人生なんて、しょせん下書き

清書なんていらない

二元論によって、成功を語るとき、

「行動しなければ、失敗もないが成功もない。」
「失敗を恐れるな。失敗しないことの方が、大失敗なんだ。」

なんてことが、よく言われます。

 

でも、これらの言葉には、ある種の前提があります。

“最後には成功している”

そんな前提があるからこそ、それらの言葉が語られるわけです。

でもその前提って、おかしい。
前提条件付き、ってことがそもそも変ですが、さらにその前提の設定自体がおかしいんです。

ほとんどの人間は、成功せずに終わります。
成功した人だって、最後まで成功の座についているとは限りません。

失敗から這い上がった人は、ほんの一握りにしか過ぎませんし、そんな人ですら次の失敗で這い上がれる保障はどこにもないんです。

にもかかわらず、いつだって二元論では、最終的には成功していることが前提となって、話を展開させていきます。

 

では、そんな前提が崩れてしまったら?
前提が、仮に“最後は失敗で終わる”だったとしたら?

「行動しなければ成功はしないが、失敗して路頭に迷い、犯罪者になることもない。」
「アナタは、不幸のどん底のまま、軽蔑されて死んで生きたいのですか?いやなら、なぜそんなことをするんですか?」

そんな風に、話の理屈が変わってしまいます。
で、それが二元論の現実であり、限界です。

話の前提が変われば、そんな話は全く無意味なんです。
ある特定の前提があった上での、お話なんです。

 

 

人間は失敗を恐れます。
そしてそれは、決して悪いことではありません。

失敗するより失敗しない方が良い。
そう感じるのは、当然のことです。
危険や失敗を避けようとするのは、人間の本能として当たり前のことなんです。

アナタにとって大切なモノ、大切な人。
それを失ってまで手に入れたいものなど、一体どれくらいあるのでしょうか?

失敗することよりも、失敗しないことの方が大失敗であるケースなんて、現実にはそう多くはありません。
そんな失敗、そもそも「失敗」などと言うほどのものではないんです。

「成功」と「失敗」。
そんなたった2つの世界だけを語るから、何かと大げさになってくるんです。

 

欠陥だらけの二元論をどんなに駆使したところで、失敗そのものの恐怖は消え去りません。
どんなに二元論で訴えられても、どこかに疑問や不安が残るわけです。

だから、二元論で「行動するべき」と言われたからといっても、なかなか行動できない。

逆に二元論によって感情を煽られている分だけ、失敗に対して知らず知らずのうちに足がすくんでしまいます。
何かにつけて二元論は、「成功」だの「失敗」だのと大袈裟な話ばかりを繰り返しますから。

にもかかわらず、二元論はアナタの背中を押そうとするんです。

だから余計に、行動が出来なくなってしまう。
「成功」と「失敗」という言葉の狭間に身を囚われて、動けなくなってしまいます。
そうやってこの世の中は、知らず知らずのうちに息苦しくなっていくんです。

 

 

そもそも、二元論を語る人が言うところの

「成功」

そんなものをアナタが手にする必要が、一体どこにあるのか?

別にそんな成功、手に入れなくたって良いじゃないですか。
それが、アナタにとって必要なことだとは限りません。
単に情報発信者が、そう言っているだけの話です。

誰かの成功は誰かの成功であって、決してアナタの成功ではありません。

「成功」のあり方なんて、人それぞれ。
「失敗」だって、それを失敗と感じるかどうかも、またその感じ方だって、人それぞれなんです。

 

そして、「成功」の反対は決して「失敗」なんかじゃない。
失敗しないことが成功ではないのであれば、成功しないことも失敗ではありません。

繰り返し言いますが、世の中なんてのは多元的なものなんです。
世の中は、成功と失敗の2つだけで成り立っているわけではありません。

そんなたった2つの世界のどちらかを選択しなければならない理由なんて、どこにもありません。
成功しなくたって、失敗しない方法はいくらだってあるんです。

成功も失敗もない人生が退屈だなんて、一体誰が決めたんでしょう。
恐らくそれは、アナタ以外の誰かです。

成功せずとも幸せに暮らせる方法なんて、探せばいくらでもあるはずです。
成功とは言えなくとも、ささやかな暮らしを手に入れ、それだけで満足な生き方だって素晴らしいはずなんです。

アナタには、アナタにしか行けない道がある。
それが他人にとっては失敗でも、アナタにとっては幸せの道なのかもしれません。

そして、それがアナタにとっての本当の成功。
他人の物差しでアナタの人生を計る必要なんて、どこにもありません。

 

 

常に二者択一を迫られ、さらには「コッチが正しい」なんて風に、アナタは暗に言われ続けています。

おまけに

「出来ないのは、行動しないからだ。」

なんて具合に、成功できない理由まで語られます。

 

けれどもそれは、いつだって

「清書しろっ!」

と言われ続けている様なものなんです。

 

清書は、きちんと書けなければ失敗です。
成功と失敗しかありません。
そんな二元的な状況下に置かれます。

だから清書は、身も心も改まって書くことになります。
そして、なかなか書き出せない。

「失敗しないように。」

そんな覚悟や思い切りの様な「勇気」が必要になるんです。

 

だから、書き出せない。
だから、行動できないんです。

何かにつけて、大袈裟なんです。
成功だとか失敗だとか。

二元論とは、「失敗を恐れるな」と言いつつ、実は成功と失敗の狭間の崖っぷちに立たせて、背中を押しているようなものなんです。

 

行動そのものに、勇気なんて必要ありません。

当たり前じゃないですか。
人はやりたいからやるんです。
やりたくないものは、やりたくないんです。

「宿題やりなさい!」と言われても全くしない子供だって、待ちに待ったゲームやマンガの発売日には、即日買いに行きます。
止めたって買いに行きます。

楽しみにしていたゲームやマンガを買ってきて

「来月からやろう。」
「来週の月曜日からやろう。」
「後からやる。」

なんて人は、どこにもいません。
家に帰ったら即、行動です。

そして、そんなものに「勇気」なんてこれっぽっちも必要ないんです。

人はやりたいことはやって、やりたくないことはやりたがらない。
それだけです。

 

「成功」だとか「失敗」だとか、そして成功できない理由が「行動」だとか、「勇気」が必要だとか。

そんな大げさなことばかり言い出すから、逆に何も出来なくなるんです。
たわいもない事だって、なかなかやり出せなくなるんです。

そんな言葉なんて聞く必要は、これっぽっちもない。
清書なんて、いらない。

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