名前のない花なんて、どこにもないから

自分の人生を、そしてビジネス・シーンを自由に駆け回っていくための、「こころ」と「あたま」と「おかね」の使い方。そんなお話でもして、カッコつけてみようかと。

1勝9敗と101回目のプロポーズ

ユニクロの柳井氏が「一勝九敗」という本を出してから、この「1勝9敗」という言葉をチラホラ目にする様になりました。

もちろん、「1勝9敗」という言葉を聞いて、「一発逆転を狙って賭けに出よう」という意味だと思う人は、そういないでしょう。

多くの場合、「失敗は成功のもと」という意味で理解し、またその様に使われているんじゃないでしょうか?
小さな失敗を積み重ねることで、その経験を活かし、1つの大きな成功を掴みましょう!みたいな。

確かにその通りです。

ただ正直なところ、1勝9敗で最終的に成功を手にするというのは、簡単なことではありません。

それどころか、多くの人が「9勝1敗」、つまり数多くの勝利の後に起こるたった1度の失敗で、深い闇に沈んでいきます。

 

以前、この裸足のリーダーでもお話しましたが、人間の心には「プロスペクト理論」というものが働きます。

要するに人は、1回の成功で手にする利益よりも、1回の失敗で被る損失の方が大きくなってしまうんです。

これは、特別な話ではありません。
人間として、ごく普通の心理です。

ですから通常、人は多くの成功を積み重ねても、たった1度の失敗で全てを失ったりします。
ビジネスや投資に限らず、恋人や家族、友達や信用も同様に・・・ね。

「1勝9敗」と言われて頭の中で納得できても、実際にその通りに出来る人はほとんどいません。
これを先天的にできる人の方が実は稀で、「天才」とはこういった人のことを指して言うわけです。

では、天才でもない私達がそんな「1勝9敗」で成果を収めるにはどうしたら良いのでしょうか?

正直、難しいですよ~、いやマジで。

しかし、対処法を理屈で説明するだけなら、簡単です。
結局は、「リスク管理」ですから。

まず、私達がモノゴトを実行する場合、予めリスクを算出しておきます。

未来とは、不確定要素の塊みたいなもの。
成功と失敗のどっちに転ぶかわからないことだらけ。

ですから、そんな部分を挙げていきながら、結果として失敗した場合にどれだけの損失を被るのかを考えます。

そして、その損失を受けれても大丈夫なのか?
上手くいかないのであれば、どの段階で手を引くべきか?

それらを考えます。

と同時に、上手くいく場合の利益の最大値も考えます。

そして、「受け取る利益 > 被る損失」であるならば(もっと正確に言えば、「成功確率 × 利益 > 損失」であるならば)、実行に移します。

で、走り出したら、許容できるリスクの範囲に達するまで徹底的に突っ走る。
そして、リスクの許容範囲を超える様ならば、あっさりと撤退する。

これが、1勝9敗で成果を手にするための、対処手順です。

しかし、言うは易し行なうは難し。

予めリスクを算出して計画的に実行しようとしても、それを邪魔するのが、先にお話した人間心理です。

いざリスクの許容範囲に達しても、ほとんどの人が諦め切れずに突き進んでしまいます。
撤退できないんですね。

そうして被害を増大させていくんです。

そのくせ、いざ上手くいった場合は、その途端に手にした利益を失うことが怖くなって、徹底して利益を追うことが出来なくなります。

例えば商売の場合、急に売れなくなった時のことや体裁や批判なんかが気になりだして、追い風に乗ってるのに売りまくることを自ら躊躇してみたりとか。

そんなことをしてしまうんですよ、なぜか人は。
自分でブレーキを踏んじゃいます。

もちろん、リスクなんて気にせずに売りまくってしまう人もいるでしょう。
でもそういう人は、いざピンチの時でもリスク許容範囲を超えて突き進みますから、やっぱり1回の負けで全てを失ってしまいます。

結局、多くの人がこのプロスペクト理論から抜け出せません。

だから、難しいんですよ。
1勝9敗で成果を手にするってのは。

頭の中で理解した気になったって、現実に直面してみれば、その通りになんて出来やしないのが、人間なんです。

好きになるならあの人に惚れるべきだと言われても、そして自分の頭の中でもそう思っても、その通りに惚れられないのと同じです。
理屈どおりに感情と行動を合わせられないのが、人間なんです。

人が恋愛の指南書通りに恋愛できないように、ビジネスだって指南書通りにはいかないんですよ。

ですから、前に進もうと思ったら、阿呆と呼ばれても傷つきながら体当たりしていくしか、私達は学ぶことができません。

そうやって何度も何度も傷つき身体で学んでいった人だけが、ようやく「1勝9敗」という勝利の美酒を味わうことができるのです。

ただし、“現実”とは自分ひとりのものでもなければ、作り物のドラマでもありません。
ビジネスだって、自分だけの人生ではなく、従業員の人生、また取引先や顧客の生活も巻き込みながら、はじめて成立するわけです。

ですから、「ビジネスも恋愛も同じ様に・・・」とか言っても、「101回目のプロポーズ」の様に、

「僕は死にましぇ~んっ!」

と言って、走るトラックの目の前に飛び込む行為はだけはしてはいけません。

まぐれで手にした勝利が何度あったところで、たった1つの敗戦で全てを失ってしまうんですから。

1勝9敗とは、あくまでリスク管理を徹底した上で現実の人間が挑む、ノンフィクションのドラマのことです。


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なぜ、楽して金儲けができないのか?

そう言えばしばらく前に、「楽して儲かる」的なキャッチフレーズが氾濫していた時期がありました。

が、「楽して儲けたい」という人間心理は、一時的なものではありません。
古くから現在に至るまで、そんな甘い誘惑は、暗闇から延々と私達に手招きし続けているのです。

しかし残念なこと、そんなうまい話はありません。

だって、金儲けは楽じゃないんですから。

総量は決まっているのに、皆がより多くのお金を得ようとします。
だから言ってしまえば、金儲けとはお金の奪い合いです。

競争なんです。

競争であれば、それを得るためには、それなりの能力と努力と工夫が必要になってきます。

で、一体その金儲けのどこが楽だというんでしょう?
金儲けって、楽などころか大変なんです。

ただ、もう1つ。

実は、楽して金儲けが出来ない理由が、もう1つあります。
それは、人の心の内側に隠れていて、なかなか自覚できない代物です。

 

「お金持ちになりたい」とは、誰もが思うことです。
見栄や体裁を考えなければ、「大金が欲しい」と思わない人はいません。

・・・と、誰もが思っていることでしょう。

しかし、それは凄く表面的な認識です。
実は、ほとんどの人が大金が欲しいなんて思っていないんですよ。

いや、ホントです。

では試しに、メチャクチャ贅沢ってわけではないけれど、そこそこの生活をイメージしてみてください。

例えば、まあ月に2回くらいは外食が出来て、普段の生活でも食べたいものは結構食べれたり。
たっぷりある休日は旅行に行ったり、映画を観たり、昼でゴロ~ンと寝転んでみたり。
もちろん、欲しい家電や車なんかも普通に手に入って。

これから一生、衣食住には困らず、医療費も養育費も気にならない生活です。

で、そんな生活が、働かずともお金がなくとも手に入るとしたら?

大層な贅沢を望まなければ働く必要もありませんから、煩わしい人間関係からも開放されます。
嫌な仕事はしなくても良いですし、趣味や娯楽に費やす時間もたっぷり。

どうです?
金銭的に不安のない生活を、お金を稼ぐことなく出来るとしたら?

それで結構十分だって人が、ほとんどじゃないんですかね?

要するに、金儲けがしたいんじゃないんですよ。

不安を取りのぞき、ある程度の欲が満たせる様な生活がしたいだけ。
つまり、楽になりたいだけなんです。

我慢したり苦労したりすることなく、不安のない生活。
私達のほとんどが求めているのは、金儲けじゃなくて、楽な生活なんです。

ただ私達は、楽な生活を保障してくれそうな代名詞を「お金」に当てはめているだけなんです。

ですから、楽して儲けたいと思っている人に、金儲けすることは絶対に出来ません。

だって、先にも言った通り、お金儲けは楽じゃないんですから。
楽をしたいだけの人に、お金儲けをする努力ができるはずがありません。

望んでもいない現実を、どうやって手に入れるというんでしょうか?

あるとすれば、それは単なる偶然です。
偶然以外の何ものでもありません。

 

いいですかい?

望んでもいないものを手に入れようとする本末転倒ぶりは、火傷の原因を作り出します。

楽がしたいだけなのに金儲けをしようとするから、うまい話に乗って、逆にお金を手放す側に回ってしまうんです。

本当にお金儲けがしたいなら、とっくの昔からアナタはそのための努力をしているはずです。
寝食を惜しんで、働いてお金を稼いでいるはずなんです。

しかも、喜んでね。

うまい話に乗ってしまう前に、人は自分の本当の気持ちに気づくべきです。


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AKB48とキャバクラがウィキペディアとクロスする日

2ヶ月ほど前、AKB商法についてお話しました。
これね→「AKB商法という古典と例外

が、その時よりも更に人気に拍車がかかったかの勢いのAKB48。
今度は新曲発売当日でミリオン達成というオリコン史上最高の売上だとか。

スッゴイですねぇ~。(所ジョージ風)

さて、そんなAKB48ですが、彼女達のファンはきっと握手券付きのCDを何枚も買って握手会に参加したり、劇場やコンサートに何度も足を運んだり・・・

と、そうやって推しメンとの触れ合いを楽しんでいるんだと思います。

ところで、キャバクラ好きの男性は、キャバクラに何度も足を運び、お目当ての娘を指名したりなんかして・・・

と、そうやってキャバ嬢との触れ合いを楽しんでいるんだと思います。

AKB48とキャバクラ、その収益構造に大きな違いはありません。

AKB選抜総選挙で推しメンを1位にしたい、そうでなくとも順位を上げたいと願い、多くのお金をつぎ込むファンの人たち。
お目当てのキャバ嬢やホストを今月の売上ナンバー1にしたい、そうでなくともノルマは達成させてあげたいと願い、多くのお金をつぎ込む人たち。

AKB48とキャバクラ、その顧客心理に大きな違いはありません。

業界・業種・業態は全く別物でも、AKB48とキャバクラでは、収益をあげる仕組みはかなり似通っています。

さて、ここで注意してもらいたいことがあります。
別に私は、ここでAKB48を非難しようとしているわけではありません。

つか、するわけないじゃないですか。
そんなことをして、もし仮に大島優子に嫌われでもしたら、私は今年いっぱい立ち直る自信がありません。

ですから、私は決してAKB48を非難するわけでも悪口を言うつもりでもないんです。
ホントです。信じてください。お願いですから。

さて、私は一体、誰に向かって何を言い訳しているんでしょうか・・・?

 

ところで、「ウィキペディア」というインターネットで閲覧できる百科事典があります。
皆さんもご存知の通り、誰もが無料で閲覧できます。

しかもウィキペディアはそのポリシーとして、一切の広告を載せることはありません。

では、ウィキペディアはどうやって収益を得、運営を続けているのでしょうか?

一言で言ってしまえば、それは「寄付」です。
ウィキペディアは、寄付によって成り立っています。

つまり、閲覧するだけなら無料だけど、そんなウィキペディアに価値を見出し応援したい人は、自分の意志で応援したいだけの金額を払う仕組み。

GIGAZINEの山崎恵人氏は、ウィキペディアの様にファンがパトロンとなってお金を払う収益モデルのことを「パトロンモデル」と呼んでいます。

で、ここまで言って気がついた方、はい手を挙げて!

そうです。
このウィキペディアとAKB48とキャバクラ、実は収益構造が非常に似通っています。

(もちろん、AKB48の収益はCMや番組の出演料など多種多様ですが、ここではCDやライブといった直接ファンが支払う部分、つまりAKB商法に絞ってお話しています。わざわざ注釈つけなくとも機転のきく人はわかってると思いますが、念のため)

同一商品であっても、人が受け取る価値は人それぞれ。
だから各人が払いたいだけの金額を払うことで満足するという収益モデル。

確かにウィキペディアは非営利団体として存在しており、それに対してAKB48やキャバクラは営利団体によって運営されています。
しかもウィキペディアは対象が「知」ですが、AKB48やキャバクラは対象が「女性」です。

ですから、AKB商法やキャバクラの商売の仕方なんかを、思わず毛嫌いしてしまいたくなる心理はわかります。
また、それらとウィキペディアを一緒として扱う気にならないのもわかります。

しかし、そんな既成概念を取っ払ってロジックで収益構造とお金を払う側の心理を見ていくと、ウィキペディアもAKB48も結構似てたりするわけです。
そして、AKB商法を毛嫌いする根拠も途端に薄くなります。

 

現在、この国には経済的な閉塞感が漂っていると誰もが感じています。
そして、ブレイクスルーだのイノベーションだの、価値観のコペルニクス的転回だのが求められています。

しかし実は、古くて新しい収益モデルの誕生というか一般化が、今まさに目の前で起っているのかもしれません。
それに気がつかないのは、単に既成概念に囚われているだけなのかもしれません。

ニーチェ曰く「神(今までの価値観)は死んだ」

今、私達に必要なのは、気がつかないうちに古い価値観によって縛られたモノゴトの見方を一旦開放すること。
それによって、新しい未来を切り開くことが出来るかもしれません。

ps:

2年ほど前、秋元康氏はこのAKB48を世界進出させようとしていました。
AKB48そのものではなく、AKB48の仕組みをフォーマットとして世界販売するというものです。

(参考: 追跡 A to Z 「アキバアイドルを輸出せよ」

現在その計画が着々と進んでいるのかどうかは知りませんが、当時の状況から考えると、その道のりは難しいものじゃないかと推測します。

やっぱ、全く新しいタイプのコンテンツは、バイヤーにとって理解されづらいんじゃないかと。

しかし今、日本国内で様々な企画や仕掛けをぶち上げながら、AKB48は客観的な数値データにおいても様々な記録を塗り替えています。

憶測ですが、秋元氏はこの圧倒的な実績を引っさげて、これからこのフォーマットで本格的な世界進出に臨もうとしているんじゃないでしょうか?


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まるで幼子の様に

昨年から売れている本に、「超訳ニーチェの言葉」というものがあります。
100万部を超える大ベストセラーだそうで。

恐らく、ニーチェの名をこれ程までに知らしめた本は、今までになかったでしょう。

しかしそれ以上に、ニーチェの思想を知る人達をこれ程までに怒らせた本も、今までになかったかもしれません。

だって、あの本はニーチェの思想とかけ離れ過ぎなんですもん。

ニーチェの著作物から文章を個別に抜き取り、別な解釈をすることで、逆にニーチェが嫌ったはずの内容に仕立て上げられています。

私自身も、この本を書店で初めて眼にした瞬間に違和感を覚えました。

「なんでニーチェの本が、自己啓発コーナーに?」
「え?この翻訳者って、ニーチェ嫌いじゃなかったっけ?」
「え?この出版社って、ニーチェの思想に反する系でしょ?」

ってな具合に。

ニーチェを知らぬ者は、この本を読むことによって、本来のニーチェとは全く違った思想を彼の思想として受け入れてしまうことになります。

まさに、ニーチェ殺しの本。
「神は死んだ」と言ったニーチェは、この本によって只今、瀕死の状態に襲われている様です。

 

ただ、妙味があるなぁーと思ったことが1点。

それはこの本のタイトルに付いている「超訳」という言葉。
これって、ニーチェの「超人」思想にかけたんじゃないかと。

ニーチェのいう「超人」とは、人間そのものを超えることであり、人間そのものではありません。

ですから「超訳」も、本来の作者の意図を超えて翻訳しているという意味があり、「この本は、ニーチェの思想ではない」と暗に伝えているのかもしれません。

要は、ニーチェのパロディー本ってやつですかね。

ま、「テクストは作者の本来の意図を超えたところで読み手の自由意志によって解釈されてOK!」という考え方もありますからねぇ。
それはそれでアリなのかも。

(追記: 上記文面で「それはそれでアリなのかも」と書きましたが、今改めて読み返してみて、「いや、それもどうかなぁ?」とも思っています。なぜなら、ニーチェの思想は過去に、自分らの都合の良い解釈をすることでナチスに利用された経緯があるからです。2011/09/09)

 

ところで私達は、生まれてこのかた、数々の経験を繰り返して今の自分を築いています。
それは良い意味でも悪い意味でも。

数々の経験の中には数々の失敗があります。
そして人は、同じ失敗を繰り返さない様に人生を歩む様になります。

もちろん、それ自体は決して悪いことではありません。
しかし、そんな経験が時として、足を1歩前に踏み出すことが必要な場面で、しり込みをさせる原因となったりします。

また、今は情報化社会。
本やテレビ、インターネットなどの情報媒体から様々な知識を得ることが可能です。
そのため、体験せずに、知った気になることが安易になりました。

そうやって私達は、前に進もうとするくせに、自らの経験が持つ負の遺産と、体験なき知識によって、新たな経験を回避する様になっていきます。

なんだかなー。
何か大切なものを失っている気がしませんか?

 

誰もが生まれたばかりの頃、立って歩くことは出来ませんでした。
しかし私達は、

立ち上がってみてはお尻をつき、また立ち上がってみてはお尻をつき、
1歩足を前に出してみては転んでみ、また1歩足を前に出しては転んでみ、

そうやって、いつの間にか2本の足で立って歩くことが出来るようになりました。

そう、私達はただひたすら、立ち上がろうとし、歩こうとしただけです。
お尻をついても転んでも、何度も何度も立ち上がり、1歩1歩足を前に進めることを繰り返したんです。

そこには、壮大な目標も計画もありません。
失敗したらどうしようだなんて、迷うこともありません。

失敗したからといって、クヨクヨすることもありませんし、無理してポジティブに振舞うこともありません。

もちろん、歩くために必要な知識を、予め本で学ぶわけでもありません。

無心で、ただひたすら、何度も何度も、チャレンジする。

たったそれだけのことを、私達は赤ちゃんの頃、何度も何度も繰り返してきたんです。

そしていつの間にか、私達はそんな当たり前の姿勢を忘れてしまっています。

 

ニーチェは、その超人思想において、超人とは幼子になることだと例えました。

無心で、自分の意志と力に身を委ね、ただひたすら挑む姿・・・
それはまるで、無邪気に遊ぶ子供達の様に。

もちろん、ニーチェの語った超人に至ることなど、私達にとっては遠い道のりでしょう。

しかし、アナタも私も、誰もが持ち合わせていたはずの、あの頃の様に振舞うことくらいなら出来るかもしれません。

無心で無邪気に、何度も何度もチャレンジする・・・

そう、それはまるで幼子の様に。

ps:

そもそも、「神は死んだ」と言い、「アンチクリスト」(邦題「キリスト教は邪教です!」)を書いたのはニーチェです。
そんな彼が、今時の自己啓発的な思想を説くわけないでしょ。

安易な内容の書物ばかりに手を出していると、知らないうちに知らない誰かに振り回されてしまいます。

とまぁ色々と言ってますが、だからといって私がニーチェの思想をきちんと理解しているかといえば、どうかな?って感じです。

だってホント、ニーチェの本は難解ですから。

でも、フルーチェだったら私にも簡単に作れますぜ。
 
 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

ps:

ちなみに、このエッセイの公開の10分後に発行するメルマガでは、私なりの解釈でニーチェの思想に割と接点があるかな~という歌を3つほど挙げています。お楽しみに。


post by ノリユキ at 10:50 | コメント・トラックバック(0)

たった3つの選択肢(あらゆる問題に対処するために)

私達は生きていくうえで、様々な問題に直面します。

  • 進路はどうしようかだとか
  • でも今の成績じゃ合格できないだとか
  • 今日は湯船には浸からずにシャワーで済まそうかとか
  • 寝坊して遅刻しそうだから、どう言い訳しようかとか
  • 好きな人に告白すべきかどうかだとか
  • フラれて辛くてしかたがないだとか
  • この件の責任をどう取るべきかとか
  • 逆にこの責任をどう回避しようかとか
  • この競争には勝たなくちゃいけないだとか
  • この争いごとに巻き込まれないようにしなくちゃだとか
  • 倒産・失業などの崖っぷちにどう対処したらよいのかとか
  • ローンが払えなくなっちゃったとか
  • 今日の夕食は、ハンバーグにしようか生姜焼きにしようかとか
  • バスの方が安上がりだけど、面倒だからタクシーにしようかとか
  • 就職先が未だに決まらないだとか
  • 転職先に妥協できずに、今日もまたフラフラしてるだとか
  • オナラを他人に聞かれちゃった、さあどうしよう?だとか
  • お前がグズグズしてるから電車に乗り遅れちゃっただろ、どうしてくれるんだこの野郎!だとか

言い出したらきりがないんでこの辺にしておきますが、それこそ小さなものから人生の一大事まで、私達は一生の間に様々な問題達と巡り会います。

もちろん、それらに対して単純に答えを導き出せるものばかりであれば良いのですが、残念なことにそうは問屋が卸しやがりません。

考えれば考えるほど複雑で、

アッチを立てればコッチが立たず、
こうすればこんなメリットはあるけど、こんなデメリットも生まれるし、
じゃあ、こうすればって手を加えると、今度は別な問題点が出てくるし、
どれも良い手段の様な気もするけど、どれもダメな気もするし、
上手く行ったところでたいしたメリットはないけれど、失敗したら結構痛いなって感じだし、

世の中というのは私達の人知を超えて複雑怪奇に出来てますから、そう簡単に答えは出せません。

しかし、そんな現状に対し、私達はどう足掻いたところで、たった3つの選択肢しか持ち合わせていません。
それは、

  • 戦うか
  • 受け入れるか
  • 逃げるか

の3つだけです。
どんなに悩んだところで、結局はたったこの3つの道だけなんです。

そう、問題はどんなに複雑であっても、それに対する行動基準は至ってシンプルです。

現状に対して、立ち向かうか、受け入れるか、逃げるか・・・

どうです?
単純でしょ?
簡単でしょ?

どんなに考えたところで、私達は結局のところ、この3つ道のどれかを選ぶしかありません。

時と場合に応じて、受け入れてみたり戦ってみたり、そしてたまには逃げてみたりと、手を変え品を変えて、私達は生きていきます。

う~ん、私の人生もアナタの人生も、なんて鮮やかなんでしょう。

もちろん、戦い続ける人生も素敵ですし、受け入れ続ける人生も美しい。
いつもじゃなければ、逃げてみるのも全然OKです。

 

ただし、いくらシンプルとはいっても、注意することが1つだけあります。

それは、この3つの選択肢のどちらでもないケースを私達は選択しがちだということ。

何度も言う様に、私達が直面する問題って決して単純ではなく、複雑です。
ですから、私達自身が複雑に考えたり複雑な心境になったりして、複雑に対応してしまいがちです。

そして気がつかないうちに、どっちつかずの方向に進んでいたりします。

で、最悪なのは、そんなどっちつかずの自分を誤魔化してしまっていたりすること。
見栄だとか体裁だとか欲だとか、実はどうでも良いことが邪魔しちゃってね。

頭の表面では戦っている気になっていて、でも実はほとんど戦うことなく逃げてばっかとか。
現状を受け入れているつもりで、でも他人を羨ましがったり妬んだりとか。

しかも、そんな自分に気がつかない・・・

 

でもね、道は3つしかないんですよ。
戦う道か、受け入れる道か、逃げる道かの3つしか。

だから、それ以外には道はない。
道のない荒野やジャングルに足を踏み入れてしまえば、向かう先も見失い、迷い、途方に暮れてしまいます。
下手すりゃ、大怪我したり命取りになったりもします。

まあ、そんな生き方がしたいなら、それはそれで構いませんが。
でも、そうは思ってない人がほとんどでしょ?

だから、もう一度言います。

直面する問題に対する選択肢は、たった3つしかありません。

戦うか、受け入れるか、逃げるか。

さあ、今度のアナタは、どの道を突き進みますか?

ps:

まあ、あれこれ言ってますが・・・

人の生き方として、この3つの道を選択しきれずに足掻いている様な生き方っていうのも、逆に人間らしいというか、人間味があるわけで。

ですから、それもまた愛すべき人達と言えるんでしょうねぇ。

選択しきれない生き方にも、そこに懸命さや健気さがあるかどうかで、その人の人生は大きく違ってきます。


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