
自分の人生を、そしてビジネス・シーンを自由に駆け回っていくための、「こころ」と「あたま」と「おかね」の使い方。そんなお話でもして、カッコつけてみようかと。
2009年9月3日(木) [ にんげん・こころ ]
intro:
一流のワルで名の通った私は、どうやら前回のお話で、多くの読者さんを驚かせてしまった様です。
メルマガ読者さんからは、いつになく沢山のメールを頂きました。
モテる男とは、いつの時代も罪作りなものなんですねぇ。
嵐を呼ぶ男とは、まさに私のことです。
ただ、正直なところ、私も驚いています。
それは、前回のお話に対する印象が、人によって全く違っていたことです。
ということで、今日は前回に関連したお話でもしようかと。
「あ、そう言ってネタを引っぱる気だろ」
とか言わない。
その辺のことは暗黙の了解ってことで、お願いしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
ここしばらくの間、私の頭の中をずっとリピートしている言葉があります。
それは、
「ホットペッパ ピップペッパッピ♪」
いや、違った。
「一所懸命」
こっちです。
一生懸命の方じゃなくて、一所懸命の方。
読んで字のごとく、1つのところに命を懸けるということです。
一点に向けて全力を尽くすのが、一所懸命です。
これ、経営で言うところの、集中戦略。
自社の資源(カネ・モノ・ヒト・情報)を一点に全力を注ぎ込むことで、自己の存在価値を高め、競争優位に立とうとする戦略です。
しかし、そのためには、余計なものは削ぎ落とす必要があります。
何か1つのモノゴトに懸けた時、人は多くのものを抱えて走ることはできませんから。
他に費やす余裕があるのであれば、それを目的とする1点に注ぎ込むわけです。
そのためには、余計なものは削ぎ落としていく覚悟が必要になります。
さて、この一所懸命ですが、
実はこの「一所」、つまり「1つのところ」というのは、物理的空間のみに適用されるわけじゃありません。
時間に対しても、「一所」です。
通常、時間というのは、過去から現在そして未来へと、線上に繋いでいく捉え方をされます。
が、その時間を線として見つめない。
点として見つめる。
それが、一所です。
つまり、一瞬。
未来でもなく過去でもなく、今この瞬間。
時間を線上に置くと、過去と未来が気になります。
過去に囚われると、今まで積み重ねた実績や失敗などの経験によって、何もできなくなってしまいます。
未来ばかりを気にしていると、不安になったり、今の自分を見失います。
だから今この瞬間。
この瞬間に全力を傾けるわけです。
人は生きていくうえで、色々なものを抱え込んでいきます。
アレをやっている、コレもやっている。
アレが欲しい、コレも欲しい。
アレも持っている、コレも持っている。
アレが気になる、コレも気になる。
過去も気になる、未来も気になる。
そうやって、いつの間にか自分自身が縛られていきます。
でも、そうやって余計なものを抱え込んでいたら、走れるものも走れなくなってしまいます。
お金もモノも労力も、そして時間と気力には限りがありますからね。
一生のうちでできることなんて、限られているわけです。
だから、一所懸命。
余分な贅肉を切り落とし、1つのところに全力を懸けて走り抜けていきます。
でも、だからといって人は、簡単に今まで手にしてきたものを捨てられますか?
捨てられませんよ。
仮にそれがムダだと分かっているものであっても、人は自分が抱えたものを簡単に捨てられません。
だから、覚悟が必要になります。
そして、その覚悟を決めなくちゃいけない瞬間、つまり「本当の瞬間」というのは怖いものです。
100メートル走のスタートに立つ瞬間。
負け越しで迎えた9回の表、2アウトでバッターボックスに立つ甲子園球児のその瞬間。
背水の陣で新規事業への投資を決断しなければならない瞬間。
いずれにしても、勝負に立つその瞬間というのは、言い知れぬ緊張感に立ち向かわなければいけません。
そして、その瞬間とは怖いものです。
時としてそれは痛々しいくらいに、あまりにも過酷な瞬間です。
でも、その瞬間は、決してネガティブなものではありません。
怖くても怖くても、でも懸命に立ち向かおうとする勇ましい瞬間です。
いいですかい?
別に、懸ける必要のない時に、わざわざ懸命になる必要なんてないんですよ。
でも、勝負に出なくちゃならない瞬間ってあるでしょ。
そういった場面を迎えた時は、腹を括らなくちゃいけない。
抱えたものを切り捨てる覚悟。
今この場所でこの瞬間に、全てをかける覚悟。
「やろうと思ってるんだけど、やる気が起きない」だとか。
「不安と不満が、心の中を満たしている」だとか。
覚悟がないなら、グダグダ言ってもはじまりませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
ps:
ところで最近、元プロテニスプレイヤーの松岡修造氏にはまってます。
「一所懸命」という言葉の持つ機微を、松岡氏も把握していたということを知ったのが始まりです。
さすが、阪急阪神東宝グループの御曹司であるにもかかわらず、それとは別な勝負の世界へと単身羽ばたいていった男だけのことはあります。
彼は、ムダに熱いだけの男じゃなかったんですねぇ。
人としての奥深さすら感じます。
ちょっと脱毛、いや脱帽ですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 11:27 | コメント・トラックバック(0)
2009年8月27日(木) [ にんげん・こころ | ワタクシゴト ]
intro:
この「裸足のリーダー」がメルマガとして始まったのが、2004年の8月27日。
今日でちょうど5年目です。
時が経つのは早いものですねぇ。
5年前にはセミヌード程度だったハゲ頭も、今じゃすっかりフルヌードって感じです。
ということで、今回はちょっといつもと違う感じの話でもしてみようかと。
一人称も「私」じゃなくて「俺」にして。
何だかそんな気分なんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
ガキの頃というのは、何の根拠もないくせに、自分がどれだけ大きな存在であるかを証明したがるものです。
少なくとも、俺や俺の仲間はそうでした。
しかし、成長するごとに、少しずつ自分の小ささを思い知らされるわけで。
大人になって良かったなぁと思うのは、そんな自分の小ささを実感する時です。
「あー、俺もまだまだだな」
って、そんな感じで。
なんかね、ここ10年くらい俺は、ずっと昼寝していた様な感じがしています。
そして、今もまだ夢の中にいて、「ずっとこのまま夢見ていれたらなあ」なんて風に思っている自分がいます。
でも、今年に入ってからかな。
そんな自分に気付かされることがいくつか重なって、「やっぱ今のままじゃダメかな」って。
「お前がそこにいるの、似合わない」
俺を良く知る周りの連中は、そう言うんですね。
で、10年前の俺を知ってる妻にも、先日聞いてみました。
俺、昔とどこか変わった?って。
「丸くなった」
うん、そうかも。
でも、言葉の真の意味は、それじゃない。
丸くなったんじゃなくて、ゆるくなったんだ。
10年前、俺は負けたんですよ。
勝負に負けました。
まぁ傍から見れば、俺はゲームにも勝負にも勝ったのかもしれません。
でも、確実に負けた。
自分自身にね。
そしてその後、もう1度立ち上がろうとしたけど、今度は身体が言うことをきいてくれない。
入院と療養生活、長時間椅子に座り続けられない身体・・・
気持ちじゃ乗り切れない自分を、初めて知ったわけで。
多分、「挫折」ってやつなんだろうな。
なんでも自分の力で乗り越えてきたつもりでいた、そんな自分に挫折。
だから多分、昼寝を決め込んだのかも。
あれ以来、ずっと上を見ないようにして生きてきた気がします。
上を見ると、負けたくないと思っちゃうから。
本気出さなくちゃいけないと思っちゃうから。
だから、戦わない様にして生きていこうって。
自分が今、手の届く範囲だけで一生懸命やってりゃいいじゃねーかって。
でも、何だか無理っぽい。
俺、そういうのに向いてないみたい。
でも、だからと言って、「じゃあ今すぐ走り出せんのか?」と言ったら、そう簡単にもいきません。
まだ夢見ていたいし。
人って、そんなに強くないでしょ。
ネジと違って、1回緩んだものを締めなおすのって、大変なんですよ。
そしてね、
自分と向き合うことって、怖いんですよ、マジで。
ブルーハーツの歌じゃありませんが、本当の瞬間というのは、逃げ出したくなるくらいに、いつも怖い。
だから、自分自身とガチで向き合ったら、
また逃げ出すかもしれない。
ずっと昼寝を決め込むかもしれない。
失敗して、奈落の底に突き落とされちゃうかもしれない。
でもさ、
それでもやっぱ、もう1回走り出そうかなって。
ずっと向こう側にある丘の上に行ってみたくなっちゃった。
そこにたどり着いた者しか見ることのできない景色を、見てみたいなって。
何となく今、そんな気がしてます。
うん、今日の俺もやっぱり素敵だ。
ps:
自分じゃ、そっちに向かってる気がしていて、でもホントはそうじゃなかったってこと、結構ありますからねぇ。
で、昨日、Twitterでも言いましたが、この「裸足のリーダー」をやめちゃおうかなって考えてます。
なんかね、何かを語る度に、自分を狭くしちゃっている気がするんですね。
偉そうにモノゴトを語る自分が、バカじゃねーかって思えてくるんですよ。
その前にやらなきゃならねーことあるだろ、みたいな。
自分が走り出すのに、この「裸足のリーダー」って必要なのかな?って気がしてるんですね。
始めて5年経つし、ちょうど区切りも良いし、調度いいかなって。
まあ、まだ決めたわけじゃないですし、それほど悩んでもいませんが、自分がスッキリとするカタチに持っていけたらなと考えてます。
既にスッキリとしてるのは、俺の頭皮だけみたいですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 11:12 | コメント・トラックバック(0)
2009年8月19日(水) [ にんげん・こころ ]
intro:
先日、私は妻が前から欲しがっていたジェルネイルのセット一式を買わされました。
誕生日プレゼントです。
ただ、どうも腑に落ちないのですが、妻の誕生日は12月です。
なぜ、私はずっと向こうの誕生日プレゼントを、夏のうちに買わなくちゃいけないんでしょうか?
あ、今のはグチじゃないです。
だから、今の話はここだけにしておいてください。
でもまあ、誕生日プレゼントなんてのはお互い様ですからね。
相手に渡しても、私だって貰えるわけですから。
フィフティー・フィフティーってところでしょうかね。
ちなみに私の誕生日は先月でしたが、プレゼントなんて貰っちゃいませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
人にプレゼントを贈る時、アナタはどんなことを考えるでしょうか?
あの人は、何を欲しがってるんだろう?
これを贈ったら、喜んでもらえるだろうか?
多くの人は、そんなことを考えながら、何をプレゼントしようかと思いをめぐらします。
もちろん、プレゼントを渡す相手によって、どんなプレゼントを望むかは違ってきます。
手作りの方が、気持ちがこもっていて良いと思う人。
とにかくブランド品ならOKな人。
便利な日常品がもらえると助かるな、と思ってる人。
前から欲しいと思っていたものをプレゼントして欲しいと思う人。
何が正しいかではなく、贈ってもらって喜ぶものは、人それぞれなわけです。
でも、プレゼントを渡す人の多くは、共通しています。
プレゼントを渡した時の相手の喜ぶ顔。
そんなものを思い浮かべながら、プレゼントを探すんでしょうね、きっと。
だから、アナタに忘れないでもらいたいことがあります。
言葉とは、贈り物です。
言葉というものは、確かに自分の意思を伝えるためにあります。
現状を表現するためにも使われます。
しかし、それだけですかね?
アナタの正義・真実・意思を聞かされる人は、いつもそれを望んでいるんでしょうかね?
多くの場合、人はそれを望んじゃいません。
人は、自分が聞きたいことを聞きたがっているだけです。
聞いてて楽しいこと、嬉しいこと、感動すること、感心すること、安心すること。
そんなものを、ただ単に望んでいるだけです。
だったら、アナタが自分の言葉に正義や真実を込める意味って、どれだけあるんでしょうか?
アナタがどんなに価値を込め、言葉の数を費やしたところで、相手の望まない言葉に、一体どれだけの意味があるというんでしょうか?
相手に対して、自分が好きなだけのものを贈ったところで、相手が喜んでくれるわけではありません。
それは単なる自己満足というものです。
だから、
「自分の気持ちが伝わらない」
「自分の言葉が伝わらない」
なんて思っている人は、いつまでも伝わるわけがないんです。
自分の気持ちが、自分の言葉が、自分が、自分が・・・
って、自分ばっかじゃん。
例えそれが真実や正義であったとしても、自分が気持ち良くなりたいだけの言葉に、一体誰が振り向いてくれるって言うんだい?
いいですかい?
もう一度言います。
言葉とは贈り物です。
だから、相手が喜んでくれるものを贈ります。
そして、相手が望んでいるものは何か?ということを思いながら、言葉を紡いでいきます。
そうすることで、はじめて言葉は力を持ちます。
「コミュニケーション」という力がね。
コミュニケーションとは、互いに言葉をプレゼントしあう行為なんです。
だからね。
自分のことをわかってくれないだとか、
自己アピールが上手くできないとか、
そんなツマラナイことにクヨクヨする暇があったら、まずは相手の顔を見て話しなさいって。
アナタは今、誰に向かって何を話してるんですか?
自分のことは、その後からだ。
ps:
もちろんカジュアルな間柄になれば、自分の言いたいことだけを互いに言い合うというケースもOKだったりします。
ただし、話を聞く側は、自分が心地良いと思えるものばかりに耳を傾けることは良くありません。
例えば、読み手が気持ち良いだけの自己啓発本を読むよりは、もっと地に足の着いたものを読んだ方が、実質的には役に立ったりします。
だって、感動するものには、真実が含まれているのではなく、ただ感動する仕掛けが仕込まれているだけかもしれませんから。
ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム ほんとに成功する法則。
成功法則の類は、この話だけで十分です。
これ以上を望む人は、実は成功以外の何かを満たしたいだけなんですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 12:50 | コメント・トラックバック(0)
2009年8月5日(水) [ あたま・ノウハウ | にんげん・こころ ]
intro:
私は今人気のTwitterで、高田純次botをフォロー(メルマガで言う読者登録みたいなもん)しているので
「千歳空港に行ったら、夕張メロンとか前張りメロンとか色々あるよね」
といった様な、ありがたいお言葉を1日に2、3回頂きます。
もちろん私は、そんな高田先生のお言葉を目にする度に、手を合わせる毎日を送っているわけです。
ところが先日、新たに押尾学botをフォローしたところ、
「何だかんだ言って、俺は10代のカリスマ。俄然、強め」
などと、1日に数え切れないくらいの押尾語録が届きます。
それはある意味、自画自賛を身上とする私が、はじめて「負け」を感じた瞬間でもあります。
スゲェよ、押尾先生・・・
だからと言って、マネするつもりは更々ありませんぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
巷には「成功法則」なるものが溢れていますが、「失敗法則」の類は余り目にしません。
「これをするから失敗する!」
といった法則を知ることで、無駄な失敗を避けることが出来るのにね。
ということで勇猛果敢な私は、失敗する法則がないだろうかと、ちょっと調査してみました。
子供の頃に持っていた夢を叶えることが出来なかった2千人のデータを集め、彼らに共通点があるかどうか探してみたんです。
そうしたら、なんと!
発見したんですよ、失敗する法則を!
しかも、彼ら2千人全てに共通する事柄です。
この失敗する法則を知り、その法則に従わないことで、アナタは人生において二度と失敗することはありません。
なんて、素敵なんでしょう。
では、その100%失敗する法則とは一体・・・?
実はですね、
子供の頃に抱いた夢を叶えられなかった失敗者はなんと全員・・・
小学校の卒業文集に、その叶わなかった夢を書いていたんです!
つまり、夢は書くと実現しない!(キッパリ)
ん?
あれ?
反応、悪いですね。
ひょっとして今、鼻で笑いました?
悪い冗談だと、思っちゃいました?
まあ、悪い冗談ですよ、確かに。
でも、チョット待ってください。
鼻で笑って過ごす前に、よ~く考えてください。
世の中に溢れる成功法則と、今私が言った失敗法則の、一体どこがどう違うって言うんですかね?
成功者を集めて、その共通項を探る。
そして、成功者に共通するものが成功法則。
それって、私が今やってみせた失敗する法則と、同じやり方、考え方で導き出してるじゃないですか。
一体どこが違うんでしょ?
結局、データを集めて判断した人がそう思いたい結果を言って、それを聞いた人が信じたいように信じてるだけでしょ?
違いますか?
実はこれ、初歩的な統計分析上の判断ミスなんですよ。
何かに法則性があると判断するには、そうでないパターンも調べなくちゃいけません。
つまり、「紙に書いたら成功する」ということを立証するには、紙に書いても成功できない人がいないことを立証しなくちゃいけません。
また、紙に書かないで成功した人がいないことも、調べなくちゃいけないんです。
当たり前のことですよね?
でも、当たり前じゃないことが、まかり通ってます。
多くの人が、疑問に思わない。
なぜでしょ?
それは、人は正しいことを信じるわけじゃないからです。
人はね、正しいとか間違ってるとかに関係なく、
信じたいものを信じるんです。
そして、信じたくないものは信じない。
信じたくないものには、目を伏せるんです。
だから、先の説明で「失敗法則」を私が説明した瞬間に、多くの人は「間違いだ」って思うのにに、成功法則に関しては安易に信じてしまいます。
今ね、私の言ってること信じたくない人は、一生懸命に私が今言ったことの粗探しをはじめています。
信じたいものは鵜呑みにするか、信じる理由を探す。
でも、信じたくないものは否定できる理由を探すために、重箱の隅をつつき始めたくなるわけです。
そして、それが人間の正体です。
信じることって、結構あやふやなんですよ。
で、こういうのを情報リテラシーって言います。
人間は、情報を読み解く力がないと、知らないところで判断を誤り、他者に意思をコントロールされやすくになってしまいます。
そして、余計なものに時間やお金を使ってしまうんですよ。
今、私は偉そうに言ってますけど、言ってる私だって割と簡単に引っかかってしまいます。
それくらい情報の罠は、そこら中にポコポコと開いています。
人の認知は、あやふやなんですね。
さて、アナタは、本当に信じて良いものを信じてますか?
ps:
冒頭でも触れましたが、私はここ1ヶ月ほど、試験的にTwitterを使っています。
マーケティングやブランディングとして、このTwitterが使えるかどうかは、今のところ首を捻る段階です。
でもまあ、遊びとしては割りと面白いんじゃないかと。
興味のある方は、登録して使ってみてください。
ちなみに私のアカウントは@noriyuki21です。
post by ノリユキ at 12:25 | コメント・トラックバック(0)
2009年7月29日(水) [ にんげん・こころ ]
intro:
世間ではよく、「人は、なりたいものになっていく」とか言います。
でも、私はフサフサになりたいのに、いつまで経ってもハゲ頭のままです。
むしろ、明らかにツルツル度は増しています。
さらに私は、1年以上前から「自分は小栗旬に激似」と言い続けています。
なのに、似てくるどころか、周りから信用を失いつつあるじゃないですか。
一体どういうことなんだっ!
でもひょっとすると、あと半年くらい待ってれば、小栗旬とソックリになってるかもしれません。
もう少しだけ、我慢してみることにしますぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
main:
半ばキャッチコピー化した言葉の中に、
「人間は、なりたいものになる」
という言葉があります。
しかし、現実を振り返ってみると、なりたい理想通りの人生を送っている人って、それほど多くありません。
それどころか、なりたいものを抱え込んで、身動きがとれなくなってしまう人が、増えている様な気がします。
「痩せたいのに、痩せれない。ダイエットが続かない・・・」
「英語が話せるようになりたい。本当にそう思っているのに勉強がなかなか手につかない・・・」
そうやって、自己嫌悪の罠にはまっていきます。
今の時代って、昔ほど単純じゃないみたい。
本当に人間がなりたいものになる存在であれば、誰もがダイエットに成功しているはずです。
痩せたい自分、スタイルの良い自分になっているはずです。
しかし、ほとんどの人が、なりたいものになっていません。
なぜ?
それは、やりたいことだけをやって、やりたくないことはやりたくないからです。
「痩せたい!スタイルが良くなりたい!」
とは思いますが、しかし
「ダイエットはしたくない。面倒臭い」
「甘いもの、カロリーの高いものが食べたい」
これが本音です。
「痩せたい!」という“なりたい自分”はあるけれど、そのための行動はしたくないし、する気がないという“やりたくない自分”がいるわけです。
だから、痩せないんですよ。
朝、バナナを食うだけのことすら、続きやしません。
以前、マズローの5段階欲求説は、多くの心理実験の結果から妥当性の低い仮説であるというお話をしました。
つまり、人の行動原理としての実際は、自己実現を目指さない・・・
人って、なりたいものになろうとするよりも、
やりたいことを、やる。
やりたくないことは、やらない。
ということの方が、はるかに多いわけです。
なので、「なりたいもの」と「やりたいこと」を混同してしまうと、人は空回りしてしまいます。
「なりたいもの」と「やりたいこと」が頭の中できちんと区別がついていれば、人はそれほど悩むことがありません。
「痩せたいけど、ダイエット面倒だから、このままで良いや」
もしくは、
「ダイエットしたくないけど、痩せなきゃならないから、やる」
それだけの話です。
仮に、やってみて続かなくても、お構いなしです。
だって、やりたくないんだから。
ところが、「なりたいもの」と「やりたいこと」を混同してしまう人は、混乱だけを抱え込んでしまいます。
痩せたいと悩みながら、いつまで経ってもダイエットをしない。
ようやく始めてみても、続かない。
そしてそんな自分を嫌悪する。
そんな自分が嫌いになってしまう。
だからね、そんな人は自分のやろうとすることが、単になりたいだけなのか、本当にやるつもりなのかを、ハッキリと自覚する必要があります。
「結果」とは、希望や理想にあるのではなく、「現実にどう対応したのか?」にあるんです。
だから、考えるだけムダなんですよ。
悩むだけムダ。
理由とか原因なんてのは、たいして必要ではなく、
「やるのか、やらねぇのか」
ただ、それだけの話です。
やらないのであれば、今すぐ諦めてしまえばいいんです。
でも、やると決めたのであれば、グダグダといつまでも、なりたい理想を膨らませてみたり、やるための理由を探しているヒマなんてありません。
とりあえず、やっとけ。
そんな感じです。
ps:
励ますつもりの言葉が、逆に相手を傷つけることになってしまうことってありますし、そんなことが増えてきたように思います。
難しい時代ですね。
ちなみに、「励ます」ではなく「禿げ増す」という言葉は、私をズタズタに傷つけます。
使い方には、注意が必要みたいですぜ。
┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・
post by ノリユキ at 12:32 | コメント・トラックバック(0)
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