人生なんて、しょせん下書き
人生なんて、しょせん下書き
宝くじを買いに行かなければ、宝くじを当てることは出来ません。
でも、買おうとも思わずにその辺をブラブラしていたら、大金を拾うかもしれません。
外に出かければ事故にあう可能性はありますが、家でテレビを見ていたからといって安全だとは言い切れません。
つまり“結果”とは、アナタが行動する・しないに関係なく手に入るものなんです。
もちろん“結果”とは、成功と失敗のどちらか一方しかないわけではありません。
無数の“結果”があるわけです。
そしてアナタは、行動をするしないにかかわらず、何らかの“結果”を手に入れることになります。
なぜ?どうして?
それはアナタの行動に関係なく、世の中は動いているから。
アナタが行動するしないに関係なく、時は流れ、世の中は変わっていきます。
そんな流れの中で、アナタは“結果”を及ぼす何らかの「因子」に出会っているわけです。
無数の「因子」の流れの中に、アナタはいる。
そう言って良いかもしれません。
そしてその「因子」は、アナタと出会う瞬間までが“可能性”であり、出会った後が“結果”になるんです。
ただし、その「因子」ひとつひとつには、アナタが認識できるほど大きな意味はありません。
いくつもの「因子」が積み重なって、ようやくアナタ自身で認識できるんです。
だから、“結果”とは1つの因子のことではなく、その因子に出会った“積み重ね”だと言ったほうが良いのかもしれません。
ごく稀に訪れる、大きな意味を持つ因子(可能性)。
それは、「チャンス」などという言葉で呼ばれます。
繰り返し言いますが、アナタの意思や行動とは関係なく、結果は必ず訪れます。
でも、行動することと、しないこと。
それには、決定的な違いがあるんです。
それは、
“その可能性を自分の意思で掴むのかどうか?”
ということです。
「行動する」というのは、自分の意思でその可能性を掴むということです。
「行動する」ことで、アナタは無数に散らばる“可能性”を自分で選択して手に入れるわけです。
行動しなければ、どんな可能性にぶち当たるかは、選択できません。
時の流れに任せて、何らかの可能性にぶつかるだけです。
もちろん、1つの行動で1つの結果を掴むわけではありません。
1つの行動とは、無数にある可能性の中から、たった1つの可能性を選択した行為にしか過ぎないんですから。
小さな行動ひとつひとつの積み重ねの答えが、“結果”となっていきます。
可能性を手にする分だけ、結果に近づいていくわけです。
行動することは、その可能性を次から次へと選択していくこと。
行動しないということは、どんな可能性を手にするか分からないということ。
ここには、大きな違いがあります。
早い段階からその結果に向けて可能性を選択し続けていけば、望む結果に近づくことが出来ます。
けれども、成り行きに任せているだけでは、望む結果から遠く離れてしまうかもしれません。
自然に任せて多くの可能性を手にしてしまえば、イヤな結果が目の前に来てから慌てることになります。
そして、避けることは非常に困難です。
1つの可能性を選択し、それによって次の可能性を自分で選択する。
それは、アナタが望む“結果”に向けて、臨機応変に対応しているということです。
自分の意思で可能性を選択した数だけ、アナタは結果を修正していくことが出来るんです。
早いうちから、その可能性ひとつひとつを自ら選択していけば、十分に自分でその結果をコントロールしていくことが可能です。
行動することで、アナタは「失敗」という結果を避け、望む結果に近づくことが出来るわけです。
成功と失敗の2つだけで結果を考えること。
それは、1つの行動で1つの結果を得ようとすることです。
そしてそれは、選択肢がたった2つの世界です。
アナタの思考と行動は、非常に限られてしまいます。
成功するために、行動しなければなりません。
そして、行動することで成功を掴まなければならなくなります。
そんな時、人は大きな一歩を踏み出すしかありません。
大きな一歩を踏み出す、そんな勇気が必要になってくるんです。
けれども既にお話したように、1つの行動は無数の中から小さな可能性を選択しているだけにしか過ぎません。
小さな可能性を自ら選択すること。
それは、小さな小さな一歩なんです。
そこには、勇気なんて必要ありません。
だって、成功とか失敗とかは関係ないんですから。
大きな一歩と違って、そんな小さな一歩は、次の一歩でどちらの方向にだって進むことが出来ます。
踏み出せば踏み出すほど、アナタは自由になっていきます。
小さな一歩で良いんです。
早め早めに、小さく小さく踏み出せば、大きな一歩なんて必要ありません。
アナタが行動できないのは、大きな一歩を踏み出そうとしていたから。
アナタが空回りしてしまうのは、大きな一歩前進を気にしていたから。
大きな一歩を踏み出さなければならなかったのは、成功と失敗という2つの結果だけが気になっていたからです。
そんな言葉の狭間で何も出来なくなっていたからです。
本当の行動とは、小さな小さな一歩のことなんです。
私は人生なんて、その日常のほとんどが
「下書きみたいなもの」
そんな風に思ってます。
清書しなければならない様な時なんて、滅多にありません。
雑に書こうが、枠からはみ出そうが、他人には解読不能な汚い字や絵であろうが・・・
何度だって書き直そうが・・・
何だって構わない。
自分自身にも他人にも迷惑なんてかかりません。
何回だって消して、また書き直せば良いだけです。
消さずに上からなぞったって、構いません。
それが、下書きってものです。
それが、「行動」ってものです。
もちろん、人生やり直しは何度だってききますが、必ず元の条件に戻れる事はありません。
確かにそうです。
消しゴムでその下書きを消したところで、必ず「跡」は残ります。
でも、どんな跡だって、それはアナタにとっての道標(みちしるべ)になるんです。
滅多にこない清書の時間。
そんな時は、上手くいった「跡」をなぞって書けば良いんです。
で、上手くいかなかった「跡」は、避けて通れば良い。
それだけなんです。
アナタにとって大切な時には、そんな下書きが役に立ちます。
絵を描くとき、文章を書くとき、習字をするとき・・・
そんな時、いつだってその清書の道標は「下書き」なんです。
人生だって同じ。
いつだって人の道標は下書きなんです。
早め早めに行動していくことで、アナタは自分自身の可能性を先取りしていく事になります。
自由になっていくんです。
可能性を自ら選択し、選択を重ねることで、アナタはこれから訪れるかもしれないリスクを最小限にしていくことが出来ます。
そして、自らが意図する“結果”に近づいていくんです。
アナタが行動することで得たものは、決して清書なんかじゃありません。
行動することで得たもの、それは下書きです。
そして、その下書きがアナタにとって、大切な道標となるんです。
素晴らしいことじゃないですか。
行動が出来ない?
違います。
それは、いつだって誰かに「清書しなさい。」って言われ続けてきたから。
行動しても空回りしてしまう?
問題はありません。
だって、下書きなんだもん。
失敗なんて、そうそうあるもんじゃありません。
きっとアナタが失敗だって勘違いしているのは、単にアナタ自身の見栄とプライド。
そんなもの、他人からしてみれば、どうだって良いんです。
アナタが見栄を張らなければ、それでお終いです。
どうってこと、ありません。
アナタが書いた下書きを見て、笑う人たち・・・
そんな連中、どうだって良いじゃないですか。
だって、アナタが本当に困った時に、そんな連中が手を差し伸べてくれるんですか?
きっと、また嘲笑ってそれでお終いですよ。
アナタの力になんて、これっぽっちもなりやしない。
いてもいなくても、関係ない人たちなんです。
せいぜい、いたら邪魔になる程度。
その程度です。
上手く行かなくたって、いいじゃないですか。
途中で諦めたって、いいじゃないですか。
そのほとんどが、下書きなんですから。
正解をいつも見つけなければならない理由なんて、どこにもありません。
だって、人生は下書きみたいなもんですから。
人生において、ごく稀に訪れる「清書」の時間。
そんな時のために、アナタは今、下書きをしています。
何度だって書きまくるんです。
書いて書いて書きまくるんです。
愉快な位にね。
これからの生活の中で、もし二元論に挟まれて苦しくなったら、自分自身に向かって言ってあげてください
「人生なんて、しょせん下書き。」
「行動なんて、しょせん下書き。」

