名前のない花なんて、どこにもないから

自分の人生を、そしてビジネス・シーンを自由に駆け回っていくための、「こころ」と「あたま」と「おかね」の使い方。そんなお話でもして、カッコつけてみようかと。

「裸でも生きる」 先立つものは行動力かな

自伝にありがちなのが、

「いじめ → ドロップアウト(非行・ひきこもり) → 更生 → 成功(もしくは夢に向かってまい進中)」

といったパターン。
なので、こういったストーリー展開そのものには、全く興味のない私です。

が、人生がどんなストーリー展開であっても、その日々の生き方や生き様が大切であって、そういった部分で感銘を受けることって、あります。

で、そんな感じで心を揺さぶられた本がこれ。

 

裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ) 山口 絵理子

4062820641
講談社 2007-09-22
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イジメ、非行を経て、柔道に出会った少女は、高校で「男子柔道部」に入部。
その後、猛勉強を経て慶応大学に入学し、国際開発に興味を持った彼女は単身、アジアの最貧国といわれるバングラディシュへ。
しかし、そこで待ち受ける腐敗と裏切り・・・

途上国でバッグを製造し日本に輸入販売する(株)マザーハウス代表の山口絵里子氏といったら、「情熱大陸」等のテレビでいくつか採り上げられてますから、ご存知の方も多いんじゃないかと。
この本は、そんな彼女が自身の子供時代から起業して軌道に乗せるまでを綴った奮闘記です。

 

知識に偏重し、リスクを避けがちな今の時代。
でも、前に進んでいくためには、行動して失敗し、失敗したら行動し・・・って具合に、それを繰り返すことが大切です。

で、この本からは、その大切さを彼女の生き方を通して感じることが出来ます。

彼女のその我武者羅な生き方は、努力とか根性とか、そんな言葉よりも、まさにこの本のタイトル通り

「裸でも生きる」

といった表現の方が似合うのかな。
サブタイトルの「25歳女性起業家の号泣戦記」も、まさしく彼女の生き様を表していますねぇ。

どんなに打たれても、どんなにヘコタレても、涙を流しながらでも立ち上がり続ける彼女の姿は、まさに感動モノです。

起業を志す方だけでなく、何か前に向かって進んで行きたいと思っている人に、オススメの一冊です。


post by ノリユキ at 10:20 | コメント・トラックバック(0)

AKB商法という古典と例外

音楽CDが売れないと言われる時代に今、飛ぶ鳥を落とす勢いなのが、秋元康氏プロデュースのAKB48です。
新曲「Everyday、カチューシャ」は、発売からわずか4週で150万枚を越えたんだとか。

ただその一方で、AKB48のCDには、

握手券やシングル選抜総選挙の投票権などの特典がついていたり、
複数の種類の生写真をランダムに入っていたり、
「通常盤」や「劇場盤」など複数の仕様に分かれていたり、

といった具合に、同一のCDを複数買いたくなる様に誘導がなされています。

これが俗に「AKB商法」と呼ばれるものです。

 

音楽CDを買うのは、そこに収録されている曲を聴きたいから買う。

多くの人が、そう思っています。
が、それは表面的なものであって、本質ではありません。

音楽CDというのは、曲を「聴きたい」から買うのではなく、そのCDが「欲しい」から買うのです。

このことは、音楽CDのコピー防止を施すCD(CCCD)の導入が失敗したことからも明らかです。

数年前、レコード業界は音楽CDの売上低迷は違法コピーによるものだとして、CCCCDの導入が行なわれました。
しかし、売上は改善されず、CCCDは間もなく終焉を迎えました。

音楽のコピーがCD売上の低下の根本的原因ではなかったんですねぇ。

要するに、曲をコピーして聴く人は、コピーできなくなったからといって、その曲の入ったCDを買うわけではないということです。
CDを買う気にまで至らないから、曲をコピーして聴くんですね。

音楽CDを買うには、曲を聴きたい以上の衝動が心理的には必要になってくるわけです。
それが人間の購買心理の本当のところです。

ですから、CDに限らず商品を販売する側としては、その商品を買ってもらうために、昔から工夫を凝らしてきました。
例えば、

魅力的な広告宣伝によって、消費者により以上の興味を持ってもらったり。
商品に特典を付けることで、購入意欲を高めたり。
同じ商品を複数の仕様にして販売することで、複数買ってもらおうとしたり。

消費者の「欲しい」という感情を引き出すことで、商品を購入してもらうことを目指しています。

この様に見ていくと、先のAKB商法の仕組み自体は、別にAKB48に限った話ではないことがわかります。
様々な場面で昔から行なわれている古典的な販売手法です。

ただ特徴的なのは、AKB48ではその発足当時から、この販売手法を徹底して行なっているということです。

 

ところで、この手法にはウィークポイントがあります。
それは、長期的な利益の確保が難しいということです。

この手法は、消費者心理を煽ることで、短期的に利益を最大化しようとするものです。

なので、これを繰り返し行なっていくと、次第に消費者は「慣れ」「飽き」「倦怠感」「嫌悪感」を抱くようになります。

心理的刺激を繰り返していくと、人はそれに慣れてしまいます。
ですから、消費者心理を思い切り煽ることは、始めのうちは効果が高くとも、そのうち反応が低下していきます。
だんだんと売れなくなっていくんですねぇ。

また、煽られていると、次第にそれに飽きてきたり倦怠感を感じてきます。

例えば、シリーズもののオマケが付いたお菓子が発売されると、最初は「全種類集めるぞ!」と張り切って、同じお菓子を何度も買い集めたりします。
しかし、そんな販売を何度も繰り返されると、人は次第に飽きたり疲れたりして、購入そのものを止めてしまいます。

さらに、消費者は煽られ続けていくと、次第に嫌悪感を抱く様にもなります。
嫌悪感を抱かれたら最後、買ってもらえるどころか反発が起こり、販売そのものがやり辛くなってしまうのです。

ですから、通常この手法は、継続的に徹底して行なわれることはなく、要所要所において、ポイント的に使われるのが普通です。

 

ところが、どうでしょう?
AKB商法においては、今のところこの理屈が通用していません。。

AKB48が発足したのは2005年の暮れ頃のこと。
最初の公演は、一般客が数名しかいなかったとか。

で、そんなAKB48のCDの売上状況を見ていくと、

2006年10月のファースト・シングルが4.8万枚。
その後、3万枚を超えることなく2年が経ち、
2008年10月に10枚目のシングルで9万枚突破。
2009年3月の11枚目シングルが12万枚突破。
2010年3月の15枚目シングルで40万枚突破。
2010年10月の18枚目シングルが100万枚突破。
2011年5月の21枚目シングルが150万枚突破。

(※参考:「シングルCD売り上げ枚数大辞典」
 
と、時間をかけながら、CDの売上を伸ばしていっています。
今の人気は、5年の月日をかけて辿り着いたということになるわけです。

これは一体、どういうことでしょうか?
AKB商法的な販売手法は、継続して徹底的に行なった場合、長期的に通用しないはずですが・・・

私は、この手の販売手法をとりつつも、長期的に売上を確保できている例が他にもないか探してみたんですが、どうも見当りません。
AKB48くらいなんですねぇ。

マーケティングの観点で捉えた場合、AKB商法はあまりに古典的であるにもかかわらず、例外的過ぎるのです。

 

では、この販売手法における結果を覆している理由は何でしょうか?

この場合、AKB48という商品設計そのものに注目していく必要があります。

すると、AKB48という商品価値は、長期的視野にもとづいて企画・設計されていたと気づきます。

コンセプトが「会いにいけるアイドル」であること
露出の軸が大手メディアではなく、AKB劇場でのライブにあること
クラスで一番可愛いとは言えない女の子達を集めて、上を目指させること

その企画自体に、時間とコストがかかることは明白です。

となれば、その間におけるコストを補っていたのは、AKB商法なる販売手法によって得た利益であるとも考えられるわけです。

商品価値を高めるコストを強力な販売手法で補い、顧客の支払ったそのお金で商品価値を高める。

販売手法 → 商品価値 → 販売手法 → 商品価値 → ・・・

ビジネス的に言えば、それは

「商品価値を高めるために、顧客に先行投資をさせるビジネスモデル」

AKB48のメンバーの立場から言えば、

「ファンの応援があるから、もっと頑張れる」

ということになります。

まあ、何れにせよ、この両輪が上手く連動している状況が、今のAKB商法の実際なんじゃないでしょうか。
ここに、AKB商法という古典的販売手法が例外性を発揮している仕組みがあるのかもしれません。

ps:

ただまあ、強力な販売手法に負けないくらいに商品価値を高めていくことって、並大抵じゃありません。

普通なら、ムリでしょうね。
商品が「モノ」ではなく「ヒト」にあるからこそ、可能なのかもしれません。

ところで今回は、倫理的な問題点はさて置いて、マーケティング的な視野にたってお話しました。
しかしこの手の商法は、度を過ぎれば社会的な問題に結びつきかねませんので、この視点からも、きちんとした見解が議論される必要はありますね。


post by ノリユキ at 11:00 | コメント・トラックバック(0)

もはや幻か ~ THE HONEY DRIPPERS [VOLUME ONE] ~

随分と前の話ですが、CDショップでアルバムを物色している時に、見つけたのがこれ、THE HONEY DRIPPERS の「VOLUME ONE」です。
50年代のR&B、しかも珠玉の名曲達を80年代にカバーしたアルバムです。

VOLUME ONE Honeydrippers

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私はこのバンドを知らずに購入したのですが、購入する際に気になっていたのがケース裏側のクレジットに記載されていた「Robert Plant」という名前。
ただ、その名前からはおよそ想像がつかない50’sを思い起こさせるCDジャケットと収録曲・・・

そしてこのCD、聴いて納得、調べてビックリ。
今となっては入手が難しいことも合わせて考えれば、このアルバムはもはや幻かと思えてしまう名盤です。

この THE HONEY DRIPPERS は、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントが企画したグループで、なんとジェフ・ベックとジミー・ペイジが参加。
タイトルが「VOLUME ONE」となっているものの、Vol.2 は出ていませんので、このグループ唯一のアルバムとなっています。
まさに、幻か。

収録曲は、

  1. I Get A Thrill
  2. Sea Of Love
  3. I Got A Woman
  4. Young Boy Blues
  5. Rockin’ At Midnight

と、50年代のR&Bが並んでいます。
ただ、R&BというよりもR&Rの色合いが強く、50’sを感じさせる艶っぽさを醸し出してます。
お酒を飲みながら、大人な夜のBGMにいかがでしょうか?

YouTubeから収録曲「Sea Of Love」で、甘く艶やかなひと時をどうぞ。


post by ノリユキ at 15:58 | コメント・トラックバック(0)

報酬50%カットしても3600万円残る時の溝

ネタとしてはやや古い気もしますが、少し前にこんなニュースがありました。

東日本大震災:福島第1原発事故 東電役員報酬、半減後も「3600万円」--経産相(毎日jpより)

原発事故を起こした東京電力は役員報酬を半額にするというリストラ策を出しましたが、一部の役員は50%カットしてもまだ3600万円残るという話です。

このニュースが流れた直後、ネットでは、

「ふざけるなっ!あれだけの事故と被害を起こして、まだ3600万円も貰う気か! 自覚がなさ過ぎるだろ!」

といった内容の意見で溢れました。

周知の通り、福島の原発事故の被害は甚大です。
被災者達は職や住む場所を失い、未だに先の見えない避難生活をおくるハメになっています。

にもかかわらず、その事故を起こした東電の経営者には、3600万円もの大金が報酬として支払われる・・・

こんな話は、被災者でなくとも一般庶民の感覚として、到底受け入れられるものではありません。
リストラ策どころか、多くの日本人の感情を逆なでする様な話です。

 

・・・と、ここまで読んで、気がつかなくちゃいけません。

「一般庶民の感覚として」
「感情を逆なでする」

分りやすい様に、あえて使ってみました。
そう、東電の役員報酬3600万円に対するこれらの意見は、ロジックではなく感情論だということです。

もちろん、この感情論が悪いというつもりは全くありません。
が、こういった場合に生まれてしまう私達の認識の歪みには気づいておいて損はないんじゃないかと。

 

この手の話を聞いたとき、私達はまず

「3600万円もの大金を手にする(被害を起こした張本人なのに)」

ということに意識が置かれます。

確かに3600万円は大金です。
平成21年度のサラリーマンの平均年収が406万円(国税庁調べ)ですから、それと比べたらもう・・・って感じです。

しかし良く考えてみてください。
東電の役員はその報酬が50%カットなのですから、本来の報酬予定額は事故が起こらなければ、7200万円だったわけです。
つまりそれは、

「3600万円もの大金が残る」

と同時に、

「3600万円もの大金を失う」

ということです。

ところが私達はどうしたことか、“大金が残る”ことばかりに意識が向かい、“大金を失う”ことには意識が全く向かいません。

3600万円もの大金がカットされちゃうんですよ?
3600万円あったら、一体何が買えると思うんですか?

きっと今夜のおかずは豚肉から和牛に格上げするはずですし、缶ビールも2本まで飲んでいいよって、奥さんは言ってくれるかもしれません。
食後のデザートにガリガリ君を食べたって、誰にも文句を言われる筋合いはないのです。

さて、私は一体何を言っているんでしょうか?
兎にも角にも、3600万円というのはアレもコレも買えちゃうくらいの大金なわけです。

で、それほどの大金が突然カットされるハメになるとしたら、アナタならどう思いますか?
平然としてられるわけがありません。

にもかかわらず、事が他人事であると、“大金を失う”方より“大金が残る”方に意識が向かいます。

しかし、こんなことを言うと

「それでもまだ3600万円もの大金が残るじゃないか!」

と反論する人が出てきます。

ほら、また“残る”方に意識が逆戻りです。
どうしても大金が“残る”方に考えが固執してしまうんです。

妬み、僻みもあるかもしれません。
そうではなく、被災者の気持ちを察した上での感情なのかもしれません。

だって、被災者は住む場所と職を失ったにもかかわらず、事故を起こした側の経営者には大金が入るというのは、一種の矛盾ですから。

いずれにせよ、私達は感情を持つ生き物です。
なので、感情を廃してモノゴトをフラットに見るというのは非常に困難です。

で、これが東電側と一般市民との間に認識のギャップを生み出す一端を担っています。

 

翻って、東電サイドでモノゴトを考えて見ましょうか。

事故後の対応のまずさを彼らがどれだけ認識できているかはわかりませんが、事故発生の原因から考えれば、

「俺達のせいではない」

との気持ちはあるはずです。

福島原発は、国の原発推進のもとに進められ、原発の設計においても管理においても、きちんと国の基準を満たしていた様です。
つまり、事故の原因は操作ミスや怠慢による人災ではなく、津波による「天災」なわけです。

「事故の原因は自分達にあるわけじゃないのに・・・」

という気持ちが心の片隅にあったとしてもおかしくはありません。

ましてや「天災」ということで被害を受けたのは東電も同じです。
多額の費用をかけた施設が崩壊してしまったのですから、東電地震の被害も甚大なわけです。

であれば、

「原発事故が起きたのは自分達のせいではないし、こっちだって被害者だ」 

という意識があっても、無理はありません。
私達だって同じ立場に立たされたら、この様に思ってしまう可能性は十分にあり得ます。

にもかかわらず、リストラ策として年俸の半額、3600万円もの大金が削られてしまう・・・

人は、年収が360万円であればそれなりに暮らしますし、7200万円でもそれなりの暮らしをします。
年収が20倍なら、20倍なりのエンゲル係数・資金運用・人付き合い・借金などがあるんです。

ですから、残り額が3600万円もあるじゃないかと思っても、年収7200万円の当人にとってその半分の3600万円がカットされるのは結構痛いものです。

しかも、東電クラスの企業であれば、役員報酬額が7200万円というのは、決して高くない、というか低い部類かも。

ですから、当の本人達からすれば、結構な痛手を負っている気持ちがあっても全然おかしくないはずですよ。

 

こう考えてみると、東電側とその外側にいる一般市民との間に存在する認識には大きな溝があることが見えてくると思います。

私達は、このニュースを聞いた時、被災者側の気持ちに立って、東電を加害者としてみます。

しかし東電側は、「被災者に対しては加害者」であると同時に天災に対する被害者です。
加害者意識があるにしても、その意識で頭の中が100%満たされるわけではありません。

内側と外側では、見えない大きな溝が存在しています。

 

これだけの被害をもたらした事態であっても、その内側と外側の認識には大きな溝が生まれます。

ということは、利害関係によって日常的にそこら中に生まれる溝に、私達は気づくはずもありません。

「なんでアイツは、これだけ人が傷つく様なことをしておいて、この程度で済まそうとするのか!?」

と思っていても、相手は十分に償っているつもりかもしれません。

「こんなに反省し、これだけ償っているのに、アイツはどうして分ってくれないんだ!?」

と思っていても、相手からすればアナタの態度は全く反省している様に映ってはいないのかもしれません。

「相手の気持ちになって考えよう」

小さな頃に、親や学校の先生から教えられているはずの、このコミュニケーションの基本の大切さが、今更ながら感じられます。
アナタは、きちんと出来ているでしょうか?

いくつになっても、なかなか出来ないもんですぜ。┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・


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蕾(つぼみ)をつける、その前に

新入社員が4月に入社して、早1ヶ月が経ちました。
ホント、あっと言う間ですね。

しかし、その「あっ」と言う間で、新人さん達の間には仕事の“差”が露骨につき始めています。

皆さんの会社でも、入社して1ヶ月もすれば、

「今度入ったアイツ、凄いよ。使える」
「アイツ、1ヶ月経ってもまだこれすら出来ねぇんだよ。使えねぇな」

などと新人さん達の評判が聞こえてくるのは、珍しくないはずです。

理解の早い人、物覚えの良い人、要領の良い人などは、そうでない人よりも早く仕事が出来るようになるのは当然のことです。

スピードや質など、仕事の仕上がりは、わずかな期間で他者を抜きん出ます。
そして、他者よりも先に次の仕事に進むことになるわけです。

逆に、そうでない人というのは、わずかな期間で差をつけられていきます。
他者に後れをとったからと言って、誰かが補習授業を用意してくれるわけでもありません。

そう、これが競争社会の現実です。

人は他者から、あっという間の短期間で判断・評価され、その中で生きていくことになります。

 

しかし、ここで注意すべきことがあります。
それは、

「人材評価が、ちょっと早過ぎるんじゃね?」

ということです。

確かに1ヶ月、早ければ1週間もすれば、新人さん達の間には仕事の差が生まれてきます。
が、1ヶ月、2ヶ月程度で、彼らの一体何がわかるというのでしょうか?

仕事の覚えの早い人が今後、本当に仕事のできる人として育っていくかは、長い目で見なければわかりません。

単に要領が良いだけで、下手をすれば手抜きばかりが上手いだけの人だっているかもしれません。
局所戦に強くても、戦略性を持って動く立場になった途端に、ガタガタになる人だっているんですよ。

逆に、仕事覚えの遅い人でも、1年後には大きく伸びている人もいます。

局所を教わっているだけの時は飲み込みが悪くとも、大局が見えてくる頃になると途端に頭角を現す人だっています。

入社当初は「先が思いやられる」と思われていても、数年後には頼りがいのある中堅社員や上司として活躍しているケースは、意外にも多いんですよ。

ですから、仕事覚えの悪い人に対して、早めにジャッジを下してしまうことは、大きな問題です。

それなりに一生懸命仕事に取り組んでいるけど、上手くいかない人、直ぐに結果が出せない人、遅れをとってしまっている人などに対して、

「ダメだ」とか
「使えない」とか

そんな判断を早々に下してしまうのは、逆に彼らのやる気を削いでいく結果になりかねません。

それって、将来大きく花開く可能性を持っているのに、蕾(つぼみ)にもならないうちから早々と摘み取ってしまうのと同じことです。

結果的に、そんな早すぎる人材評価が、その人の可能性を奪っていくだけでなく、会社としての将来性をも奪っていくことになります。

 

でも人って、ついつい短期間で人を評価してしまいがちなんですよねぇ。
もちろん、短期評価も大切ですけど、人はその場その場の判断だけで人を評価を下しがちです。

ですから、中長期で人を評価する仕組みを作ったり、そう意識付けしていくいくことって、とっても重要です。

「花も人も、芽を出し根を張る時間はそれぞれ」

そう肝に銘じておいた方が良さそうですぜ。 ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ・・・

ps:

まあ、そんなに長い間構えてられない事情というのも企業にはあるにはあるんですけどねぇ・・・
そこを乗り越えるんだ。


post by ノリユキ at 12:20 | コメント・トラックバック(0)