行りに乗るような、そんな行為がダメだとは言っていません。
Webサービスなんてのは、言ってしまえば遊びや趣味の範疇です。
子供がオモチャに飽きたら次のオモチャに手を出す様に、その時その時の人気なツールに飛びつくのは決して悪いことではありませんし、むしろ当たり前のことだと思っています。

しかし、、、

それがビジネスの一環としてやっているのであれば、事は単純ではありません。
確かに、人の出入りの多い場所、流行っている場所で商売をはじめるのは、常套手段です。つか、王道です。

ただね、繰り返し言いますが、事はそれ程単純ではないんです。

ハッキリ言いますが、「今はコレ!」だとか「今はこれが主流!」だとか言って、次々とその時代で旬なWebサービスに飛びついている人のほとんどは、何一つビジネスとして実を結んでいません。
次々と移り渡っているのは、結果として何一つ儲けることが出来なかったからなんです。

これも正直に言いましょう。
メルマガで売上をあげていた人は、今もメルマガで売上をあげています。
今もブログから仕事を取ってこれている人は、ずっと前からライブドアでブログを続けています。

「アメブロの方がアクセスが集まるらしいよ」と言って他からアメブロに移行した人は、単に自分の力で儲けられなかっただけで、アメブロを始めたからといって儲けられるわけじゃありません。
単に、盛り上がった場所で多少のおこぼれを頂いた程度です。

だから、そんな人たちが「次はTwitterだ!」「Facebookは素晴らしい!」と言って群がってみたところで、結局何一つ実りをつけるわけじゃないんですよ。
次に別な何かが流行り出せば、掌を返したかのように、そこに群がるのがオチです。

 

ここまで書いて、「きっとお前は、そんな人たちを馬鹿にしているんだろう」と思った人もいるかもしれません。
う~ん・・・でも違うんですねぇ。

(私はキツイことを言ったり批判する場合は、常にその対象の中には自分が含まれているという気持ちで書いています。おぉっ!カッコいいよ、俺って)

皆、というかほとんどの人は、それぞれの場所で自分なりに一生懸命に活動してるんだと思います。
ただね、そこに問題が1つ潜んでるんですよ。

Webサービスを趣味や遊びでやってる人は、飽きたらポイです。
ポイして、次のツールで遊びます。

しかし、ビジネスとして始めた人は、一生懸命やった分、ポイ捨てできません。
せっかく集めたアクセスやフォロアー、そして積み重ねたログを無駄にしたくはありませんから。

だから、ポイ捨てできずに、次のツールに手を出し続けます。

おまけに、インターネットでは、自分へとたどり着いてもらうための“入口”をたくさん持っておいた方が良いと思われています。
今まで手をつけたツールは、全てその“入口”です。

だから、ポイ捨てできずに、次のツールへと手を出し続けます。

そうやって、メルマガをやり、アメブロもやり、ミクシィにもいながらTwitterでつぶやき、Facebookに熱中していたりします。
いやいや、他にももっとやってる人だっているわけです。

でも、もう飽和状態なんですよ。
みんな、自分1人のキャパを超えちゃってます。

だって、そうでしょう。
人間、そんなに色んなところで色んな話題を高品質で提供できるはずがありません。

数を増やした分だけ中身が薄くなって当然です。
似たり寄ったりの話しかできなくて当然です。

で、挙句の果てには、Twitterで流したツイートを自分のブログでまとめて再度載せてみたり、同じ話を違うサービスへとマルチポストしてみたりと、苦肉の策に走ります。

でも、それっていわゆるスパム・ブログとか迷惑メールと一体どう違うんですかね?
気がついたら、似た様なものになってないですか?

 

いいですかい?

商いをする人間が、いくつかの店を開くとしたら、それぞれの場所で同量・同品質の商品を提供するはずです。
それぞれの店でそれぞれのお客に、マグカップ1杯の美味しいミルクティーを提供しようとするはずです。

ところが、ビジネス目的で、Webサービスに乗っかって、次々と情報発信の場所を増やしている人は、いつの間にかそんな当たり前のことを忘れてしまいます。
たった1杯分の紅茶の葉っぱとミルクの量で、何杯ものミルクティーを提供しようとしているんです。

水で薄めたミルクティーを、一体誰が飲むというんでしょうか?

もうね、お客、見込み客、消費者の顔なんて見ないで語ってるんですよ。
自分のエゴだけで、水で薄めたミルクティーを訪れた人に勧めているわけです。

でも、それってビジネスなんですかね?

もう一度、胸に当てて考えてみましょう。
そして、恥を知りなさい。

ps:

恥を知りなさい、ですか・・・

正直なところ、自分で言って自分の胸にグサッと突き刺さってしまいました。

先にも言いましたが、私は他人を責めるつもりはなく、私自身にも当てはまることを突いてみせてるんです。
こういったことは、誰のことにも当てはまるんですよ。

だからこそ、繰り返し繰り返し、自分自身に問い続けたいものです。

おぉっ!今日の俺って、やっぱなんかカッコいいみたいですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


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読書の本質

「読書とは、自己投資」

出版社のキャッチコピーであるならまだしも、そう吹聴する輩が多い様に思います。

しかし、私は別に本を出版しようとかそういった願望がなく、その手の業界に媚を売る必要もないので、思った通りのことを言わせてもらいますが、

読書とは、自己投資なんかじゃ決してありません。
頑張ったところで、それはせいぜい趣味の範疇です。

もちろん、こんなことを言うと、

「本には色んな知識が詰まっているんだから、積み重ねていけば、必ず自分にプラスとして返ってくる。
百歩譲って趣味だとしても、そういった風に積み重ねることは、自己投資に他ならない」

なんて具合に思われがちです。

しかし、それを言ってしまったら、人生に起こり得る全ての出来事には何かしら得るものがあるわけで、全てが自己投資に当てはまってしまいます。
映画鑑賞も、観光旅行も、切手収集も、人付き合いも、ももいろクローバーZのライブでサイリュームを振って応援することも、みんなみんな自己投資です。

それなら、わざわざ「読書とは自己投資」なんて言う必要なんてないじゃないですか。
つまり、読書は自己投資じゃないってことなんですよ。

ですから、読書を自己投資だと思ってたくさんの本を読んでいるなら、今すぐやめた方が良いです。
だって、無駄な時間を過ごしたくはないでしょ?

 

例えば、数学の勉強を思い出してください。

教科書や参考書を1回か2回読んだだけで、問題がスラスラと解ける様になりましたか?
ならないですよねぇ。

では、1回か2回しか読まない教科書を複数冊読むと、問題がスラスラと解ける様になりますか?
ならないですよねぇ。

じゃあ、英語は?古文は?世界史は?
簿記やファイナンシャルプランナーの試験は?
国家資格の取得はどう?

1、2度しか読まない本を、いくら数だけこなしたところで、合格できる様にはなりません。

読んだだけじゃ何も身に付かないことなんて、自明の理なんですよ。
子供だって、知ってる話です。

なぜ、大人になってしまうと、そんな当たり前のことに気付かなくなるんでしょうか?

「本を読む」という行為で限定するならば、

同じ本を何度も何度も繰り返し読み返し、
そこにある知識を繰り返し覚えたり、
そこから生まれる問題を繰り返し繰り返し解くことで、

そうやってはじめて、自分の身に付いていくものなんです。
そこまでやって、はじめてその本は自己投資として活きるわけです。

そして、そういった行為は「読書」とは呼びません。
「学習」とか「勉強」と呼ばれる行為です。
単なる読書は、決して自己投資になんてならないんですよ。

 

勘違いして欲しくないんですが、別に私は読書を否定するつもりはありません。

読書は、ある意味において、人生を豊かにしてくれます。
面白い小説はたくさんありますし、人生の糧となる書物もたくさんあります。

つまり、趣味として読書を嗜むのは全然OKなわけです。

しかし、自分のビジネスにおける自己投資として、多読を繰り返すことはオススメしません。
というか、意味ないし。

 

ショウペンハウエルは、以下の様に述べています。(「読書について 他二篇 (ショウペンハウエル,斎藤 忍随/岩波文庫)」より抜粋)

「読書で生涯をすごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。(中略)これと対照的なのが生涯を思索に費やした人で、いわば自分でその土地に旅した人の立場にある。(以下略)

ビジネスも、これと同様です。
旅に出てその土地を訪ね歩くことに似ています。

見知らぬ土地で、右往左往することだってあるでしょう。
見知らぬ土地で、騙されてしまうことだってあるでしょう。

しかし、上手く行かないことも素敵な人や場所に巡りあうことも、全てひっくるめて、それが旅の本質であり、ビジネスもまた同じです。

いつまでも旅立たずに、カタログをめくっていても意味はありません。
旅立ったにもかかわらず、現地のホテルで案内書をめくり続けるなんて、笑えない悲劇でしかありません。

だから、もう一度言います。

読書とは、決して自己投資ではありません。
案内書なんて今すぐ閉じて、外の景色を眺めに行きましょう。

次の日はどこに行こうかなんて、今日寝る前にベッドの中で少し目を通すくらいで充分なはずです。

ps:

もちろん、専門家は自分の分野に関する情報を多量に取得しますし、そのために本もたくさん読みます。

しかしそれは、自分の仕事をこなしていくための材料の取得でしかありません。
それをしなくちゃ、仕事にならないわけですから。

ですから、そんなことまで自己投資と言うのは、ちょっと無理があります。
そういった行為と混同して、自分の多読の根拠付けにするのは、ちょっと止めておいた方が良さそうですぜ。

┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

ps:

ちなみに、先のショウペンハウエルの引用については、随分前にもお話しました。
興味のある方は、「読書について」をご覧ください。


post by ノリユキ at 11:00 | コメント・トラックバック(0)